343 剣の極致
日は高く昇り、冬が近いことを示す寒風にさらされる大地を温める。もしも平和な時であれば、過ごしやすい1日であることだろう。少し冷える風も、ちょっと厚着をすれば心地よいくらいかもしれない。
けれど、この地に吹く風には、今、心地よさも爽やかさもない。風に乗るのは強烈な血の臭いだけだ。
いったい何百人の兵士が、ここで血肉を散らしながら飲み込まれただろう。
マシロが家の周囲で展開する『大鉢特摩処』が形成する地獄は、射程に入り込んだすべての敵を喰らい尽くしていた。
マシロとリンクする『炭の大樹』は、喰らった敵の血肉を吸収し、根をより広く展開していた。
その射程距離は、もはや荒れ地に留まらず、東側に至っては森の入口まで広がった。すでに帝国軍は東からの攻撃を諦め、南北に迂回して散発的な攻撃を行うに留まっている。南北にも同じ距離まで根が広がっていることに、帝国軍はまだ気がついていない。
砲兵の迎撃すら不要となったマシロは、家の傍で立ったまま微動だにしていなかった。
目を閉じ、感覚を共有する『大樹』の視点で広域を監視する。
時折やってくる帝国兵は、『大鉢特摩処』の自動捕食で容易く片付く。本体が出張るまでもない。
だが、マシロは一切気を抜いていなかった。
帝国軍が、このまま兵の浪費を続けるか?
否。必ず仕掛けて来る。この結界を突破するネームドを送り込んで来る。
マシロは一時の休息もなく、それを警戒し続けていた。
そして、その予想は的中する。
その2人の戦闘は、互いの挨拶もなく、見守る者もなく、飢えた獣が野で喰らい合うかのように突然始まった。
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その範囲に入った瞬間、クロードの直感が全開の警報を鳴らした。
それに従い、クロードは走る速度を一気にトップギアに上げる。
蹴り出した地面が抉れる。足場に使った木がミシミシと音を立てて折れる。地を蹴り、木々を蹴り、クロードは鬱蒼とした森の中を、まるでサバンナで獲物を追うチーターのような速度で走った。
クロードが走り抜けた場所に、地面から黒い木が次々と生えて来る。
彼を捕らえようとした『大鉢特摩処』の糸だ。走り逃げる帝国兵も難なく捕らえるこの黒い糸も、クロードの速度には追い付けない。
クロードが全力疾走すれば、ものの数秒で数百m程度は走り抜けてしまう。
故に、クロードが森を抜け、マシロを視認したのは、『大鉢特摩処』の範囲に入ってすぐの事だった。
・・・白髪で長身の犬系獣人!こいつが<疾風>か!
クロードが荒れ地に入った時、マシロは既に2本の剣を構えていた。
『黒剣化』した魔剣2本。常人なら両手で扱うべき長剣を、両手それぞれに携える。
クロードが大きな歩幅で1歩、2歩と近づく。全力疾走のクロードの1歩は、5m近くにもなる。
すると、地面から黒いモノが飛び出して来た。先程の糸とは違い、太い。さしずめ槍というところか。
その無数に生える黒い槍を視認した瞬間、クロードの意識が加速し、景色がゆっくりと動く。
クロードにとっては慣れた感覚。突進の直前、最適なルートを見つけるために、いつもこうなる。
そして今回も、無数に生える槍の隙間を縫うルートを見つけた。
加速開始。生物の認識の隙間を走り抜ける、クロードの突進が、襲い来るすべての槍を置き去りにした。
・・・あと5歩、いや、4歩!決めるぜ!
クロードの速度に驚いたのだろう。マシロの表情が少し変わっていた。
それを隙と見て、クロードは1歩で斬る突進ではなく、もう1歩先から発動して、2歩で斬る突進を選択。1歩の距離で斬ると思っている敵の意表を突く攻撃だ。
追加の槍がないことを確認。マシロの剣の構えを確認。そこから導かれる突進ルートと、敵の防御を抜いて急所を斬る剣閃を想定。
加速、開始。
次の瞬間には、クロードはマシロの背後まで走り抜けていた。
振り抜いた刀。そして、宙を舞う白い髪に、その持ち主の首。マシロの首は綺麗に切断された。
クロードの『斬魔』は、魔族の再生能力を阻害する。それどころか、場合によっては一太刀でその身に宿す魔力をすべて弾き飛ばし、魔族を滅ぼすこともできる。
故にこの一太刀は致命の一斬。勝負あった。
そのはずだったが。
・・・手応えがない!?まさか、こいつ!
首を斬り飛ばしたはずのクロード。しかし、その刀から手に伝わってきた触覚は、「空振り」を示していた。
振り返れば、切断面から血は出ているものの、マシロの身に宿る魔力に損耗は見られない。
どうやったかクロードには理解できないが、この<疾風>マシロは、クロードに斬られる直前で、自分の首を外したのだ。
・・・上等!なら次は胴を真っ二つにしてやる!
そう意気込み、クロードは体勢を立て直して、マシロに向かって駆けようとする。
だが、それを後ろから引っ張るものがあった。
決して強い力ではないが、妙な感覚で腹の辺りを引っ張って来る。
「なんだよ!誰・・・」
クロードは振り返るが、誰もいない。
だが、自分を引っ張っているものは見えた。
地面に、血に塗れた何かが散乱しているのだ。それの一部が紐のように伸びて、クロードにくっついていた。
また地面から延びて来た黒い糸か?
そう思って振り切ろうと思い、自分とつながっている部分を見ると・・・
それは自分の腹の中に繋がっていた。
地面から伸びて来て繋がったのではない。自分から出ていたのだ。
散乱しているのは、クロードの内臓だった。
「は?・・・おい、え?」
事態が飲み込めないクロードに、近づく人影。
「見事・・・まったく見事な剣でした。ヒトの身で至り得る剣の極致。見せていただきました。」
振り返れば、そこには首を繋ぎ直したマシロの姿。
「その一太刀に己のすべてを込める。そうでなければ、あれほどの一撃は実現できない。斬りかかる際の貴方の集中力。美しいほどでした。マスターが無心の重要性を説いていた理由は、もしやするとその集中力の実現に必要だったからかもしれません。」
「おい、なんで・・・お前、何した?」
腹から溢れる血をようやく認識したクロードは、一気に自分の身体が冷えて行き、身体が思うように動かなくなっていくことを感じていた。これまで感じたことのない感覚だった。クロードはこれまで、重傷を負うどころか、負けたことすらなかったのだから。
「けれど、その剣。完璧なまでの集中力故に、素直過ぎる。・・・至極読みやすかった。貴方の移動のルートも、剣の軌跡も、事前にわかってしまうくらいに。」
「・・・そんな、馬鹿な。」
クロードには、そんなことができるとは思えない。
だが、マシロは事実それをやった。突進の前から、クロードの進む先を見切り、そして・・・
マシロは右手の剣をクロードに見せる。その剣は、非常に頑丈なはずなのに、大きく曲がってしまっていた。
「だから私は、貴方が通る軌道に、この剣を差し出しただけです。まったく恐ろしい突進です。身体で当たって、この剣が曲げられてしまうとは。」
「・・・・・・」
できるわけがない。クロードはそう言いたかった。
だが、今起きている現実が、散らばっている自分の中身が、それを事実だと肯定している。
クロードの突進は、生物の認識できない速度ゆえに、相手に防御も回避も、ましてや反撃も許さない。事実、今まで斬り捨てて来た何千、何万という敵もそうだった。
だが、理論上は、可能なのだ。その突進にカウンターを決めることは。
如何に生物の認識外の時間だとしても、その隙間の時間が存在する限り、その瞬間に動くことは可能だ。
マシロはその隙間を捉え、そこに1本の剣を滑り込ませただけ。
この際、何よりも致命的なのが、突進中のクロードは自分の動きを認識できないことにある。ヒトの認識外の速度なのだから当然だ。
だから事前に察知できなければ、突進中の敵の動きまで見えていない。だから、クロードにマシロの剣を躱す術はなかった。
もちろん、このカウンターは、誰にでも決められるものではない。
マシロだからこそ、クロードの軌道を読み、突進のタイミングを予測できた。だからこんな芸当が可能だったのだ。
そして、その先読みが他の者にできたとしても、マシロでなければ良くて相打ちだった。
マシロだから、クロードの剣が斬ろうとしている自分の部位を見定め、事前にそこを自分で糸を使って斬り飛ばして回避した。魔族だから、そこをすぐに直すことができた。
「一撃に魂を込める、その力は素晴らしい。だが、そこにはこういった弱点もある。勉強になりました。やはり、1つの技術で勝ち続けられるほど甘くはない。無敵の戦法などないと・・・」
「があああああああああ!!」
マシロの言葉を遮って、クロードが斬りかかる。
認めない。自分は最強の剣士だ。負けるわけがない。
痛みも寒気も気合で吹き飛ばし、内臓を引きずりながら前に踏み出す。刀を振るう。
けれど、そこにはもはや、最強の力はなし。
刀は虚しく宙を斬る。それでも失われたのは速度だけで、型が崩れていなかったのは彼の矜持か。
そこへ無慈悲な反撃が入る。
「『剣舞・逆さ三日月』」
くるりと横に回ってクロードの攻撃を回避したマシロは、左の剣をクロードの頸椎に叩き付ける。
『黒剣』のチェーンソーのような刃が肉を抉り、血が噴き出す。
けれども、クロードの肉体の頑強さゆえ、すぐには切断できない。
既に死んでいてもおかしくない状態のクロードが、その隙に反撃しようと刀を持ち替えるが・・・
マシロは左の剣をクロードに当てたまま、それを右手に持ち替え、右手に持っていた折れた剣を左手に素早く持ち替えると、折れた剣をクロードの首の前に叩きつけた。
折れ曲がった剣で首を前から抑えつつ、首の後ろからもう一方の剣で斬る形になる。
クロードが反撃にマシロの脇腹を斬りつけるも、もはや力が入っていない。マシロの服「影縫」を斬り裂くことは敵わず。
とうとうクロードの首は切断され、大量の血を撒きながらクロードは倒れた。
その血肉も、『大樹』の根が吸収していく。
<剣聖>の戦死。それが帝国軍に伝わるのは、戦争の決着がついた後の事だったという。




