039 王都での日常(紫)
引っ越しを明後日に控え、ムラサキは王都を満喫せんと街へ繰り出す。猫形態のままならまず目立たない。路地裏で妙なのに絡まれる事も無ければ、人混みに悩まされる事も無い。塀の上や屋根の上をひょいひょいと跳び歩く。ムラサキの脚力なら、10mくらいの間隔が開いていても余裕で飛び移れる。最悪こっそり『エアテイル』を使うのもありだ。
建物の中に忍び込むのもお手の物。今日も演劇場に忍び込んで無料鑑賞。しかし、飽きっぽいムラサキは数分で移動する。移動した先は獣人たちで賑わう市場だ。
演劇場の役者たちの演技は素晴らしいが、演技は演技。ムラサキにとっては市場での自然なやり取りの方が面白かった。演劇では先の展開は決まっているが、市場で行われる根切交渉はどうなるかわからない。演劇の王道展開も初めは悪くなかったが、何度か見て内容を既に把握し、初見の演目でも先の展開が予想できてしまうようになると、つまらなくなった。
・・・どうせ今回も主人公がヒロインを救って終わりだろ。
ムラサキはまだ悲劇の類の劇を見た事がないため、劇は皆そういうものだと思ってしまっていた。もっとも、単純な性格の者が多い獣人の国では、悲劇はあまり受けないという理由であまり演じられないせいもあるが。
ムラサキがいつも通り市場で客と店員のやり取りを眺めていると、妙なものが目に入る。
・・・ありゃあ、何やってるんだ?
客と店員の交渉が白熱してきたとき、店にそうっと近づく小さな子供がいたのだ。初めは引っ込み思案な子供が店員に話しかけられずに右往左往しているのかと思ったが、店に近づく子供の顔には悪意の感じられる笑みが浮かんでいた。
・・・盗みか。しかし、どうするかね。
ムラサキは盗人を率先して捕まえるような正義感など持ち合わせてはいない。それにこの子供はそれなりに魔力を持っている。舐めてかかって怪我をしたら、傷は治るがつまらない。
結局、痛む良心もないムラサキは傍観することにした。あの子供の盗みが成功するかどうか、観戦している気分になる。
ところが、店員は子供の接近にまるで気づかず、子供はあっさり商品のところに到達する。
・・・おいおい、マジかよ。拍子抜けだな。獣人族は鼻が利くはずなのに。町暮らしで鈍ってると、あんなど素人の接近にも気づけないのか。店員も客も、周りを歩く連中も、誰も気づいてねえ。
このままでは面白くない、と思い、悪戯心が湧いたムラサキは、店の屋根から音もなく飛び降りる。そして素早く子供が手を伸ばしていた商品の上に陣取り、ニャアと鳴く。
焦る子供。まだ気づかない客。ようやく振り向いた店員。ほんの一瞬、場が凍りつき、子供と店員が目を見合わせる。
「「あ。」」
子供が見つかったことに気付き逃げ出すのと、店員が子供の存在に気付き捕まえようと動き出すのは同時だった。
間一髪、店員の手をすり抜けた子供は、人混みの隙間に滑り込み、あっという間に姿を消す。
追おうとした店員がわずか数mで追跡をあきらめ、戻ってくると、そこにはもう猫はいなかった。
「はて、猫の鳴き声がしたと思ったんだが。」
店員が棚の周りや下を覗いても、猫の姿は見つからなかった。
市場から移動したムラサキは、自分の顔程もあるフライドチキンのような鳥肉をくわえたまま、人通りがまばらな路地を眺めていた。王都の中心部、王城の近くだが、メインストリートから一本外れたところにあるため、それほど人は多くない。それでいて高級店が並ぶ商店街が近いので、身なりの良い者が多く、警察の見回りも多いから治安は悪くない。そんな通りのとある家の塀の上にムラサキはいた。
今食べている鳥肉は、焼鳥屋の裏口でもらった物だ。焼鳥屋「ケント」は一口サイズから丸焼きまで様々なサイズの焼いた鳥肉や揚げた鳥肉を売っている。そして丸焼きを一定時間内に食べきれば半額というチャレンジがあるのだが、それに挑戦しては失敗する者が後を絶たない。そのせいで頻繁に残飯が出る。そこでムラサキが昼飯時に「ケント」の裏口に行くと、その残飯をくれるのだ。残飯というと聞こえは悪いが、別に痛んでいるわけでもなく、美味いのでムラサキにとっては問題ない。
そんな鳥肉を器用に前足で支えてかじりつつ、ムラサキはじっと通りを見ている。まるで張り込みでもしているかのようだが、外見はただの猫なので、通りを歩く人はそんなことは気にも留めない。
そして数分後、ある者の接近を見つけて、ムラサキは食事の手を止める。
標的はあと10秒ほどでムラサキの正面に差し掛かる。それを確認したムラサキは、尻尾に巻かれた針金に魔力を通し、術式を起動。無詠唱で『移動』を準備する。
ちなみにムラサキの尻尾の針金は、当然クロが術式を書いたものだ。そしてその素材はウーツ鋼と呼ばれる魔法金属である。クロの前世にあった同名の金属とは性質は似ているが、別物だ。その性質は良く伸びること。この針金を100倍くらい伸ばしても切れない。文字は歪んでしまうが、起動に問題ないのは確認済みだ。当然のごとく魔法強化済みで、太さ1mmもない針金なのに、剣で斬られても凹むだけで切れない。しかも持ち主の意志で元のサイズに戻る形状記憶機能付き。初めは首輪にしようとしたが、ムラサキが嫌がったうえに、人間形態に『変化』する際に若干首が窮屈に感じたので、尻尾に巻いた。尻尾なら『変化』しても変わらない。耳ピアスはなんとなく却下した。
さて魔法の準備を整えたムラサキはタイミングを計る。そして標的がムラサキの正面に来る寸前、魔法を起動する。地道な練習の結果、ついにできるようになった、窒素と酸素の同時操作。これにより空気をほぼ全部操れる。そうして動かした空気は風となり、標的に向かう。ここからが腕の見せ所。風が標的に接近する前に制御を切り、自身の魔力をきれいさっぱり回収する。これにより、標的が当たる風は魔力の無い、自然の風に見える、という寸法だ。
そうしてムラサキの狙い通り、風は標的に斜め下からぶつかり、吹き荒れる。その結果・・・
「きゃあ!」
「何?風!?」
談笑しながら歩いていた2人の女性の膝丈のスカートが、ムラサキの目の前でめくれ上がった。女性は慌ててスカートを押さえるが、ムラサキはしっかり見ていた。
女性2人が牛耳を揺らし、周囲を見渡すも、不審な人物も魔力の痕跡も見当たらない。しかし、不審ではないが、偶然近くにいた警察が慌てて顔を背けているのを見つける。
「ちょっとあんた!」
「え?いや、俺は見てないぞ!断じて見てない!」
言い争う3人を見つつ、ムラサキは悠々と鳥肉をかじる。
・・・いやあ、眼福眼福。オレも腕を上げたなあ。
そうしてニヤニヤと笑っていたムラサキに、背後から聞き覚えのある声がかかる。
「見事な魔力操作ですねぇ。それにしても何故男性はそんなに女性の下着に興味があるんでしょう~?どう思いますぅ?ムラサキさぁん?」
ギギギと音がしそうなほどぎこちなくムラサキが振り返ると、いつも通りのシャツとズボンでまるで女っ気のない格好のスミレが、背中まで伸ばした黒髪を靡かせ、立っていた。わざわざ土魔法で足場を作り、塀の上にいるムラサキを眼鏡を光らせて見下ろしている。
こんな至近距離で魔法を使われたのに、何故察知できなかったのか、と思いつつ、ムラサキはなんとか誤魔化そうとする。
「ニャ、ニャ~?」
「誤魔化しても無駄ですよぉ?ムラサキさんの魔力はバッチリ記憶してますぅ。第一、猫にしては魔力多すぎですしねぇ。」
一見するとムラサキはただの猫だが、魔力感知で見れば異常に魔力量が多いのがわかる。とはいえ、普段から魔力感知している者はまずいない|(マシロは例外)。警戒している者がいたとしても、全方位同時に正確に分析できるものも少ない|(この点もマシロは例外)ため、ムラサキを意識して調べない限りまずばれない。スミレはムラサキっぽい猫を見かけるたびに調べていたため、見つけられただけだ。
「ど、どうやって?」
「近づいたか、ですかぁ?遠くで『ストーンシールド』を使ってその上に乗って来ましたぁ。ついでに『エアーステイ』も。これ、便利ですよぉ。消臭魔法の代用として使えますぅ。風魔法ですが、風適性が低くても使えますしぃ。」
「ああ、そう、覚えとく・・・」
『ストーンシールド』は本来、土を圧縮した盾を宙に浮かせて防御に使うものだが、スミレはそれに乗って移動することで足音を消してきたようだ。『エアーステイ』は空気を指定の場所に留める魔法だ。自身の周囲の空気を滞留させることで、体から出る臭いを拡散させないようにし、疑似的な消臭魔法としたようだ。もちろん、長時間使うと酸欠の恐れがあるため要注意だ。なお、本来の消臭魔法は『デオドライズ』といい、臭いの成分を分解する風と木属性の複合属性魔法で、高い適性と魔法制御力が要求される。
そこまで隠蔽して近づかれても、普段のムラサキなら気づけただろうが、スカートめくりに夢中で気がつかなかった。
「さて、ムラサキさぁん。スカートめくりは別に捕まるようなことじゃありません~。」
「そうだよな!オレは無罪だ!」
「しかし、法律をうまく使えば、有罪にすることも可能ですよぉ?」
スミレが目に見えて脅してくる。しかし、ムラサキにはスミレが正義感で動く奴には思えない。何か狙いがあると見た。
「何が望みだ?」
「ふっふっふ~。犯人は捕まえるもの。そして捕まえた犯人には尋問ですよねぇ?」
「お前、またオレに自白魔法使う気か!」
「そうですよぉ。何か問題が?犯罪者に使うのは合法なんですよぉ。」
逃げる準備をしつつ、言い訳を探すムラサキ。いつになく回転する頭で思いついたのは、いつもクロが言っている文句だ。
「そうだ!オレは猫だから法律は適用されねえ!だからオレは犯罪者じゃない!」
ドヤ顔を決めるムラサキだが、そんなことで動じるスミレではない。
「ほうほう。確かに猫には適用されませんねぇ。ペットなら所有者の責任ですが、ムラサキさんはペットではないし、第一、アレ(魔族)ですしねぇ。」
誰に聞かれるかわからないので、一応魔族という単語は避けるスミレ。諜報員として国に雇われている以上、秘密は守る。
「そうだろ。だから・・・」
「法律が適用されないってことはぁ、人権もないってことですよねぇ?じゃあ、実力行使で!」
「げっ!?」
言うが早いか、襲い掛かるスミレを慌ててムラサキは躱す。
クロは常々、法が適用されないメリットもデメリットも言っていたが、ムラサキはデメリットの方は忘れていたようだ。
屋根伝いに全速力で逃げ出すムラサキ。不安定な足場で時速80km程の速度を出す速力は流石魔族と言うべきところだが、なんとスミレは悠々とそれに追いついて来た。雷属性の強化魔法『エレクトリックブースト』だ。
「ムラサキさぁん。手加減してくれてるんですかぁ?それとも誘ってるぅ?」
「ぐ、うおおおお!」
ムラサキは窒素操作で自身を後押しすることで、強引に加速する。それでようやくスミレを引き離し始めた。
「へっ!どうだ、これで・・・え?」
「『バウンドジャンプ』」
引き離したスミレを確認しようとムラサキが振り向くのと同時、スミレは急激に加速、両腕を広げて接近して来た。
土魔法『バウンドジャンプ』。効果は地面からの反発力が増大するだけ。地面が押し上げると言ってもいい。本来の用途は自分に使ってより高くジャンプしたり、敵の足元に発生させて転倒させたりする。それをスミレは押し上げる方向を可能な限り水平方向に変え、前方への加速に用いたのだ。反発力の方向を変えるのは元々ジャンプの角度調整のためのものであり、こんな角度で使うと鉛直方向の何分の一かくらいしか威力が出ない。しかしそれを持ち前の魔法出力で補っていた。
ムラサキは慌てて『エアテイル』で自分を引き上げ、スミレの両腕を回避する。
ムラサキを通り過ぎたスミレが、着地した家の屋根を削りつつ減速し、振り返ると、ムラサキはもう遠くまで逃げていた。
「やりますねぇ。でも次こそは捕まえますよぉ。」
そう呟き、スミレは削った屋根を補修してから、図書館に帰った。
「あー、疲れた。」
無事スミレを撒いたムラサキは王城に戻っていた。中庭から廊下をこっそり覗き込む位置に陣取り、癒しを求めて行き交うメイド達を見る。
・・・ああ、働く美しい女性達。癒されるなあ。
ぼんやり眺めているうちに気力を取り戻し、再び風を準備する。こんな建物内で吹く風は明らかに不自然であり、「彼女」に見つかる恐れもあるのだが、疲れて思考力が低下したムラサキは気づかない。
すぐに3人のメイドが近づいてくる。タイミングを計り、風を起こす。疲れていても魔力操作はバッチリだ。
「きゃ!」
「何!?」
「・・・・・・」
・・・おー、流石王城のメイドは反応速いなあ。ほとんど見えなかったぜ。しかし奥の一人だけロングスカートだから全然めくれなかった、な、あ。
そんなことを思っている最中、そのロングスカートのメイドが音もなく高速で接近し、気づいたときには目の前でムラサキを見下ろし、いや見下していた。
「何をしているのですか?ムラサキ。」
それはマシロだった。ここでようやくマシロに遭遇する危険性を失念していた自分の愚かさに気がつくムラサキ。
「え、えーと・・・」
「何やら緻密な魔法操作をやっていたようですが、何です?今の風は。害意はないようなので止めはしませんでしたが。」
「魔法の訓練、だよ。」
苦しい言い訳だが、嘘ではない。現にこれを繰り返すことで、確かにムラサキの魔法操作力は向上していた。
「そうですか。なら場所を選びなさい。皆さんが迷惑しています。」
「お、おう。」
どうやらうまく誤魔化せたようで、マシロは特に怒ったりはしなかった。
そこへマシロの同僚が声をかける。2人はムラサキが犯人とは気づいていないようだ。
「マシロさん、どうしたの?」
「いえ、ムラサキがいたので。」
「あ、ほんとだ。今日は城にいたのね。」
「それはそうと、早く仕事を終わらせましょう。19時からは送別会やるんだから。」
「そうですね。・・・ああ、ムラサキ、マスターに言伝をお願いします。私はメイド達に送別会を開いていただくことになったので、帰りが遅くなると。」
「ああ、わかった。」
ムラサキが了承すると、3人は慌ただしく去って行った。
ムラサキはそれをぼーっと見送った後、疲れた溜息を出し、呟く。
「寝よ・・・」
さっさと部屋に帰ると、クロの帰りを待つ間、ベッドで丸くなって寝た。
・・・明日も王都をうろつくつもりだったけど、やめよう。明日は俺も家に行くか。
こうしてムラサキの王都滞在最終日は終わったのだった。




