299 「疾風」vs「大山」
マシロは、高い位置から、地上にいるクロを見る。
そのクロと戦い始めた<勇者>は、初手でクロの首を取りに行った。
その動きと、マシロに見える彼の感情の色は、以前見た時と別人のように思えた。
・・・前に見たときは、戦場に出た事も無い新兵のようでしたが、変わりましたね。
マシロが最後に<勇者>マサキを見たのは、ノースウェルだ。
その時点で、マサキは何度も戦場を経験していたはずだが、マシロには彼がまるで新兵に見えた。
守るべきもののために戦う覚悟はしているが、そのために他者を踏みにじり、殺し回るような覚悟はできていなかった。
戦場で殺し合いに身を投じながら、全員の幸福を願っているような、矛盾とも感じられる感情。以前のマサキを見て、マシロはそう感じた。
マシロからすれば、全員そろって幸福になるようなことはあり得ないと思っている。
幸福になるため、というより、生きるためには、土地や食料が必要で、それらはいつだってどこだって限られている。
土地や食料を平等に分配して、全員が生きられるならばいいが、現実はそうはならない。
結果として、それらを奪い合い、勝者がそれらを得て生き残り、敗者は死ぬ。
その摂理は、獣にとって当然のことで、こと戦場にあっては、ヒトも例外ではない。
故に、殺し合う相手を生かそうというのは、奪い合う土地や食料を分け合うことになり、最悪の場合、どちらにとっても足りなくなって、共倒れもあり得る。
戦場で相対した相手に情けをかけることは、誰も救われない未来につながりかねない。少なくとも、マシロはそう信じる。
もちろん、分け合って、両者が充足するならば、それに越したことはない。
だが、もしそうなら、それは戦い始める前にするべきことだ。
戦い始めてもまだ、その可能性に拘泥するのは、ただの迷いであり、隙を生む。
そういう考え方のもと、マシロはマサキを割と低く評価していた。神から授けられた力は強大だが、甘さがある、と。
だが、今のマサキは違う。
何が契機となったか知らないが、戦う相手を殺すことを、必要、と割り切って臨んでいる。
「<勇者>も成長しているのですね。」
そんなマシロの独り言に、答える声がある。
「そうとも。マサキは甘さを捨てた。お前達にかける温情はないぞ。」
「それは望むところです。」
「いい覚悟だ。だが・・・貴様はそろそろ儂から降りろ!」
その言葉と同時に、マシロが足場にしていた地面から、石の槍が無数に生える。
マシロはその発生予兆を感知し、余裕をもって回避する。
マシロが立っているのは、<大山>シンの巨大ゴーレムの頭の上だ。今の会話の相手も、ゴーレムの内部からシンが話していたものである。
マシロは、追うように生えて来る石の槍を、高速で走り回って置き去りにしつつ、ゴーレムの肩へと降りる。
同時に、頭めがけて双剣を叩きつけてみた。
結果、斬れないことはないが、浅い。しかも、その切り口はすぐに塞がれてしまう。
・・・やれやれ、まるで、巨大な魔族を相手にしているかのようです。
魔族が相手ならば、斬っても再生するとはいえ、いずれは魔力が枯渇する。それ以前に、急所を潰せば、行動を封じることができる。
だが、こうも巨大なゴーレムが相手では、急所などないし、魔力の枯渇もいつ訪れるのやらわからない。
術者が1人のヒトである以上、無限の魔力とはいかないだろうが、再生にかかるコストは少ないだろうと考えれば、すぐには枯渇しないはずだ。ゴーレムの修復は、人体を修復するよりもずっと低コストであるはずだから。
しばらくゴーレムの上で追いかけっこをした後、急にシンからの攻撃が止まる。
代わりに、まだゴーレムの内部から声が響いて来た。
「貴様はなぜ戦う?我らの狙いは<赤鉄>のみだ。この土地も事業も、潰す気はない。」
「それは有難いことですね。マスター、<赤鉄>も、そうあってほしいと思っていました。」
「・・・これはお前達への温情ではない。この世界に、こことその事業が必要だから、残すだけだ。」
「理解しています。我々は、自衛の手段の一つとして、この事業を興したのですから。」
この世界に必要なものになれば、敵対されない。それがクロの狙いであったと、マシロは理解している。
だが、結果として、世界はクロの討伐を決めた。
それでも、それを含めて、これはクロの狙い通りなのだろう、とマシロは思う。
マシロは、改めて地上で戦うクロを見る。
この戦いの前夜、準備をするクロを見て、マシロはいつもと違う雰囲気を感じていた。
クロの、戦いに臨む際の感情が、いつもと違っていたのだ。
勝利への自信と敗北への不安が共存しているのはいつも通り。クロは常に想像し得る最悪の状況を頭の中に置いている。
それは変わらないのだが、今回は不安が大きく見えた。
仕方ないことと思う。今回戦う相手は、かの名高き<勇者>。無敵の『光の盾』を擁し、誰が相手でも決して負けない、人類の希望。
その例外があったことは、ノースウェルで見たものの、その綻びをクロにも突けるか、それはわからない。
今回は、こうすれば勝てる、と自信を持って言える道筋がないのだ。はっきり言って、負け戦の可能性が高い。
だが、劣勢の戦いに臨む際とも、またクロの様子は違っていた。
クロは、勝てない戦ならば、迷わず逃げる選択肢を取れる男だ。敗北に不安はあっても、絶望はない。むしろ、どうやって逃げ切ってやろうかと工夫を凝らすくらいだ。
しかし、今回のクロの不安には、諦めに似た感情が混じっていた。
きっとそれは、今回、クロは、敗北したら、逃げるつもりがないのだ。
・・・マスターは、この戦い、勝てれば良し。負けても、自分だけが処断されるならそれでよし。そう思っている。
「土地と事業を残してくれるならば、<赤鉄>は負けても文句を言わないはずです。」
「ならば、何故戦う?」
改めて問われ、マシロは答える。
「私が、彼に生きていてほしいからです。」
自身は犬で、いつでも誰かの走狗だと定めていても、自我も感情もある。
これは、クロに仕える者としてではなく、マシロ自身の想いだった。
「その程度の理由ならば、こちらに止まる義理はない。押し通るのみよ。」
「でしょうね。これ以上の問答は無用です。」
マシロは、唐突にゴーレムから駆け下り始める。まるで自由落下の如く降り、滑らかに着地を決める。
家に向かって走り、クロに声をかけた。
「マスター!「鉄塊」を使います!」
「おう!存分にやれ!」
答えたクロが、倉庫へと手を伸ばす。
すると、倉庫の扉が独りでに開き、中から大きな物体が出て来た。
1m強の金属製の棒の先に、直径30cm程の鉄球がついている。これが、最近クロが作成した、打撃武器「鉄塊」だった。
魔法強化鉄で作られたこの「鉄塊」は非常に頑丈で、鉄球部分の内部には鉛が詰め込んであり、非常に重い。
それゆえ、使い手を選び、現状、クロとマシロしか使えない。
その「鉄塊」がクロの魔法で移動し、マシロがそれを受け取る。
総重量1tを超えるその超重量武器を、姿勢を乱すことなくマシロは構え、ゆっくりと巨大ゴーレムに近づく。
ゴーレムは、木々を薙ぎ倒しつつ進み、もうすぐクロの家がある荒れ地に到達するところだ。
そのゴーレムの太い脚が、あと10m程度というところまで近づいた時、マシロが一気に動く。
「『剣舞・上弦弓月』」
ただ一振りに全霊を込めるマシロの技だ。シンプルな横薙ぎが、超高速で行われ・・・
ドン!!!
巨大な重機で地を穿ったような音と共に、巨大ゴーレムの足が、だるま落としのように、砕けて吹き飛んだ。
ゴーレムは音を立てて傾き、バランスを崩し、足を止めた。
「中身が出るまで、丁寧に砕いて差し上げましょう。」




