子爵の驚愕。
いつぞや、就職活動に行き詰まっている時に降りてきました。恋愛小説は初挑戦です。
俗に、「春は社交の季節」などと、この国の支配階級の間では言われる。しかし、青年にとっては面倒なことでしかないのだ。幼い頃は魔法が使えないがために落ちこぼれや母の不貞の結果ではないかとなじられた。結果的に「魔力がない」と診断されてからは貴族とは名ばかりの生活をしていた。与えられる食事は家族の食事の余りもの。兄、姉を世話する平民もこちらへ侮蔑するような視線を向けてくる。鬱屈した幼少時代をすごしていた。すごすのは本邸ではなく別邸。本だけはたくさんあったから、その鬱屈した感情は全て学習に向けられた。
青年──ロイスロッド・コンウェイはもともとの実家からも疎まれていたことは間違いなく、早々に養子に出されてしまったのである。それも、病気で死にそうな木っ端子爵の下へ、と。息子を送り込んだことを利用して王国の南部辺境を掌握しようとしたのだろうが、本人がこれ幸いと苗字が変わったことを受けて、宮内卿に働きかけて干渉を撥ね退けた。もちろん、まだ14、5の少年にそんなコネがあったわけではなく、ただ単に貴族同士の力関係をロイスロッドはよく見ていて知っていたから、それを利用したに過ぎなかった。
実家を出る際に大量に馬車に積んできた本、そして口説き落としてついてこさせた数人の学者(経済学者や法学者、工学者など)をうまく使いながらボロボロであった領地を立て直すことに成功した。
もっとも、学者といっても、実家の領内において提唱した説が新しすぎて冷や飯食いになっていた学者や、ロイスロッドの父親に逆らった学者など、いわば疎まれていた同士で軒並み移ってきたのであったといえる。
父をはじめとする家族に疎まれた彼の居場所は屋敷の外れに建っていた資料室やこちらに偏見を持たない学者連中だけだ。貴族なんていうのは結局ろくなものじゃない。彼の心中はそのようなものだった。アレなら毎日を必死に生きている平民や農民の方がよほど彼には輝いて見える。という彼の心内は置いておいて、ここは王都の貴族会議場だった。
「ロイスロッド・コンウェイ子爵!」
侍従の呼びかけに従い、一礼。目の前には公候伯子男と爵位を持つ貴族が集まっている。彼は、本来ならば開拓地の治安悪化(という建前)を理由に断りを入れようと思っていた。少なくとも、小さい領地とはいえ、その経営には責任が伴うものだ。
いくらロイスロッドが中央から遠い領地に住んでいるとはいえ、送られた手紙が王室から(これは定例で毎年届く。特定の理由によっては断ることもできる。本来の王令とはまた別のもの)だけではなく、公爵からの私的な手紙が屋敷に届いていた。定例的な召集とは異なるこのような場合は、爵位が上の人間の要請は断りづらい。文字通り社交界で不利になるからだ。下手したら潰されかねんという意識がロイスロッドにはあった。どちらにせよ、爵位と領地のみの子爵などほとんど意味がない。宮廷貴族ですらないのだから。爵位が低くても、宰相や法務卿などの役職を持てば多少はマシになるものだ。すくなくともこの国では。
春にたった一回の貴族会議で国の全てを決めるという制度が敷かれている。それでも、実際にこの国を動かすのはごく一部だ。国王ですら絶対的とは言えない。
宰相、財務卿、法務卿……。そういった連中たち。そして、権力に阿る貴族達だ。
ロイスロッドも貴族だ。しかし、落ちこぼれと笑われ、『魔無し』とあざ笑われた彼の意見に耳を傾ける貴族などほとんどいない。近領で親しい付き合いをしている一部と、なぜか目をかけてくれたフォゼリンガム公爵ぐらいだろう。
会議そのものはいつもの通りに進んだ。もともと会議の前に決まっていることだ、いちいち議論もしない。国王の意見はことごとく貴族派に覆される。最低限、税の数字などは決まっていることが領民にとって幸せなことだろうか。実情はどうであれ。
数時間の会議が終わり、次々と貴族が退出していく。皆煌びやかな衣装で、伯爵以上はマントを纏っている。ロイスロッドの服装は仕立て自体貴族らしく良いものだが、紺色で統一し、目立たないようにしてある。派手にして絡まれたら面倒くさいだろうという判断からだ。彼は王都の自身の屋敷に戻ると、簡単に身支度を整え、土産品を従者に持たせて馬車を走らせた。
この手紙こそ、ロイスロッド・コンウェイ子爵が会議に出席しなければならなかった理由でもあった。懇意にしている上位者、フォゼリンガム公爵から「会議に併せて屋敷を訪ねてきてほしい」という内容に手紙が届いていたからである。公爵の屋敷は王都の中心部にある。ロイスロッドの屋敷からは馬車で15分ほどのところに、公爵邸らしい大きな屋敷が建てられている。そこがフォゼリンガム邸であった。
「コンウェイ子爵、ロイスロッドだ。フォゼリンガム公爵に面会の予定がある。お通し願えるか」
ロイスロッドは馬車から降りると門衛にそう言って待つ姿勢をとった。本来ならば門衛よりは身分が上なのだが、それは本人の複雑な生い立ちで、身分というものを余り感じさせない雰囲気がある。口調は貴族のそれなのであるが。
「主人より聞いております。お通りください」
元々公爵とは会議が終わった後、準備を済ませ次第に来いというような通達を出されていたので、ロイスロッドはすぐに準備を済ませて大急ぎで出立したのだった。
従者を連れて門をくぐり、広い中庭を抜けると屋敷の扉が見えてくる。そこには、初老の執事がすでにたって彼らを待っていた。
「お待ちしておりました。コンウェイ子爵。ご主人がお待ちです、こちらへ」
「無沙汰だった。元気そうで何よりだな、エイハブ」
「もったいないお言葉」
少し世間話を交えながら屋敷のロビーを抜け、公爵が待つ部屋へと歩く彼ら。このロイスロッドという男は存外に眉をしかめているだけの貴族ではないようである。
彼らが訪ねた部屋には茶を基調とした色の最高級絨毯やソファーが待ち構えていた。色は茶色で会談するに相応しい落ち着いた雰囲気を漂わせている。そこでロイスロッドを待っていたのが、灰色の髪を後ろでまとめ、鼻筋の通った顔立ちに知性を感じさせる青色の目の男性であった。この男性こそ、現フォゼリンガム公、ゴドフリー・フォゼリンガムである。わずかな目線の動きで主の要望を察した執事が「茶を持ってまいります」と静かに退出すると同時にロイスロッドが頭を下げた。
「ロイスロッド・コンウェイ、参りました。少し遅くなってしまったようで、申し訳ありません」
「構わんよ、こちらも時間の指定はしていなかった。とりあえず座りたまえ」
「は、失礼します」とロイスロッドが公爵の対面に体を下ろすと同時に、彼の内意を受けた従者が手土産を差し出した。
「こちら、我が領で取れたタバコ葉を使用した葉巻でございます。お会いするのが二年ぶりになります故」
と、ロイスロッドがすかさず一言添える。再会と交流を感謝しての品だ。市中に出回る小説のごとくの賄賂とは異なる。そもそも、フォゼリンガム公は現在職に就いていない。
コンウェイ家の家紋が押された木箱の中には10本ほどの葉巻が入っていた。公爵に送るに相応しい品らしく最高級品である。
「儲かっているようだなコンウェイ子爵。お主の領の品が最近王都で売られているそうじゃないか」
「ご冗談を」
2人でしばらく「はははははははは」と笑いあう。一見仲が良さそうに見えて悪いようにも見える。しかし、彼らの間には力関係からなる信頼関係ではなく、人間的な情に基づいた信頼関係があった。簡単にいってしまえば、フォゼリンガム公は彼に対して感謝していることがあり、その恩を忘れておらず、コンウェイ子爵はその知遇に対して尊敬をもって答えているのである。
ひとしきり両者が笑ったあと、表情を変えてロイスロッドがフォゼリンガム公にそう尋ねる。少なくとも世間話をしに来たわけではないであろう、という気持ちを言外ににじませて。もちろん、ロイスロッドにとってはフォゼリンガム公が自身と親密にしてくれていることで、その他の余計な貴族の干渉をロイスロッド本人とその領地に及ぼさないだけの影響力を公が無象の形で行使している──そこに公本人の意思が介在しているかしていないかに関わらず──ことで、守られていることも理解していたのだ。
執事が紅茶を運んできた。両者はそれに口をつけて一息つく。
しばらく無言で運ばれてきた飲み物に手をつける時間が流れ、冷めないうちにほとんどを飲んだロイスロッドが口を開く。
「さて、一体何のお話でしょうか」
「お主、結婚はしていないな?」
フォゼリンガム公が口元に笑みを浮かべながら、そう問う。妙ににこやかだ。まるで面白がっているような。それは嘲笑やそれに類する笑いではなく、これから自身が行うことが相手に対してどのような影響を与えるのか、それを面白がる笑い方であった。
「はい」
「お主によい縁談がある」
ロイスロッドは急にそんな話を始めたフォゼリンガム公をあっけにとられるような表情で見ていた。一体何を言っているんだ、とでもいう調子で。
「私の次女だ。どうだ、よい縁談であろう?」
染み付いた慣習のようにロイスロッドは頭を下げ、礼を述べた。
「はっ! ありがたく──はぁ?」
その言葉をロイスロッドが脳内で反芻し理解するのに一瞬の間があった。それを理解した途端にどこか張り詰めた雰囲気が霧散し、子どものようなあどけない表情をみせた。それを見た公爵はやってやったとばかりに大口をあけて哄笑し始めた。一方のロイスロッドといえば、現実を理解できぬとばかりに唖然呆然としていて、いまだこの状況というものを理解していなかったように思える。
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