wanted.1 奴隷商人リカルポ (下)
さて、その次の朝、俺は大の字になって寝ているところをミルヒにたたき起こされた。
「寝すぎ」
呆れた顔でそう見下ろしてくるミルヒを見て、寝起きの俺はすさまじく混乱した。ん? 猫耳?
「ん? あ? あ、そうか、そうか、ここは……」
目の前の猫耳の少女を見て、俺は改めてここが異世界であるということを確信した。でもこんな美少女に起こされるんだったらなんでもいいや。
「早く支度して」
「わかった、わかったよ」
いよいよ腰を据えてこの異世界で生きて行かなくてはならないようだ。
荒野を爆走するジープの上で、ミルヒは次のターゲットについて教えてくれた。どうも賞金首を引き渡した後、次の賞金首を吟味してはその情報を追って土地を移動する、そういった生活をミルヒはしているらしい。
「次は奴隷商人リカルポ。120万キャッシュ」
「奴隷商人?」
奴隷制なんてあるのか……
さも当たり前のようにミルヒが言うので、俺も特にそこには触れないようにした。
「そう、もうすでに貴族と取引をすることまで分かっている。私たちは上手くその現場を押さえて、リカルポを捕まえる」
「いつのまにそんな情報を……」
「賞金稼ぎはいかに情報を早く掴むかが勝負。覚えておいて」
「……はい」
ぐーたら寝ていてはだめだということだろう。これは反省点だ。
しばらく荒野を走っていると、はるか遠くに見えていた高
峻な山々が段々と近付いてきているのが分かる。これだけ見ているとまるで元居た世界と変わらないように見えるが、しかし横には確かに猫耳を生やした獣人族を名乗る少女がいる。そして、今俺が乗っているこれは、巨人族なる存在が造ったものらしい。
いよいよ視界に収まりきらないくらい山が近くなってくる。
ジープはトンネルへと吸い込まれていった。
「……怪物の力は、どう?」
薄暗い中で、横からミルヒの声がする。
「なんともない。あれだけ暴れたのが嘘だったみたいだ」
そう、心臓に刺さったままのはずのあのナイフは、あれっきりうんともすんとも言わなくなっていた。砕かれたことによってその力を失ったというわけなのか、それともそうではないのか、ともかく沈黙する怪物の魂が不気味でならない。
「もしかしたら、あの時怪物の力を使い切ったのかも」
ミルヒがそう言った。そうかもしれない。
「まあ生身なのはいいことだ。また暴れ出したら制御できる自信もねえ」
助手席の背もたれに深く体を預けて、俺は不安を払拭するようにそう言った。トンネルを走るときの轟音でミルヒに俺の言葉は届いてないかもしれなかったが、まあいい。自分に言ったようなものだ。
驚くほど長い時間が経って、ジープはトンネルを抜けた。
「おいおい……」
俺は思わず身を乗り出した。
「全然さっきと風景が違うじゃねえか」
「山を抜けたから」
アメリカの西部荒野そのものだった風景が、一変して豊かな草原だ。これが異世界というものなのか? いくら山脈の向こう側だからと言って地理がちぐはぐだ。
「はぁ……こう一々驚いてちゃやっていけねえや」
俺は諦めたように再び椅子に身を沈めた。
「順応して行くっきゃねえ!」
「うるさい」
そして、俺たちはなんやかんやあってリカルポを捕らえたというわけだ。
リカルポを警察組織っぽい場所に突き出すと、俺達は120万キャッシュを手に夜の街に繰り出した。
「酒! 煙草! おん――」
「女は駄目」
「な! って……なんで?」
「駄目だから」
「理由になってねえ……」
ともかく、それほど賑やかでない酒場で俺とミルヒは祝勝会を開いていた。当初さっさと宿に泊まって次の標的を探そうとしていたミルヒを、俺が引っ張り込んだ形だ。
「いいじゃねえか、打ち上げぐらい」
「……お酒飲まないから、つまらない」
「まだ歳が足りないってか?」
「……」
ミルヒはむすっとした。
「君が思うほど、私は子供じゃない。お酒は、嫌いなだけ」
「悪かった、悪かったよ」
俺は誤魔化すようにビールらしきものを注文した。
「それと、その『君』ってのはやめてくれないか。下働きとはいえ、俺は一応仕事上のパートナーなんだからさ」
「いや?」
「別にいやって訳じゃねえけどよ……」
「……じゃあ、ヨーテツ?」
「テツでいい」
「そう」
それっきり、また興味なさそうにミルヒは牛乳を舐め始めた。
距離が縮まった、そう考えておこう。
ビール的な飲み物が来て俺が改めて落ち着こうとしたところで、
「なんか獣くせえなァ?」
と、そんな粗野な声が聞こえた。
ちらりと声の方に目を向けると、大柄で粗野で目玉の浮き出たろくでもない男が立ち上がってこちらのテーブルへ近づいてきた。
後ろには腰巾着のように二人、男がくっついている。
「どうにもここから匂いがするようだ……」
わざとらしく俺たちのテーブルの横に立つと、男は酒臭い息を垂れ流してそう言った。
「くせえよなあ? お前らもそう思わねえか?」
男がニヤニヤとミルヒを嘗め回すようにそう言うと、取り巻き達が汚くせせら笑った。
「なあ兄ちゃん、そこのそれはあんたの『ペット』か?」
俺を見下ろしながら、男は嘯いた。
ミルヒは無表情のまま、牛乳を舐めている。
なるほど、酒場に来たくないわけだ。これは俺の配慮不足だったということだろう。
「悪いが、ここは『ペット禁止』なんだ。獣の匂いが臭くて酒がまずくなっちまう。店の先に繋いでおいてくれ」
取り巻きがまた笑った。
俺はチラリとカウンターの奥の店主を見遣ったが、まるで我関せずと言った風だ。なるほど、これは丁度いい。
「おいおい! 頼むぜ旦那!」
俺が声を張り上げると、予想外だったのだろう、男とその取り巻きはやや面食らったような表情になった。
「人様の匂いと自分の匂いを勘違いしちまうなんて、さてはあんた、相当酔ってるな? 悪いことは言わねえ、今日はもうやめにしとけ、な?」
「……なに?」
俄かに、男たちの表情が険呑になる。ミルヒがちらっと俺を見た。面倒事は避けるよう訴えかけているかのようだ。そんな目で見られてはますますやる気が出てしまう。
「勘違いじゃねえぜ? こう見えて、俺は鼻が利くんだ。そうだな……匂いは――」
ガタンッ!
「てめえの腐った腹の底から漂ってくるぜ!」
俺は椅子から立ち上がると、遠慮もなしに思いきり右の拳を男の腹に叩きこんだ。
「グボッ!? オゲェエエエエエエエエ!!」
たまらず男は前のめりになって、胃の中身を店の床にぶちまけた。
「な? やっぱり腹の中身が臭かったんだ。誤解が解けてよかったな」
「て、てめぇ……!」
もがく男を見て俺が愉快千万に思っていると、取り巻きの一人がどこからか取り出してきた短いナイフを振りかざしてきた。
くだらないコソ泥だったとはいえ、俺だって元は『プロ』だ。ナイフに怖気づくような生活を送ってこられたわけじゃない。
ぐっと体勢を低くして、左手で下からナイフを持つ手をはじくと、俺は素早く拳を取り巻きAのみぞおちに埋め込んだ。
取り巻きAも床に沈んだ。
取り上げたナイフを手で弄びながら、俺はもう一人の取り巻きの方を見た。微かに震えながら、取り巻きBは棒立ちになっている。俺はナイフの柄の部分をそいつに向けて、
「ほら、使うか?」
と努めて優しく提案したが、どうも取り巻きBは謙虚な正確らしく、フルフルと首を振ってそれを拒否した。
「そうか。まあ初対面でなにも『挨拶』ができねえってのも申し訳ないからな」
俺はまだ口を付けていないジョッキを手に取ると、取り巻きBの頭の上にその中身をかけてやった。
「俺のおごりだ。楽しめよ」
何とも言えない表情の取り巻きBをよそに俺は振り返って、ぼーっとこちらを眺めていたミルヒに話しかけた。
「そろそろいいお時間です。今日はもうお開きにしましょう。ご主人様」
俺にそう言われると、ミルヒははっとしたように目を見開いて、そしてふてくされたように赤面した。
★
「やりすぎ」
「いいや、まだ足りないね」
「……今後は、もうやめて」
「やなこった」
「じゃあ、クビにする」
「…………」
真夜中、町の外に止めてあったジープに乗った俺たちは、満天の星を見上げながら毛布に包まっていた。
もうあの町にいるような気分ではない。
「ああいう連中、多いのか」
「……多くはないけど、いるところにはいる」
「そうか」
俺は知っている星座が一つもない夜空を睨みながら、そう呟いた。
「標人族が嫌いなのは、そういうわけだったか」
「……」
ミルヒはなにも言わなかった。
「数が多くなると、どうも生き物ってのは気が大きくなる。別に自分が強くなったわけでもないのにな」
俺は言った。
「悪かったよ。もう乱暴なことはしねえ」
夜風が吹いた。ごおおっという音と共に、冷気がジープを襲う。
「……ありがとう」
「? なんか言ったか?」
「……なんでも」
「そうか」
しばらく、俺とミルヒとの間に会話はなかった。虫の声に誘われて俺がウトウトし始めたころに、
「私、もしかして匂う?」
とポツリとミルヒが言った。
「んぁ? あんな奴らの言う事なんて真に受けんじゃねえよ」
「そうじゃなくて」
ミルヒは否定した。
「私たち、二日くらいお風呂入ってない」
「……」
「……」
「……次の町で風呂を探すか」
「……うん」
とりあえず、なんとか今日という一日も乗り越えられそうだった。
獲得賞金:
『ギラン・ガロン盗掘団』70万キャッシュ
『奴隷商人リカルポ』120万キャッシュ
次回からはまたバッタバッタと悪い奴らを捕まえていきます!