289 軍師の出陣
7月2日。ライデン帝国の北端に位置する帝都。その中心で、今日も皇帝は軍師モリスからの報告を受けていた。
「えー、クロードを先週から前線に投入してます。先月28日には、ターゲットと接敵。<勇者>の邪魔が入って取り逃がしましたが、同行した兵の報告によれば、ターゲットを圧倒していた、とのことです。」
「うむ。」
報告を聞く皇帝は頷くが、表情は固い。これからモリスが報告する内容まで既に読心で読み取っているからだろう。
「えっと、ただし、クロードは、ターゲットを殺そうとしたそうです。不幸中の幸い、と言うべきか、<勇者>の介入で、ターゲットは死なずに済みましたが・・・」
「奴に目的は伝えたのだな?」
「命令書には、生け捕りと確かに記載しましたが・・・読んでないかもしれませんね。」
組織においては、連絡が非常に重要だ。特に、誤報や命令の誤解があっては、重大な問題に発展する恐れがある。
故に、上からの命令は緊急時を除いて必ず文書で渡される。誤解のないよう、細かく書かれた命令書だ。
書く側は、誠心誠意、現場でもわかりやすいよう、心を砕いて書いている。のだが、現場からすると、長ったらしくてわかりにくい、と思われやすい。
それが続くと、次第に面倒臭がりな現場は、命令書を細部まで読まず、概要だけ見て対応するようになる。
終いには、文書は受け取った者だけが読み、口頭で概要だけ伝えられ、各兵士に伝わる頃には、内容が変わってしまうこともある。
・・・前世に比べりゃ型は古いが、印刷機もある。無線連絡を通じて命令し、聞いた奴がそのまま一言一句正確に書いて、印刷。ここまではできてるだろうが・・・その文書が、全兵士とはいかなくても、部隊長くらいには行き渡っているべきなのに、それができてねえんだろうなあ。
そんな愚痴を内心で零しつつも、現場を見た事があるモリスは、現場でどのようにして、連絡が行き届かなくなるか、一例を想像する。
「命令が届きました。」
「確認する。・・・よし、各隊長に配布せよ。」
「はっ!」
「A隊長はどこに?」
「A隊ならここにはいないぞ。無線で聞いてみろ。」
「わかった。」
「こちら司令部。A隊、命令書を渡したい。隊長は?」
「こちらA隊長。悪いが、最前線で待機任務中だ。司令部まで戻ってる余裕はない。このまま口頭で伝えてくれ。手短にな。」
「了解しました。」
・・・とまあ、そんな感じで、細部は伝わらない、と。
その妄想を読み取ったのだろう、皇帝がモリスに呼びかける。
「確かに、組織が大きくなれば、そして不測の事態が多い最前線では、連絡不行き届きもあろう。だが、クロードには直接命令書を渡したはずだが?」
「あ、・・・あー、そうでしたね。」
思い返してみれば、クロードには、ここを発つ際に直接渡していた。
普段の命令系統に思考が飛んでしまったのは、モリスが常々抱えている不満のせいだろう。
「となると、奴が読んでいないだけ、ということか。」
「ですねえ。やれやれ、<夜明け>の連中は、よくあんな狂戦士を御していたものです。」
「リーダーを殺したのは、早計であったかもしれんな。」
皇帝はちらりと横に目を向ける。そこに居るのは、護衛であるライオだ。
狙撃を受けて瀕死の重傷となった<夜明け>のリーダーにとどめを刺したのはライオである。
「え?あれ、生かしとくべきだったっすか?」
威圧ではないにせよ、皇帝から責めるようなことを言われたライオだが、悪びれる様子もなく、首を傾げるばかり。
皇帝は軽く溜息を吐き、モリスに視線を戻す。
「まあ、過ぎたことは止むを得まい。改めて命令を出す。だが、それも無視される可能性を考えると・・・」
皇帝からの直接命令であれば、どんな兵士も従うだろう。だが、周囲がどれだけ説得しても、クロードが聞き入れるかどうかは怪しい。彼の圧倒的な武力を考えれば、力に物を言わせて好きなようにやる可能性もある。
「モリス、貴様が行け。」
「おや、出張ですか。」
モリスは軽く答えたが、内心では意外な指示に驚いていた。
そして、その動揺を見逃す皇帝ではない。意地の悪い笑みでモリスを見ている。
・・・俺の腹の内を知ったうえで、自由にするってことかい。
皇帝は、モリスが心から皇帝に忠誠を誓っているわけではないことを見抜いている。ところが、皇帝は、そのモリスを切り捨てもしなければ、件の洗脳魔法すら使用して来ない。
感染型の洗脳魔法は無差別に感染するが、この地に気を許すような仲間がいないモリスにとって、無差別の洗脳は問題なく抵抗できる。
だが、皇帝から直に喰らえば、耐え切れない可能性が高い。
しかし、皇帝はそうしない。まるでモリスを試しているかのようだ。
・・・あるいは、遊ばれてんのかね。
そんな数秒の思考の間も、皇帝は微笑んだままだ。
「ご命令とあらば、最前線に赴きましょう。羽を伸ばさせていただきますよ。」
「ああ、そうしろ。好きにすればいい。」
その言葉を、モリスは「反乱でもなんでもやってみろ」という意味に聞こえた。
とはいえ、そんな挑発に乗るモリスでもない。また、忠誠がなくても、帝国が勝ち馬ならば、乗り続ける気満々だ。
そして、勝ち馬と思って乗るなら、勝つように援護もする。
「ところで、俺の『目』で面白いもんが見えたんですがね。」
「ほう。」
「西の方で、一悶着、っていうには規模がデカい問題が起きましたよ。」
そうして、モリスは、先月にフレアネス王国西部の鉱山都市アルバリーで起きた惨劇の概要を説明した。
「<赤鉄>が友好国の都市を一つ滅ぼしたか。」
「奴がやったっていう証拠はないですがね。俺の『目』で見てても、どうやったのかわかりませんでした。」
「ふむ。それは面白い。・・・だが、重要なのは、それが周囲に起こす影響だ。」
「ええ。各国が動くでしょう。たとえ、海を挟んだ反対側でも、ね。」
モリスがニヤリと笑う。
それを見た皇帝も笑みを深める。
「策あり、と言うところか。」
「ええ。陛下の許可があれば、すぐにでもやりますよ。」
そして、モリスはその策の段取りを済ませた後、翌7月3日に帝都を発った。
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同日、7月3日。早朝にそれはフレアネスの王城に届いた。
出勤したメイドの1人が、朝早くに届いていた隼便に気づく。
隼便のハヤブサは、夜はほとんど飛ばない。故に、早朝に到着していることは珍しい。しかし、全くないことでもない。
だから、メイドはいつも通りにハヤブサが持っている手紙を受け取り、ハヤブサを放してやる。ハヤブサは自ら待機場所へと飛んで行った。
メイドは手紙の外装を眺める。
市販の封筒に、これと言って印章もない。手触りから、中の手紙本体の折り目は汚そうだ。送り主はだいぶ慌てて送ったらしい。
・・・王様はまだ起きてないだろうし、まずはメイド長に確認ね。
そして、メイドがメイド長にその手紙を渡すと、メイド長が中身を検めた。
現在、メイド長は国王の執務補佐までやっている。たとえ機密文書だったとしても、メイド長が読むのは問題ない。むしろ、後の仕事がスムーズに進むくらいだ。
毒や魔法的なトラップを確認し、中身を読む。「字が汚いですね。誰でしょう?」などと初めは暢気に言っていたメイド長だったが、読み進めるごとに顔色が悪くなっていった。
そして、読み終えた途端、なりふり構わず走り出した。慌ててメイドも追う。
「メイド長!?どうしたんですか!?」
「・・・・・・」
メイド長は振り返りもせずに走る。そして、礼儀も何もなく、国王の寝室に飛び込み、国王を叩き起こした。
「なんだぁ?帝国が攻めて来たとか?」
寝ぼけ眼をこすりながら、ジョナサン国王が体を起こした。
「そうではありませんが、事の重大さとしては同レベルのトラブルです。」
「む。」
国王の表情が引き締まった。
色々と大雑把な国王ではあるが、それでも国王として責任感はしっかり備えている人だ。少なくとも、メイド長の後ろで息を切らしているメイドはそう思った。
「すぐ着替える・・・いや、その前に概要を。」
「アルバリーが滅びました。」
「・・・・・・」
「えっ?」
国王は沈黙。代わりに若いメイドが驚きの声を漏らした。
メイドは慌てて口を覆うが、両者の目が自分に向き、それが別に責めているわけでないことを感じ取ると、おずおずと尋ねる。
「あの、アルバリー、って、あの、鉱山都市の?」
「そうです。滅びました。」
「滅んだ、って・・・」
うまく言葉が出てこないメイドを遮り、国王がメイド長に指示する。
「詳細は後で・・・そうだな、10分後に執務室で聞く。その間に、緊急会議の手配を。」
「承知しました。」
メイド長は、先程の全力疾走などなかったかのように颯爽と部屋を出ていく。若いメイドはまたも慌ててついて行った。
・・・こんなに動けるメイド長もすごいけど、こんな連絡を受けて、動揺もしない国王様って本当にすごいわあ。
メイドの想像力では、まさか国王が、この事態を想定済みだったとは思いつきもしない。




