いつの間にか冥王星
「キャァーア!」
背中に失神しそうな程の強烈な痛みが走り悲鳴が迸る。
『イノマン先生もう走ってもいいですか!』
アイリーンが心の中で叫ぶ。
『振り向かず行くのだ意識を手放すんじゃないぞ、全てが水泡に帰すからな。私が最大限に庇ってやったのだから痛みは少ないはず。さっき言った通りに行動し約束を違えるな』
(わかっているわよ、そっちもちゃんと約束守ってよね)
アイリーンは既に走り出していた。
背中の傷みで足が動かなくなりそうになる。
しかしお兄ちゃんを失うかも知れないと思う心の傷みを感じて乗り越えることが出来た。
本当は『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と言って泣いてすがりたい。
でも口に出して自分に言い聞かせる。
「涙なんか流している暇はないぞ、スターキッドはまだ先だ!」
イノマンの残留思念が頭の中でスターキッドが停まっている場所までの指示を出す。
サロメの目にはアイリーンがイノマンのクローンに抱きつき何かを奪って走って逃げた様に見えた。
突然の予想外な出来事に急な対応が出来ずに走って追うか鞭を伸ばすか迷っている内にアイリーンが扉を開けて逃げてしまう。
「何をしている直ぐに追い掛けて」
自分のミスを棚に上げてクモ男を叱咤する。
電気鞭をクローンの身体に巻き付けて言う。
「動いたら電気を流すわ!最大でねそうしたら死ぬかもよ」
「折角出てきてやったんだ、もう少しましな歓迎の仕方をお願いするよ、それともう1つ、あの子がどんな風に逃げおおせるか見たくはないかね。4歳になったばかりの小さな女の子がこの冥王星から無事に生きて逃げ出せるのか…どうかをね」
さっきまでとは違い低い落ち着いた声が聞こえてきた。
「本物のイノマンなの…やっと出て来てくれたのね。そうねここはあなたに貸しを作る事にするわ」
「まあ良かろう、それより先にこの背中の傷みを早く消してはくれないか、ろくに話ができそうにない」
「オクトパス、薬を塗ってやりなさい」
「ハハハ、クモもタコも8本足でしたね、アタタタ」
「オクトパスの前でタコの話しをすると殺されますよ、傷みも引いた様だし話し合いをしましょうか」
「久しぶりでいいのかな?今の私はあなたの知る私ではないかも知れませんよ、それと場所を変えましょう、良いラウンジがあるのですよ、こちらです…壊されていなければいいのですがお酒は嗜まれるのでしょう、地球産の良いのがあったと記憶してるのです」
「あなたは誤魔化すのが上手みたいですがさっきまで居た石井光一さんの意識はどこへ行ったのでしょうか?」
「あなたが先ほど自分で言ってたじゃないですか、そうその通り消えたのですよ。だから私が現われた。それでいいでしょう」
「そうしておきましょう。貸しは2つでいいですよね」
「いいでしょう。但し、あの子が殺される様な事があれば、全てをあなたの責任とさせて貰います。当然、貸しもチャラになりますね。私はあの子が自力で生き延びる事が出来るのかを今一番の楽しみにしているのですから、殺さない程度ならいたぶっても構いませんよ」
「本当に人の生死を娯楽にしている先生ですこと」
アイリーンは必死になって走っている。
イノマンの残留思念にナビゲートして貰いながら、迷路の様に入り込んだ通路を右に左に曲がっていた。
サロメが仲間に命じて石井光一を押さえ付け苦しめている最中、アイリーンがイノマンの子供だと聞いたその時、頭の先から足の爪先まで瞬間的に電気が走って思い出した事がある。
今まで何をしていたのか分からないまま時間だけが過ぎている時があった。
今にして思えばうちの中に居たもう一人の自分がイノマンなのかも知れない。
もう一人の自分に話し掛けて見ようと思った。
(やってから考える、そうしよう)
『イノマン?あなた、イノマンよねそこに居るんでしょう、お願い助けて!なんでもしますから…』
『見付かってしまったかな?愛し子よ、まあ大変な事になっているな、どうしたい』
『助けて!うち達をここから逃がして、どうすれば逃げられる?』
『これは難しい事を簡単に言うハハハ、楽しいぞ、どうすれば逃げられるかと?言うのは簡単な事よサロメは電気鞭を使う、鞭が当たった時光一の背中に強力な電気が走る、そしてお前の背中にも同じ強さの電気を走らせる、その力を利用して私と光一の魂、すなわち幽体を入れ換える。それは私がしてやろう、但し私は分かっているからいいが光一は何も知らされずに体から無理矢理引き剥がされる。だから、幽体がそのまま消えてしまう可能性のほうが高い、光一の幽体が身体から出た瞬間、お前の体内に引き込み優しく包み込むようにして守ってやれば少しは可能性が高くなるがそれでも低い、助かる可能性は万に一つだ、そうなった時お前は私と光一の両方共失うことになるが、さあどうする?』
『そんなこと返事する前から決まっているよ、たとえ1千万に1つでも可能性があるのなら奇跡に賭けるわ、うちはね強運の持ち主なんだよ!』
そう言ったイノマンとのやり取りを走りながら思い出していた。
お兄ちゃんはうちの中に居る。
必ず、絶対に守り通してみせる。
「大丈夫だからね、基地まで戻れば新しいクローンに入れるからそれまで頑張って」
これもイノマンの指示にあった。
東域宇宙和平維持連盟地球防衛基地の最下層にある研究所ではイノマンクローンがコールドスリープされて眠っている。
イノマンの研究の1つで自分の幽体と記憶をいくつものクローンを使って乗り替え繋ぐ事で永遠に生きることができると。
(今は永遠に生きるとかはどうでもいい、お兄ちゃんが元気になってくれさえすればそれでいい)
そう願う事だけ考えて走り続ける。
『ほら、見えたスターキッドだ昇降リフトが降りたままになっている。うちは運がいいんだから』
走るスピードを緩めずリフトに飛び付き上昇スイッチを押した。
スターキッドは、なんとか無事にと言った状態で冥王星を飛び立つ。
発進に際してのコマンド入力を息切れしたアイリーンの途切れ途切れの記憶をブレインが繋ぎ合わせて、それでも生じた空白はアイリーンのカンで補完した。
何とかして最大スピードで飛び立てたのはアイリーンが持つ天性の強運によるものだろう。
「お兄ちゃんの気配が薄いけど大丈夫だよね」
『データー不足です』
ブレインが頭の中で直接返事してくる。
一人しかいない操縦席は広く寒く感じて何かしてないと不安ばかりが募っていく。
発進の際やらなくてはいけない安全チェックやその他諸々の作業を全てキャンセルして飛び立っている。
入力したコマンドは全部で3つ〈緊急発進、最大速度 、座標基準"10”0,0,∞〉のみ。
とりあえず太陽に向かって全速力で真っ直ぐ飛べしか指示していない。
東域宇宙和平維持連盟地球防衛基地があるアステロイドベルトがその途中にあるはずだから、そこまで行って見つければいい、どうにかなるはず。
そう信じて飛んでいる。
今は出発時にすっ飛ばしたコマンドを入力したりお茶を飲んだりして気を紛らわす。
元来過ぎてしまった事をくよくよ考えないようにしている、その時の自分が決断した結果が今なのだから、過去の決断を否定して過去の自分を裏切るようなことはしないようにしていた。
それでも、油断して気持ちに隙ができると、あの時スターキッドでSOSを発信した後、なぜ直ぐにドロンパ号に戻らなかったのかと後悔して涙で目が霞む。
何か別の事を考えようとすると、お兄ちゃんのことしか思い出さなくてさらに涙の量が増えてしまう。
だから今は何も考えずに作業に集中している。
周囲監視モードコマンドを入力した途端、黄色の警告ランプがモニターと三次元マップに点灯した。
〈前方に識別信号無しの大型艦船あり、味方ではないと判断して迎撃準備中。ロックオンまであと50秒〉
スターキッドのAIがアナウンスしている。
「スピード上げたらやり過ごせないかなぁ」
〈やってみる価値はあります、準光速ドライブに切り換えますか〉
「時間がないのでやれることは全てやって!」
〈私はスターキッドAI入力指示待ちです〉
「もう、準光速ドライブ起動!」
アイリーンは音声入力とキーボード入力を同時に行う。
〈了解しました。準光速ドライブ起動準備中、起動まであと60秒〉
「え?間に合わないじゃん!」
〈中止しますか?〉
「そのまま続けて!他に何か出来ることはないかな、敵の情報とか何かない?」
〈敵は大型艦1隻が停止状態です。展開中の小型機無し…緊急警告レッド繰り返し…〉
「繰り返さなくていいから、何の警告なのよ」
〈進路上に髙重力場発生中、現在2個さらに増加中、あと10秒で最初の重力場へ突入〉
(うち達を最初に捕まえたトルネードよね)
「回避できるの?」
〈70%の確率で回避可能〉
「手動操縦に切り換えて!死ぬ時は納得して死にたいの、あなたの〈30%の確率で回避不能でした〉なんてアナウンスを聞きながら死にたくないわ」
〈手動操縦切り替え完了〉
(見える、見えるぞ~)
前方モニターに重力の歪みが水面に石を投げ込んだ時に出来る波紋の広がりのように拡大している)
「ギリギリで交わす」
アイリーンが絶叫した。




