307 紅炎
この世界において、神とは、人の祈りを聞き届けるようなものではない。
八神は、この世界特有のエネルギーである魔力を、ヒトが効率よく運用するシステムを作り、管理する。
そして、この世界の維持のために、神子や神獣を派遣する。
八神がすることは、ただそれだけであり、この世界の社会においては、一部の国を除き、教会で祈ることは、魔法の使用許可を得る手続きでしかない。
たとえ、苦しさから神に助けを求めても、この世界の神はそれを助けたりはしない。世界を守ろうとはしても、個人を救いはしない。
だが、八神は機械ではない。感情の無いシステムではない。故に、例外は存在する。
例えば、覗き見ていた対象が、八神が気にかけていた者が、彼らに力を求めた時。
八神は、気まぐれにその願いを聞き届ける。既存のシステムから逸脱しない範囲で。
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クロが「それ」を見た時、かつて助けられなかった炎の神獣キュウビが現れたのかと思った。「それ」が纏う濃密な炎の魔力が、あまりにもキュウビに似ていたからだ。
今まさにクロにとどめを刺そうとしていたマサキも、その強烈な魔力に反応して、動きを止めている。
そして、数十mの距離まで近づいて、ようやく駆けつけて来たそれの正体に気がついた。
「養父様!」
「茜?」
肉眼で見れば、姿形にそれほど変化はない。だが、魔力視で見える魔力が、色も濃度もまるで別物だ。
アカネがマサキを睨みつける。同時に、身に纏う魔力が様相を変えて行く。魔法の行使の前兆だ。
「養父様、離れて!」
クロは返答する間を惜しんで、移動する。ほとんど尽きていた魔力だが、移動するだけなら問題ない。
クロがマサキから離れると同時に、アカネが開いた口の前方の空間から、蒼い炎が噴出し、マサキを襲う。
「これは、また・・・」
クロは再び驚く。
アカネの様子から、何らかのパワーアップをして来たのだろうと感じていたが、使用する炎魔法の威力が段違いに上がっている。
だが、<勇者>マサキが動じる気配はない。
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敵に蒼い炎を浴びせかけたアカネだったが、それが通じていないのはすぐにわかった。
・・・これが『盾』!養父様達が苦戦するわけだ!
アカネが放出し続ける炎は、標的であるマサキに当たった傍から反射され、後続の火炎流にぶつかって四方に散っていく。
・・・こんなんじゃ足りない!神様が言ってたのは、もっと、もっと熱い炎のはず!
アカネは、つい先ほど、自分に力を授けた炎の神のことを思い出す。
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少し前、アカネが神に祈った時のことだ。
時が止まったような世界で、アカネの目の前に、真っ赤な髪の偉丈夫が姿を現した。
「前神獣の子よ。力を望むか。」
「え?誰?」
困惑するアカネを余所に、炎の神は勝手に話を進めていく。
「ならば力を与えよう。お前が次の神獣になるのだ。」
炎の神が手をかざすと、次々と赤い魔力がアカネに注ぎ込まれた。
「わ、なにこれ?」
「お前の母親には、肉体改造も施すことで、恒常的な力を与えたが、お前はこの一時だけでよかろう。だが、それ故に、先代より大きな出力が望める。喜べ、お前はあの母よりも強くなれるぞ!」
「母さん、より?」
「そうだ。奴に与えた火砲は、お前も見ていよう。あの、蒼い炎を吐き出し、全てを融解させる火炎の放射を。」
「う、うん!」
あれは、アカネの憧れだ。忘れようもない。
「しかし、あれは、あの魔法の本来の姿ではない。」
「え?」
「あれの魔法の名は『紅炎砲』!天に輝くあの太陽の一端を模す、紅い火砲であるはずなのだ。お前の親、キュウビでは、その再現には出力が足りなかった。」
「母さんの力で、足りなかったの?」
「そうとも。だが、お前ならばできる!ほんの一時の限定的な力なのが残念だが・・・お前の才能ならば、きっと可能だ!」
炎の神はいたずらっぽく笑う。闇雲に力を求める狂人の笑みにも見えるその顔を、アカネは励ましと受け取った。
「ありがとう、神様!」
「何、気まぐれよ。だが、感謝されるのも悪くない。」
そこで、アカネは正直に不明な点を尋ねた。
「ところで、太陽って、炎なの?光じゃなくて?」
「む、なるほど。野で生きるお前には難しい話か。・・・そうだな。あの輝く太陽は、まさしく巨大な炎である!」
「巨大?」
アカネは太陽を見上げる。眩しくてよく見えないが、大きくは見えない。
「ここから見ても、その巨大さを理解できまい。だが、確かにあれは巨大なのだ。この星よりもな。この世界の、大地も海も、すべて合わせても、太陽の大きさには全く足りない。」
「そんなに・・・」
正直なところ、アカネにはスケールが大きすぎてピンと来なかった。
「だが、重要なのは、その大きさではない。その炎の熱さだ。かの炎は、遥か彼方から発する光だけでこの大地を温めている。どれほど熱いか理解できるか?」
「遥か彼方って、どのくらい?」
「そうだな・・・1億5000万km・・・お前の養母が全速力で走り続けても、3年ほどかかる距離だ。」
「・・・気が遠くなりそう。」
「そうだ。そんな気の遠くなるような遠方からでも、広い大地を温めるほどの炎だ。」
本当は輻射熱について説明しなければ、正確な説明ではないのだが、炎の神はわざと誇張していた。
現実の太陽よりも、もっと熱い太陽を想像すれば、その分だけアカネが使う炎は熱くなるはずだ。
「その太陽の表面にて渦巻く炎こそ、紅炎!お前がその力で、この地上に再現してみせるがいい!」
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・・・もっと熱く!もっと!
アカネの想いに応えて、アカネの周囲の魔力がどんどん集まっていく。
アカネには、紅炎の原理など理解できていない。それでも、アカネが想像する結果を再現しようと、魔力が集う。
やがて、蒼い炎は、色を変え、現象そのものも変化し始めた。
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その炎のただ中にいるマサキは、余裕があった。
「<赤鉄>は多くの魔獣を配下にしている、って聞いてたけど、これもそのうちの1匹かな。」
かつて、長期間マグマを押し止めた経験があるマサキからすれば、ただの炎魔法など、恐くはない。
ただ、今まで見た炎魔法に比べて、炎の色が違ったので、ちょっと見惚れてしまっていた。
しかし、それは油断でもあった。
『光の盾』は、熱を遮断する。指向性のある物の反射だけでは、熱などによる攻撃を防げないため、そこは別に断熱機能を設けていた。
魔力を纏った炎本体は反射し、そこから伝わる熱をシャットアウトする。完璧な防御だ。
だが、それ故に、マサキはその炎の温度が、とんでもない高温であることに気づいていなかった。
そろそろ、この魔獣の攻撃を振り払って、クロにとどめを刺すべきか。
そう思って1歩踏み出した時、踏み外して転倒しそうになった。
「うわっ、なんだ?」
固い地面を踏むはずの足が、粘度のある液体を踏んだかのように沈んだ。
いや、実際に足元が液体になっていたのだ。マサキの足元は、マサキがさっきまで立っていた位置を除いて、すべてが溶岩のようになっていた。
沈みかける足を引き戻して、まだ融けていない地面に戻る。
「参った。まさか、こんな足止めを喰らうとは。」
マサキの『光の盾』ならば、溶岩相手でも無傷だろうが、もう結構深くまで融けてしまっているようで、そこに足を踏み入れれば、どこまで沈むかわかったものではない。
「まあ、焦るほどでもないか。こんな出力、いつまでも持つわけない。ちょっと暑いのを我慢すれば・・・」
はたと気がつく。
「暑い?」
おかしい。『光の盾』は、熱を遮断する。暑く感じるはずがないのだ。
「そんなバカな・・・」
マサキを包む炎は、紅色に変わっていた。
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「いいぞお!もう少しだ!」
その頃、神界では、その戦いの様子を見ていた炎の神が、闇の神の脇で盛り上がっていた。
「お前、あの断熱結界を作ったのはお前だろうに。それを自分で壊すとは、阿呆ではないのか?」
闇の神が、炎の神を罵る。しかし、炎の神は、そんな罵倒など屁とも思っていない。
「何を言う!俺は日々進化しているのだ!過去に作った最高傑作の防御を、今の最高傑作が破壊する!これこそが俺の進化の証明!見ていろ、お前の反射機能もぶち壊してくれる!」
「ふん。それができたら、褒めてやろう。だが、それより先に<勇者>が蒸し焼きになりそうだがな。」
「何!?それではつまらん!おい、<勇者>、もう少し粘れ!根性を見せろ!」
「こやつ、無茶苦茶言っておる・・・」
闇の神は、喧しい炎の神を追い出したかったが、今は一瞬も目を離せない。
・・・役者はそろった。クライマックスはもうすぐだな。順調、順調。
闇の神は、仕掛けを使うタイミングを、ずっと計っている。




