令嬢とサロンとおまけに子爵と友人。
地の文多めです。
サリナ・フォゼリンガムが2頭立ての馬車に乗って向った先は、とある貴族の屋敷だった。女侯爵として有名で、数年前までは北方の王領における政務長官として働いていた人物である。良識派としても知られ、貴族派とは対立関係にあった。ややこしいが、現在のこの国では、大きく分けて閥族派と呼ばれる1つをくわえ、3つの派閥があると考えてよい。
良識派と呼ばれる一派は、政治的には上から下まで貴族、ブルジョワその他様々な階層の人々から成り立っている。税を搾り取ったり、結婚税を取ったりするような悪徳貴族ではなく、暮らす領民に寄り添い、よりよい政治を行おうとする一派だ。また、現在の国王は国民が力を蓄えるような政治を行おうとしている。どうやら、西の王国と懇意にしていた関係から、その手法を取り入れようとしているらしい。
サリナは公爵家令嬢である。政治から切り離されるどころか、そういった知識は学ぶ必要があるし、また自身の武器にもなるのであった。
彼女が通された先には、若い令嬢と夫人がいる。主催は女侯爵だが、良識派とされる家の令嬢や夫人が多く集まっている。男は見当たらず、太陽の差し込む部屋にいるのは女性のみだった。
「サリナ嬢、ようこそ」
「ええ、お招き預かり光栄でございます。ベイリオル侯爵夫人」
ややこしいが、爵位を持っている女性は、爵位がなくても夫人という文字がついて回る。それは、国王や高位貴族の愛人にも、である。
王都でも指折りの佳人と称されるサリナであったが、彼女に相対するベイリオル侯爵夫人も負けず劣らずの美人である。長く艶やかな黒髪、切れ長の暗褐色の瞳。女性としてはかなりの長身で、一つ一つの仕草に自信がみなぎる姿は、なるほど確かに敏腕政務長官らしいものであった。対するサリナは、黄金色の髪を巻き上げて後ろにまとめ、ほっそりとした肢体を浅葱色のドレスに包んでいた。
いつもにこやかな表情の彼女であるが、今日はその具合が何やらおかしいぞ、と気づいたのはベイリオル公爵夫人の方だった。出迎えたからということもあるが、彼女の目の確かさの証明でもあったのだ。
「ずいぶんと機嫌が良さそうですが、なにかありましたか?」
夫人がそう問いかけた瞬間、サリナから放射される不思議な空気は一気に拡散した。サリナはその白磁のような頬を赤らめ、夫人にこう伝えたのである。
「私、コンウェイ卿と友人になりました!」
一瞬、空気が凍りつく。数人は椅子からひっくり返りそうになっていたり、茶を噴出す直前だったりしていた。その直後、なんともいえない弛緩した生暖かい空気が彼女達の間に流れ始める。
サリナが着席した後に始まる簡単な世間話でも、彼女が話すことといえば、ロイスロッド・コンウェイのことばかりであった。
──確かに機嫌がいい理由はわかった。かの子爵と話して嬉しかったのだということもわかった。もっと重大発表かと思ったら、全然違うではないか。
大体、若い男女の関係において、一歩進める進めないの問題というのは、大抵が男性側に問題の原因が帰されることが多い。この場においても、それが適用された。すなわち、「明らかに特別な感情を抱いているであろう令嬢に対し、友人で止めたロイスロッド・コンウェイ」に問題があるとされたのである。特に、サリナ嬢はその性格で他の令嬢や夫人にも人気があった。女性の集団を敵に回して勝ち目がないのは現代の我々が知っての通りである。
「聞いてください侯爵夫人! 昨晩、コンウェイ卿が──」
そこから始まる自慢話からは、サリナ・フォゼリンガムという女性が、どれだけロイスロッド・コンウェイという男性を好きでいるかということが伝わってくる。恋に恋するというものではなく、ちゃんと彼について調べ上げているということも。
「普段何されているのかとお聞きしたら気前よく答えて下さって……!」
──恋に恋するという状態ではないかもしれないが……その、好きな人の欲目というものがずいぶんと影響しているようだ。
この場にいる女性たちの心はその言葉で一致する。キラキラと喜びを振りまくサリナに対してそれを投げかけるのは、人間的感情から憚られた。それにしても、普段やっていることが剣の鍛錬とは。応えるコンウェイ卿の方にも問題がある。
再びこのサロンにいる女性達の心はひとつになった。サリナにはそのまま喜びを振りまいてもらおう。むしろ、教育すべきは、異端児ロイスロッドのほうである、と。
「コンウェイ卿といえば、人頭税を廃止したり、地税を改革して金納にしたり、色々やっていますわね」
「魔法の新しい使い方を考案していましたね。戦闘だけに使わず、輸送の際に水魔法を工夫することで、遠くから商品を持ってくる」
彼女達が食べているのは、南方で育つという赤とオレンジ色のフルーツ。つるんとした楕円形の形が特徴で、濃厚な甘味とエキゾチックな香りで貴族層に人気を誇る。これを貿易、販売しているのは、ストーク貿易商会。すなわち、ロイスロッド・コンウェイその人であった。
「魔力のあるなしは正直どうでもいいですわ。問題は、彼をどうやって領内から引っ張り出すか、それだと思いますの」
サリナに合わせるように、夫人、令嬢はロイスロッドについて話し始める。概ね、評価は高いものであった。しかし、本人が貴族であるのに貴族嫌いで、領内から出てこないというのは、彼女達にとって都合が悪い。それは、派閥的な力学も含んでいたが、単純に引きこもりでは(公爵令嬢のお相手として)問題があるという認識でもあった。
「あとは少々過烈に過ぎますわね。開拓領に出た盗賊団は皆殺し。自領の盗賊団も皆殺し。一応、王国法があるのですし。少々殺しすぎでは」
「あれはどこかから送り込んでいるんでしょう。それでなければ、あそこまで苛烈に取り締まらないでしょうね」
「蒼玉色が氷玉色になるのも困りますから、夫に働きかけてみましょうか」
どこが怪しい動きをしているのか。調べさせようということを言外にこめて。
そんな女性達のサロンの一方で、話題の中心ロイスロッド・コンウェイは、王都にあるこじんまりとした自身の屋敷に戻り、遅めの昼食をとっていた。
四角く焼き上げられたホワイトブレッド。豚の挽肉と血を混ぜたブラッドソーセージ、野ウサギのパイに、輪切りにして焼いたナスに赤いピーマン。豆とたまねぎを入れ、香辛料を効かせ煮込んだスープ。
貴族らしくないというロイスロッド・コンウェイであるが、それは会話をしたときのどこか一線を引きすぎているような態度であり、本人そのものではない。取る食事は貴族らしく庶民ではなかなか味わえないものがそろっている。ホワイトブレッドもそうだ。彼やその財務長官たちの努力で南方に精製された小麦のパンが流通し始めているが、まだまだ白いパンというのは贅沢品になりえた。ブラッドソーセージは屠殺して新鮮なうちに作らなければ痛む。血や内臓を混ぜ込むからである。また、香辛料も使用する量が多いことから、販売する際には単価が高くなりやすいのだ。
このロイスロッド・コンウェイという男、シャープな体系のわりには、美食家であった。
「旦那様、お食事の途中に失礼致します。お客人が参られております。アレッハンドロ・コンティッチオ様と申される方です」
王都の屋敷に詰めている執事がロイスロッドに告げる。王都の屋敷は下手したら本領より重要なのだが、彼の小さな屋敷はそれに見合う程度の使用人しかいない。そのトップを努めるのがアビエルという名の初老の男だった。
「食事が終わったら客間へいくと伝えてくれ」
「かしこまりました」
熱い茶を飲み、やや急ぎ気味で食事を終えたロイスロッドは服装を整えると客間に急いだ。
客間で待っていたのは、やや軽薄そうな雰囲気を漂わせた赤毛の男。ひょろっとした長身で、細い目にはこちらを面白がるような光が覗いていた。
「やぁ学友。元気そうで何よりだ」
その声にもどこか軽さがあり、飄々とした態度からは遊び人のような雰囲気が薫る。
「はっ。学友とは笑わせる! ここに短銃でもあれば貴様の頭を弾き飛ばしていたところだ!」
表情を険しくして、声にも威圧が滲む。ロイスロッドの氷と称される瞳に灼熱の蛇が覗いた。
「相変わらずだな……。やれやれ。ひとつ忠告だ」
そのロイスロッドに負けないくらいの表情で、細い瞳に強い光が凝った。声も軽さはなくなり、黒々とした圧が客間に広がった。
「お前の実家。久しぶりに社交界に出るそうだぞ」
「ほう……。貴様の頭を弾き飛ばすのは今度にしてやろう」
「それで、どうする?」とどこか心配そうに聞こえるかもしれない声音でアレッハンドロが聞く。しかし、空気は張り詰めたまま。
「今年の社交会には出る。エスコートする令嬢がいる」
張り詰めた空気は霧散する。アレッハンドロの顔には、驚きが貼り付けられていた。
「貴様に心配されなくてもいい。あの連中に家族愛など昔から考えたこともない」
ロイスロッドの口元に嗜虐的な笑みが浮かぶ。それを見たアレッハンドロは「やれやれ、怖いもんだ」と心の中でつぶやいた。実際に口に出していたら、瞳の灼熱がこっちに飛んでくるだろう。魔法は使えない代わりに、目の前のひとつ年下の男は単純に剣に秀でているのだ。
「そうか……。昔よりはマシになったな、学友」
「まぁ、忠告には感謝する。あとで葡萄酒でも届けさせるさ」
その言葉を最後に、2人は会話を終え、アレッハンドロは屋敷を辞し、ロイスロッドはそれを見送らずに客間の座椅子に深く腰掛けていた。その表情は差し込む太陽によって作られた影で窺えない。
「いかがでしたか、ご主人」
「やれやれ、さすがは異端児ロイスロッド。口も回るが手も回る」
派閥で言うならば閥族派のアレッハンドロだが、個人的にはあのロイスロッドを気に入っていた。魔力無しというのは、個人としては気にならないことであったし、それで格を語るのは、アレッハンドロからすれば児戯だった。
それに、さりげなく好物を贈るといわれたら、もうしょうがない。もともと、貴族を嫌っているのに貴族という立場を利用するロイスロッドを気に入っているこの男。趣味は人間観察で、ロイスロッドは格好の観察対象であった。あのハリネズミめいた態度も好きだが、本人は人間観察より、無類の葡萄酒好きである。生粋の葡萄酒狂であった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。恋愛は初めての試みなので至らぬところもございますが、拙作をよろしくお願いします。
それでは、また次回お目にかかりましょう。