342 嵐の中心
少し時間が戻って、9月1日。フレアネス王都跡地からしばらく北に行った場所。そこには雨が降り続いていた。
帝国軍がフレアネス王都に侵攻している間、<雨竜>カイルがずっとここでその後背を守っていたのだ。
この西大陸中央部から北部にかけて大量発生した怨霊兵に帝国軍先鋒の背後を突かれぬよう、たった1人で襲い来る怨霊兵をすべて滅ぼしていた。
実際のところ、カイルにかかれば怨霊兵など何万人来ても問題にならない。雨の範囲に入れば、貫き、潰し、内部から裂いて、その魔力が消失するまで破壊するだけだ。
問題があるとすれば、この単調な作業にカイルが飽きてしまうことくらいである。
そして、昨日からその怨霊兵も来なくなった。
ただ平原のど真ん中で待機しているだけの状態。あくびの1つも出ようというものだ。
そこへ、急にカイルの傍に輝く板のようなものが出現する。実体はなく、光そのものが集まったモノに見える。
カイルはそれの正体を知っているので、驚くこともなく、そこから現れる者を待った。
数秒も経たないうちに、その光の板を、いや、扉を通って、白い髪の女性が現れた。
「ご苦労様、カイル。」
「フィエルテか。何の用だ?」
相変わらず目上に対する礼儀というものが欠片もないカイルの態度に、フィエルテは眉を顰めるが、もはやいつものことだ。言って聞く性格でもない。
「計画に支障が出始めています。レーヴナスチの龍脈が消えたのは感じているでしょう?」
「・・・・・・お、そのようだな。死んだか?」
「今気づいたのですか・・・」
フィエルテは溜息を禁じ得ない。
神竜の眷属となった竜人は皆、その神竜の龍脈に接続し、魔力の供与を受ける。それにより、ただでさえ能力の高い竜人が、無尽蔵の魔力を備え、ほぼ無敵の存在となるのだ。
それゆえ、眷属は皆、神竜を敬い、その龍脈との接続状態を気にかけるものだ。
ただし、このカイルだけは例外である。
異世界人ということもあるだろうが、この男は神竜に対する敬意がほとんどない。
魔法の使い方を教わった恩を感じている程度で、崇拝とは程遠いものだ。
さらに驚くべきは、この男、レーヴナスチの龍脈を一切使ったことがない。今まで龍脈が消えていたことに気付かなかったのも、そのためだ。
理由は単純、そんなものが必要ないほど、自力で強いからだ。
「龍脈を使用しないのは貴方の自由ですが、己の師の状態くらい気に掛けたらどうですか?」
「アレは心配なんかしたらその方が怒るだろう?まあ、こんな簡単に死ぬとは思っていなかったのもあるが。」
「確かにレーヴはそういうところもありましたが・・・それより、今後は龍脈が使えないことを念頭に置きなさい。」
「ははっ、そんなのが必要になるほどの強敵なんて、むしろ会ってみたいがな。」
フィエルテはまた溜息を吐く。
これが実際、フィエルテには悩みの種なのだ。
神竜達は多くの弟子を取り、優れた者を眷属に任命している。眷属は先も述べたようにほぼ無敵の力を得る。
その事実が、竜人族および竜族の神竜達への信仰を補強するのだ。神竜を敬うことが重要だと意識づける。
ところが、現実を見れば、眷属の中で唯一、神竜への敬意を持たないこのカイルが、眷属の中で1,2を争う実力者なのだ。これでは、神竜への求心力も思うように働かない。
さらに言えば、現時点で戦闘可能な眷属は、もはやカイルともう1人しかいない。これもまた、カイルの優秀さを浮き彫りにしてしまう。
フィエルテは、計画遂行後、新天地における体制作りを頭の片隅で見直しつつ、話を続けた。
「西大陸を見渡しましたが、怨霊兵は概ね片付いたようです。ここの警備はもう不要でしょう。」
「お、そいつは朗報だ。いつまでここに突っ立ってなきゃいけないかと心配だったんだ。ありがとよ。」
「はあ。・・・そこで、あなたには次の任務に移ってもらいます。」
「軍を頭越しに命令していいのか?」
一応、カイルの今の立場は、神竜が派遣した、帝国軍の戦闘員だ。一応、指揮系統は帝国軍に属する。
「急ぎの用です。軍にはイネイン経由で私から言っておきましょう。」
「それならいいか・・・で、なんだ?」
「こほん。ここから西、<赤鉄>の拠点で軍が苦戦しています。というか、あれ以上数で押しても埒が明かないでしょう。イネインが派遣した手札も向かっているようですが、不安が残ります。そこで、あなたが後詰として向かってください。」
それを聞いて、カイルの表情が真剣なものに変わった。
「<赤鉄>は北上して行ったって結構前に言ってたよな?じゃあ、そこで軍を撃退してんのは・・・」
「<疾風>です。」
カイルの口の端がつり上がる。
「それは、わかってて言ってんだな?」
「ええ。あなたの因縁の相手でしょう?」
カイルが何度も<疾風>マシロと対峙し、決着がつかずに逃げられているのは、フィエルテも把握している。唯一カイルと戦闘らしい戦闘を繰り広げた存在だとも。
そしてもちろん、カイルの性格からして、決着を望んでいることも、フィエルテは察している。
カイルは昂る感情を押さえつつ、フィエルテに尋ねる。
「一応聞くが、奴を斃すのは、計画のためだろう?」
「ええ。我らに属さないネームドは計画の邪魔です。すべて排除しなければならない。」
「あんたが出向けばもっと簡単に済むはずだ。そうせずに俺に任せる理由は?」
「私は忙しいのです。<赤鉄>を追っているイーラ達が、いつ<赤鉄>と接敵するかわかりません。いざとなれば、フォローに向かわなければ。」
「それは建前だろう。」
カイルは、今までになく自分の感覚が研ぎ澄まされているのがわかった。目を合わせた者の感情や、言葉の真偽が察せられるほどに。
「フィエルテ、あんたは光の神竜だ。」
「そうです。何を今更?」
「ハッ!俺はアンタほど腹黒い奴を知らないぜ。強敵とは正面から戦わず、不意打ち、闇討ち、漁夫の利を狙う。それが光属性の頂点だってんだから、笑えるぜ。」
「卑怯だとでも?」
「違うのか?」
カイルの指摘は、実際、的を射ている。フィエルテは事を成すとき、正々堂々と戦ったりしない。正面から戦っても勝てる実力を持ちながら、策を用い、敵を陥れ、暗殺する。
以前も、計画の邪魔になるとしてマリス・ノースウェルを殺したとき、戦闘の最中に気配を消して空間移動で割って入り、直接手を下さず、彼女の危機に逃げ道を塞ぐ形で殺した。
それを指摘されても、フィエルテは一片の動揺も見せない。
「仮に卑怯だとしても、私の正義に揺らぎはありません。」
「正義?」
「ええ。正義は、勝たなければ。敗北は許されない。ならば、どんな手段を使っても、最大限勝率を高める。この方針に疑う余地はない。」
フィエルテは堂々とそう言い放つ。
カイルはそれを苦笑いで受け止めた。
「まあ、正義は人それぞれだからな。別に糾弾する気はない。それよりも、奴と決着をつける機会をもらえたことに感謝しよう。」
「ええ。必ず勝利してきなさい。」
「おう。・・・ついでと言っちゃなんだが、送って行ってもらえるかな?」
フィエルテは光の扉を用いて、長距離を一瞬で移動する。それに入れてもらえれば、移動の労力が減る。
「無理ですよ。このゲートは、私以外の生物は通過できません。次元の異なる空間に入るというのは、生物の精神や肉体にそれなりに影響を与えるのです。私にアペティほどの木適性があれば、あるいは調整可能でしょうが、生憎と不可能です。」
フィエルテの空間魔法は、もともと敵の空間移動を阻害するために八神が与えたものだ。『ガレージ』のような貯蔵スペースもないし、入ったモノを管理する機能もない。妨害と追跡を目的とした仕様であるため、運搬には向かない。
「とはいえ、歩いて現地に向かえというのも酷でしょう。少し待ちなさい。」
そう言ってフィエルテは一旦光の扉に姿を消す。
そして数分後、再び現れたフィエルテは、大型バイクを引いて出て来た。外見は華奢な彼女がこんなものを引いている姿は、なんとも似つかわしくない。
「帝国軍が保管していたものを拝借してきました。これも連絡は後で入れておきましょう。使いなさい。」
「ありがたいが・・・」
「何です?」
「いや、正義ってなんだろうな、と思ってな。」
首を傾げるフィエルテを横目で見つつ、カイルは早速バイクに跨る。
「じゃあ、行ってくらあ。あんたはあっちがしくじらないように見守るんだろ?」
カイルは北を指差してそう言った。あっちとは、<赤鉄>を追う3柱の神竜のことだ。
建前とは言ったが、それをフォローするのも確かにフィエルテの仕事なのだ。
「もちろんです。あなたこそ、しくじらないように。」
カイルはそれに声では答えず、手を振りつつ走り出した。
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再び9月2日。早朝に行われたクロの家の北における激闘の決着からしばらくして。
西の山の麓の隠れ家に集合した化け狸達は、マタザが回収してきた「金山棒」を見て、涙を流していた。
「ううっ・・・先代・・・俺達のために・・・」
「先代が敵を食い止めてくれたから、俺達は無事にここまで撤退できたんだな・・・」
点呼も完了し、負傷者はそこそこいるが、死者は出ていないことを確認していた。先代以外は。
「頭、俺達にはもうできることはないんですか!?」
先代を失った悲しさ、悔しさから、何かできることはないかと若い狸が問う。
しかし、ダンゾウは首を横に振る。
「ない。もう儂らが出ていっても、足手まといになるだけだ。」
「でも・・・!」
「マタザ、先代はその敵に全力で応じたんだろう?」
「・・・はい。俺も始終すべてを見ていたわけじゃありませんが、卑怯な手を使われたとかじゃなく、全力でぶつかって、そのうえで負けていました。」
「そうだ。お前ら、今の戦場は、もうそういうレベルの戦いになってるんだ。お前らは先代のアイアンゴーレムに勝てるか?そのレベルの敵と戦えるか?」
「・・・・・・」
若手たちが俯く。いくら若くても、彼らは皆、先代から魔法の手ほどきを受けてきた者達だ。彼の強さは身に染みている。
それを上回る敵に、自分たちが叶うはずもない。
「この先、儂らが手を打てるとすれば、儂らのような年かさの奴らが討ち死に前提で行く以外にねえ。だが、それもマシロさんから禁止されてる。・・・もうできることはねえよ。今はな。」
「・・・・・・」
俯く部下たちに、頭であるダンゾウは毅然として告げる。
「うなだれてるのは今だけにしとけよ。今は儂らにできることはないが、儂らの仕事はこの後だ。マシロさんがこの土地を守り切ったら、復旧とその後の製錬業は儂らの仕事だ。へこたれてる場合じゃねえぞ。」
「そ、そうか・・・そうですね。」
狸達は顔を上げ始める。
その中で、1人がおずおず手を挙げた。
「あの、負けた場合は?」
「その時ももちろん仕事がある。マシロさんはこの隠れ家を知ってるからな。きっとここに撤退してくる。そうしたら、きっとボロボロになってるマシロさんを担いで、儂らは山に逃げる。これまでの遊撃戦なんて目じゃねえぞ?覚悟しとけ!」
「「・・・はい!」」
その後は、狸達は各々できることを考え始めた。ああでもないこうでもないと意見が飛び交う。
それを確認したダンゾウは、そっと外に出ようとした。
しかし、それを止める者が1人。
「おい、頭。」
「・・・なんだ、キンジ。」
「どこに行く気だ?」
「・・・頭としての務めを・・・」
「馬鹿。頭の務めは、ここで皆を導くことだ。率先して動くリーダーってのも悪かないがな、ここは俺に譲れ。」
「キンジ・・・」
「マシロさんが敗れた時、必ずしも撤退する力が残ってるとは限らねえ。だから見守る役目が要る。だろ?」
「・・・・・・わかった。任せる。」
ダンゾウはそっと身を引き、出口への道をキンジに譲った。
それを見てキンジがニッと笑う。
「先代を討った強敵、大量の帝国兵、もしかしたら別のネームドも来るかもな?まさにマシロさんのところは、これから嵐の中心になる。そんなところに大事な頭は行かせられねえ。」
「ありがとよ。だが、キンジ。お前だって副頭領だ。死んだら許さんぞ?」
「善処する。」
そう言い残して、キンジは周囲に気付かれぬように静かに素早く外へ出た。
「・・・ったく、それは約束を守る気がないってセリフだろうが。」
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その頃、先代との戦闘を終えたクロードは、長いこと森を走り回り、とうとうクロの家がある荒れ地に辿り着こうとしていた。
道中すれ違った帝国兵から戦況を聞き、件の<疾風>が荒れ地に陣取っていることも、謎の魔法で兵士を虐殺していることも把握した。
・・・敵はすでに戦闘態勢。近づけば問答無用で仕掛けて来る、か。なら、挨拶も必要ねえ。見えたら即仕掛ける!
<剣聖>と<疾風>の激突は、もうまもなくだった。




