040 クロを探して十里だけ
王都の飲食店街。夜には居酒屋を中心に賑わい、多くの獣人が行き交う。時刻は23時を回ったところ。宴もたけなわ、解散して帰って行く者もいれば、千鳥足になりながらも次の店に向かう酔っ払いもいる。
マシロはそんな居酒屋の一軒から出て来たところだ。それに続いて同僚である、いや同僚だった王城のメイド達が出てくる。もちろん皆私服だ。今まさにマシロの送別会を終え、店を出たところなのだ。最後に会計を済ませたメイド長が出てくる。
「3時間コースだったのに随分長くなってしまいましたね。」
「それだけ盛り上がったってことさ。いいことだよ。」
申し訳なさそうに言うメイド長に、恰幅の良いマリーが笑って返す。
「そうそう!マシロさん無表情だから最初は楽しくないのかと思ったけど・・・」
「いえ、楽しませていただきました。すみません。表情を動かすのが苦手でして。」
実際、マシロの表情があまり動かないのは、人の体に慣れていないのが大きい。犬と人では感情の表し方が全く違う。マシロはまだまだ感情をそのまま表情で表すことができなかった。
しかし、マシロ自身は気づいていないが、マシロがそう思っているだけで、マシロが意識しなければ表情は自然と変わっている。現に過去何度か表情がちゃんと変わるのをクロが目撃している。無意識には表情が動いているのに、マシロが顔を動かそうと意識するとぎこちなくなってしまっているに過ぎない。
「じゃあ、二次会にいきますか~。」
「「おおー!」」
若手の一人が手を挙げると、他の若手もついて行く。
しかしメイド長とマシロ、そしてマリーをはじめとしたベテラン達はそれを見送る態勢だ。
「アタシは帰るよ。旦那に飯は置いて来たけど、あんまり帰りが遅くなると心配させちまう。」
「私も同様です。」
「私もマスターを待たせていますので。」
帰宅組はだいたい同じ理由のようだ。若手が残念そうにするが、その中の一人がハッとしてマシロに近づく。
「ねえ、マシロさん。その、マスターさんってこんな時間まで待ってるの?寝ないで?」
「ええ。きっと待っています。マスターは心配性ですから。」
それを聞いた他の若手達もマシロに寄ってくる。
「ところで、マシロさん。さっきの待たせてるってセリフ、マスターのところを主人に変えて言ってみて?」
「・・・主人を待たせていますので。」
「きゃー!まるで若奥様ね!」
「いや、これは新婚じゃなく何年か経ってるレベルだわ。」
「マスターとは夫婦ではないと、先程も説明しましたが・・・」
「雰囲気よ、雰囲気!」
マシロは飲み会中もこのネタで散々いじられた。悪意がないのはわかっていたので怒る事も無く普通に返答していたが、それでも同僚たちは面白かったようだ。マシロにとっては、同僚たちが楽しめるのならそれでよかった。
また話し込みそうな若手達に、マリーがパンパンと手を叩いて遮る。
「ほらほら、あんたたち。続きは二次会でしなさい。」
「え~。でも今日で最後だし。話し足りないです。」
「確かに王都を離れますが、来られなくなるわけではありません。またいずれ、飲みましょう。」
心底残念そうにする同僚たちに、マシロが告げる。
魔族だと知られれば、大手を振って歩くのは難しくなるが、こっそり入ることは可能だ。何らかの手段で連絡を取れれば、日時と場所を決めて合流すればいい。連絡は最悪、ヴォルフに頼める。ヴォルフはクロ達が独立後も使者としてクロを訪ねると言っていた。
「本当!?絶対だよ!」
「ええ。約束です。」
・・・私を魔族と知っても、親しくしてくれるならば。
その言葉は言わずに飲み込んだ。
そうして解散した帰り道。マシロはゆっくりと王城へ向かって歩いていた。酔い覚まし、というよりは余韻に浸っている感じだ。
・・・ハヤトが酒を飲んで酔っているときは、わざわざ運動能力を落として何をやっているのかと思いましたが、なるほどこの気分は悪くないものですね。
魔族の体は毒と認識した物は即座に排出または分解できる。しかしアルコールは曖昧で、気持ちよく感じているうちは分解されず、不快に感じたりして酔いを醒ましたいと思えば分解が進む。今のマシロはその酔いを楽しみ、浸っていた。
しばらく歩いて城壁に辿り着くと、周囲を確認して人がいないタイミングを見計らい、飛び越える。魔族の体は酔っていても運動能力が落ちたりはしない。
城壁を越えたら中庭に向かい、そこから建物に入る。
・・・そういえばマスターはどうしているだろうか。今日は業者と共に引っ越し作業をしたはず。人嫌いのマスターが1日人に独りで囲まれて、そんな状態で働いて、トラブルは起きなかっただろうか?間違いなくストレスは溜まっているだろう。人にも物にも当たれない方だ。きっとストレスを溜めたままだろう。いつもは私のと鍛錬で思いっきり体を動かすことで多少発散しているが、今日はそれもなかったかもしれない。ずっと私を待っていたら、それもあり得る。いや、今日は遅くなると伝えたはずだから、一人でやっているかも。いや、しかし・・・
そんなことを思いながら、部屋へ向かうと、近づいた瞬間、違和感に気がつく。クロの魔力が感じられない。
慌てて部屋に入ると、やはりクロはおらず、ムラサキがベッドで寝ているだけだ。
マシロは一気に酔いが醒め、一足飛びに近づいてムラサキを持ち上げる。
「起きなさい!ムラサキ!マスターはどうしたのです!?」
こんな時間まで戻らないとは、何かあったのか。部屋を見ればクロの武装は一つもなく、まだ帰っていないのは明らかだ。
寝ぼけ眼をこすりつつ、ムラサキが起きる。
「んあ?マシロ?もうこんな時間かよ。あれ、クロは?」
「こちらが聞きたいです。」
「クロが来たら起きるつもりだったんだが・・・まだ帰ってねえのか?」
「能天気なことを。探しに行きますよ!」
マシロはムラサキを放り投げ、「黒剣」を素早く装備して部屋を出ようとする。
「おい、待てって。落ち着け。」
「落ち着いていられますか。これが。」
クロが行ったのはアイビスの森だ。魔獣が蔓延る危険地帯。運が悪ければ、格上の魔獣と遭遇し、あっさり死ぬこともあり得る。一度そこの厳しさを経験したマシロは、そこで危険な目に逢っているかもしれないクロを思えば、いてもたってもいられなかった。
しかしそれを止めるのはムラサキだけではなかった。
「いいえ、落ち着いてください。」
部屋の入口にいたのはヴォルフだった。
「クロ殿より言伝です。事情で帰れなくなった。危険な目に逢っているわけではない。心配しなくていい。とのことです。どうやら家に巣くった魔獣と一悶着あったそうで、その事後処理で帰れなくなったようです。ああ、もちろん、家の権利は勝ち取ったようですよ。」
「なんだ、そうか。ほれ、マシロ、心配ねえってよ。」
それを聞いてムラサキは安心するが、マシロは全く安心できない。
「情報ありがとうございます。マスターは森の家にいるのですね。」
再び部屋を出ようとするマシロ。ヴォルフは道を阻むわけではないが、引き留めるように声をかける。
「今から行くのですか?一晩休んで明朝でもいいでしょう?」
「森の夜は危険です。慣れていないマスターでは注意が不十分になる恐れがあります。私が行かなければ。」
「クロ殿とてそれはわかっているでしょう。寝ずに警戒するのでは?」
「それはマスターの精神によくありません。やはり行きます。」
「・・・あなたにも休養は必要なのでは?」
「魔族は寝なくても肉体に影響はありません。」
「先ほど、精神に影響があると、あなたが言いましたが?」
「私はいいのです。慣れています。マスターはダメです。」
「・・・・・・」
数秒、無言で睨みあうと、ヴォルフの方が折れる。
「仕方ないですね。気をつけて行きなさい。」
「お心遣い感謝します。それと心配は無用。せいぜい40km程度の距離。20分もあれば着きます。」
実際、ハヤトと共に墓参りをしていた時の所要時間が20分強だった。今ならもっと速く行ける。
「ムラサキ、行きますよ。」
「しょーがねえなあ。」
怠そうなムラサキを抱えて、マシロは走り去る。ヴォルフはそれをただ見送った。
マシロはいつものルートで城を出ると、屋根伝いに西門を目指す。ムラサキもそれについて行く。日付が変わろうというこの時間に外を出歩くのはほとんど酔っ払いのみ。マシロの純白の髪は夜に目立つが、無音で目にも留まらぬ速さで移動するマシロを明確に視認できる者はいなかった。巡回中の警察が一度気づいたものの、やはりその正体まではつかめなかった。何しろ髪が目立つとはいえ、頭以外真っ黒な服を着ているものだから、ボウリング玉サイズの白い何かが尾を引きながら高速で飛んでいるように見える。後に王都の都市伝説として、高速で飛ぶ白い霊魂の噂が流れることになる。
そんな都市伝説など知ったことではないマシロは王都の外壁を跳び越え、着地までの数秒で犬形態に『変化』する。僅かに遅れて降りて来たムラサキがその背の鞍につかまると、一気に加速する。
「ちょ、速いって!」
あまりの加速にムラサキが文句を言う。初めは無視しようとしたが、振り落として拾いに戻るとタイムロスになる。
仕方ないから速度を落とそうかと考えたとき、マシロに名案が浮かぶ。
「少しじっとしていなさい。」
「へ?」
ムラサキが間抜けな声を上げる間に、マシロの鞍の一部がほどけ、ベルトを構築する。この鞍は普段マシロが獣人形態の時に着ている「影縫」であり、マシロの意志で自由に形を変える。
そうして新たに生えたベルトがムラサキに巻き付き、しっかりとマシロの背に固定した。
「これで落ちることはないですね。」
「便利なもんだな・・・って加速の問題はそれだけじゃあっ・・・!」
ムラサキが感心した直後、マシロの再加速を止めようとしたムラサキの言葉が、あまりの荷重に遮られる。
クロが乗っている際には、その重量もあって控えめの速度で走るマシロだが、今は全く遠慮する必要がない。さらにここは障害物が少ない平原。直線のみで、カーブがない。全力で最高速度まで加速できる。
クロ騎乗時でさえ新幹線並みの速度を出すマシロが、全力を出すとどうなるか。戦闘機並、とまでは行かないが、地上を進むものとして非常識な速度になることは確かだ。亜音速で走るマシロは4つの足で一歩ごとに地を抉り、近くを通った低木は風圧でその葉を大量に散らす。明確な環境破壊で、クロがいたら怒りそうな光景だ。
当然その背に縛り付けられたムラサキも無傷とはいかない。あまりの風圧に顔を上げていられないし、飛び散る小石や枝葉が体に当たって痛い。前足で頭を守りつつ、『エアテイル』で防御するが、相対速度がとんでもないせいで、時々小石が貫通してくる。さらにマシロが稀に障害物(木や岩、飛び出して来た獣など)を回避するため急に向きを変えるので、そのたびに全身に横方向の荷重がかかってベルトが食い込む。ムラサキが魔族でなければ、間違いなく死んでいる。
そうして進むこと約10分、予定より早い時間に森の入口に着いた。ようやく減速し始めたことを感じたムラサキが顔を上げてホッと息をつこうとしたが、信じられないものを目にする。
確かにマシロは減速したが、それでもまだ時速200kmを超える速度が出ている。そんな速度で、あろうことか森に突っ込もうとしているのだ。
「ちょ、ちょちょちょ、待っ・・・!」
時速200kmで迫る大木の群れに慌てたムラサキが止めようとするも、まともな言葉になる前に茂みに突っ込むことになった。
かろうじて『エアテイル』で自身を守ったムラサキはぎゅっと目を閉じ、枝に引っかかってズタズタにされたり、木を躱す無理な軌道で左右に振られる覚悟をした。しかし、最初の茂み以外何もぶつからず、まっすぐ進んでいることに気付いて目を開ける。
茂みの向こうは広めの獣道になっていた。マシロはそれを知っていて突っ込んだのだった。その事実に遅ればせながら気づいたムラサキが何と文句を言ってやろうかと考え始めたとき、大きな広場に出た。
マシロが徐々に減速し、建物が視認できたところでムラサキがマシロから降りる。ムラサキは思案していた文句は置いておき、目の前の状況を確認する。
「マシロ、あいつらは?」
「スイーパー、と呼ばれていたはずです。死肉を求めて森を飛び回る連中です。戦闘能力は決して高くありませんが、この数は油断できません。」
建物の屋根には100羽ほどのスイーパーがたむろしていた。半数が寝ているが、半数がこちらを見て警戒している。
マシロが戦闘態勢に移るため、『変化』で獣人形態になる。時間にして約2秒。だいぶ速くなったが、戦闘中にやるにはまだ致命的に遅い。しかし、今はまだ距離があるため、可能と判断して実行した。最悪の場合でもムラサキがいる。普段はいがみ合う2人だが、それなりに信頼はしていた。
マシロはいつでも戦闘に移れるよう、腰の「黒剣」付近に両手を構え、ムラサキも『エアテイル』を発動する。ムラサキとしては今日は魔法を多用しすぎて疲れているのだが、戦闘になればそうも言っていられない。
一触即発の空気の中、じりじりとマシロ達が接近すると、スイーパーの中で最も大きい個体がカアカアと声を上げた。
マシロはそれが開戦の合図ではなく、援軍を呼ぶものだと気づいた。しかしどうすることもできない。声を止めるには距離があり、仕掛けるにも不用意に仕掛ければ囲まれて袋叩きにされる可能性がある。それでも行くべきか?と覚悟を決めようとしたとき、感知範囲に嗅ぎ慣れた魔力が入って来た。
「あれ?もう来たのか、お前ら。」
スイーパーの援軍要請に応えて建物から出てきたのはクロだった。クロの無事を確認したマシロは安堵しつつも、状況が理解できずにいた。
・・・スイーパーは確かに援軍を呼びました。で、出てきたのがマスター?他に接近する者はいない。マスターがスイーパーの仲間?いや、これはむしろ・・・
混乱するマシロとムラサキを余所にクロはスイーパー達の方を向く。
「警戒ありがとな。こいつらは俺の仲間だ。戻っていいぞ。」
「カア。カアカア!」
大きいスイーパーが声を上げれば、マシロ達を注視していたスイーパー達が散り、7割ほどが寝て、3割が周囲を警戒する体制になった。もうマシロ達への敵意はない。
クロの手招きに合わせて、マシロとムラサキが建物に近づく。
「マスター、これはどういう状況ですか?」
「まあ、中に入れ。ちょっと長い話になる。」
「ところでこれが新居かあ?」
「そうだ。暗いから内装の確認は明日にしよう。まずは互いの状況確認からだな。」
そうして3人は建物、もとい新居に入り、スイーパー達は交代で警戒に当たった。




