子爵と社交会。(2)
ロイスロッドはパーティ会場に置いてある最高級葉巻を1本失敬し、火属性魔法を封じ込めた魔石を利用した着火機具で火をつけ、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着かせる。本来の彼ならば、ここまでたくさんの量の葉巻を吸うことはない。それだけストレスがたまっていたということだろうか。
「貴様がこの場所に来るとは思わなかったぞ、ロイスロッド・コンウェイ」
煙に包まれる彼に背中から声をかけたのはロイスロッドを憎しみの篭った目で見つめていた男だった。男の顔を機嫌のいい月明かりが照らす。なるほど、顔かたちが少し似ている。特に、口元が。
背中からかけられた声に振り向いたロイスロッドの瞳に、強い光が凝った。だがそれも一瞬のことで、すぐに僅かな笑みをたたえた表情に戻る。それにこの男が気づいたかどうか。
葉巻を投げ捨てた。
「これは。異母兄様。まさか私に声をおかけになるとは思いもしませんでした!」
まるで道化のように大仰な仕草で礼をして見せた異母弟に対し、兄は盛大に顔をしかめた。
「私とて貴様のような我らの血を汚した男に声をかけたくもないわ! 貴様どこで公爵家と知り合いになった!?」
「教える義理があるとお思いですか、異母兄様。お引取り願いましょうか」
ロイスロッドの口元は笑っているが、その目はまったく笑っていない。背中に受ける月明かりを受けて爛々と青く炯炯と光っていた。そこには血を分けた兄弟の肉親の情は見られなかった。憎悪と殺意しか存在していないような、そんな雰囲気を漂わせていたのである。
「貴様、誰に向ってそのような口を……!」
「よろしいのですか。貴族の立場を持ち出しますと私とあなたは同じ子爵となりますが。私と同格に見られてよろしいのならばそういたしますが、アガルタ子爵」
ロイスロッドの皮肉だった。少なくとも、爵位を持っているという点では2人は同じであり、爵位も同等ならば同格であった。年齢が下だからわざと下手に出てやっているのに同格にしてもいいのか? とロイスロッドは挑発しているのである。
「ほざけ、魔無しめが。誰の許可を得て私の爵位を呼んでいる」
「天ですよ。異母兄様。天が私にそう呼べといっているんです」
「ついに狂乱したか?」
ロイスロッドは私に流れが向いてきた、という意味で天と言った。少なくとも彼は愛の女神とその神官が伝える話をほとんど信用していなかったし、かといって邪教の堕落の女神の信徒は見つけ次第処刑していた。そんな彼でも運命の女神ファトゥムは信仰していると同時に呪っていてもいたが、とにもかくにも、運命が自分に向いてきたのだという意味の言葉であった。
「魔法の使えるあなたにはわからないでしょうね、私の見ている景色というものが」
「そんなものを知ってどうする? 魔無しのお前が一体何をなせるというのだ?」
返ってきたのは言葉ではなく冷笑であった。底冷えするような笑いをロイスロッドは自身の兄へ向けていた。そこには血のつながった肉親の情などはまったくみられなかったのである。
「貴方に教える義理はありませんな、異母兄様」
「重ねて私を愚弄するか魔無しのコンウェイ……!」
振り上げた右手にボウ、と炎が宿った。アガルタ子爵は火の魔法の使い手として有名であった。武闘派として知られる父親の血をもっとも色濃く受け継いだ次兄がアガルタ子爵だが、よく言えば勇敢、悪く言えば猪突猛進であった。民を苦しめる政治を行っていないのが救いである。
「この場でその忌々しい面を焼き尽くしてや──」
魔法を発動され、それが自身に向ってこようとしているのに、ロイスロッドは冷笑を変えなかった。それどころか、ますます深くなっているようにも見える。しかし、怒りと自分勝手な屈辱に支配されたアガルタ子爵にはそれが見えなかった。
「あなたが自慢の魔法を使うより、私の部下があなたを殺す方が早いのに、なぜ?」
「なんだと?」
狂笑ともいえるほど笑みが深くなり、アガルタ子爵もさすがに違和感を覚えたのか、そうロイスロッドに問いかけた。怪訝な表情である。憎しみと不審な表情がない交ぜになった、そんな顔色だった。
「貴方方が魔法に耽溺している間には私ははるか先を行く。そういうことです」
余りにも確信めいた表情。仮定ではなく確定を語っているのだと、アガルタ子爵にもわかった。彼はバリバリの武闘派であるが、おろかな男ではない。今会場でサリナに詰め寄っている色ボケの連中でもなかった。
「寝言は寝て言え。この場は預けておいてやる」
黒衣をひるがえし、アガルタ子爵はバルコニーから去っていった。その背中を、何の感慨もないような機械的な表情でロイスロッドが見送っていたが、やがて僅かに表情を変えると小さな声でつぶやいた。余りに小さな声だったから、もし誰かが聞いていたとしても、何も聞こえなかっただろう。
「次に会う時は、あなたを殺したいですね、次兄オースティン」
とにもかくにも、誰も聞いていなかったことは幸いであったことだろう。ロイスロッド・コンウェイにとっても、オースティン・ブラックスミス・アガルタにとっても。ロイスロッドにとっては、失っても惜しくない家名であった。母方の家名である大切な苗字は名乗ろうと思えば名乗ったけれども、母方の実家に迷惑をかけたくないという思いがあったという話はまた別のこと、彼なりの顔も見たことのない母への愛情だったのだ。
ある意味、危険な境界線で遊んでいるような部分が見える。何かの拍子に狂気じみた……運命に身を任せるような部分がこの男にはあった。確かに、『魔無し』で生まれてきたこと自体が、運命の女神の遊びであって、彼はその落とし子であるだけなのかもしれない。
「おや、そろそろ時間か……」
次兄とのやりとりで憎しみに包まれていたのはまるで演技か何かであったかのように、彼の雰囲気は一変した。目に見えて雰囲気がやわらかくなったのだ。そろそろ、ダンスの時間である。
ロイスロッドは無言で瞳と同じ色のコートをなびかせてバルコニーから消えた。その仕草は兄と似ているようで似ていない。気配を消すような、そんな立ち振る舞いだった。
会場に戻ってくると(なぜか自身に好意的な)一部の貴族と挨拶を交わし、公爵父娘のもとへロイスロッドは急いだ。なぜ自分に好意的なのか、いまいちわからないまま。
「おお、コンウェイ」
「お待たせしました、閣下」
フォゼリンガム公爵はいつもにくらべて大げさな仕草でロイスロッドを迎えた。それは周囲の好意的でない貴族にむけて彼との関係性をアピールする腹積もりがあったからだ。ロイスロッドがほとんど中央の政治に関与していないとはいえ、その特殊な出自から、なにかあったときには一気に政治的に不利になってしまう立場にいる。権力的には遠いし、経済的には強い。本人に変な欲もない。だが、ときに状況がそれを許さないことになるということをフォゼリンガム公爵はよく知悉していた。
「構わん。私と貴様の仲だ。ああ、サリナを頼む」
「ええ、お任せください」
ロイスロッドは公爵に対し丁寧に膝を折ると、サリナのほうへと近づいた。
「参りましょうか、ご令嬢」
滑らかな仕草で、ロイスロッドが手を伸ばした。その手を取ったサリナは自身より少し高い肩に手を置くと、すっ、とロイスロッドの耳元へ唇を寄せる。はたから見れば、とても仲のよい若い男女だ。ロイスロッドがサリナの仕草にぎょっとしたように体を引こうとしたが、サリナのもう一方の手が腰に回されていたせいで、それはできなかった。
「私は、もっとあなたに近づきたい。だめですか、ロイスロッド」
蕩けるような声音で耳に囁く。ロイスロッドからは見えなかったが、その横顔は恋をする女性の顔だった。
「追いかけてきてください、ご令嬢」
周りに聞こえないように、そう返事をするロイスロッド・コンウェイ。
令嬢が顔をはなし、子爵がダンスの場所へといざなう。その頃には、互いの間に流れた色濃い雰囲気はどこかへ夢のように消えていたが、その熱は、互いのどこかへ残っていたかもしれない。
ここまでお読みいただきありがとうございました。次回の投稿は未定となっておりますが、気長にお待ちください。それではまた次回9回でお目にかかりましょう。