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対話


 侵入者は男性だった。

 壮年と見える。眉間に深く刻まれた皺と、鋭くも静かな眼差しが特徴的である。顎に蓄えた髭は、一部文化圏で見られる男性的主張であろう。少年の知識からすると、中東圏の人種と見えていた。

 男は妙な格好をした少年から目を外すことなく、腰の武器にそろりと手を伸ばした。


「ま、待った」


 間違いなく言葉は通じていない。

 しかし、男は手を留めた。少年の声に一縷の怯えを感じたからである。

 震える声は不安の証、少年に切ったはったの経験はない。身の危険があるにも拘らず刃物を手にすることを躊躇ったのも、自身に降りかかる災難を軽く見積もったことが一因として挙げられるだろう。

 そして男は何も言わず、腰帯から曲刀(シャムシール)を鞘ごと引き抜いた。柄に特徴的な文様のある、ひとかどの業物と見えるそれを、彼は手近な台に置いて見せたのである。


(――やる気はない、いや。話を聞いてくれるということか)


 少年は思案し、男に倣って握り締めた腐った豚肉を放り投げた。

 

「さて、少し教えていただきたいんですが……」


 と、彼の瞳が頭帯(ターバン)の下の瞳を捉える。

 そこに映るのは困惑。

 流石の少年もどうやら自分の言葉が通じていないと察した。

 続いて躊躇いがちに男が口を開く。


「きみは何者だ?」


 少年はその()()()()()()()()()、暢気に手を打った。


(ああ、これお互い言葉が分からないやつだ)


 珍しくも察しのいいことである。

 なお、ここにおいては特別な事情により、二人の会話を同時に通訳するカタチを採る。

 こういった場合に普通の人間が試すのは、共通する第三言語による会話である。

 もっとも少年は義務教育を終えて少々といった年齢であるので、特別な事情もない以上片言の英語しかはなせないのであるが――


「あっあー、アイム・ノット・シーフ。オーケー?」

「分からん。どこの言葉だ……? あー、きみの名前は何というんだ?」


 男も男で最初の言語とは異なる言葉に切り替えて少年に話しかけてみるも、不発であった。

 この時点で奇跡的なことは、この二人が少なくとも対話を諦めていないという点である。

 異常事態に行き遭った人間だ。少年は切羽詰って、どれだけ小さくとも何らかの手がかりが欲しいだろう。

 では男は何故初対面の、しかもフードで素顔を隠している者と会話しようとするのか。

 単純である。

 つまり彼はお人よしなのであった。少年の大胆さとよい勝負の重傷である。

 そうでないなら人攫いや、はたまた彼こそがコソ泥の類と判断するのが普通だろう。

 だが少年はその線はないと考えていた。


(声が()()。裏に一物がある感じはない)


 病床の経験である。

 何かと心配そうな顔をして、優しげな言葉をかける()()の者。それが悪いとか、腹立たしかったということはない。

 だが彼らの言葉の寒々しさは身に染みて分かっている。何も出来やしないのに、何もしようともしないのに、如何にも自分は優しいのだと言い聞かせるような語調――それが少年の目前に居る男性には無かった。

 故に少年は捨て鉢なほどに無警戒に()()()のだ。

 そういった感覚的側面を除いても、男をならず者と考えるには無理がある。

 まず、少年が探索してきた館の道中に、ひとまずここ数ヶ月は他人が踏み入ったような形跡が無かった。埃の積もり具合は均等で、金目の物が盗まれているということもない。もし誰かが空き巣に入ろうというのなら、広大な屋敷である。わざわざ夜間に踏み入ろうとはしないだろう。

 次に男の身なりである。質素な灰青(ブルーグレイ)のゆとりのある衣服は、上等な生地にはみえないが清潔であった。また男の体は鍛え上げられており、武人を思わせる風貌である。彼が身に纏う不可視の清廉な気質は、裏路地のごろつきの匂いとはあまりにもかけ離れていた。

 少年は言語を解することはなかったが、男の気遣いを理解することは出来たのである。


「……シュウ」


 彼は名をどう名乗ったものかと少し悩み、生前の名前を短縮したあだなを男に伝えた。

 男が首を傾げたので、もう一度少年は自身の顔を指差して「シュウ」と繰り返した。

 これには男も合点いったようで、次は彼も自らを示して、


「アミル。アル=アミル・シャーディーン」


 と言った。

 

(名前か。しかし長い。どこまでが名前だろうか)


 少年は悩んで口元に手をやった。

 解説を入れよう。

 この地、というよりもこの男の生誕した土地においては、名前の前に定冠詞として「アル」という発音を入れる風習があった。その意味はともかくとして、灰青の男の名前を分解するとアル(定冠詞)=アミル(名)・シャーディーン(姓)ということになる。


「……アル?」


 少年がそう呼ぶと、男は首を横に振ってアミル、と訂正した。


「アミル。もしくはアル=アミル」

「ん……そうか! アミル。あんたはアミルだ」

「うむ。きみはシュウだ」


 ようやく、彼らが一つのコミュニケーションを達成した瞬間である。

 中々にして、案外とこの成果は大きい。

 何故かといえば、同時に二人称を理解するきっかけとなるからである。

 少年は思案顔になって、迷いながらアミルを手で示して「あなた」という現地語を口にした。

 まがいなりにも外国語を学んでいたことが大きかった。文節はともかく、自らの言語と対応する発話者の言葉を発見する土台になったのである。

 アミルは僅かに眉を上げた。


「これは驚いたな」

(――これは分からない)


 残念ながら付け焼刃に過ぎないので、全て翻訳できるかといえばそんなわけがないのだが。

 せっかく第一の命題を乗り越えたにも拘らず、何も事態が進展しない。

 少年は眠気が徐々に脳の働きを阻害してきたことを感じて、ジェスチャー混じりに会話を試みた。


「シュウ、俺。腹、減った。いや、これから減るだろう。何か食べるもの、ないですか?」


 少年は腹を押さえて、口に物を運ぶ仕草した。

 

「……オレ、()という意味か? うむ……恐らく食料を欲しているのだな」


 肉体言語は偉大である。

 あるいはアミルの察しがよかったとも言う。

 彼はしばし考え、事もなさげに指先に灯した火の明かりを頼りに埃の積もった机に絵を描き始めた。


(……ジッポでも握って、ない。なんだろう。マジック――魔法? そんなものがあるわけがない、と思いたいけれども、女の身体になっているという時点で常識はずれに違いはない)


 屋敷の外にモンスターがいると言われても驚かないぞ、という構えである。

 たとえアミルがシュウにそう伝えたところで意味は分からないだろうが、そういう心算(つもり)らしい。

 アミルは家屋を示した絵を指差し、頷いた。続いて自分の立つ地面と、服を示して両手を交差させた。


(家にはあるが、今はないと)

「来るか?」

(たぶん、今のは家に来るかと言った)


 何しろ、顔が見えないにしても今のシュウは背の低い子供の姿である。

 声も相まって、それを疑う要素はない。

 ある程度の面倒見のよさと食料の備蓄があれば、一食恵んでやるという程度の心配りは、奇特とは言えないだろう。

 シュウが頷くと、アミルは小さく口端を上げた。


「よし。ついてきなさい」


 彼が先導するのにくっついて、少年は厨房を後にした。

 そう、そしてメイン・エントランスにたどり着いた時である。

 アミルが先を行くのを完全に無視して、唐突にシュウの足が安置された棺桶向かったのであった。

 異変に気付き、アミルが振り向いた時にはシュウの黒髪が完全に棺に収まってしまっていた。


「何をしている……?」

「眠いんだ……眠らせてくれ」

「何を言っているか、いや何をしているのか分からん。どうしたというのだ……」


 シュウは天窓から見えなくなってしまった月をどうにか指差した。

 そこから指で円を描く。

 つまり、次の日にしてくれと。そういうことであった。

 眠気に負けたというよりも、それは生理的な欲求と自己保全である。

 突然の突飛な行為は、むしろ本能的な回避行動であったと説明できるだろう。

 彼の身体は今や日光を天敵としている。未だシュウ自身は自覚していないが、それを察知して分厚い棺桶の内部に避難し、同時に睡眠を取ろうとしているというのが実際の行動である。

 

「――まあ、別に構わないが」


 アミルはアミルで一度拘った以上放り出すのは気分が良くない。

 複雑な心境をあごひげを撫でることで発散し、彼はぱたんと音を立てて閉じられた棺桶の蓋を小さく叩いた。

 後に振り返れば、この遭遇こそが少年にとって何よりの幸運であった。

 何せ、アル=アミル・シャーディーンは――健全な意味で子供好きだったのだから。

 

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