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選べるなら、人間以外で  作者: 黒烏
第8章 黒
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372 世界のバランス

 戦場に黒い大樹が現れた時、イネインはようやく自身の異常に気付いた。

 この瞬間まで、覚醒した万能感で隠れていた異常。己の身体のどこか、手足や頭などの肉体以外の、しかしとても重要な部位に、何かが触れている感覚。その感覚が微弱であったため、気がつかなかった。

 今まで「その部位」に干渉されたことがなかったため、それが何なのか、すぐには理解できない。だが、まるで内臓に直接触れられているかのような怖気があった。


 それを理解するよりも早く、地中から飛び出した黒い根がイネインを包む。


「む!?」

「おや、これは。」


 根は瞬時にイネインの全身を拘束。それを確認したマリスは攻撃の手を止めた。

 イネインは力づくで拘束を解こうとするが、根はびくともしない。決して太い根ではないのに、堅さと柔軟さを併せ持つその根はイネインの力でも切ることはできなかった。


 ふと気がつくと、大樹の根元に1人の女が立っていた。

 長身、白髪、獣人の姿。今まさに糸で編まれている服は、メイド服に見えた。

 彼女が歩き出すと、足の裏が糸で地面とつながっている。それがプチプチと軽快な音を立てて千切れ、足が地面を離れた。

 そうして1歩ずつゆっくりとイネインに近づく。

 その途中で、何気なく呟いた。


「『緩急自在』、魔法回復力を最大に変更。」


 その一言のすぐ後、イネインは感じていた異常の原因を理解した。


 ・・・魔力が、吸われている!?まさか、「龍脈」が!?


 イネインが感じていたのは、「龍脈」への干渉。黒い根がイネインの「龍脈」にヤドリギのように絡みつき、魔力を吸い上げているのだ。

 同時に、イネインの肉体からも魔力を吸収している。当然、こんな状態ではイネインは魔法を使えない。


 もがくイネインに、白い女が歩み寄る。


「これは、私が木の神よりいただいた『緩急自在』の効果です。自身の肉体機能や魔法能力を自由に制御できます。神獣化によって向上した私の能力を『緩急自在』で抑えていましたが、今、魔法回復力だけを最大に戻しました。」

「これは・・・!」


 イネインが言おうとすることを先読みして、告げる。


「はい、マスターの「闇」と同じものです。高すぎる魔法能力は、こうして制御機構をつけなければ、危険であることが判明しましたから。」


 そして、戦場に似つかわしくない優雅な動きで、一礼する。


「申し遅れました。木の神獣に任命されました、マシロと言います。木の神よりの指令で、闇神竜を討伐に来ました。」


ーーーーーーーーーーーー


「木の・・・!」

「あらあら。」


 拘束がきつく、満足に喋れないイネインを差し置いて、マリスがマシロに声をかける。


「木の神様とはずっとお話ししていないのです。お変わりありませんか?」

「私は以前の木の神を知りませんので、それはわかりません。しかし、前、木の神子である貴女に「ご苦労様でした」と言伝を預かっています。」

「あら。ふふふ・・・あの方のことです。他意はないのでしょう。ええ、素直に受け取っておきます。」


 他意はない、というマリスの解釈に、マシロは内心首を傾げた。

 マシロの印象では、木の神は発言のそこかしこに含みが感じられた。鼻が利かなかったので確証はないが。

 マシロが勘違いしただけで、本当に含みも何もなかったのか。それとも、言葉の裏の意味までマリスは当たり前に受け取っており、それ以外の意図はない、という意味の「他意はない」なのか。

 それを確認したい衝動にかられたが、時間がないと判断して、そこには言及しないことにした。


 マシロはさらに歩を進め、クロの前に立つ。


「遅くなりました、マスター。」

「・・・お前は、本当に、足が速いな。ここまで駆け付けるとは。」

「足で来たわけではありませんが。」


 マシロは、クロの家から『大樹』の根を伸ばして来た。そういう意味では、確かに足で走って来たわけではない。

 ただ、何千kmも離れた西大陸から、北大陸の北端のここまで半日で来たのだから、その速度が尋常でないことは確かだ。


 ただし、正確に言えば、それは移動速度ではなく、根の成長速度である。

 マシロは神獣化に際して与えられた大量の魔力を元手に、戦場に転がる無数の死体を吸収し、それを材料にしてここまで根を伸ばして来た。

 根を伸ばす際に辿ったのはイネインの「龍脈」だが、クロが侵攻したルートをなぞったと言っても間違いではない。


「にしても、神獣とは、面白いことになったな。」

「はい。何でも、調停者、というものに任命されたようです。ほぼ不死の力を与える代償に、この世界の維持に尽力せよ、と。」

「・・・そうか。」


 膝をついていたクロが、ややふらつきながら立ち上がる。


「じゃあ、後は任せてもいいな。」


 その「後」に込められた意味を、マシロは正確に感じ取る。

 クロを引き留めたい衝動はある。だが、理性がそれを止める。ここで引き留めても、クロの延命は不可能だ。神獣となり、さらに鋭敏になった感覚が、それを理解させていた。

 であれば、クロが最後に自分の役目だと決めたことを全うさせるべき。


「・・・お任せください。最後の一太刀、憂いなく。」

「礼を言う。ここまで駆け付けてくれたことも、お膳立てしてくれたことも、な。」


 クロはゆっくりと歩いて行く。静かに、詠唱を開始しつつ、「鳥頸」に魔力をそそぎながら。

 それを見送るマシロの足元には、ムラサキ。


「おい、あいつ、やっぱ・・・」

「ええ。マスターは、あの一太刀で力尽きるでしょう。・・・あなたは何か伝えておくことはないのですか?」

「・・・ねえな。前に別れた時に、言うべきことは言ったし、言うべきでないことは最後までオレは言わねえ。そんだけだ。」

「そうですか。」


ーーーーーーーーーーーー


 この短時間のうちに、無限とも言えるほどあったはずのイネインの魔力は、ほとんどマシロに吸収されていた。


「くっ・・・ここで、終わるわけには・・・」

「いいえ、そろそろ年貢の納め時です。」


 もがくイネインにマリスが一歩近づく。


「があっ!」


 最後のあがき。イネインが体内を操作し、強引に口からもう1本の腕を捻り出す。然程適性の無い木属性の肉体改造魔法。それでも、もはやこれしか使える手がなかった。

 しかし、そこに銃弾が飛び込み、その腕を破壊する。


 撃ったのは当然、リンゾウだ。


「あら、お手伝いありがとう。」

「最後の1発だ。」


 リンゾウがもう弾がないことを示すように手の平を見せた。

 次いで、マリスが右腕を高速で差し出す。ここまで掌底のみで攻撃していたマリスの、初めての殺傷能力が高い攻撃。

 音速の貫手がイネインの胸部を貫く。竜鱗をものともせず、マリスの右手がイネインの心臓を潰した。


「ごほっ!?」

「ふう。私もこれで最後ですね。」


 マリスは突き刺さった右腕を抜かず、肘の辺りで折った。右腕はイネインに刺さったまま残り、再生を物理的に阻害。

 失った土の右腕が再生する様子はない。本当に魔力切れだった。


 そして、マリスは一歩引き、後ろから歩いて来たクロに道を譲る。


 そこでようやくクロを視認したイネインが、驚愕し、目を見開く。

 クロが右手に携えた「鳥頸」からは、凝縮された魔力が迸っていた。

 現行の魔法ではありえない密度。八神によって封じられた大魔法を彷彿とさせる。それを一個人で行使している。

 魔法を詳しく知るからこそ、クロの切り札の異常性が理解できた。

 その危険性も。それを受ければ、マシロに魔力を吸い尽くされる前に、一撃で自身が消滅することも。


「ま、待て・・・待て!貴様、このままでいいのか!?この星に未来があると思うのか!?」

「・・・我が矛がもたらすのはただ死穢しえと破壊のみ。あえて名付けるならば、『死穢沼矛しえのぬまほこ』・・・」


 完成した『矛』は、持ち主に振るわれる瞬間を待つ。イネインにしてみれば、落とされる寸前のギロチンのようなものだ。


「この星のバランスはもはや壊れている!増えすぎた人類に、この星は食い潰される!新天地が必要なのだ!貴様にもわかっているだろう!」


 イネインの言う通り、この世界は、過去の大戦でほとんどの大陸が沈み、残ったのは1つの大陸だけ。

 それに対して、世界人口は10億以上。限られた資源に対して、ヒトが多すぎる。現に、貧困の問題は各所で深刻になっている。戦時下であるため、表面化していないだけだ。実際、町から溢れた浮浪者や盗賊が数多くいる。異世界から効率的な社会システムを輸入しているにもかかわらず。

 その問題を解決するためには、新たな土地、そして資源が必要。イネインの、神竜達の移住計画の目的は、つまるところそういうことだった。


「そのために、この星の生物をまるごと犠牲にするのは、リスクが高すぎる。」

「可能な限り連れて行く!向こうで再構築すれば問題はない!」

「失敗すれば全滅だ。お前の計画は性急に過ぎる。」

「リスクも犠牲もなく、世界が救えるものか!」

「そうだな。だが、もっと犠牲が少ない方法がある。・・・だから、ここまで可能な限り、ヒトを減らして来たんじゃねえか。」


 少し離れて聞いていたムラサキが、目を見開く。


「あいつ、まさか・・・」

「ええ、そうです。」


 マシロがムラサキに告げる。クロの姿から視線を逸らさないまま。


「私がここに来るまでに吸収した死体の数から、今回の戦争での死者を推定すると・・・1億を超えます。」

「いちおく!?」

「その大半が、マスターの手によるものです。・・・あの鉱山都市を含めて。」

「・・・その目的が、まさか。」

「言ってしまえば、間引き、です。ちょうど、私達が魔獣の森でやっていたような。」


 クロ達は、領地とした魔獣の森で、増えすぎた獣を適度に狩っていた。そうして間引くことで、生態系のバランスを保っていた。

 クロはそれを、ヒトでやっただけ。


 今度はマリスが口を開く。


「ああ、貴方はそれをやっていたのですか。・・・私はもっと穏やかな方法で減らしたかったのですがね。」

「あんたが広めていた教義は、あとで聞いたよ。悪くはなかったと思う。」


 マリスはノースウェル教で広めていた教え。それに従った信徒は、一定以上老いた者、働けなくなった者は、自ら死を受け入れていた。

 他者を助けることに重きを置いた教義において、役に立てなくなった者は、死によって他者を助ける。

 その結果、ノースウェルは貧困とは無縁の社会が成り立っていた。


「だが、あれを全世界に広めるってのは無理がある。なにせ、「人間」だからな。」

「・・・私は、ヒトは変われる、と期待したのですけれど。」


 マリスに声をかけ終えて、クロはイネインに視線を戻す。そして、「鳥頸」を振り上げた。


「ま、待て、まだ・・・」


 言葉を重ねようとするイネインを無視して、クロは言う。


「・・・ヒトは変われる。そうだな。だが、そんなすぐには、変われない。」


 一閃。イネインの身体を、光が縦に裂いた。

 炸裂までの刹那。マリスが最後に。


「そうですね。私達が見届けることは敵いませんが、いつかは。」


 直後、イネインを中心に爆発が起こる。3神竜を滅ぼしたものに比べれば、かなり小規模だが、魔力のほとんどを失ったイネインを葬るには十分だった。

 その爆風でマリスは吹き飛んだ。元の土くれに戻り、崩れ去る。その顔は最後まで微笑んでいた。


 クロもまた爆風で後方に飛ばされるが、すぐに受け止められた。

 木の根で体を固定したマシロが受け止めたのだ。ムラサキ、リンゾウ、気絶していたマサキ、スー、テツヤもその根で保護していた。


「お疲れ様でした、マスター。」


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