292 アルバリーの惨劇 -経緯-
アルバリーで起きた事件の始まりについて、アルバリーに留まった男も、隣町に避難した情報屋も、同じ事象を上げた。
ただし、それを詳しく知っていたのは、町に留まった男の方だった。
「事の始まりは、やっぱり奴が町に来たことだと思います。」
「奴?」
「<赤鉄>です。」
情報屋も同じく<赤鉄>の来訪を事の発端として挙げたが、情報屋はそれを人づてに聞いただけだった。
それに対し、町に留まった男は、一部始終を見ていた。
「私は伯爵様の私兵です。いえ、でした。その日、私は外壁警備の担当で、壁の上に居ました。」
<赤鉄>がアルバリーにやって来たのは、6月17日のことだった。
白い巨大な狼、<疾風>の背に乗り、2人だけで乗り込んできたという。
「町を守る兵士の1人としては恥ずかしいことなのですが・・・私にはぼうっと見ていることしかできませんでした。<疾風>の名は伊達ではない、というか。本当に風のようにやって来ました。」
アルバリーの外壁は、戦時に町を守ることを想定され、強固に高く作られている。仮に帝国軍が攻めてきても、数ヶ月籠城できると想定されていたほどだ。
しかし、<赤鉄>と<疾風>は、それを難なく突破してしまった。
その日、壁の上の兵士たちは、いつも通りの日常、すなわち、退屈な警備任務に就いていた。
有事の際には、豊富に蓄えられた矢や銃弾を、外敵に向かって浴びせかけ、町を守る重要な任務だが、平時には何もすることがない。
任務としては外を見張らなければならないのだが、何もない草原をぼーっと見ているくらいなら、むしろ内側の町を眺めていた方が有意義とさえ思われていた。
町で揉め事を見かければ、仲間の兵士に連絡を入れたり、壁を下りて駆け付ける。そういうことがなくても、人の営みを高いところから見ているのも、まあ、退屈しのぎにはちょうどいいものだ。
そんなわけで、壁の上にいた兵士のほとんどは、壁の内側を見ていた。
一応、伯爵からは、<赤鉄>来訪の可能性を伝えられていたため、何人かは外を見ていたが、それもあまり身が入っていなかった。
それも兵士の気持ちを汲めば、致し方ないかもしれない。「警戒しろ」と言われても、いつ来るのかわからないものを警戒し続けるのはつらいものだ。何日も警戒しっぱなしでいられるヒトはそう多くない。しかも、本当に来るかもわからないと来た。
そういうわけで、外を見ていた数名も、仲間と談笑しながらだったり、カードで遊んでいるものまでいた。
そんな中、奴らはやって来た。
「私は仲間と話してましたね。何の話だったかな。夜はどこに飲みに行くか、とか話してたと思います。で、ふと、草原の方を見たら、白黒の何かが、とんでもない速度で町に向かって来てたんですよ。」
アルバリーの外壁は、15mを超える高さがある。そこから草原を見渡せば、かなり遠くまで見えるだろう。
だが、彼が「それ」の接近に気づいてから、「それ」が町に近づき、壁の上に一足飛びで乗り上げるまで、数秒もなかった。
彼が気づくのが遅かったのもあるだろうが、この速度は誰も想定していなかったのが一番大きいだろう。碌に迎撃もできずに、「それ」の侵入を許してしまったのは。
「私達の意識としては、仮に外敵が来たとしても、発見から町に到達するまで数十分はあると考えてますからね。仮に騎馬や帝国の自動車だったとしても、数分はかかるでしょう。数秒で接近されて、しかもジャンプして15mの壁に上って来るなんて、想像もしていなかったです。」
壁の上に到達した「それ」、<赤鉄>と<疾風>は、驚愕で固まる兵士たちを一瞥した。そして、<疾風>は溜息を吐き、<赤鉄>は「サボりか?」と一言残して、壁を下りた。もちろん、町の中の方に。
「それからは大混乱でした。兵士の一部は奴らに挑んだそうですが、まあ、相手になりませんよね。実戦経験もない我々と、戦場で一騎当千のネームドじゃあ、束になったって敵いっこありません。その辺、伯爵様はわかってなかったみたいですが。」
最終的に、<赤鉄>達が町にいる間に、返り討ちにあった兵士は、伯爵の私兵の過半数に及んだ。<赤鉄>からは一切手出しをしてこなかったという。
「私も一度は討伐の任に就きましたが、その、恐くて。後ろでビビってたら、突っ込んだ先輩方が皆殺しにされて終わりました。私には、一瞬視線を寄こしただけでしたね。それだけでもう、縮み上がってしまいましたが。」
それ以降、彼は任を解かれ、自宅に戻っていた。
「私が家に戻ると、父の看病をしてた母が、代わりに出て行きました。「悪魔に一言物申してやる」って息巻いて。私は止めたんですけどね。・・・ええ、母は外で皆と同じになってますよ。文句言った日には元気に帰って来たんですがね。」
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一方、情報屋は、当時の状況を可能な限り詳しく調べていた。
「<赤鉄>は、町に乗り込んできた後、伯爵の私兵と散発的に戦ってた以外は、大人しいもんだった。戦闘でも、自分に手を出して来た奴にしか反撃してなかったみたいだぜ。まあ、反撃はどれも一撃必殺だったようだが。」
「自分からは手を出さなかった、と?」
「そうだ。罵詈雑言を浴びても、冷たい視線を送るだけ。石を投げられる程度までは許容してた感じだったな。あ、でも石を投げるのも、殺す気で投げた強めの奴には、反撃してたな。何かを投げて、投げられた奴が内側からぐちゃぐちゃに掻き回されてた。」
そうして<赤鉄>は、自分を攻撃する者だけを殺しながら、伯爵邸に向かったという。
「伯爵邸ではいっそう激しい戦闘があったみたいだが、俺でも流石にそこの詳細は掴めてねえ。ただ、結果だけ言えば、伯爵の惨敗。屋敷に詰めてた兵士は全滅。あ、逃亡兵を除く、な。ただ、不思議なことに、伯爵自身は生き残ってたんだよな。」
情報屋が使用人経由で聞いた話では、<赤鉄>は確かに伯爵の私室まで乗り込んだそうだ。しかし、伯爵を殺さず、屋敷を出たという。
ただし、<赤鉄>が帰った後の伯爵は、ひどく怯えていたそうだ。
「逃げる」「いや無理だ」「見たくない」「死にたい」「いや死にたくない」「でも、嫌だ」等、支離滅裂な独り言を延々と呟いていたらしい。
「何か、脅しをかけられたんだろうけど、内容はわからねえ。結局、その伯爵もアレで死んじまったしな。どうせ殺すなら、なんで生かしといたのか。」
「その、アレ、はやはり<赤鉄>の仕業なのか?」
アレ、すなわち、伝染病と見紛う謎の現象で、アルバリー市民のほとんどが死亡したもののことだ。
「証拠はねえ。方法もわからないんだからな。ただ、奴が何をしに来たかって考えれば・・・まあ、<赤鉄>の仕業だろうよ。」
<赤鉄>が、自分の領地に手を出した者に容赦なく復讐するのは、世に知られたことだ。
そして、アルバリー伯爵が<赤鉄>の領地に嫌がらせをしていたのも、公然の秘密であった。伯爵は証拠をひたすら隠蔽していたが、市民の間では噂になっていた。
事件の流れをまとめていた<草>が質問する。
「で、そのアレが起きたのは何日だ?」
「6月27日の朝だ。」
「27日・・・ん?待て、<赤鉄>達がアルバリーに来て、伯爵邸に乗り込んだのが、17日と言わなかったか?」
「言ったぜ。17日だ。」
「では、間の10日間は、<赤鉄>達は何を?」
それを問われると、情報屋は困った顔になった。
「それが、調べてた俺にも意味が分からねえんだが・・・町を見て回ってたぜ。」
「町を・・・」
「ああ。ゆっくりと隅々まで、まるで観光するみたいにな。しかも、たびたび住民から罵詈と石を浴びながらだぜ?まったく動じてなかったけど、そうまでして町を回った理由が、俺にはわからんね。」
「隅々まで、か。」
<草>は何らかの魔法を仕掛けたのではないか、と予想した。
しかし、その可能性は低い、と自ら頭の中で否定する。
何しろ、<赤鉄>は金属操作と生活魔法以外の魔法は使えない、という情報があるのだ。その情報が欺瞞の可能性もあるが、これまでの<赤鉄>の戦果を見るに、真実だろう、とフレアネス王国では見ている。
ならば、町一つの住人すべてを同時に殺す魔法が、<赤鉄>に使えるか?
生活魔法で?あり得ない。
金属操作で?被害者に外傷はないというのに?
「調査隊と情報共有すべきだな。」
「なんだ、結局てめえもあそこに行くのか?」
「無論だ。何としても原因を解明しなければ。」
「やめといたほうがいいぜ。呪われてるって言ったろ?」
「呪いではない、と証明しに行く。」
「・・・ここまで聞いて、それでも行くのか。なら、せいぜい、伝染病じゃないって証明して来てくれや。」
「ああ。」
<草>は得た情報をまとめたメモを懐に仕舞い、アルバリーへと急いだ。
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生存者から情報を聞き終えた調査隊は、被害者の解剖に着手していた。
生存者の話を聞いても、<赤鉄>が何かをやった、ということしかわからない。
ヒントとしては、被害者は皆、死の直前、血を吐いていたらしい、ということくらい。
・・・おそらくは内臓のどこかへの攻撃、なのだろうが・・・
症状からすれば、そう推測できる。だが、魔法による人体の内部への攻撃というのは、通常不可能なはずだ。
魔力は、他人の魔力で満たされたものに入れないし通過できない。その魔力の所有者に許容されれば別だが、敵であれば、まずいきなり敵の体内に魔法で干渉することはできない。
魔法出力の差が大きければ、ゴリ押しは可能だが、100万人強のアルバリー市民を同時攻撃すること、そして、伯爵はそれなりの実力者であったことを考えれば、やはり不可能だ。
そうは思いつつも、他にできることもない。調査隊は目を凝らして、遺体の内臓を観察した。
その結果、
「これ、か?」
見つけたのは、心臓と肺にあった、いくつかの小さい穴。腐敗し始めた臓器では、見間違いの可能性もあるが、他にそれらしきものは見当たらない。
穴は1mm前後の小さなものだが、こんな穴が心臓や肺に開けば、間違いなく死ぬだろう。木魔法による自己治癒が得意な者でも、心臓は流石に治癒できない。第一、肺に穴が開いた時点で、とんでもない苦しみが被害者を襲うはず。とても冷静に対処などできまい。
調査隊は、遺体を片付けて、町の外の陣地まで戻り、結果について討議する。
「被害者の症状から見ても、やはりあの穴が死因と考えられる。」
「はい。問題は、どうやって穴を開けたか、ですが。」
「うーむ。」
皆、そこで行き詰まる。
先も述べた通り、魔法で内臓に干渉はできない。
「奴は金属魔法の使い手でしょう?針を突き刺したのでは?」
「あり得るが・・・じゃあ、お前、市民全員に同時に仕掛けられるか?」
「私は無理ですけど、戦艦を吹っ飛ばした<赤鉄>なら・・・」
「魔力量の問題じゃない。市民の位置をどうやって把握する?一カ所に集めてたわけでもないんだぞ。」
「あ、それは・・・無理ですね。」
針を作って市民同時に刺した、というのであれば、市民全員の位置の把握が必要だ。しかも、正確に心臓と肺を狙わなければいけない。
それに、市民は動く。速度も方向もまちまちで。それが100万人だ。とても捉えきれない。
「事前に仕掛けていた、というのは?」
「そうですね。ことを起こすまでの10日間、<赤鉄>は町を見回っていたそうですし。」
「その際に、住民1人1人に仕掛けた、というわけか。それなら、生存者がいる理由も説明できる。」
10日間の間に、<赤鉄>の目に留まらなかった者は、仕掛けをされることはない。
「いい仮説だ。だが、どんな仕掛けを?針を事前に刺しておく、なんてあり得んぞ。」
「「・・・・・・」」
結局、<草>と合流した後も、調査隊は町を調査したが、新たな知見は得られず。
調査の結果として、「<赤鉄>が住民に何らかの仕掛けを施し、虐殺した可能性がある。仕掛けの内容は不明。」となり、国王に報告された。
感染症ではない、と公表され、アルバリーの生存者達は胸を撫で下ろしたが、殺害方法の謎は残り、周辺住民は不安を残すことになった。
その不安は、フレアネス王国全体、そして、世界中に伝播していく。




