061 赤い狐
アイビス山脈南部。海がほど近いこの地には大きな活火山がある。数年に一度噴火を繰り返してはその溶岩は南の海に流れ、少しずつ陸地を広げている。これほど頻繁に噴火するのも魔力濃度の偏りが原因なのだが、その頻繁な噴火のせいで、アイビス火山の南側にはまともに草木が生えない。
しかしその地を好んで暮らす獣もいた。生育が早い雑草さえ食べていられれば生きられる草食獣、それを糧とする肉食獣。こんな過酷な地でもきちんと自然の”輪”は廻っている。
しかしそんな過酷な地に生きる獣たちでも近寄らない地がある。より火山に近い、魔力濃度が高い場所だ。その魔力濃度の濃さから、熱や火に適応し、異常に成長した魔木が生い茂っている。この魔木は溶岩流にすら耐え、ここに長年生え続けている。この魔木の林が数年に一度の噴火で襲い来る溶岩流の流速を抑える役割を果たし、下流の獣たちを守っている。
すなわち、この林以北は噴火時に高速で流れる溶岩流に飲まれることになるため、獣は棲まない。ただし、例外はいる。
フレイムフォックス。炎適性が高い、赤茶色の毛並みの狐だ。炎魔法による攻撃もできるが、基本的に威嚇用で、狩りの方法は普通の狐と変わらない。
防溶岩林内の北部に住み、狩りの時だけ南に出ていく。知能が高く、噴火の際には魔木の上に登ってやり過ごす。炎適性が高いゆえに使える高性能の耐熱結界魔法があるからこその方法だ。他の獣同様、逃げることも可能だが、逃げた先で天敵と遭遇したりする危険を考えれば、留まった方がいい。
それに同族との縄張り争いを考慮すれば、なおさら離れられない。この林には数多くのフレイムフォックスが棲息している。縄張りを失えば餌を確保できなくなり、飢え死にする未来が待っている。
そんな防溶岩林で、一際大きな縄張りを持つフレイムフォックスがいた。いや、彼女をフレイムフォックスと呼んでいいかはもうわからない。
真っ赤な真紅の毛並みに、4m近い巨体。さらに9本の尻尾が生えていた。そしてその巨体にもかかわらずその走りは他のフレイムフォックスを遥かに凌駕し、獲物の奪い合いになっても縄張り争いでも圧倒的に勝てる。もはやこの地の女王と呼ぶべき実力となっていた。
防溶岩林の奥のねぐらで彼女はその場に座って体を休める。もはや天敵すらいない。炎魔法の調節にも慣れ、狩りも苦労しない。生きるのに必死だった以前と違って、彼女には過去に思いを巡らせる余裕ができていた。
・・・感謝すべきかもな、あの神に。これほど豊かな暮らしを与えてくれたのだから。
彼女は思い出す。今年の夏の終わり頃のことだ。まだ普通のフレイムフォックスだった彼女のもとに火の神が現れた。現れたと言っても目に映るのは燃え盛る炎だけ。声はどこからともなく聞こえてくる。だが彼女にはなんとなくそれがこの世の炎を統べるものであることは感じ取れた。
「力が欲しいか?」
彼女は迷いなく頷く。
「よかろう。今日からお前は神獣だ。」
その後のことはよく覚えていない。体中と頭に痛みを覚え、気を失った。気がついたときには今の姿になっていた。
目を覚まし、己の姿に戸惑う彼女に、さらに火の神が語り掛ける。
「どうだ。自分の内に大きな魔力を感じるだろう?お前は生まれ変わったのだ。」
彼女は己の魔力を意識する。確かに今までとは比べ物にならない魔力量を感じる。これならただの威嚇用のショボい炎ではない、天敵を撃退する強力な炎攻撃もできそうだ。さらに体中に力が溢れる。今なら誰よりも速く走れる。高く跳べる。そんな気がした。
それを見ていた火の神は満足そうに笑い、高慢な態度はそのままに頼みごとをする。
「実は頼みがある。その力を持って我が敵を打ち滅ぼしてほしいのだ。その敵とは、闇の神子、クロだ。」
火の神の言葉と共に、クロという魔族の情報が頭に流れ込んでくる。これはヒトが神託と呼んで崇拝しているものなのだが、彼女にとっては不自然に頭に情報が入って来て気分が悪い。
「奴は金属を操る強敵だ。いずれ世界を滅ぼす害悪となろう。始末を頼むぞ。」
そう言って炎は揺らめいて消え去り、火の神は帰って行った。
残された彼女は首を傾げる。
・・・なぜ、そんな危険な相手と戦わなければならない?私には関係ない。
彼女は神からの指令にもクロにも興味を示さず、ねぐらに帰って行った。
そして今は晩秋。もう月の満ち欠けが半周か一周かすれば、雪が降り始めるだろう。そうすればいかに彼女の力が優れていても、獲物自体が減るためにエサは乏しくなるだろう。今のうちに狩れるだけ狩っておかなければ。
そう思って立ち上がろうとした彼女のもとに小さな獣が5匹、走り寄って来た。赤茶色の毛のフレイムフォックスの子供だ。3匹は彼女の周囲を走り回り、2匹は腹の下に潜り込もうとする。
・・・やれやれ、もう乳離れは済んでいるだろうに。甘えたがりなのだから。
5匹は彼女の子供だ。そう、彼女が迷いなく力を欲したのは、この子供たちを守る力が欲しかったからだ。どこかの見知らぬ神子を殺すためではない。
彼女は立ち上がって歩き出す。5匹の子狐はその後をついて行く。母の狩りを見て学び、いつか自分の力で生きていくためだ。
・・・神に感謝はしよう。だから例の頼みを聞いてもいい。だが今はこの子たちが最優先だ。この子たちが巣立ったら、その時は例の神子を倒しに行ってもいいかもしれないな。
彼女はそう思って狩りに出かける。だが、彼女とクロの対峙は、彼女の予想よりずっと早く起きることになる。
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晩秋のアイビス山脈南部。林の中を進む4人の獣人がいた。虎系が2人と猫系が2人の全員男だ。
虎系獣人の比較的背が低い方が隣の虎系獣人に愚痴を言う。
「なーんでわざわざこんな遠くまで狩りに来なきゃいけないんだよ。なあ、兄貴。」
「仕方ないだろ。今までの狩場は<赤鉄>の領地になっちまったんだ。それでも依頼主がアイビスの魔獣の毛皮が欲しいって言うんだから仕方ない。」
「だったら、こんな南まで来ることないだろ。<赤鉄>の領地のちょっと外でやれば・・・」
「知るかよ。依頼主がこっちで狩れっていうんだから。」
傭兵ギルドの依頼の中には、こっそりとアイビス山脈の森での狩りの依頼が混ざっている。依頼内容をよく読まなければ、それがアイビスでの狩りを指定していると気づけないようになっている。そしてそれを受注し、依頼主に会うと、こっそりと魔獣の毛皮や角も依頼される。普通に依頼書通りに食肉用の獣だけ狩って来ると、危険のわりに他の森で狩ったのと同じ程度の報酬になり、旨味がないが、そういった魔獣の毛皮などを持ち帰れば、依頼主が別途買い上げるため、かなり高額な報酬になる。この話は狩人の中では静かに広まっている話で、腕に覚えがある者は時々この依頼で稼いでいた。
ちなみになぜこっそりと行われるのかというと、王国がアイビスでの狩りを控えるように通達しているからだ。前例こそないが、危険な魔獣が棲む森で狩りを行うと、生態系のバランスが崩れ、強力な魔獣が餌を求めて野に出てくる恐れがある。そのためにアイビスでの狩りは自粛するように言われている。しかし、前例がないために法律にはなっておらず、見つかっても警告だけで罰はない。結局、戦争での食料物資確保の名目で依頼は通り、その陰で高額な魔獣の毛皮などが取引されていた。
結果として、クロが住む森では、狩りやすい草食獣が減り、飢えた獣や魔獣が争う殺伐とした状態になっているのだが、そんなことは王都の市民は気づかない。
虎兄弟の話に、前を歩く猫系獣人の1人、ケヤキが混ざる。
「俺は聞いたぜ。<赤鉄>の奴、散歩と称して領地外の森まで歩き回るらしい。聞いた話じゃもっと領地を広げたいらしいから、その下見だろうってさ。」
「げっ、マジかよ。」
「なるほど。あまり領地に近いと<赤鉄>と遭遇する危険があるわけか。」
「そういうこと。だからこんな遠くに派遣したんだろーさ。」
<赤鉄>は一般市民に危害を加えたことはないし、むしろ窃盗団の討伐で王国に貢献している。しかし不気味な噂が耐えず、触らぬ神に祟りなしとでも言うかのように、皆<赤鉄>を敬遠していた。ついでにその相方である<疾風>も。クロが散歩の途中で襲い掛かって来た飢えた獣を狩っているおかげで適度に間引きされ、アイビスの森から飢えた獣が溢れ出ずに済んでいることなど、誰も知らない。
また、この虎兄弟クエイグとルンドは過去にレストランでクロと話しているのだが、あれが噂の<赤鉄>だとは思っていなかった。
3人がのんびりそんな話をしている間にも周囲を警戒していたもう1人の猫系獣人ヒイラギが急に立ち止まる。
「止まれ。何かいる。」
ヒイラギの言葉に3人の弛緩した空気は吹き飛び、それぞれ警戒態勢に入る。
問題なのは、彼が「何か来る」ではなく「何かいる」と言ったことだ。それはつまり、すでに接近されていたことを示している。4人とも接近されたことに気がつかなかったのだ。
猫系2人とルンドは弓矢を構え、クエイグは槍を構える。4人で魔力探知を行うが、周囲が魔木だらけで把握しづらい。
「ヒイラギ、どっちだ?」
「正面、だと思うんだが・・・すまん、はっきりしない。」
「・・・あ、俺も感知できたぜ。でも妙だな。」
「ああ、違和感がある。」
確かに正面方向に明らかに魔木より濃い魔力の塊がある。魔木の陰に隠れて把握しづらいが、確かにいる。だが、どうにも違和感がある。
「近い、んだよな?」
「だと思ったんだが・・・」
「いや、おかしい。なら目で見えてていい距離だろ!」
4人の魔力感知では100mくらいの距離にいるように感じられていたが、この林は気がまばらなうえ、雑草は背が低いものばかり。そんな場所ならもう目視で来ておかしくないのだ。
ここでようやくクエイグだけが危険に気がつく。この敵は近くにいるのではない。そう錯覚してしまうほど、魔力量が膨大で、サイズも大きいのだ、と。
そしてクエイグに気づかれたことを察したのか、それはこちらに近づき始めた。
「逃げるぞ!」
「え?」
クエイグは逃走を訴えるが、状況が理解できていない3人はすぐには動かない。そんな一瞬のうちに、それは彼らの視界にまで到達した。
真っ赤な瞳に真紅の体毛。巨体の後ろには9本もの尾が揺れる。そして対峙した瞬間に感じる圧倒的な魔力量。4人はあまりの絶望的状況に一瞬凍りつき、そして思い出した。この魔力量は、先日見たあの火の神子たる国王のものに近い、と。
もう逃げられる状況ではない。ここまで接近して来た速度からして、まず逃げ切れない。唯一助かる方法は、この魔獣が気まぐれに自分達を見逃してくれることだ。
どうすれば見逃してもらえるか、襲い掛かって来たらどう抵抗すべきか、そんなことを虎兄弟は考えていた。猫系の2人もそう考えていると思った。だが、ヒイラギが急に半笑いで喋りだす。
「綺麗な、毛皮だ。・・・高く、売れるぞ・・・!」
彼はそう言うと、弓に矢をつがえ、引き絞る。慌てたのは他の3人だ。一番近くにいたケヤキが今にも射ようとするヒイラギに掴みかかって止める。
「おい!やめろ!刺激するな!死ぬぞ!」
「うるさい!離せ!俺には金が必要なんだ!」
弓矢を構えたまま暴れる2人に魔獣の視線が向く。2人から少し離れた位置にいた虎兄弟は2人に警告を発する。
「おい、危ねえぞ!」
クエイグの警告と同時に魔獣の口が開き、魔力が収束。1秒もかからずに炎の球が出来上がり、発射された。
その火球の速度は速く、それに気づいたヒイラギ達は回避もままならなかった。しかし火球は逸れ、隣の魔木にぶつかって爆発する。
「くっ!」
「うわっ!」
爆風でヒイラギ達がバランスを崩して倒れる。火球は魔木の表面の樹皮を焼き、大きく抉っていた。溶岩流に耐える頑丈な魔木に、だ。
次弾を警戒して動けない虎兄弟。今の一撃に腰を抜かしたケヤキ。そして、ヒイラギは止めにかかっていたケヤキが動けないことをいいことに、また弓矢を構えた。矢に風魔法を使い、威力を上げる。
「ど、どんなバケモンだって、俺の弓なら、急所を貫けば・・・!」
矢の先に集まる魔力を見て、魔獣は殺気を込めて弓矢を構えるヒイラギを睨む。ヒイラギは一瞬怯むが、そこはそこそこの経験を積んだ狩人。覚悟を決めてとっておきの一撃を放つ。
「くらえ!『ウィンドブースターショット』!」
彼が放った矢は、風魔法で加速、さらに軌道を調整され、寸分違わず魔獣の喉元を目指す。だがヒイラギがそれを放つのと同時に魔獣もまた口を開いて次の攻撃を放っていた。
先程の火球とは比べ物にならない魔力の集中。横で見ている3人が警告する暇もなく、それは発射された。
この世界生まれの彼らはそんな表現は知らないだろうが、それはまさしくビームだった。もはや炎とは呼べない高温の流れが光と見紛う速さで魔獣の口から放射され、飛来する矢を一瞬で蒸発させた。そしてその先にいた獣人の体もまた、その流れに飲み込まれた。その後ろに生えていた魔木も。
数秒の沈黙の後、余りの光景に我を失っていた3人は、木々が倒れた轟音で我に返った。目の前に残っていたのは、膝下だけが残ったヒイラギの遺体と、こちらを睨む巨大な魔獣だけだった。
「し、神獣・・・」
ルンドが呟く。他の2人も言葉には出さないが同じ思いだった。
神獣の定義は、神に魔力を与えられ、強制的に進化した魔獣のことだが、それを現世のヒトに確かめる術はない。どこかの神子に神託でもなければ。
だが、神獣の性質と纏う雰囲気でなんとなく察せられるのだ。人智を超えた魔力量や魔法制御力、神々しい外見。今、3人の目の前にいる真紅の狐も、その条件に合致していた。なんとなく先日見た火の神子と重なったのもある。
3人は神獣の睨みに射すくめられ、動けなかったが、クエイグが状況を打開した。
クエイグは神獣を刺激しないようにゆっくりと動き、槍を地面に置いた。そして両手を上げる。敵意がないことを示したのだ。ルンドとケヤキも慌ててそれに倣う。
神獣はしばらく3人を睨んでいたが、やがて向きを変えて去って行った。去り際に「グルゥ」と一言だけ吠えて。3人にはそれが「去れ」と言ったように感じられた。




