336 科学の及ばぬ土地
8月30日、フレアネス王都跡地。ここに陣を敷いた帝国軍の先鋒は、敵の反攻に備えつつ、西の魔獣の森を攻め始めていた。
森へと進攻し始めたのは昨日からで、森に入ったのは今朝からだが、陣内の指揮官たちは、無線で送られてくる最前線の状況に頭を抱えていた。
「また通信途絶か!くそっ!」
「何度目だ!?もう数えきれん!」
森へと入った部隊が、次々と音信不通になっている。それを捜索に出た部隊も同じくあっという間に消えてしまう。
「相手はネームドだ。やられてしまったというならまだわかる。だが、この報告はなんだ?」
送られてきた報告書には、森に入るなり無線にノイズが入り始め、進むにつれてノイズが増大し、最後には通信が切れる、と書かれていた。
「妨害電波?いや、強力な磁場でもあるというのか、あの森には?」
「わからん。なにしろ、科学が踏み入ったことのない森だからな。」
魔獣の森には、狩人などは昔から入っていたが、最先端の科学技術を持ち込んだ例はない。磁場を測定した者などいないだろう。
「ともかく、これでは徒に兵を失うばかりだ。せめて内部の状況を知る術はないのか?」
「本国と連絡が取れれば、上空から観測することも可能なのだろうが、今は・・・」
西大陸における帝国軍の連絡網は未だに復旧していない。断絶の原因となった怨霊兵は、<雨竜>によれば、もうすぐ片付くそうだ。
それが片付いてから、各地に通信兵を配置して、それでようやく無線連絡網が復旧する。まだしばらく先になりそうだった。
これまでの帝国軍のやり方では、たとえ先鋒がやられても、通信によって敵の情報を得て、後続が対策を立てるようにしてきた。
だが、この森ではそれができない。いくら送り込んでも通信が断たれてからやられている。これでは無駄死にが積み重なるばかりだ。
「おのれ・・・奴ら、フレアネス王都の包囲中にも動かなかったのは、参戦の意思がない故と思っていたが、あの森に地の利があると知って待ち構えていたのか!」
「やはり、あの森からは手を引くべきではないか?」
森が、敵にとって有利な場所ならば、そこで戦う必要はない。
一旦退いて、敵が追って来れば平地で戦えばいいし、追って来ないならば、こちらも手を出さなければいい。
「む・・・いや、しかし、奴らを放置して、後々、ロクス軍やラッド軍と合流されれば、その方が厄介だぞ。」
王都から南に撤退したロクス軍は、ある程度疲弊しているとはいえ、撤退の理由は王都の壊滅であり、軍そのものの消耗ではない。立て直して反攻してくるのは十分にあり得る。
ラッド軍に至っては、今回まったく参戦しておらず、その分、余力を残している。
補給線が復旧していない今、この2軍団に攻め込まれれば、ここに布陣する帝国軍は苦しい戦いを強いられることになるだろう。
そこに<疾風>などのネームドが加われば、悪夢だ。せっかくの戦勝の流れがひっくり返されてしまう。
指揮官たちは、本音を言えば、こんな危険な状況で戦い続けるよりも、一旦北に退いて立て直したい。そうして、補給線を再構築しながらもう一度ここまで来ればいい。
だが、今回の作戦において、彼らは撤退を許されていなかった。皇帝陛下直々の命令で、である。抗えるはずもない。許されるのは、前進勝利のみだ。
「くっ・・・せめて軍師殿の助言がいただければ・・・」
彼らは、その軍師が、まさに今日、北大陸の某所で戦況を聞き、指示を出していることを知らない。
だが、軍師が出した指示は、北で暴れ回る<赤鉄>の対策であり、こちらの戦況には一切言及しなかった。
情報が入っていないから、ではない。軍師モリスは、『ラプラス・システム』の遠視機能でここを見ている。当然、この状況も知っている。
それすなわち、モリスはここの帝国軍を助ける気がない、ということだった。
それは、モリス本人しか知らない事実であった。
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一方、魔獣の森。
とある部隊が、目標である荒れ地を目指し、北側から森に侵入していた。
「ダメです。やはりノイズがひどくて使い物になりません。」
通信兵が告げる。やはり消息を絶った先発隊と同様、通信が使えなくなった。
「こうなれば、この原因を突き止める他ない。・・・行くぞ。」
隊長の声に隊員達が頷き、部隊は慎重に前進する。
彼らは、森で演習をしたこともある。野営の経験もある。獣に襲われ、撃退したことも。
だから、ここでも問題なく進める。問題なのは敵のネームドだけだ。
そう、勘違いしていた。
唐突に、隊員の1人に向かって、横から白い何かが飛び掛かる。
接近の予兆も、音も何もなく、突然襲われたそれを、隊員は回避できない。せいぜい反射的に銃を向けた程度。
白いものが隊員に襲い掛かる。同時に隊員は引き金を引く。
発砲音が連続して響くが、効果はない。
隊員に襲い掛かった物は、白いねばつく糸だった。
「なんっ、だ、これ・・・!」
振り解こうにも、ひどくべたつき、身体から離れない。それどころか、暴れるほどに絡みつく。
「大丈夫か!?」
傍の別の隊員が、彼を助けようとその糸に触れる。すると、その隊員の手にも糸が貼りつき、離れなくなる。
「うわ!?」
「くっ、引っ張られる!」
糸は、数十m離れた地面の穴から延びていた。その糸が、ゆっくりと引っ張られ始めた。
とても強い力で、ずりずりと隊員は穴に引き寄せられる。
引っ張られる力に抗おうと暴れた隊員のせいで、助けようとした者まで糸が絡みつく。
「お、俺も絡まっちまった!」
「抜け出せない!助けてくれ!」
「じっとしてろ!」
隊長が鋭利なナイフを取り出した。それで隊員達を引っ張る糸を切断しようとする。
だが、切れない。
それどころか、鋼鉄製のナイフにすら糸は貼りつき、絡め取ってしまった。
「じょ、冗談だろ・・・」
糸の不可思議な性質に驚き、隊長はナイフを手放した。
それは正解だ。糸が穴に向かって引っ張られると同時に、糸の主が何かしたのか、ナイフはあっという間に糸で巻き取られた。ナイフを掴んだままだったら、腕を絡め取られていただろう。
既に絡め取られた2人は、ゆっくりと穴に引き寄せられる。
「助けてくれ!」
「穴だ!あそこに敵がいるんだろ!行くぞ!」
「おう!」
「待て、迂闊に・・・」
隊長が制止しようとしたが、遅かった。
穴に向かってほんの数歩踏み出したところで、穴から高速で糸が発射された。
ヒトの身で躱せる速度ではない。穴に向かおうとした数人の隊員が、糸で絡め取られた。
そして、そこで糸の主がチラリと穴から顔を出す。
8つの眼。凶悪な顎。糸を手繰る細長い脚が見えた。
蜘蛛だ。人間の5倍はあろうかという巨大蜘蛛だった。
「こいつ!」
隊長が素早くその蜘蛛を狙い撃つが、蜘蛛はそれ以上に早く穴に潜り込んだ。
そしてまた、捕まえた隊員達をゆっくりと引っ張る。すぐには連れ込まずに、疲弊させてから穴に引き入れようというのだ。
「くそっ!出て来い!ハチの巣にしてやる!」
隊員達が銃を構えて穴を睨むが、それ以降蜘蛛はまったく出て来ない。出れば銃で撃たれることを既に理解したのだろう。
その間にも、捕まった隊員達は引っ張られる。
「隊長!どうすれば!?」
近づけば糸の餌食。しかしここからでは穴の中を狙えない。
「手榴弾だ!」
「っ!了解!」
その手があったか、と隊員達が装備した手榴弾を取り出す。
距離があるが、狙えないことはない。
「お前ら、伏せるくらいはできるか!」
「だ、大丈夫です!やってください!」
糸が絡まった者達が、引っ張る力に抗いつつも、地面に伏せる。
「行くぞ!」
一斉に10個ほどの手榴弾が投げられた。そのうち半数はちょうど穴に入るコースにうまく投げられた。
・・・よし、ホールインワンだ!
そう喜んだのも束の間。
穴から10発の糸が射出された。引っ張るためのロープ状のものではなく、玉のような形状だ。
それは飛来するすべての手榴弾を空中で狙い撃ち、糸玉にくっつけて遠くへと運んでしまった。
穴の遠方でむなしく破裂する手榴弾。
「「なんじゃそりゃあ!?」」
初見で手榴弾に対応する蜘蛛など、聞いた事がない。いや、こんなサイズの蜘蛛自体初めて見るのだが。
驚愕する部隊の背後から、急に声がかかる。
「あ奴はクォーツスパイダーと呼ばれておる。巣穴の縁の透明な石が見えるか?あれを通して地面の振動を捉え、縄張りに入った獲物を感知する。この森では飛び道具を使う魔獣もざらにいるでな。手榴弾程度の対処はお手の物じゃ。毒液を飛ばして来る連中よりはずっと対処しやすいというもの。驚くことでもないぞ。」
隊員達が振り向くと、そこには金属の長い棒を片手に、2本足で立った、老いた狸がいた。
そしてその狸の後ろに立つのは、2mの金属の無骨な人形。
「帝国軍の諸君。あの蜘蛛にゆっくり喰われるのが嫌だというならば、こちらに来るといい。一瞬で刻んでくれようぞ。」
「<赤鉄>の狸だ!ゴーレムに注意しろ!」
前情報にあった敵。これへの対処は決まっている。部隊は迷いなく銃を構えた。狙うは本体の狸だ。
だが、素早い応戦もむなしく、狸の前面に出た金属ゴーレムが、両腕の大剣を盾にしてすべてガードした。
そして、スライドするような移動で部隊に近づき、2本の大剣を目にも留まらぬ速さで振り回す。
後には、それぞれ数個のパーツに斬り裂かれた兵士の死体だけが残った。
糸に絡まったままそれを見ていた隊員達は、絶望する他ない。
「おぬしらは、まあ、そのまま食われればいいじゃろ。」
「そ、そんな・・・」
「助けてくれ!」
「いっそ殺してくれぇ!」
抵抗する気力を失った隊員達は、すでに穴の傍まで引き寄せられている。
御馳走を目の前に興奮した蜘蛛の顎の音が聞こえているのだ。
「こんな大きな獲物は、そ奴にとっても久しぶりじゃからのう。奪うのは忍びない。」
「ええ!?」
狸、先代ダンゾウの言葉を理解できなかったのか、隊員の1人がそんな声を発したが、その言葉を最後に、彼らは蜘蛛の巣穴に落ちて行った。
「さて、これで何人目かの。マタザ、数えとるか?」
「数える意味あります?」
いつの間にか先代の傍にいた化け狸、マタザが呆れたように言う。
「遊撃はいいが、森を抜けて来られる者自体が少ないと来た。退屈じゃのう。」
「いいことじゃないですか。先代はそんなに戦いたいんですか?」
「いや、疲れるから少ない方がいいな。」
「どっちですか・・・」
森の北側は、先代が守っていた。彼の後方にもいくらか化け狸達が潜んでいるものの、後方まで敵が漏れることはなかった。




