315 転換点
8月16日。ヘカトンケイルの谷に築かれた帝国軍の陣。その中にある牢屋代わりの小屋で、軍師モリスは煙草を吸っていた。
椅子に座って寛ぐ彼の向かいに、机を挟んで座るのは、<剣聖>クロードだ。
「なあ、軍師さんよお。俺はいつ、あの<輝壁>の野郎を斬れるんだ?」
「当分無理だろうなあ。コイツ攫ったことで、向こうはお前さんがあちらのネームドとかち合うのを徹底的に避けるようになってるから。」
モリスがコイツ、と言って指差したのは、鉄格子の向こうにいるテツヤだ。
テツヤは不貞腐れた様子で2人を睨んでいる。
モリスの言う通り、テツヤが捕まってからというもの、イーストランド王国軍は偵察の数を増やし、クロードの動向を細かくチェックするようになった。テツヤの捕獲の際に利用した監視の穴も、しっかり埋めてきている。
そして、<輝壁>クリスがクロードとぶつからないように、細心の注意を払って配置している。
他の兵士たちも、クロードの動きを事前に察知して、接触する前に逃げ出す有様だ。
「全然戦闘にならなくて、俺は退屈だぜ。なあ、やっぱり敵の本陣を潰しに行っちゃだめか?」
「ダメだ。お前が敵本陣に突っ込めば、確かに蹂躙できるだろうが・・・それはこっちも同じなんだよ。」
クロードが攻めに出れば、この帝国軍の陣が手薄になる。そこに入れ違いで<輝壁>がやって来たら、目も当てられない。
現在、帝国軍は、大部分を西に展開しているため、この谷の陣にいる兵士はそこまで多くないのだ。
「俺が速攻で敵の本陣を潰して、急いで戻って来るってのはどうだ?」
「却下。敵は最悪、陣を捨てて逃げ回ることもできるんだ。捉えきれずに、この谷が奪われる可能性の方が高いね。」
「ちっ。じゃあ、このまま睨みあいかよ。<勇者>が戻って来ちまうぜ。」
<勇者>マサキが戻ってくれば、クロードは無敵ではなくなる。王国軍を潰す好機を失ってしまうだろう。
だが、モリスはあまり不安そうでもない。
「そん時は、お前さんには、別の舞台を用意してやるから。」
「へえ?」
クロードが興味深そうに身を乗り出す。
「それは、<勇者>対策があるってことだな?聞かせろよ。っとコイツの前じゃまずいか?」
クロードがチラッとテツヤを見る。
「いや、構わんよ。」
モリスは煙草の火を消して灰皿に捨てる。
「俺の予定では、<勇者>君が東に戻り次第、西の本軍を動かす。クロード、あんたはそっちに合流してくれ。」
「おっ、いよいよか。腕が鳴るぜ。あっちにはどんなネームドがいるんだ?」
「あっちもそんなに数はいねーよ。それに、運が良ければ・・・いや、お前にとっては、悪ければ、そのネームドも開戦時にはほとんどいなくなってるかも、だ。」
「ふうん。まあ、そうならないことを祈るぜ。」
「俺としては、そうなってほしいんだがね。楽だから。・・・ほら、巡回の時間だ。行って来い。」
「もうそんな時間かよ。へいへい。」
そう言ってクロードは立ち上がり、小屋を出て行った。
先程言った通り、この陣に<輝壁>がやって来れば、被害は甚大だ。そうさせないために、クロードは不定期に谷の周囲を巡回する。もちろん、すぐに陣まで戻れる範囲で。
巡回ルートは、あえてモリスは指定していない。クロードの気まぐれだ。そうすることで、王国軍側に動きを読ませないようにしている。
モリスは煙草をもう1本出しつつ、テツヤを見る。
「まあ、そう睨むなよ。悪いようにはしないさ。」
「・・・・・・」
テツヤは何も言わずにモリスを睨むだけだ。
モリスは溜息をついて、一服を始める。
そこで、ふと思い出した。
・・・そういや、もうあっちは決着ついてる頃か。
地味に忙しくて、西に行った<勇者>達と<赤鉄>一派の決戦の結果を見ていなかった。
モリスは『ラプラス・システム』の遠視機能で、世界のどこでも見ることができ、過去に遡って見ることも可能である。
ただし、起動と操作に詠唱が必要なので、人前ではできない。
『ラプラス・システム』は、未来予測に用いるもので、その存在を知る者が多ければ多いほど、精度が落ちてしまう。余人に見せるわけにはいかない魔法だ。
幸い、ここにはテツヤしかいない。テツヤは以前モリスと戦った際に、モリスに未来予知系の能力があることを察している。今更知られても問題ないだろう。
「ふう。『ラプラス・システム』。起動。遠隔視。緯度・・・」
位置を設定し、時間を巻き戻していく。
実のところ、モリスは結果が見えていると思っていた。
事前に『ラプラス・システム』で予測した結果では、<勇者>が敗れる可能性は0だった。
<赤鉄>の持つ戦力では、どうやっても『光の盾』を突破できない。それが『ラプラス・システム』の結論だった。
その周囲にどれだけの被害が出るか、それは正確な予測ができなかったが、<赤鉄>の生存ルートは逃亡以外なかった。
いずれの結末にせよ、<赤鉄>一派の損害は甚大なものとなる。そうなれば、フレアネス王国は大幅に戦力低下だ。
そこに帝国軍がなだれ込めば、一気に決着をつけられる。アルバリーの壊滅で混乱している状況も後押しするだろう。
故に、この遠視は、ただの確認だった。そのはずだったのだが・・・
「・・・・・・あ?」
モリスは遠視で見たのは、「闇」だった。『ラプラス・システム』の遠視機能をもってしても見通せない、観測不能の「闇」。その内部を演算で推定することもできない。
その「闇」が、<勇者>を吹き飛ばし、土の神子の巨大ゴーレムも喰い潰した。
そして、遠視が観測した結果は、<勇者>の敗走。
・・・おいおいおい、何だよこれは!これだけはあり得ないって言ってただろ!
モリスは動揺を表に出すまいと必死に抑える。だが、じっと見ていたテツヤは気づいていた。
「どうした、おっさん。想定外の事でも起きたか?」
テツヤはにやにやと笑っている。
「お前、何か知ってるのか?」
「知らねえよ?ただ、あのクロ、<赤鉄>が素直にやられるとは思ってなかっただけだ。」
テツヤには、まだ雷の神からの神託は来ていない。雷の神は電話などを利用して神託を伝えるが、投獄中のテツヤは、それらに近づく機会を得られていないのだ。
モリスは、煙草を改めて吸い、冷静さを取り戻すように努める。
・・・あの「闇」、一切観測ができなかった。『ラプラス・システム』が観測できない事象。それのせいで、演算が狂ったのか?
『ラプラス・システム』の未来予測は、事象の観測から得られた情報を基に計算して得られるものだ。その観測に異常があれば、正確な計算はできない。
モリスの考えの通り、<赤鉄>の「闇」により、演算は狂っていた。
マサキとクロの決戦について、計算できたのは、クロが覚醒しなかった場合の未来だけ。覚醒した場合の未来では、観測ができずに、計算結果はエラーとなっていた。
そんな状態で、『ラプラス・システム』に「<勇者>は敗北する可能性」を尋ねれば、計算できた部分だけで確率を計算することになり、0%としか出てこなかったのだ。
せめてそこで、「エラー」と返していれば、モリスも異常に気付いただろうが、『ラプラス・システム』はそういう仕様ではなかった。
そして、この事実は、モリスにとってとんでもない事態が起きていることを示している。
モリスも当然、それに気づく。
・・・ってことは、ああ、くそ!今後、<赤鉄>に関わるあらゆる事象が、予測不可能ってことじゃねーか!
モリスが改めて遠視を起動し、決戦後の<赤鉄>を観測しても、「闇」は展開されたまま。内部の観測は不可能だ。
それどころか、「闇」の範囲は徐々に広がっているようにも見える。
・・・くそ、どうする?今更、西に動かした軍を戻すなんてできねえぞ。
このまま作戦通りに西側を攻めれば、北上中の<赤鉄>とかち合うことは間違いない。いったいどれほどの被害が出るか、想像もつかない。もちろん、演算による予測も不可能だ。
とはいえ、大規模な軍隊を、急に移動させるなんて不可能だ。間違いなく<勇者>が東に戻ってくる方が早い。
それでも、<勇者>が戻って来ても、あんな化物がいる西を攻めるよりいいかもしれない。強引に東に再展開することも不可能ではないのだ。
だが、不可能ではないが、悪手ではある。
軍隊とは、機械ではないのだ。構成するのは感情を持ったヒトである。
西に移動した軍が、取って返して東へ。兵士たちの士気が下がるのは目に見えている。
しかも下手をすれば、移動中のどっちつかずな状態で、東も西も戦闘再開、なんてことになりかねない。
こんな時こそ、未来予測が欲しいところだが、もはやそれは当てにできない。
この先の未来は、もう神でも予測できない世界になったのだ。
モリスはしばらく沈思黙考し、そして覚悟を決めた。
「やるか。まったく、一か八か、なんて、いつ以来だか。」




