剣腕鈍く
鈍い音が鳴り響いた。
木々がざわめき、数羽の夜鳥が枝から飛び立つ。
少年は大の字になって倒れていた。上気した顔が無駄に艶っぽいが、大した意味はない。汗と土に塗れていては不細工である。
彼の申し出を、アミルは快諾した。硬い材質の木を簡単に削り出した木剣を手渡すと、すぐに弟子の育成にかかったのである。
そこまでは良かった。
問題は、少年に全くと言ってよい程センスがなかったことである。
「まず剣の握りがいけない」
「……握り方か」
「振り被るのも駄目だ」
「たぶん大振りはイカンのだろう」
「力任せに振るものではない」
「……これは分からん」
悲惨なコミュニケーションだった。
この指導における第1の難点は、2人が2人とも相手の言葉を正確には理解していないというところにあった。
少年が木剣を握ればすかさず男が解説を加える。その意図が通じないのだから仕方がない。
「力はあるが、それだけではいけない」
アミルが力瘤を作ってから、首を振った。
少年の、いや少女の身体は彼の目から見ても異常な腕力を有していた。
雑にも程がある一振りで、並の男ならば受けた手が痺れて剣を落とすだろう。訓練を積んだ者ならばそもそも正面から受け止めようとはしない。
彼は頷く。破壊力だけはあるのだ、少年の剣は。
「当たらなければ意味がないのだ。分かるか」
「当てろってことか。分かった」
シュウは立ち上がり、右手に剣を、大きく足を開いて空いた左手を背に隠した。
彼の元いた世界でいうフェンシングに若干似た構えである。アミルが最初に教えたのは立ち方であった。
この地で広く用いられる曲刀は刺突と斬撃両方に秀でている。バネのような性質を持った刀身は持ち主の力を受けてよくしなり、突きへと転ずれば途端に槍の如く肉に潜り込む。
そして対人戦において求められることは、確実に相手に傷を負わせること。
故に重視されるのは破壊力よりも機動力となる。
「ステップ、ステップ……」
「そうだ。力まずに軽く振ること。そこから始めなさい」
アミルが教えようとしているのはその初歩であった。
動きながら切りつけ、躱しながら突く。そのための基礎として、常に前後左右へのステップイン・ステップバックを続ける訓練である。
(踊りみたいだ。バレエかな)
敵が正面から来れば、くるりと回転して側面に回る。
さらに押されるのであれば、それを軸にまた回る。
軽やかな舞踏を披露し、
「──踊るように戦うのが、我らの剣技だ」
「へぇ、うまくいけば綺麗なんだろうな」
「然様。きみが熟練すれば……それは様になるだろう」
「お、何となく今の言葉が褒め言葉ってのはわかるぜ……ぐぇ」
輪舞のように回り回って、回り過ぎて足をもたらさせてシュウはすっ転んだ。
「いや、今のは無様だな」
「……おう、分かるぞ。今の言葉は褒めてないな」
走る、跳ぶというなら身体能力だけでどうにかなる。
だが技を披露するとなれば、センスが重要だった。
(そりゃまぁ、まともに運動なんざしたことねぇからさ)
心の中で言い訳をして、少年は立ち上がった。
「こういうのは、練習あるのみ」
「うむ……不思議ときみの言葉が分かった。その通りだ。いかに才気に溢れるものであっても、日々の研鑽を怠ればその才を腐らせるだけ。きみは、ああ。言いづらいがその手の感覚が鋭い方ではないようだが、問題ない」
若干言いよどんではいたが、アミルは誠実な面持ちで頷いた。
彼が達人の域にあるということは、少年もなんとなくわかっていた。きっと、この機会を流せば次がないだろうこともである。
シュウは漫画の一コマを思い出しながら気合を入れて剣を振り上げた。
ーーとはいえ。
「力むものではない」
「あだっ」
手を叩かれたシュウが悲鳴をあげる。
「足が止まったぞ」
「いでっ」
木の枝で背中を小突かれ、またも悲鳴。
気合で実力が付くのであれば苦労はない。少女の動作はぎこちなく、糸が切れた傀儡のようにぎくしゃくとして、見るに堪えないひどさであった。
漫画のような展開だとしても、彼女の知る物語と違って必ずしも修行が順調に進むとは限らない。
何しろ日がな一日、毎年毎年寝転び続けて生きていた少年である。運動音痴においては誰にも負けないという自負すらあった。
ふと気を抜けば棒が手のひらを離れて飛んでいく。
ひょっとすると足がもつれて転げ回る。
あっという間に可愛らしい外見が薄汚れた浮浪児のように変わっていく。
「……その、済まない」
アミルが気まずく謝った。
「謝るなよ。惨めになるだろ」
娘は強がって立ち上がる。
彼女はたしかにセンスはないが、不思議と剣を自由に取り回す存在への憧れだけは手放さなかった。
不恰好に練習を再開した子供に、アミルはやはり、髭の生えた面を柔和に緩めるのであった。