子爵と憤懣。
王都において、いくつかの商談のために書類を処理し、会談をし、本人にとって余り愉快ではない学友との短い会話の後も、ロイスロッドの職務は満載であった。不機嫌を紛らわすため葉巻をくわえ書面を確認していく様は貴族というより実業家に見えた。
「旦那様、今日の社交会にお召しになる服はいかが致しますか」
「いつもと同じで……いや、ちょっと待て。公爵令嬢と同行する。夕刻打ち合わせがあるだろうから、そのときでいい」
「かしこまりました」
アビエルに「貿易商会に渡してくれ」と積まれた書面を渡し、さらにロイスロッドは茶を頼んだ。葉巻はかなり短くなってきている。葉巻用の小さな受け皿にそれ置き、彼は深く息を吐いた。ロイスロッドの脳裏にあったのは、学友アレッハンドロが伝えてきた元家族のことであった。
ロイスロッド・コンウェイは元々伯爵家の出身である。2番目の妻の子であったが、伯爵が死別した最初の妻に比べると身分が低く、さらにその子──つまりはロイスロッド本人である──が魔力を持たなかったため、ロイスロッドが物心つかないうちに離縁され、父である伯爵は3番目の妻を迎えた。本来隠すべきその事実は、「不義の子」扱いをされるロイスロッドにとって逆説的に働いた。つまりは積極的に開示し、ロイスロッド本人を責めるために使われたのだ。
音もなくすべるように茶を持って入ってきたアビエルは、主人の煩悶には関わらぬよう、静かに机に茶を置き、音もなく一礼して去っていった。ベテラン執事の面目躍如というところである。
「本当なら、火酒のひとつでも飲みたいところだが、そうもいかん」
彼にとって本来の家族というものは忌々しいトラウマの象徴であるに過ぎず、むしろ家族の代わりになったのは、彼に仕えた一部の使用人や彼の教育を任された学者であった。血縁で繋がらない家族とでも呼ぶべき最古参の人々が、彼の周りには集まっている。
──本当の意味で孤独ではなかったかもしれないということには、彼は感謝していた。父親が、自分を憎みながらも貴族としての教育を施してくれたことにも、皮肉なことに感謝はしていた。ほとんど自分を外には出さず、一部の、影響力のほとんどない貴族にしか会わせなかったことにも。だが、実の父に対する憎しみは、それで補ってなお大河のごとく潤沢であった。
それから、彼が胸糞の悪い元家族の心象に懊悩している間に消費した葉巻は4本に達した。1本が60分程度のものを吸っていたから、苦しみ悩んでいる間に太陽は西に傾いている。夕刻である。
「……そろそろか」
丈の長い革の外套を羽織り、腰に一丁ピストルを吊るす。王都とはいえ、誰かに襲われる可能性はある。少なくとも、ロイスロッドはそう思っていた。
「アビエル! 馬車を頼む!」
「表に用意してございます」
ロイスロッドの声に反応して、執事が現れる。主人の行動を予測していたようなその仕草に、ロイスロッドは唇を三日月に歪めた。自らの懐から、小さな麻袋を投げ渡す。
「私が王都に来ないのに、よく務めてくれている。これで使用人とお前の家族になにか買ってやれ。感謝している」
麻袋の中には、銀貨が40枚ほど入っている。
「これも使用人の務めですので、旦那様はお気になさらずとも良いのです。本当によろしいのですか」
「取っておけ。取っておけ。せっかく渡したんだ、お前が使わないのはもったいないだろう?」
実に貴族らしい気遣いといえよう。自らの使用人に金を渡すことで忠誠を担保する。よく貴族がやる手法だ。そのあたりはロイスロッドも貴族であるということに疑いはない。しかし、少し言葉を付け加え、さらに他の使用人にまで視野を広げることで、それはまた異なった意味合いを持ってくる。1人に金を渡しながら、全体に使うように指示するあたり、用意周到であった。
ロイスロッドは、良識派に属する政治を行うと共に、自身の周囲への細やかな気遣いを忘れなかった。それは、逆説的には味方を失いたくないという思い、使用人に裏切られたくないという恐怖があったのだが、それだけは周囲に知らせるわけには行かなかったのだ。ロイスロッドのプライドの問題である。
彼がつけていた日記には、その部分の疑問がよく書かれている。自分の疑心に苦闘する様は、後世の評価よりずっと彼が繊細であるという証でもあったのかもしれない。
夕方、赤く柔い光が王都を覆うころ、ロイスロッドは2頭立ての馬車に乗って、公爵邸へと向った。馬車の中で、彼は持ち込んだポケットサイズの葉巻──わかりやすく言うならばシガリロ──を吸っていた。商会として、たばこは有力な商品になりえたし、子爵としては専売を行うことによって莫大な利益にもなった。我々からは一般化した知識である中毒性も、この時代では全くもって知られていなかったのだ。
そして、先日訪れた公爵の屋敷へ馬車が横付けされる。
茶色に染められた丈夫な革の外套がひるがえり、ロイスロッドが馬車を降りる。この時代、演劇的振る舞いが、貴族の身分を保証する儀式の中に組み込まれていたといってもよい。もっとも、それは王都宮廷や一部の貴族の生活の中であって、ロイスロッドにとっては全くといってもいいほど関係のないことであった。
「ロイスロッド・コンウェイ子爵ですね。お待ちしていました」
「ああ」
短い応答ですんだのは、彼が既に顔見知りとなっていたか、それとも話がいっていたか。
彼は公爵の私室に通され、自身が贈った最高級葉巻を燻らせる公爵と面会する。
「ふむ。少し顔色が悪いか?」
「ええ。学友が悪い知らせを持ってきてくれたようで、図らずも」
正確には単純に緊張していただけなのだが、公爵が勝手に捉えてくれるならそれはそれでよい、とロイスロッドは思っていた。細かく話したとして、それがどのように自身に跳ね返ってくるかわからないからである。
「そうか。本日の社交会に出られるならばまぁよい」と納得した様子で、公爵は言葉を続けた。その内容は、着ていく服を青系でまとめろという話であった。公爵によると、瞳に合わせた色にしたいということだった。付け焼刃の関係でないということを暗示させる目的であったとされる。このときの公爵家令嬢は、公爵家の記録によると、夜会用のドレスを身につけていて、瞳に合わせた美しく、淡い緑色で、常日頃から見慣れていた使用人たちが感嘆のため息をつくほどであった。
それは、ただ単純に本人が佳人というだけでなく、心中から出る幸せな思いというものが、彼女の雰囲気に作用していたからであろう。その相手の子爵はむしろ、緊張が隠せなく、体が固くなっていたが。
ロイスロッドは「わかりました」と短く返事をすると、一度屋敷にとって返し、青一式の服装になって帰ってきた。
「うむ、男ぶりがあがったのではないか」
公爵の感想は簡潔だった。それと比べると、サリナは幾分か長い言葉を述べている。
「よくお似合いです。子爵の横に並ぶと、夢を叶えられたようです。エスコートしてくださいますね?」
「もちろん、喜んで」
わざと、芝居がかった動きで大仰に貴族礼をとるロイスロッド。
令嬢の方はもちろん喜色満面の笑顔であるが、ロイスロッドのほうも、緊張と険がとれて、静やかな表情になってサリナを見返している。
「ふふ……」
「ははっ……」
その様子がおかしくて、互いにくすくすと笑い始めてしまった。
「では、よろしくお願いします、コンウェイ卿」と改めてサリナがロイスロッドへ微笑みかける。
「ええ、お任せを」
ロイスロッドも口元を緩め、それに応えた。
若者同士の感情の交流に干渉しなかったあたり、父親であるグレゴリー・フォゼリンガムは、できた父親である。本人としては、自分たちの世界に入られても困る、と呆れ顔でもあったが、互いの笑い合う表情を見て、自身も安心していたのである。
公爵家の馬車が出るのを確認して、ロイスロッドが追いかける形で馬車が発進する。同じく社内では70mmというポケットサイズの葉巻をくわえ、煙を吹かしていたが、その表情は公爵家に入るときと全く逆であった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。さりげない形で、恋愛感情を文章に織り込む。難しいですねぇ。
それでは、また次回でお目にかかりましょう。