081 豪雨の前で
ミタテ平野。その真ん中にマシロは立ち、じっと目の前に降り続く雨を見る。
マシロのちょうど5mほど前から先は、まるで線を引いたようにその向こう側だけ雨が降っている。
さらに不自然なのは、降った雨水が一切広がって来ないのだ。マシロの後ろの方の地面は、すぐそばに雨が降り続いているにもかかわらず、乾いている。
・・・やはり、魔法で制御された雨ですね。おそらく雨水は地に落ちた後、術者の元へ戻っているのでしょう。何より、雨粒一つ一つから魔力を感じます。
雨を観察するマシロに、急に雨が近寄ってくる。境界線を移動させ、雨の範囲を広げて、マシロを取り込もうとしてくる。
しかしマシロは何でもないように軽くバックステップして離れる。10mほど雨は追いかけてきたが、そこで諦めたように元の範囲に戻る。するとマシロも追うように歩き、雨と一定の距離を保って観察する。
これを冷や冷やしながら見ているのは、ロクス軍の副官、猫系獣人のリュウイチだ。
「<疾風>殿!危険です!もっと離れてください!」
リュウイチはマシロの数十m後方から叫ぶ。だがマシロは動かない。
「ああ、もう。なんであんな危険なことを・・・」
大事な作戦前に、リュウイチら別動隊の主力であるマシロが危険な真似をしていることに嘆くリュウイチ。彼の後ろにいる彼の部下は対照的に楽観的だ。
「でも副官。彼女まったく捕まりそうにないですよ。」
「ああ。まるで雨の動きを先読みしてるみたいだ。嗅覚式感知が優れているとあんなこともできるのかね?」
「近づけば俺達にもできるかな?」
「やめとけ、やめとけ!ミスって捕まったら即死だぞ!」
彼らが言う通り、マシロがやっていることは誰にでも真似できることではない。雨の動きは決して遅くないのだ。
だが補足するならば、マシロのこの行動は嗅覚式魔力感知による先読みではない。単純に反射神経と空間把握能力が高いだけだ。
マシロが魔力感知で行っているのは、先読みではなく分析である。<雨>との決戦を前に、少しでも情報を得ようとしているのだ。
・・・窃盗団との戦闘では情報不足で危険な目に遭いましたからね。可能な限り事前に情報を得ておくべきでしょう。
そうしてマシロは現場に到着した作戦決行日の前日から、寝ることもなく作戦開始まで、ずっと雨の前に陣取って分析を続けていた。
作戦決行日の10月1日。その明け方。前日からずっと雨を観察し続けたマシロは、もう雨の回避を片手間でできるようになっていた。
余裕ができた思考の領域で、数日前のヴォルフが依頼してきたときのことを思い出す。
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「マスター、私はこの依頼、受けたいと思います。」
そう言ったマシロに、クロは振り返る。そして何も言わず、じっとマシロの目を見てきた。
クロはあまり人と長時間目を合わせない。その目が相手に死の恐怖を想起させるものであることもあるが、もう一つの理由がある。
それはクロの視覚式魔力感知が優れていることに起因する。視覚式魔力感知が優れるクロは、他者と目を合わせ続けると、嗅覚式ほどの精度はないが、相手の感情を読み取れるのだ。
ある程度嘘も見抜けるので、交渉するときなどに便利だが、他者の心を読むというのは、あまり気分のいいものではない。相手が自分を嫌悪していることまで読み取れてしまうからだ。それは覚悟していれば耐えられるものだが、少なからずストレスが溜まる。だからクロはあまりそれを使わないようにしている。
マシロは常に嗅覚式感知で他者の感情を読み取っているが、それはマシロの精神が強靭だからだ。あと、闇の神もよく人の心を読んでいるが、あれは頭がおかしいだけだ。
そのクロが、マシロの目を見つめる。マシロが依頼を受けたいと言った真意を読み取ろうとしているのが、マシロにも伝わる。だからマシロも目をそらさない。
しばらく目を合わせた末、クロが尋ねる。
「なぜ受けたいと思う?」
クロは目を合わせたままだ。
マシロは目をそらさずに答える。
「今の私はマスターに仕えていますが、私の主は今も変わらずハヤトです。ハヤトが守ろうとした祖国を、守りたいと思います。」
その言葉にヴォルフは感銘を受けたようだが、クロは納得していない。クロは依然マシロと目を合わせ、今度は睨むように見ている。
「・・・俺はそういうのは嫌いだ。」
「マスター・・・」
「死んだ奴のために命を懸けるなんて、益がない。・・・どうせなら生きてる奴のために戦え。自分のためでもいい。」
クロの言葉と、その目の威圧感に、マシロは息をのむ。
「もう一度聞く。何のために戦場に出る?命を懸ける?」
・・・ハヤトのため、というのは嘘ではありません。ですが、確かにそれだけではない。
意を決してマシロが口を開く。
「マスター。私は、勝ちたいです。私の生きがいを奪った<雨>を、倒したい。」
マシロの言葉でクロの威圧が緩むが、まだクロは目を合わせている。
「復讐か?」
「・・・わかりません。ただ、戦わなくては、決着をつけなくてはいけないと、感じています。」
また数秒、黙って2人は目を合わせる。やがてクロはフンと鼻を鳴らして目をそらし、ヴォルフに向き直る。
「わかった。依頼を受けよう。ただし、<雨>と戦う別動隊は、真白がメインだ。ムラサキは・・・今回は留守番を頼む。」
「なんでだよ!」
除け者にされるのを嫌うムラサキが声を上げるが、クロはアカネを指差して頼む。
「アカネのお守りを頼む。狩りはできるようになったが、まだ不安だ。」
「むう。じゃあ仕方ないか。」
これにはムラサキも納得せざるを得ない。
「で、俺は真白のサポートに・・・」
そこでマシロがクロの言葉を遮る。
「いいえ。マスターはモスト川のロクス軍を助けてください。」
「お前・・・」
「もし私が勝てなくても、それで<雨>を足止めできている間に渡河できれば、無駄になりません。」
「しかしだな・・・」
「それに、きっとそうしなければロクス司令官は納得しない。そうでしょう?ヴォルフさん。」
そこで話を振られたヴォルフは戸惑うことなく頷く。
「ええ。お2人ともミタテ平野に行ってしまえば、別動隊に戦力が傾きすぎです。ロクス司令官はごねるでしょう。」
「めんどくせえ。」
クロがうんざりした様子で言う。
それからしばらく揉めたが、結局クロはモスト川へ、マシロはミタテ平野で<雨>と戦うことが決まった。
最後にクロが納得しきれないように言う。
「いいか、真白。俺はその司令官の命令よりも、いや、王国全体の何よりも、お前の方が大事なんだからな。忘れるなよ。」
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マシロは雨の前でそれを思い出し、少し笑う。
・・・マスターはいつも恥ずかしがって口に出しませんが、私を本当に大事に思ってくれていますね。口に出して言ってもらえたのは貴重な体験でした。
その後、すぐに表情を引き締める。
・・・しかし、これだけはこの命を懸けてでも決着をつけたいのです。
そして、参戦が決まり、出発する前夜に見た夢を思い出す。
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いつも見る夢。ハヤトが雨の中に立ち、雨の外にいるマシロを心配そうに見ている。
この夢を見始めた頃は、マシロは雨が怖くてハヤトに近づけなかった。だが今回は、マシロは意を決して雨の中に入る。
「ハヤト!」
名前を呼んで、主に手を伸ばす。雨に囚われた主を助けようと。
しかし雨が体にまとわりついて、マシロの体を重くする。さらに、雨の中を進めば進むほど、いつの間にか足元は川になり、川は深くなっている。ハヤトも川の中だ。
速い川の流れに翻弄されそうになりながら、それでもマシロは主に向かって進む。だが、一向に距離は縮まらない。
・・・なぜ届かない!?なぜ助け出せない!なぜ救えない!
そしてマシロは立ち止まり、忌々しい雨を見上げる。
雨粒の一つがマシロの目に落ち、反射的にマシロが目を閉じた瞬間、夢から覚めた。
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・・・<雨>を倒さない限り、あの夢を見続けるのでしょう。<雨>を倒さない限り、ハヤトは救われない。私も前に進めない。だから、これは譲れません。
日が昇り始めた平原で、マシロは覚悟を決める。作戦開始の時刻が迫っていた。




