2 チャーシュー麺だよね
私は座っていたベンチを後にしてラーメン屋までの道すがら歩きながら話を進める。
「何で僕がアイリーンのアパートに行かないといけないの」
「お兄ちゃんうちのことエスコートしてくれるんでしょ」
エスコートって何だっけ、まあいいけどね。
「まずはラーメン屋までエスコートしますねお嬢様」
「お嬢様って言ったの……それもセクハラだから」
言っていることは耳に痛すぎる言葉なのだが、アイリーンは少し元気が無くなったように思う。
ふと一瞬だけ何かが頭をよぎった気がする。
直ぐに否定したのだが。
誰かこの子の性別を確認したことがあるのかな?
ひと目見ただけでは男の子でも十分通りそうな外見をしてる。
日焼けした肌に刈上げ短髪、水色Tシャツに黄色のホットパンツに足はサンダルだ。
気にしだすと、どんどん気になってしまった。
「アイリーンは女の子だよね?」
つい、口を滑らせ言ってしまう。
「それこそセクハラの極みだわ、お兄ちゃんの人生ここで終わるけど証拠見る?」
「ごめんなさい、ついさっき、ここの芝生でサッカーしていた男の子がいたでしょう、あの元気な子が実は女の子だったんだよ驚いたな、その事を思い出してしまったらアイリーンは凄く可愛らしいけどもしかしたら男の子なんちゃって思ってしまって、ごめんなさい!」
女性が感情を悪化させたら誰にも止められなくなることを事実として知っている私はためらわず褒めて機嫌を取ることにしている。
「あの子、女の子だったの?うちも男の子だと思っていたよ、凄く元気だったものねボール蹴るのはうちより下手だったけど」
アイリーンは少しだけ機嫌を直してくれたみたい。
「そんな事があったんなら仕方ないかもね、お兄ちゃんの名前、教えてくれたら許してあげてもいいよ」
条件付きかよと思いながらも、良かったと胸を撫で下ろす。
「僕は石井光一15歳だよ宜しくねアイリーン」
「分かったわ、約束通り許してあげるねこれからご馳走になるんだし」
「助かったよ、さっき、鈴木愛鈴って言ってたよね、あれは何かなぁ良かったら教えてよ」
「ママがね、あっお母さんがね、知らない人に名前を言う時は鈴木愛鈴って言いなさいって、アイリーンって言ったらダメだって、お兄ちゃんが最初からアイリーンって呼び掛けてくるもんだからマ、お母さんの知り合いかと思っちゃったよ違うんだよね」
「へぇ~、それならアイリーンって呼ばない方がいいんだね、じゃあ愛ちゃんって呼んでもいいかな?」
「ちょっと、お兄ちゃん馴れ馴れし過ぎない、うちはそんなに安い女じゃないわよ!」
この子、自分が何を言っているのか理解しているんだろうか。
「頼むよ~、アイリーンは僕のことをお兄ちゃんと呼ぶでしょ、それで僕がアイリーンって呼んでたらお店の人に不審者扱いされるかもよ」
「それは嫌ね困ったものだわ、背に腹は変えられないしお腹も空いたし仕方ないわね、愛ちゃんで妥協するわ光にいちゃん!」
「光にいちゃんって僕の事かなぁ、まあいいけど、それならお店では僕たち兄妹ってことにしておこうか」
「そうね、それがいいと思うわ、夫婦では無理があるし、婚約者ってのは日本人には馴染みが薄いし、赤の他人はこれから美味しい物を食べようって時に味気なさすぎるからね」
そんなこんな二人で相変わらず漫談みたいな話をしながらでも無事お店に着いた。
入り口を通り抜けると直ぐ左側に食券の自動販売機がある。
「アイ…愛ちゃん」
何か、こそばゆい。
「チャーシューメンで良かったよね」
心変わりしていないか確認した。
この子の考えている事がわからないので不安になる。
「うん……」
返事の後に何か思わせぶりな間があったのが気になった。
「チャーシューメン1杯780円とラーメン1杯520円、他に何か欲しいものはないかな?」
「ジュース……」
ジュースのボタンを探すが見あたらない。
愛ちゃんが袖を引きながら指差ししているのでそっちのほうを見る。
「愛ちゃんあれはビールお酒だよ、飲めないからね」
ドリンク冷蔵ケースの中にビールがぎっしり詰まっていた。
昼間から飲む人がいるのだろうか。
それ以前にお酒を飲む人の心理状態がわからない。
「違う……」
愛ちゃんに引っ張られてドリンクケースの前まで行くとビール瓶の間に隠れてビン入りオレンジジュースがあった。
ケースの扉に貼り紙があってビール500円、ジュース200円税込み現金と書かれている。
扉を開けてジュース瓶を1本取り出して空いている席を探す。
隣に立っていたはずの愛ちゃんがいつの間にかテーブルに座っていた。
(テレポートした訳じゃないよね)
「愛ちゃん、この店によく来るのかな?」
「たまに……」
テーブルの上に食券2枚とオレンジジュース1本と200円を置いて待つ。
愛ちゃんは椅子に座ったまま足をぶらぶらさせている。
どうやって椅子に座ったのか再現して欲しいと思う。
彼女は店に入った途端に口数が減っていた。
借りてきた猫の子の様に……豹変したみたい。
人見知り癖があるのか、集団に馴染めないのか気になるところではある。
愛ちゃんと目が合う。
「美人はしおらしいほうが好かれるんだって」
「だったら僕の時はなんだったんだい」
「だって、光にいは最初からうちのこと、好きだったじゃない」
(何だって!)
思わず心の中で叫んでしまった。
「 どこをどう見てそうなったんだい」
「光にいの目が言っていたわ!」
小声で会話しているのに店内にいる数人のお客さんや店員がこっちを頻繁にチラチラ見てる。
何故だろうアイリーンと私があまり似てないからかなと思っていると、理由は直ぐに分かった。
食券を回収に来た店のおばちゃんが小言みたいに声を掛けてくる。
「坊やは中学生だろ今日は休校日じゃないよね、それとも何かい、うちの息子は『行って来ます!』と元気に出て行ったけど学校とは違う別の所へでも行ったのかねぇ」
「違うよおばちゃん、光兄ちゃんは今朝ね……お腹が痛くて学校休んだんだよ、お母さんがね朝から学校に連絡したりしてバタバタしててお昼ごはん用意するの忘れたの、だから食べに来たんだよ」
「へぇ~そうだったんだね、最近悪ガキが増えてね、私たち大人がいけない事をしている子供を見掛けたらちゃんと『ダメだよ』って言うようにしてるんだよ勘違いして悪かったね。それにしてもお兄ちゃんを庇うなんてしっかりした妹さんを持ってあんたは幸せだね、大事にするんだよ」
「大丈夫だよ、うちはお兄ちゃんに愛されているから!」
「そ、そうかいそれは良かったね、チャーシューメン1つとラーメン1つ!」
おばちゃんは次のテーブルへ向かいながら大声でオーダーを厨房へ伝えている。
私は、何一つ言葉を挟む隙を与えてもらえないまま固まっていた。
ついさっきまでチラ見していた人達がガン見するようになったのは愛ちゃんの愛らしい言葉のせいだけではないように思うのは私だけかも知れない。
それ程私にとって愛ちゃんは可愛かった。
私は誘拐犯に間違われないようにするのに最大限の努力をしなくてはいけない。
いくつかの他愛無い話をしている間に愛ちゃんの注文したチャーシューメンと私のラーメンがテーブルに届く。
「頂きます!」
二人して同時に言って私は麺をすする。
付け合わせの紅しょうがを取る為に顔を上げると愛ちゃんが箸を手にして呆然としているのが目に入った。
「どうしたの? 食べないの? 熱いの? 取り分け用にお茶碗持って来ようか?」
「光にいチャーシュー麺ってさ、麺がチャーシューで出来ていると思っていたよ…」
(えっ!、それって食べるの難しそう)
想像できた私も大した者だと思う。
「そ、そうだね、ウドン麺とか、そう麺、ワンタン麺とかあるものね、チャーシュー麺があってもいいかもね、でも材料は全部小麦粉だと思うよ」
愛ちゃんは、納得したようだが不満そうにチャーシューメンをつついてる。
「熱くないかい?」
口の中を火傷しなければいいけど。
「光にい! お残ししてもいいかな?」
「いいよ」
返事はこれしかないだろう。
「ありがとう、ごめんなさい」
愛ちゃんは丼の手前にお箸を揃えて置いて手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
愛ちゃんが残した丼を見て愕然となる。
ほとんど出されたままの量が残っていた。
チャーシューだけは一枚も残っていない。
麺は最初の一口だけしか食べずあとはひたすらチャーシューだけ食べたのだろう。
もしかしたら濃厚豚骨スープが合わなかったのかも知れないと思いながらも、私にはとてもその量を残してテーブルを立つ勇気はなかった。
たとえ二度とこの店に来ないとしてもだ。
「あ~その~、お兄ちゃんは替え麺しようと思っていたんだけど愛ちゃんの残した分を食べていいかなぁ?」
恐る恐る聞いてみる。
兄妹としてなら許せるはず……だと思う。
「いいよ」
今度は愛ちゃんが二つ返事してくれる。
私は、ラーメンを二杯を美味しく食べ干す。
ただ、本当にチャーシューメンのチヤーシユー抜きはラーメンと同じ味だったのには驚いた。
店の時計を見るとまだ少しは時間がありそうだけどそろそろ店を出たほうがいいような気がする。
「食べ終わったばかりで悪いけど帰れるかな」
「オッケー!」
レジでお金を払う時おかみさんが声を掛けてきた。
「妹さんは、口に合わなかったみたいだね」
「いえ、ちょっと心にダメージを受けたみたいで」
私は先程のやり取りをおかみさんに話す。
おかみさんは別の意味で受けたみたいで「又、チャーシューメン頼みな、その時はラーメンスープの中にチャーシューだけ入れといてあげるよ」と言ってクスクス笑いながら私たちを見送る。
私たちはそれから少し歩いて何事もなく愛ちゃんのアパート前にたどり着いた。
愛ちゃんはチャーシユーしか食べていないけどお腹空いているんじゃないかなと余計な心配が頭をよぎる。
「お母さんは仕事って言っていたよね部屋には誰もいないよね?」
愛ちゃんと2人きりで部屋で待つのは厳しいと思う。
「今日はお姉ちゃんがアパートの部屋で待っているの、お昼ご飯を作って待ってるのよね」
お姉ちゃんと言うのは実習生の同居人のことだろうか?
『お昼ご飯を作って?』は何かの聞き間違いだと思いたい。
私達は、アパートの外側に建て付けられている鉄製階段を上り2階のアイリーンの部屋の前に着いた。