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子爵と社交会。(1)

 フラウス王国、その王都の貴族街の更に奥。そこに、白亜の王城は建っている。この国の人々は、殆どが存在を仰ぎ見るだけの場所だ。しかし、王家が国民に姿を表すことは、王国への支持を確認する上で重要な動作であった。夜の社交界の前には、現国王とその后、王女2人がバルコニーから集まった群衆に向けて手を振っていた。しかし、それは太陽が中天に昇っていたころの話。


 現在は、夜の帳が太陽を追いかけているぐらい。豪奢な馬車が王城に続々と集結していた。夜の社交は上流階級が行う特権でもある。特に、国の行く末を決めるということが絡んでくる場合は。ブルジョワ階級が行うそれは、ある意味真似事でしかないのだ。


「ふぅー……」


 馬車に揺られるロイスロッドは、いつぞやと変わらずシガリロを吹かしていた。ヴァニラの香りの紫煙が、彼の周囲に水玉のように浮いた。機嫌の良かったはずの彼の顔は、どうしようもない微妙な表情に満ちていた。


 社交会に出なければならぬとはいえ、彼にとっても予想外の家族の出現は、憂鬱の原因、もしくは頭痛の種でしかないのである。彼にかかるストレスは、煙を吹かす量を多くしていた。もちろん、葉巻(シガー)を楽しむ上で、あまり煙をふかしすぎるというのは、余りよくないこととされている。それでも、彼がその邪道を行っているのは、内心の焦燥感を無理やりにでも押さえ込むためであった。


 ロイスロッドがなんともいえない微妙な表情をしている一方、彼の乗った馬車の前方を走っている馬車には、フェゼリンガム父娘が乗っている。サリナ嬢は対照的に、晴れやかで明るい表情をしていた。


「機嫌がよさそうだな、サリナ」


「よくないと思いますか、お父様。コンウェイ卿をやっと引っ張り出せたのですから」


 にこにこ、にこにこ。笑う娘に頬を緩めた父親であったが、その後ろに底知れぬ凄みを感じて、背中に冷や汗を流している。娘はもっと早く呼べばよかったのに、とでも思っているのだろうかと内心で考えたが、余計なことをいって、「お父様はひどい方です」などといわれてしまったら、一体どうすればいい。いやむしろ、その状態のままコンウェイと顔を合わせたら、あやつが気を使って「急用を思い出しました」といって消えるかもしれん、そうなってしまっては──。


「お父様?」


「あ、ああ……。なんでもない」


 一瞬感じたはずの凄みは消えて、いつもの屈託のない娘に戻っていた。ほう、と胸をなでおろす。


「もうすぐ王城前につくぞ。準備をしておけ」


「はい、お父様」


 ロイスロッドはというと、葉巻を吸い終え、それを灰皿に置き、服装を整えた。最後に、膝ぐらいまである長く青い外套を羽織り、ドアを開けて外に出る。王城前に立てられたランプの街灯と松明が、王城を煌々と照らしていた。


「久しぶりだな、この場所に来るのも」


 およそ、二年ぶり。光に照らされてオレンジ色に輝く白い煉瓦を、ロイスロッドは複雑な気持ちで見つめていた。


 彼は公爵父子より先んじて馬車を降り、令嬢が降りてくるのを手伝った。


「すまんな、コンウェイ」


「……お気になさらず」


 妙に暖かい目線を向けてくる父親の方のフォゼリンガムになんともいえない決まり悪さを感じながら、ロイスロッドはサリナの手を取った。


「ありがとうございます、コンウェイ卿。しっかりとエスコートしてくださいましね」


 ふわり、とサリナが笑みを浮かべた。無垢な笑み。思わずロイスロッドも目を見張ったが、すぐに気持ちを切り替えた。このあたりは、ロイスロッド・コンウェイの感情のコントロールの見事さである。さすがであった。


「仰せのままに」


 ふ、と。ロイスロッドも口元に笑みがある。それは、佳人をエスコートするだけではない感情が含まれていたのだろう。


「では行くぞ」


 王城の衛兵が門を引き、白亜の王城の中へと招く。


 サリナは、横に並んだロイスロッドから、不思議な香りを感じ取っていた。ダーク・チョコレートと、ロースト・ナッツと煙の香り。そして、わずかなスイート・オレンジ。それは、彼の周囲を漂っていた葉巻の煙と、髪につけたヘアトニックの香りだった。それは、初めてサリナがロイスロッドという男に女として近づいた瞬間であったかもしれない。そして、これから自身にもっとも近い香りとなっていくものでもあったのだ。


 王城の長い廊下を通り、広い大広間に3人はたどり着いた。中からはざわざわとした喧騒が漏れていて、そこが社交の会場であることをうかがわせる。ドアには煌びやかな鎧を着た衛兵が立っており、フォゼリンガム公以下2人に視線を向けていた。


「グレゴリー・フォゼリンガム公爵と娘のサリナだ」


「セラヴェラ子爵、ロイスロッド・コンウェイだ」


 もっとも正確に述べるならば、セラヴェラ領を治めるコンウェイ家のロイスロッド。そういうことになる。フォゼリンガム公の場合は領名と家名が一致しているが、ロイスロッドはそうではない。そのため、正確にはセラヴェラ子爵というのが正式である。しかし、いちいち領名と家名が異なっているからといって呼び方を変えていてはあまりにややこしい。慣例として、家名に爵位をつけて呼ぶのが一般的であることを覚えていてほしい。


 2人いるうちのもう1人の衛兵が書面を確認し、胸に着けている家紋のバッジと照合する。


「お待ちしておりました」


 ぎぃぃ……という重厚な音を立てて会場へのドアが開く。


「グレゴリー・フォゼリンガム公爵、ご来場! サリナ・フォゼリンガム様、ご来場!」


 宮中の重鎮の来場に、ざわめいていた会場が一瞬静まる。しかし、それはすぐに喧騒へと変わった。


「セラヴェラ子爵、ロイスロッド・コンウェイ様、ご来場!」


 公爵来場の知らせと同じように喧騒が静まったが、その後に起こったのは、嘲笑めいた笑い声であった。大多数の貴族が笑い声を上げる。しかし、幾人かの貴族は、大多数のその様を見て眉を寄せ、顔を顰めていた。


「…………」


 ロイスロッドは一瞬額に青筋を立てたものの、すぐに表情を消した。


「あの、コンウェイ卿……?」


 サリナが自分と繋いでいない方の手を見ると、白くなるほどに握り締められていた。だがそれもサリナの視線に気づくとすぐに力を抜いて、普段どおりを装った。


「ええと、その……」


「ご心配なさらず。お父上に続きましょう」


 来場した、という声だけでは、一行がどのようにして現れるかという想像はつかない。公爵に続き、ロイスロッドとサリナが連れ立って(・・・・・)姿を現したことに対し、数人の貴族を除いて、想像を絶する驚愕が広がっていった。だが、怒号をあげることはなかった。それまでと比して確かにざわめきが大きくなっていったものの、最低限の礼節──名前が呼ばれた際に笑い声を立てたことはすでにわきまえていないのであるが──は保っていた。


 フォゼリンガム公はこちらを見つめる貴族の視線を振り払い、玉座に座る王と王妃の前まで歩いていった。


「グレゴリー・フォゼリンガム、娘サリナ、セラヴェラのロイスロッド、罷り越してございます」



 国王エルネスト3世は、フォゼリンガム公と同じ世代である。西に位置するマリティーム王国へ留学していたことがあり、先進的な改革を実行する王として国民の支持を得ていた。


「うむ、息災よな。それにしてもサリナ、美しくなった」


「光栄ですわ、陛下」


 貴族の娘らしい、真意のわからぬ笑顔。


 ロイスロッドといえば、無言で跪いていた。子爵以下の貴族は、王家の前で自発的に発言することが許されていない。そういう慣例だった。


「セラヴェラ、顔を上げよ」


 その言葉に従い、ロイスロッドは顔を上げる。王家を前にしても、その顔に表情は見られない。


「お前は領地を建て直し、よく努めている。これからも励め。……発言を許す」


 

 凍りついた胸像に、わずかに表情が生まれた。微笑みか、安堵か。


「身に余る光栄でございます。陛下。お言葉を心に刻み精進して参ります」


 王家へ挨拶した後は、大抵が同格の貴族と歓談に移るのだが、今回ばかりはそうはいかなかった。フォゼリンガム公のもとへ『魔無しの貴族モドキ』と一緒に令嬢が来たことの真意をただすべく貴族が押しかけ、サリナにもどういうことなのかと聞き出そうとする令嬢や令息が駆け寄ってきた。


 対するロイスロッドは、このまま会場にいてもいつもの通りに(・・・・・・・)侮蔑や嘲笑を受けることを知っていたので、すぐに退散しようとした。


「コンウェイ卿? どこへ行かれるのですか」


 サリナに見つかってしまったが、わずかに笑みを浮かべたロイスロッドは落ち着いて彼女に対応した。ある意味予測していたとも言える。サリナが自分を気にしていることは、自惚れでなければ確かだったからだ。 


「少し、外で風に当たってきます。ご心配しなくとも、舞踏会までには戻ってきますから、そんな子犬のような目をしないでください」


 後半の言葉はささやくように。こんなセリフを公爵令嬢にささやいたと知られたら面倒くさいことになることぐらい、彼女に近づいて少し熱に浮かされたようになったロイスロッドにもわかった。


「はい……えっ!?」


 サリナも、鉄面皮のままのロイスロッドにそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう、驚いて大きい声を出してしまった。


「──そんなに驚くことがありますか。ご令嬢。ほら、私は大丈夫ですから。ご学友のお相手をなさってください」


 表情も柔らかくなり、声音も優しくなっていた彼に、サリナは溢れる感情のままに手を取りそうになったが、さりげない動きでさっと貴族礼を行ったロイスロッドは、背中に怨嗟や嫉妬を受けながら、バルコニーへと出て行った。


「ロイスロッド・コンウェイ……!」


 その背中を燃え盛らんばかりの憎悪で見つめていた男がいた。それに気づいたか、それともわざと気にしなかったのか。ロイスロッドの真意は夜に隠され、わからなかったのである。


ここまでお読みいただきありがとうございました。相変わらずの不定期更新ですが、おつきあいいただけると幸いです。

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