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子爵の動揺。

「な、何を仰っているのか……!」


「わからないかね? お主の妻に私の次女はどうか、といっているのだ」


 ロイスロッドは明らかに狼狽した様子で言葉を続ける。先ほどまでの冷静な立ち振る舞いはどこかに吹き飛んでしまったようだった。それは、彼の目の前にいるフォゼリンガム公に比べ、ロイスロッドの精神的な骨格がまだ成熟していないということであった。もちろんそれはロイスロッド自身の年齢が21と未だに若造と呼ばれる年齢──実際に彼は口さがないものからは「田舎の若造」と陰口を叩かれることもある──であるということも影響していた。


「しかし、私は子爵。公爵家令嬢とは家格が釣り合いますまい。しかも私は実家の伯家からは勘当同然の身です」


 この国において、特に貴族の内部では、家格というものは重要視される。だから、男爵家の令嬢が公爵家に嫁入りすることもなければ、侯爵家の令嬢が男爵家に嫁ぐというのもない。全く一例もない、とは言い切れないが、少なくとも貴族社交界において奇異の目で見られることに変わりはない。


「相変わらずの逃げ道の張りっぷりだの。そういうことではないのだ」


 灰色の髪を撫で付けながら公爵は言う。私が勝手に決めたわけでないのだ、と言外ににじませて。


「と、申しますと」


「私が娘に誰かよいと思うものはおるか、と問うたときにお主の名前が出てきたのだよ」


 わずかに口元が上がっている公爵の表情をロイスロッドが読めたかどうかは定かではない。本人としては、自身を取り込むための政略結婚なのだろうと感情面を抜きにして考えていたから、まさか全く逆方面からのアプローチであったとは考えもしなかったのである。


「た、確かに、以前危急をお救いしたことはございますが……」


 まさか私のことを覚えているとは思っていなかった、という風に本来ならば続くのであろう。上位者を目の前にしたから、その言葉はロイスロッドの喉の辺りで止まり、そのまま飲み込まれていった。


「よほどあれにとって印象深かったのであろうな。王都の外に勝手に出て行ったあげく動物に襲われていたところをピストルとサーベルで助けてくれた爵位もちの貴族。そして自身の身分を申し立ててもちゃんとした取り扱いをしてくれる。しかも当時14の小娘に対して。公爵家令嬢として社交界に出てもいないのに求婚してくるような男どもとは違う風におもうのではないかな」


「……当時は、ご令嬢にはご不快な気分を味合わせていたのではないかと戦々恐々としておりましたが?」


 だんだんとロイスロッドの表情はいたたまれなくなってきていて、微妙に引きつってきてさえいる。


「そんなことがあるならばあれはお主の名前をあげることはないであろうよ」


「それはそうですが……」と微妙な表情になるロイスロッド。人生において向けられる好意よりも悪意の方が身に染みるのだから、仕方がないともいえよう。自分を殴りつけた父親の顔はよく覚えていても、傷に包帯を巻いてくれた使用人(メイド)の顔そのものではなく、自分に向けてくれた笑顔の方が印象に残っているという風に。彼は好意を向けてくれる、ということに対して慣れていないと見えた。


 このタイミングで、執事のエイハブが茶をもう一杯淹れて机に置いた。どこかに控えていて、会話がなくなったタイミングを見計らって出したのだろうか。かくにも執事というものは不思議な人間である。


「それと、おぬしが心配していることについてはこちらで当てがある。あまり気にしなくても構わん。こんな言い方はしたくないが、地方を治める子爵ではどうにもならぬ問題もあるのだ」


「ええ、存じております……」


 一瞬、ほんの一瞬だけ、ロイスロッドの表情が苦虫を噛み潰したがごとき表情をする。フォゼリンガム公爵はそれに気づいたか、それとも気づいていない振りをしているのか、本当に気づいていないのか。少なくとも、その表情からは読み取れない。もちろん、ロイスロッド本人が嫌な表情をしたのはその発言に対してではなく、それほどまでに開く貴族層の腐臭を感じてであった。


「この国は中枢となるべき貴族が長い年月で腐臭を放ち始めている。……お主はそれを見ているだろう。自身がそれを感じているはずだ、違うかね?」


 フォゼリンガム公の声には言い知れぬ凄みがあった。それは宮中の実力者、公爵の位を授かるものの目であり、長年魔宮じみた王宮の中を掻い潜ってきた男の発言である。ロイスロッドには公爵の目が爛々と光るように見え、また、このような危険(・・)な発言をした意図を考えさせる方向にロイスロッドの思考は向っていった。


「…………」


 しかし、ロイスロッドは答えなかった。どちらを答えたとしても目の前にいる壮年の男性には見抜かれているだろうと思ったからである。それは、彼が余計な発言をしないということで、真意をぼやかそうという狙いだったのかもしれない。


「わずかに表情が変わったぞ。それに沈黙……。肯定とみなすぞ」


 公爵はにやりと笑った。その表情は今までの円熟した男性の表情ではなく、王宮で縦横無尽に動いた男の顔だった。


 ロイスロッド・コンウェイ子爵とその領地が、税制の改革、貿易、遠隔地交易、豊富な資金を生かした金融取引で資産を築いていても、王宮で活躍できるとは限らない。それは、ロイスロッドがこれまで行ってきたことが通じない、また異なる世界であった。発言だけでなく、その場の雰囲気、沈黙、表情からもどのような考えであるのか読み取られ、もしくは都合のいいように解釈される世界であったのだ。彼は自分の背中を冷汗が伝っていくのを感じた。自分の不満が、王国の実力者に知られた。この事実がどうなるかぐらいは貴族同士の力関係に詳しかろうが詳しくなかろうが誰にでもわかることだった。

 

 しかし、公爵は表情を和らげ、ロイスロッドに笑いかける。


「今、この問題をどうこうするということはないし、お主が婚約しやすくするための例のようなものだ。少なくとも大多数の阿呆のいうことはまぁ、それはお主の才覚でどうにでもなろうよ。少なくとも、お主は領を立て直し、さらには拡大したのだからな」


「しかし、私の功が認められ、家格があがったとしても、それでもご令嬢との婚約が受け入れられるとは思いませんが……」


 上衣のボタンに触れながら、ロイスロッドは疑問を提示する。本人としては、自分自身が誹謗中傷を受けるのはある意味いつものことであるので、平然としておけばいいのだが、今回の問題はロイスロッドにとって少し異なる様相を見せている。公爵家の令嬢と婚約をしたら、令嬢の方にも何らかのアクションがあるだろうことは想像に難くない。2年前、パーティで見かけたあの淑やかな美貌は、それに耐えられるだろうか。ロイスロッドはそう思って目を伏せた。


「お主が心配しているのは自分のことではなく、あれのことだろう?」


「ええ、失礼を承知で申し上げますと……」


 いや、わかっている、というように公爵は手を横に振った。「あれが心無い言葉に傷つけられぬような器量ではないことは確かだが、かといってそれを苦としてふさぎ込むような性質ではない」と公爵は言葉を続ける。


 鼻筋の通った淑やかな美貌に凛とした姿勢。白と薄紫色のドレスを着て、令嬢が歩いてくる様に見とれていたのは王都の貴族達だけではなく、ロイスロッド本人もその中に含まれていた。美しく月の光に輝く髪を結い上げ、こちらを向いた彼女のわずかな微笑みに魂を抜かれていたのは、男として仕方のないことじゃないだろうか、とロイスロッドは2年前の美しい記憶を反芻する。


「なにせ、目の前でサーベルが振るわれるところを見ているのだ、あれは図太いぞ」


「それは褒めていらっしゃるので……?」


「もちろんだ。お主のおかげで、ただの令嬢(レディ)ではなくなっておるよ。器が広くなったというかな」


 ただの令嬢(レディ)ではない、という言葉を聞いて、ロイスロッドは、彼女が14歳だったときのあの白磁のような色のドレスを振り乱しながら剣を振るっているところを幻視した。彼はいや、ちょっと待て、と自分の想像に大鉈を入れて、草原で微笑んでいるあのときの思い出に無理やり修正した。


「心配せずとも女騎士にはなっておらんよ、そういう性格でもない」


 面白がってそういう公爵に対して、子爵は苦笑を返すのみだった。かなりの時間はなしこんでいた2人が外を見ると、日が西に沈んでいこうかという時間帯であった。両者は午前中は貴族会議に出席し、ロイスロッドは昼食を取ってから屋敷に馬車を付けたから、おおよそ5時間近くは話し込んでいたことになる。少なくとも、この時代の貴族の話題──親しい間柄に限定して──政治の話題が出るということは別におかしいことではなかった。


「もう日が沈む。どうだ、娘ともあっておらんだろう。夕食でも取っていったらどうだ」


 にこやかに笑みを浮かべて告げるフォゼリンガム公に対し、ロイスロッドは頭を下げて承諾の意を示しただけだったのである。


 ロイスロッドとその従者が退室した談話室で、フォゼリンガム公は今しがた退室した若者が捧げ持ってきた葉巻を吸いながら、執事であるエイハブと話していた。


「冷酷、冷静を装うには経験が足りんな。あやつは根本的に人が良いのだ」


「執事の私めにも気安く声をかけているお方です、純朴な部分を隠しきれておりませんな」


 にやにや、にやにや。主従は既にここにはいない若者がよほどに気に入っているのか、そんな話ばかりしている。


「あの男の過去を考えると歪んでもおかしくないのだが、離れに隔離されたのが逆に良かったのか……」


「反作用ではないですかな。私が以前読んだ本にそのようなことが書いてありました。娘に孫のことで相談されたものですから」


 執事であるエイハブがその話をすると、公爵は驚いたように目を見開いた。


「とても良い掘り出し物だの」


「ええ、真に。主の義理の息子としては、良い方ではないでしょうか」


「妻」とは言ったが、もちろんいきなり結婚するわけではない。(婚約の内意を得た)親しい友人→婚約者→妻。そのようなパターンが多い。今回は一番手前の段階に進ませるつもりなのであろう。


 公爵主従は面白くて仕方がない、というように大きく笑い声を響かせていたのである。





ここまでお読みいただきありがとうございます。感想等大歓迎ですので、お気軽にどうぞ。

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