子爵と公爵家。
やっとヒロイン登場です。
ロイスロッド・コンウェイ子爵は王国南方に領地を持つ貴族である。爵位持ちの貴族であるから、身分としては充分に上級である。それは、王国──フラウス王国全体から見てみれば、恵まれている。間違いなく。しかし、爵位持ちの中では下から数えられる。さらに、彼の複雑な出自──武門の家柄で、魔術に長けていた伯爵家の出身でありながら、魔力というものを全く持っていなかった──からの自身の血統の疑い、冷遇。学院における友人からの裏切りなどが重なり、その正当性というものに疑問符が付けられることになった。彼が幼い頃からあったそれはもちろん多分に言いがかりであり、現在においては彼が立て直した領地の財を吸おうとする寄生虫のような一部の貴族が行うことであった。
「王都の空気はどうもすっきりしない」
従者に手伝われながらさっさと夜会向けの服装に着替え、自らにあてがわれた部屋を出る。本来ならば自分で着替えなどできるのだが、貴族らしい所作というのは従者が必要なのだ。本人はあまり喜んでいることではないが。
さて、ロイスロッド・コンウェイは前述したように子爵である。身分的には、仕える従者(一部は爵位がない貴族であることもある)を除いてもっとも低いのが彼であるから、誰よりも早くパーティ会場に到着しなければならなかった。今回の場合は公爵邸のパーティ用のロビーがそれにあたる。
彼がやや早足で階段を下りると、正装をした公爵家の人々が迎えてくれた。ややこしいが、身分上もっとも早く到着しなければならないのはロイスロッドであるが、彼の立場というものを考えてみると、公爵邸に招かれた客人なのである。使用人たちにとっては煩雑であることだろう。しかし、公爵は使用人たちにとっても良い主人である。良い主人が、使用人たちを大切にしているならば、彼らもそれに答えるだろうことは、人間的な情にしたがってみてもおかしくないことであった。
「お待ちしておりました。コンウェイ様」
「世話になる」
微笑で迎える使用人に、一瞬だけ笑って答えるロイスロッド。無愛想ではない青年だが、どこか一線を引いている態度だ。彼の複雑な生い立ちにその源流があるということを考えても、違和感のないことだった。使用人たちは王都の噂に通じているが、貴族同士の暗闘について深く首を突っ込むことはしていない。自らの首が物理的にも飛ぶ可能性があるからである。
夜は深く、どこかで梟がホウホウと鳴いている。月は象牙色の光を地上に降ろし、公爵邸の窓から差し込んで、人々を照らしていた。しばらくすると、公爵は自らの夫人を伴って、ロビーへと入ってき、ロイスロッドは頭を下げ、歓待の意を示す。しかし、公爵は顔の前で手を左右に振った。
「今日は極内輪の話だ。かしこまらんでもよい」
「そういうわけには……」
上位者からそう言われてもロイスロッドとしてはすぐに頷けるものではない。どこに目があるかわからないという誰にも言っていない本音があるからだった。
「堅苦しくなくても良いのですよコンウェイ卿。あなたが心配していることはありませんから」
「公爵夫人……」
王都に名高き賢夫人として知られるフォゼリンガム公爵夫人は元々から学者肌の人物であり、娘の養育に意を用い、美しく聡明な妃/母として、公爵家内のことを取り仕切った。それから年月がたち、さすがに往年の美しさは衰えているが、その瞳は理知を湛え、迸る知性が表情に現れている。対してコンウェイ卿はこの身分、年齢、知的な試みも上の女性に「ありがたく」と答えるしかなかった。誰にも伝えたことのない心の澱みのようなものを一瞬で見抜かれたからこそ、あの発言だったのだろう。こうなっては強情なロイスロッド・コンウェイも白旗をあげるしかない。
「娘も来るでしょうから、もう少しお待ちなさい」
「はっ!」
「ああ、そういえば」と思い出したように、フォゼリンガム公爵夫人が言葉を続けた。
「貴方のコウノトリ、私も利用させてもらっていますよ。この前購入した銀の首飾りは、すばらしい品でした」
「ありがたいことです。今後とも我が商会をご贔屓に」
きらり、とロイスロッドの蒼玉色の瞳が輝いた。それは、商機を狙ったものか、それとも、賢夫人の発言の意図を読み取るためか。
そう、ロイスロッド・コンウェイは子爵でありながら、コウノトリ──子どもや幸運を運んでくる鳥──すなわち鸛商会の統領でもあるのである。領地からもたらされる税と同様に、彼の家産となっているものであった。領地の国庫と子爵の家産とが一致し、自らこれを監査した。政治家としてのロイスロッドは、倦むことのない実務家の面がある。
「幸運を運ぶ商会とはよくいったものです。子爵、あまり睨まれぬように」
「もう遅いのでは?」という内心の言葉をロイスロッドは出さなかった。南方の未開地を開拓しながら、豊かな土地を利用して穀物を産する。より正確に述べるならば、南のポルトー王国との建前上の国境。その間の大森林を切り開いていっている。その開拓のメインとなっているのは自分の商会で、貧しい人々に土地を与え、より税収を増すための策でもあった。そして、豊かな土地があると知れれば、ならず者も寄ってくる。寄りすぎてもいる。
「ええ。箴言、心に留めておきます」
静粛。ぎぃ、とドアが開く音がして、数人の侍従とともに、若い女性が会場へ入ってくる。
美しく光沢を返す、夜会巻きに結い上げた黄金色の髪。それは、あの時ロイスロッドが目を奪われた光と全く変わっていなかった。ヒスイのような煌めきの瞳。あの時は淑やかな美貌と思ったが、光芒を思わせる美しさへと変わっていた。薄紫色のドレスがほっそりとした体を包み、彼女の神秘性に拍車をかけている。若い子爵は蒼玉色の目を目一杯に開いて、公爵令嬢を見つめていた。まるで息をすることを忘れてしまったかのように。
彼が呆けている間に、令嬢は彼ら主人層が待っている中心へ、嫋やかに歩いてくる。
「お父様、お母様。コンウェイ子爵。お待たせいたしました」
令嬢の声に、どこか天上ヘ意識を追いやっていた若き子爵の意識が戻る。同時に、厳めしく勿体付けたような声をフォゼリンガム公爵が演出した。
「うむ。サリナ、おまえも知っているであろうが、今日、縁あってコンウェイ子爵が来ておる。挨拶を」
「はい」
公爵の方向を向いていた令嬢がロイスロッドへ向き直る。その美しさ、まさに珠玉の佳人。
「お噂はかねがね。サリナ・フォゼリンガムでございます。コンウェイ卿、5年前にはお世話になりました。おかげで、日々を幸せに過ごしていますわ」
ゆるく腰を折って礼を取る。ふわりと香った花の香りに、さすがの子爵も顔が緩んだ。
「お元気そうで何よりです。公爵令嬢。以前お見かけしたのですが、声をかけず申し訳ありませんでした」
多分に儀礼的なやりとりだが、そこは貴族らしく、最初の挨拶だけは堅苦しいものであった。実際には、両者ともに言い出しにくい照れのようなものがあって、中々話題は続かなかったのである。だが、その沈黙でも両者の空気は心苦しいものではなかった。それを何とも言えない目で見つめる両親の姿があったのだが。
「コンウェイ卿。普段、執務以外には何をなさっているのですか?」
に娘から見えないところであちゃー、という具合に公爵が額に手を当て、その妻は深くため息をついた。百歩譲って「照れ」が先行してしまったのだとしても、余りに不器用な問いであった。
「商会の仕事をしたり、あとは剣の稽古をしたりしています。貴族らしい剣とは程遠いですが」
ロイスロッドの返答に、周囲の使用人たちが気づかれないように肩を落とした。女が不器用ならば、男もまた不器用であった。なるほど確かに、若い二人は似ているようである。
「やれやれ、前途が思いやられる気もする」
「あれぐらいがちょうど良いのではないですか。しかし、明日の王都、社交の場が荒れるでしょうね」
幾分かの呆れとほほえましさをにじませつつ、公爵夫人が予言する。女の予言は当たる。少なくとも、グレゴリー・フォゼリンガムは、自らの妻の言葉に信を置いている。
「表立って騒ぐやつは……おるかもしれんな」
「子爵は明日の社交会に出て、さっさと自領へ引っ込む気ではないかと思います。2年前も同じことをやっていましたから」
ふぅー、と息を吐いた公爵の目線の先には、笑顔で話す娘と、若い青年貴族がいる。
親の欲目かもしれないが、娘の緑光に輝く目と子爵の綺麗な蒼が並んでいると、似合って見えるのだ。これも親の責務かもしれん、と公爵はさらにひとつ息をついた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。初の試みですので、まだまだだと思います。感想、ご指摘、大歓迎です。