10話
ある日の夜。灰被姫子は、行きつけのバーにいた。今のところ姫子は泥酔しておらず、ほろ酔い気味にマスターと話している。
「そんでさ、ビックリしたんだけど。上司が突然クビになって。ちょっぴり働きやすくなったんだよねぇ」
「ふぅん、そりゃまた突然な話じゃないか」
心做しか、前に来た時より顔つきが明るい姫子はカクテル片手に楽しげに話している。いつもなら酷く酔っ払ってマスターに絡みまくっていたのに、どんな心境の変化なのだろう?
「なんか会社のお金でキャバクラ行ってたみたいでさぁ、社長がめっちゃ怒りながら話すの」
「へぇ、またスカッと系の話でアリガチな事でクビになったんだねぇ」
それはさておき、絡んでこない姫子に"面倒臭くなくて良いか"と思いつつ。予め頼んでいたであろう、マスターのお手製ピザをカウンターに置いた。
「そーなのっ。心ん中でマスターと同じ事突っ込んだ!! 実写版のソレ系の場面を見た感じ? その上司にセクハラされてたし、ザマミロって思っちゃった」
「ハハッ、そりゃ思うよなぁ」
「コレにかこつけて、訴えてみようかな? セクハラされたーって。証拠ないけど」
「まぁ、そこはご自由に」
しかしまぁ、明るく話す姫子を見るのはマスターにとって実は初めて。姫子が初めてこのバーに来た時は、大雨が降っていてぐしょ濡れで泣いていたのだ。
(あん時とはホント大違いだ)
人は変わるもんだなぁ、としみじみ思いつつ。マスターはジィっと姫子を見つめた。
「ん。なに? 私の顔をそんなに熱く見て。もしかして惚れた?」
「戯言は眠ってから言え。お前に興味は1ミリも無い」
「ひっど。それが客商売やってる人の言葉か」
ふざけた絡みをしてくる姫子を冷たくあしらい。ずぅっと気にかけている事を考える。
(明らか"あの人"と関わってからだよな。こんなに明るくなったのって)
以前、このバーにきた二十日 来夢。彼女が姫子を気にかけ、色々と話を聞き、お持ち帰り……否、飼う事を宣言し連れ帰ってから姫子は良い方向に変わった。
正直危ない人だと思ってしまったが……。姫子自体に何か危険が起きている訳では無いから一安心した。あくまで"常連"として。
「なぁ。最近どう?」
「ん? 会社はまだ嫌な事ばっかだけど、前よりはマシかなぁ」
「ヤ。会社の事じゃなくて、それ以外でどうなんだよ」
「ええぇぇ、ソレ以外でぇ?」
という事で遠回しに聞いてみた。難しい顔をする姫子だが、長考したあと。なにか思うことがあったのか、ポンッと手を叩き話した。
「そう言えばさ、私。めっちゃ酔っ払った時あったんだけど……」
「うん」
「その翌日、目が覚めたらキレイなお姉さんがいたの!! しかも自分の部屋じゃないんだよ? めっちゃビックリしない?」
「そりゃ、まぁ驚くね」
……その話は、マスターが聞きたかった話。
その後、一体どうなったのだろう?
「その人、二十日 来夢さんって言って。なんというか、私……その人に飼われたいって言ったみたいなの」
「……あぁ、言ってたな」
「ッッ。うっそ、やっぱ言ってたの!?」
「うん」
そりゃもうハッキリと、と続けたマスターは内心、そんなの良いから早く続きをいえ。と急かしていると、姫子が急にニコリと微笑んだ。
「そっかぁ、言ってたんだァ。信じらんなぁいと思ったけど。ホントの事だったかぁ」
「嘘みたいな話だけどな」
「ね」
感情いっぱいに嬉しさを表している。あの顔を見るに、あの日から姫子は来夢の家で本当に飼われているのだろう。分かっていながら聞いてみる事にした。
「で、その後どうなったんだよ。まさか、ホントに飼われてるのか?」
「ん? そだよー」
やっぱり飼われていた。驚くべきことに本人公認だ。こんな事許されていいの? なんて考えはマスターは持たない。本人が望んでいる事だからだ。
「住んでるアパート解約して、荷物運んで……。後は、これみて?」
「ん、チョーカーか? なに、買って貰ったの?」
「ん。首輪代わりだって。オシャレでしょ」
「お、おぅ。オシャレだな」
驚いた。かなり本格的な事をしてらっしゃる。と言うか、もう荷物を来夢宅に運んだのか……。
首のチョーカーも、まさにソレっぽい。あのチョーカーは、来夢は姫子のモノという証なのだろう。
「……って、飼われてるのにお前は家にいなくて良いのか?」
「あー、それね。もう直ぐ会社止めるよー。今は引き継ぎ中。これからは私、来夢さんの為に生きるの」
「へぇ、そりゃまた大胆な事を」
「ふふふ。犬や猫と違って私は人だからね。飼われるのならソレなりに尽くしますよぉ、ソレなりに」
「ソレなりにかい」
と、そんな会話を繰り広げて大体の事がわかってきた。姫子がホントに飼われてる事、その為に準備している事を。
「例えば掃除したりぃ、料理したりお風呂沸かしたり!! そんで褒められてヨシヨシされたいのっ」
「お前、それした事あるのか?」
「……掃除はした事ないよ。料理はカップ麺なら。あとお風呂だけど、来夢さん家は自動で沸かしてくれるから、する意味無いかも」
「ダメじゃん」
早速されたい事を話しまくる姫子に軽く突っ込み「うるさいなぁ」とポコポコ叩かれながら返された時。
カランカランっと、ドアベルを鳴らし……。オシャレな格好をした来夢が入ってきた。
「姫子。迎えに来たわよ」
「あ。来夢さぁん。えへへぇ、待ってたよー」
「ふふ、呼び方が違うんじゃない?」
「あ、そだ。来夢ねぇ様。えへへ」
そして、早々に恋人と間違えるくらいのイチャつき振りをみせた。
「どう? 羨ましいでしょ」
「……さぁな」
そんなやり取りに軽く鼻を鳴らしグラスを拭き、マスターは静かに語った。
「その魔法、何時までも解けないでいると良いな」
「……っぷ、またキザな事言って。でも、そだね。絶対解けないよ。幸せだもん」
眩しい笑顔をみせる姫子に、思わずマスターも微笑んだ。でも、また直ぐにいつもの無表情な顔に戻り、今度は来夢に話し掛ける。
「ウチの常連。部屋汚す天才っぽいので気を付けて下さい」
「あら、そうなの? そしたら、たっぷり叱らなきゃね」
「え゛」
「なぁんて冗談よ。余程のことがない限り、叱ったりしないわよ」
……ちょっとイタズラっぽい事を言ってみると、姫子はキッと睨んできた。うん、やっぱり変わった、明るくなった。
(正直、コイツに対しては何の感情も湧かなかったけど。元気になる姿見れんのは、嬉しいな)
絶対口にしない事を心の中に静かに想い、マスターは拭いたグラスを棚に置き、小走り気味に何処かへ行き、数十秒後に戻ってきた。
「ほら、コレやるよ」
「え、何これ」
「……カクテル1杯無料クーポン、1枚で2人分のな」
押し付けるように渡されたクーポンを見る姫子。それはクーポンというか、ただのメモ帳にも見える。明らかに走り書きな文字に、ぶっきらぼうに"たまに飲みに来い"と荒々しい言葉も描き揃えられていた。
それを来夢にも見せると「あらあら」と小声で語り、微笑んできた。そんな来夢を置いておき、姫子は小首を傾げ聞いてくる。
「へぇ、普段こんなのあったっけ」
「あったよ。いっつも酔っ払ってたから存在忘れてたんだろ」
「とか何とか言って、本当は今作ったんでしょ……。ごめん、もう黙るから無言でアイスピック構えるの止めようね、怖いから」
突っ込んでからかおうとした姫子を黙らせた後、マスターは照れ臭そうにしながら咳払いし……。
「お前、ホンモノのシンデレラみたく幸せ掴んだんだから、いつまでも幸せでいろよ」
「マスター……。うん、来夢さんとならだいじょぶ、だと思う」
「まぁ、そんな曖昧な事言って。私が姫子を幸せに出来ないと思ってるの?」
「そんな事ないよ、来夢ねぇ様ぁ」
「……イチャつくんなら他所でやれ、他所で」
目が痛くなる程のイチャつきっぷりを見せつけられため息をついたマスターを見た後。来夢は姫子の手を掴んだ。
「それじゃぁ、そろそろ私達は行くわ。このクーポン、次来た時に使わせて貰うわ」
「……ン。またどうぞ」
そのまま、姫子の手を引き去っていった。去り際に姫子は「またねー」とマスターに向かって手を振った。それにぶっきらぼうに振り返すと……パタンと扉が閉じ、静かな店内に戻った。
「やれやれ、騒がしかった……。けど、あークソ、なに寂しがってんだよ。アイツはただの常連なのに」
さながら"泥酔のシンデレラ"
社会に疲れたシンデレラが、シンデレラ好みのお姉さんに飼われて幸せになる物語。字面が物騒だけれど、姫子は本当に幸せになった。
そして、乾ききった生活をして望んだ"潤い"を手に来夢も幸せになったのだ。
カクテルが掛けてくれた魔法は、きっといつまでも2人を幸せにするだろう。ソレを望みながらマスターはバーの仕事を続けた。
次に来るかもしれない、姫子や来夢の様な人の為に。
完結しました。自分でも驚くほどキザっぽいお話になりました。
読んで下さり、ありがとうございましたー。




