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選べるなら、人間以外で  作者: 黒烏
第8章 黒
413/457

333 叡智の天使

「何があった?」


 レーヴナスチの分体がマントルに沈んだ頃、その本体は遥か東の海中にいた。

 本体と分体は龍脈経由で繋がっているが、意識は別々にある。近づき触れるか、何らかの通信手段を持っていれば情報共有はできるが、レーヴナスチは遠距離通信手段を持っていない。

 したがって、分体に起きた事態を、レーヴナスチは理解できていなかった。ただ、分体との魔力接続が切れたことだけが感じ取れた。


「ローマンの王は確かに手練れだが、我が分体が敗れるほどではないと思ったが・・・見誤ったか?」


 当然、彼の分体を仕留めたのが、ローマンとは縁もゆかりもない別の者だということも気づいていない。

 それが今、ここに近づいていることも。


「フィエルテが監視していたはず。焦らずとも連絡を待てばいいか。」


 各地で行動している神竜達の連絡は、空間転移が可能な光神竜フィエルテの役目だ。じきに連絡が来るだろう。

 だが、それは間に合わない。


「万が一、我が分体が敗れたというならば、致し方ない。東大陸まるごと、海に沈めてでも目的を達するまで。」


 溜め込んだ魔力をかなり使用してしまうため、避けたい方法ではあったが、それが最も手っ取り早いのは事実だ。

 レーヴナスチがそう覚悟を決めた時のことだ。


 雷が海に落ちた。

 海水に流れた大電流は、拡散することなく、レーヴナスチを取り囲む。

 レーヴナスチは竜鱗に守られているため、容易に感電はしないが、突然の事態に身構える。


 すると、テレパシーのごとく声が届いた。


「それはまた物騒なお話ですねぇ。この世界にはただでさえ陸が足りていないというのに、それはひどいんじゃあないですかぁ?」

「・・・何者だ?」

「おやぁ、お忘れですかぁ?へぇ~・・・じゃあ、仕方ないですねぇ。名乗らせていただきましょう~!」


 その宣言と共に、レーヴナスチを取り囲んでいた電流が、海底に収束する。

 やがて人間大の岩が浮上してきたかと思うと、独りでにそれは成型され、ヒトの形をとり、色も付いた。

 巻き込んだ海藻でも利用したのか、服までその質感を再現している。


 その姿は、黒髪黒目の猫系獣人。猫耳に掛けられないはずの眼鏡をかけ、機能性を重視したパンツルックの服装。

 そしてその不敵に笑う顔を見て、レーヴナスチもその正体に気が付いた。


「貴様、死んだはずでは?」

「そう!一度は死に、あなたに肉体を分子まで分解されたこの私!されど魂は我が先生により掬い出され、そして今、闇の神の采配によってこの地に再び降臨したのです!」


 流石に決め台詞の時は、いつもの間延びした口調も控えるらしい。

 彼女は斜に構え、片手で眼鏡をくいっと上げつつ、もう一方の手でレーヴナスチを指差す。おそらくは決めポーズのつもりだろう。


「我こそは八神が新たに構築せし世界の調停システム。役に立たず、暴走しがちな神子や神獣に代わり、より強力に、より忠実に神の意志をこの世に反映する神の使者!すなわち!叡智の天使、川源かわもとすみれちゃんです!」


 ポーズを決めつつ名乗りを上げたスミレの肩に、小さな黒い猿が唐突に現れた。


「いきなり神子と神獣をディスりすぎだ。それにお前は奴らの代わりではなく、奴らを支援する役職だと言っただろうが。あと、自分の裁量で「叡智の」とか付けるな。」

「いーじゃないですかぁ、闇の神様~。あなたのおかげで私の『ライブラリ』は何倍にも強化されたんですよぉ?叡智つけたっていいじゃないですかぁ。」


 この黒い猿は、闇の神の端末である。精神を操る闇の神には、並列思考も分身も容易くこなせる。


 ここまで黙って聞いていたレーヴナスチが、口を挟む。


「天使、か・・・詳しくは知らんが、とにかく俺にリベンジしに来たんだな?」

「その通りぃ!すでに分体は消しましたぁ。次はあなたですぅ!」

「ほう、面白い。やってみろ!」


 レーヴナスチはその巨体に内包する膨大な魔力を励起させ、魔法の行使に備える。臨戦態勢だ。


「では、遠慮なくぅ。串焼きにな~れ!」


 スミレが指を弾くと、詠唱もなしに海底から巨大な石槍が無数に飛び出す。その全てが融解寸前まで加熱されている。

 だが、そのすべてがレーヴナスチに届く前に砕けた。レーヴナスチが操作した海流により破砕されたのだ。

 続けて四方から岩の弾丸が飛来するが、それもすべて破壊される。


「あれぇ?強くないですかぁ?」

「だから言ったであろう。本体は分体とはわけが違うと。出力も段違いだ。こんなゴリ押しではこちらが先に魔力が尽きるぞ。」

「だからってここまで通用しないとは・・・あ。」


 スミレが気づいた時、レーヴナスチから放射された濃密な魔力がスミレに迫っていた。

 超高温・超高圧により超臨界状態に達した水であらゆるものを溶かす、『ハラーハラ』の奔流である。


 それにスミレはあっさりと飲み込まれ、粉々に分解されたうえ、跡形もなく水に溶けていった。


「ふん。末路は前と同じだったな。」


 ケリはついた。レーヴナスチはそう思ったが、すぐにまた声が届いた。


「ふー、危ない危ない。」


 見下ろすと、海底から浮上した岩が、またスミレの姿に成型されたところだった。


「どういうことだ?」

「さっきも言った通り、私は死んでますからぁ。肉体がないんですよぉ。何べん殺したって無駄ですよ~。」


 スミレがニタニタと笑い、挑発する。

 しかしレーヴナスチは動揺を見せない。


「不死か・・・だが、なればこそ今の結果は貴様の敗北だろう。負けを認めて大人しく引き下がればどうだ?貴様も戦士ならば、恥は知っていよう。」


 それに対して、スミレは首を傾げた。


「私は戦士ではないですよぉ。あなたが勝手にそう勘違いしただけですぅ。」

「なに?」

「私が戦士だなんてとんでもない~。卑怯常套、不意打ち常套、暗殺常套ですぅ。勝てばいいんですよ、勝てばぁ。」

「そうか・・・」


 それを聞いたレーヴナスチは、身に纏う魔力を次々に励起させ始める。それは、身の内にある魔力だけでなく、龍脈からも汲み上げていた。


「なれば、二度と我が前に立つ気が起きぬよう、全力で叩きのめしてくれる!『ハラーハラ』!」


 詠唱と共に、レーヴナスチの周囲の海水が一気に超臨界状態に達した。その範囲は広く、海底から海面まで届いている。海中に漂うモノ、海底に沈んでいるモノ、すべてが溶け崩れていく。


ーーーーーーーーーーーー


「ありゃ、今の方が挑発になるんですかぁ?わっかんないですねぇ。」


 そんな軽口を吐きつつ、スミレは内心焦っていた。

 彼女が不死身だというのはハッタリだ。

 スミレの本体は現在、遠く離れた森の中にいる獏である。ここで岩から構築している肉体はただの人形だ。

 とはいえ、彼女の魂とも呼べる記憶情報は、確かにここにある。

 彼女の記憶を保持する魔力を霧散されれば、彼女は消滅するのだ。

 獏の方にも彼女の記憶のバックアップは取ってあるため、「川源菫」の再構築は可能だろうが、それは言わばクローンのようなものだ。ここのスミレの核たる魔力が破壊されれば、このスミレは確かに死ぬのである。


 先程の攻撃は、直撃の寸前に魔力だけ電流に乗せて避難させたため、無事だった。

 だが、今レーヴナスチが展開している広範囲『ハラーハラ』。あれに巻き込まれれば逃げ場はない。消滅は免れないだろう。


「これじゃ近づけませんねぇ。物理攻撃は通りそうにありません~。」


 物理攻撃は当然溶かされるだろう。

 ならば、とスミレは詠唱を始める。


「『リファレンス・ライブラリ』」


 天使となった際、スミレの『ライブラリ』は機能を拡張された。

 スミレ個人が記憶したものを保管していた『ライブラリ』は、闇の神のデータベースに接続され、それを参照できるようになったのだ。

 闇の神のデータベースは膨大だ。かの神が何千年と見聞きして来た事象はもちろんのこと、彼が構築して来たすべての魔法の術式も記録されている。

 そして、その使用権限は、八神の手先である天使スミレには当然与えられている。それを使用するのが、『リファレンス・ライブラリ』だ。


「『ヴァジュラダンダ』!」


 用いるのは、ある神獣に与えられた雷魔法。神話の武器の名を冠したその魔法は、発動速度、弾速、威力、どれをとっても最高の一品。電荷を持つ微細な粒子を大電流で加速し、撃ち出す。つまり、荷電粒子砲である。


 不可視の微細な弾丸が亜光速で走り、レーヴナスチが展開した分厚い『ハラーハラ』の層を貫く。

 微細な弾丸は見事、目標に着弾した。竜鱗を砕き、ダメージを与える。

 だが、そこまでだ。レーヴナスチは魔族である。膨大な魔力に物を言わせて再生し、傷はたちまち癒えてしまう。


「む~。ダメですかぁ。」

「奴の水流で威力を減衰されたな。お前の出力では無理だ。」


 スミレの魔法出力は、スミレ本来の出力に天使となったことで若干上乗せがされたものの、神竜に勝るほどではない。

 スミレの保有魔力は膨大だが、それはあくまで獏が長年溜め込んだもので、龍脈を保有する神竜に比べれば小さなものだ。力押しでは勝負にならない。

 他にも攻撃手段は豊富にあるが、いずれも無駄だろう。例えば炎では、もともと超高温の状態の水に熱を加えても意味がない。冷却などにより温度と圧力のバランスを崩してやれば、臨界状態を解除できるかもしれないが、スミレにそこまでの出力はない。


 距離を取って思案していたスミレが、ある事に気が付く。


「あれ、大きくなってません?」

「なってるな。」


 スミレの肩に乗る小さな猿が答える。


「おそらく、あの状態の海水を増やしていき、そのまま陸まで持っていくつもりだろう。そして大陸を洗い流す。表土ごとすべて溶かされて・・・東大陸は海に沈むな。」

「そんなことされたら、例の計画が始まる前に世界の危機ですね~。」 


 今回のスミレと八神の目的は、神竜達が目論む世界中からの魔力強奪計画の阻止であるが、その前提には世界の維持という目的がある。

 このままレーヴナスチが大海嘯を起こしてしまえば、魔力強奪計画を成すより前に、世界存続の危機となるだろう。


 現状、ただでさえヒトの数に対して土地が足りていないのだ。未開の地もあるが、それをすべて開発したとしても、すべてのヒトに十分な土地と資源が行き渡ることはない。

 度重なる戦争でヒトの数が減っているからバランスがギリギリ取れているが、それでも貧困問題は発生している。戦争の陰で、話題になっていないだけだ。

 そんな状況で陸地が減ったら、土地と資源の奪い合いは激化。最悪、人類社会は崩壊しかねない。


「やむを得んか・・・」

「使いますぅ?使っちゃいますぅ~?」

「面白そうにするな。非常手段なのだぞ。まったく、お前は支援担当なんだからな。それを忘れるなよ。今回、これをお前が使うのは、非常事態だからだ。」

「わかってます、わかってまーすよぉ。」


 スミレの肩に乗っていた猿が、スミレの頭上に移動する。


「神域の本体に接続・・・・・・世界の存続危機である。『フェイスブースト』の使用許可を求める。」


 猿、闇の神の端末を通じ、神域の円卓がスミレにも見えるようになった。

 炎、水、風、雷、木、土、光、そして闇の神。八神が一堂に会している。


「強敵を撃破せんとする意志のため、許可する!」

「世の平穏のため。許可する。」

「自由のため、許可するよ。」

「世の発展のため許可する。」

「命を救わんとする願いのため、許可しましょう。」

「守るべきもののため・・・許可する。」

「正義のため、許可しましょう。」

「ではワシも・・・許可しよう。これにて八神すべての許可が下りた。天使スミレのもとに力を集める。」


 議決と共に、神域から魔力が流れ、スミレに繋がる。

 スミレに魔力が注ぎ込まれる。それだけではない。神域を介して、とても大きなモノに繋がった感覚があった。

 それは、八神達の本体。魂だけの存在である彼らが、現世に干渉するために必要とする肉体。それは世界中で彼らを信仰するすべてのヒト、いや、生物達。

 その生物達の脳をほんの一部ずつ間借りして、八神達は現世に魔法を行使するのだ。1人1人から借りる力は小さくとも、億を超える数が集まれば、比類なき力となる。

 『フェイスブースト』は、その間借りする領域をもう少しだけ拡張し、一時的に出力を増大させるもの。そして、その力を現世の代行者たる神子や神獣に使用せるシステムだ。


 スミレの魔法出力が、『フェイスブースト』により急激に増大する。


「さあ、世界中のみなさ~ん!これからちょっと頭痛がしますけど、後遺症はないから、我慢してくださいねっ!」


ーーーーーーーーーーーー


 スミレの気配が変わったことに、レーヴナスチも気が付いた。


「奥の手か・・・だが、1撃限りの大技と見た。我が『ハラーハラ』の結界を破れたとて、果たしてこの俺を仕留めきれるかな?」


 先程の『ヴァジュラダンダ』には驚いた。まさか雷神竜ユワンの奥の手を敵が使って来るとは。

 だが、威力はユワンにまったく及ばない物だった。案の定、傷は負ってもすぐに回復できる程度だった。

 それをもってレーヴナスチは、敵に自分を滅ぼすほどの出力はない、と踏んだ。


 やがて、何事か詠唱したスミレが、高速で突進してくる。


「来い!」


 レーヴナスチは『ハラーハラ』の結界にさらにうねりを加えて、スミレを迎え撃つ。

 スミレの肉体はその流れに捩じられ、いとも容易く砕けたが、その中身である魔力が、電流と共に結界を突き破ってレーヴナスチの元に到達した。

 レーヴナスチは腕で受けたが、スミレの電流はその表面を滑るように移動し、鼻の穴から体内に侵入した。

 そして、大電流がレーヴナスチを内から焼く。


「ぐおおおおおおおおお!!」


 過去最大級のダメージ。数十秒、電流で焼かれ続け、一瞬、意識すら飛んだレーヴナスチだったが、最終的には耐えきった。


「ふ、ふふ・・・見事。だが、ここまでだ。」


 魔族であるレーヴナスチの肉体は、死ななければいくらでも再生する。再生のための材料も容易に調達できる。

 勝負はレーヴナスチの勝利に終わった。




 ・・・かに見えだが。


「いえいえ~。ここからですよぉ。」


 突然、レーヴナスチの脳内に、スミレの声が響く。

 テレパシーかと思い、辺りを見回すが、姿はない。


「これは私の新必殺技ですぅ。名前は仮に『ファントムダイブ』としておきましたぁ。どこにいるかって?あなたの頭の中ですよぉ。」

「なんだと!?そ、そんな馬鹿な・・・」

「さあ、危ない魔法はやめちゃいましょうね~。」


 レーヴナスチの意思とは関わりなく、『ハラーハラ』が解除され、周囲の海水が元の状態に戻っていく。


「何故だ!?俺は、そんな・・・」

「さ、次は減量ですぅ。」


 次にレーヴナスチは、恐ろしい感覚を味わう。

 己の肉体の一部と言える龍脈。それが端からどんどん崩れていくのだ。それを実行しているのは、他ならぬ自分自身である。


「やめろ!止まれ!何故・・・これは、俺の身体だ!」

「今は違いますよぉ。はい、次はこっち。」


 いつの間にか龍脈は消滅し、そしてとうとう肉体そのものが崩れ始めた。

 肉体を維持する魔力が霧散していっているのだ。


「やめろ、嫌だ・・・死ぬ?そんなはずは・・・こんな・・・」


 やがて頭も崩れ、塵となってレーヴナスチは消滅した。

 その塵から電流が放たれ、再び海底の岩から仮の身体を構築する。


「勝利!これにてリベンジ完了ですぅ!」

「よくやった。これでお前の任務は完了だ。」

「他は手伝いに行かなくて大丈夫ですかねぇ。」

「無茶をするな。お前が使っている魔力は、獏のものだぞ。そろそろ限界だろう。」

「おっとそうでした。じゃあ、先生の元に帰りましょうかね~。」


 そしてまたスミレは電流となり、南へと飛び去った。


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