wanted.1 奴隷商人リカルポ (上)
足元も見えないような闇夜の中、幌馬車は護衛を数人引き連れて進んでいた。こんな時間になるまで何をしていたのか。道中トラブルがあって、町へ入るのが遅くなったのか?
まさか!
カンテラに照らされて爛々と光る御者の両目は、この『旅路』がつい先ほど始まったものだということを如実に表していた。それに、物騒な時間とはいえども、さほど大きくもないこの幌馬車に五人も護衛が必要だろうか?
やがて、幌馬車は町の光を遠方に臨む古びた小屋の前で止まった。
御者は馬車を降りると、「見ておけ」とだけ残して、護衛一人と小屋の中へと入って行った。
小屋の中に控えていたのはフード付きのローブで身を包んだ大柄な男だった。勿論、その表情は伺いしれない。
御者は特にその怪しい姿に警戒心を持つでもなくむしろその脂ぎった顔面にいやらしい愛想笑いを浮かべた。
「これは、これは! お待たせしてしまいましたかな?」
「……客を待たせるのは貴様のポリシーなのか?」
小屋の外で発したあの低い声とは正反対の猫なで声だ。対してローブの男はそっけなく返答してボロボロの椅子に腰かけたままだ。
「卿がわざわざこのような小屋でお取引をしたいと願い出たので、このワタクシもしかたがなく日が落ちるのを待って行動しなくてはならず、いえいえ! まさか卿に否があるとはあるとは言いません! 言いませんとも! それに、ワタクシは定刻通り! 定刻通りにこちらに伺いました! 卿の方こそ、キヒヒ、『待ちきれなかった』のではないですか? いや失礼! それも仕方がありません! このワタクシ、『奴隷商リカルポ』と言えばこのガタラシアでも――」
「御託はいい。ちゃんと用意はしてあるんだろうな」
リカルポの言葉を遮るようにそう言った男に対し、リカルポはそのつり上がった口角をさらに急にした。
「勿論でございますとも! 卿のご提示なされたご金額に見合う、いやそれ以上の『物』を用意しております。卿のご要望通り、一切『手を付けて』おりませんとも! 鞭の跡すらありません! 今から確かめますかな? いいえその必要はないでしょう! このリカルポ、信用を裏切ることは決してありません!」
「……」
リカルポは舌なめずりした。
貴族なんぞというものはお高く留まっているが、その実中身は自分と同じだ。奴隷にしているのが平民か、それよりもっと下かのどちらかに過ぎない。ギラギラしたものに身を包んで美しく着飾っているが、中身は豚の死骸にも劣る代物! 奴隷商人である自分を軽蔑する癖に、奴隷を買い叩く自分の行いの一切を『悪行』だとは自覚していない。まったく、まったく! 救いようのない!
「……貴様、本当にリカルポなんだろうな? こんな小屋にのこのこやってくる商人は信用できない」
「なにをおっしゃる! ワタクシを呼んだのは卿ではありませんか! それに、初めてお取引をさせていただく際は、必ず直接お伺いするのが主義なのです」
「……やはり信用できん。証拠を見せろ」
「証拠! 証拠など、この首元の痣を見れば明らかでしょう!」
ど派手な服の襟元を若干緩め、カンテラでそこを照らすリカルポ。本人の言う通り、そこには紫の大きな痣がある。
「……噂通りか。いいだろう、信用してやる」
ローブの男は椅子から立ち上がった。
「それでは、まず50万キャッシュのエルフの娘から――」
リカルポが大仰に礼をして小屋の外へ出ようとすると、ローブの男は「待て」と奴隷商人を制止した。
「……奴隷よりも、お前が欲しくなった」
「……へ?」
リカルポは愛想笑いも忘れてきょとんとした表情になった。
「聞こえなかったか。俺は『お前が欲しい』と言ったんだ」
「そ、それは、お客様……」
え? ホモ? ガチホモ? しかも中年フェチ?
長年奴隷商人をやっているリカルポだが、この手の客はさすがに初めてだった。さすがに中年の奴隷は扱っていない。扱いたくないからだ。
いやまて、このままこの貴族とねんごろになってしまえば、今後は奴隷商人という危険な稼業に身をやつさなくても済むのでは? いやいや……だって自分にそういう趣味はないし……
リカルポが悩んでいると、ローブの男は一歩、奴隷商人に近付いた。
「正確には、お前の首に懸かった120万キャッシュがな」
スッとローブから伸びて来たマスケットの銃口がリカルポの額に押し当てられた。
「なっ……!」
護衛の男が素早く武器を取り出そうとするが、その寸前で突然力が抜けて小屋の床に突っ伏してしまう。
影から現れたのは闇夜に赤い双眸を浮かせた猫耳の少女だ。
「外の五人も、もう片付けた」
少女はそう言った。
「だ、そうだ」
銃口をぴたりと額に押し当てたまま、男はフードをはぎ取った。
黒髪黒目。
「な、何者だ」
蝦蟇のようにダラダラと冷や汗を垂らしながら、リカルポは辛うじてそう言った。
「賞金稼ぎさ」
男はそれだけ答えた。そして不敵に笑みを浮かべたまま、小屋の扉の方を見遣った。
「それにしても皮肉だよな。何十年もかけて何百人もの奴隷を悪辣に扱い続けたあんたの『値段』――」
その黒い瞳は再び憐れな奴隷商人へ注がれた。
「奴隷三人分にも満たねえ」