279 アナライザー
6月某日、フレアネス王国の王都。獣人族の国の中心であるここは、雑多な種が住んでいるために、住宅街は様々な建物が規則性もなく詰め込まれている。地下に住みたがる奴もいれば、木の上に住みたがる奴もいるせいだろう。
こういう町は区画整理も非常に困難で、どこに誰の家があるのか、すべてを把握している者は存在しないと言っていい。
そのため、知らないうちに空き家になっている家もそこそこあり、そこに無法者が住み着くこともままある。
無法者といっても様々だ。盗賊のような悪党から、職に就けなかった貧乏人まで。
そして、王都西門に近い空き家の1つには、ヒトですらない連中が住みついていた。
「ふーむ。」
その空き家の2階では、老人が机に広げた書類を前に、腕組みして唸っていた。
「どうしました?コンダクター。」
傍に居た若者が声をかける。
老人の通り名はコンダクター。魔族の中でも指折りの実力者で、魔族の一部を統括する族長の一人でもある。また、魔族の集落の中では、最年長の魔族でもある。
「何、この先の展開について、予想が難しくなってきてな。」
「前に、我々は勝ち馬に乗っている、と言いませんでしたか?」
コンダクターは頷く。今、コンダクターと話している男は、サイレンスという通り名の魔族だ。見た目は若いが、結構なベテランである。数十年前からコンダクターの片腕として仕えている。
「そうだ。儂等は勝ち馬に乗っておる。・・・だが、勝率が100%とは言い難くなってきた。」
「はあ。」
サイレンスとしては、その勝ち馬が何であるかすら知らされていないので、事の深刻さも実感できない。ただ、今のように悠長に構えていられなくなる、とは感じた。しかし、そう感じたとしても、詳細がわからない以上、サイレンスにはどうもできない。
そういうサイレンスの心情を察してか、コンダクターが、睨んでいた書類をサイレンスに手渡した。
書類には、数字が並んでいる。
対象A
膂力:レベル6
耐久:レベル6
敏捷:レベル5
魔力容量:レベル6
魔法制御力:レベル6
魔法回復力:レベル7
抗魔力:レベル9
対象B
膂力:レベル8
耐久:レベル8
敏捷:レベル7
魔力容量:レベル8
魔法制御力:レベル8
魔法回復力:レベル9
抗魔力:レベル11
「これは、アナライザーの?」
「そうだ。分析を頼んでいたものがようやく届いた。」
アナライザーとは、魔族の集落にいる偏屈な魔族だ。
コンダクターに次いで長く生きており、魔法の腕前も族長並みだが、その性格故、族長には名を連ねていない。
どんな性格か、一言で表すなら、マッドサイエンティストである。
魔族という種の大半が魔法の研究家である中で、さらに研究に傾倒している。戦闘はからっきしのくせに、好奇心で戦場にまで首を突っ込む。
しかし、その甲斐あってか、魔法使いの力量を測ることを得意としており、何度か戦闘を見れば、対象の力量を分析、数値化までやってのける。
最近は、闇魔法による記憶共有を活用して、本人が戦場に赴かずとも分析ができるようになっている。
「使者を立てて、分析を頼んでいたのだ。随分と時間がかかったが。」
「寝る間も惜しむワーカーホリックが遅れるとは珍しいですね。」
魔族は睡眠なしで活動しても身体に影響はない。しかし、精神には影響するので、多くの魔族はヒトであった時と同じように睡眠をとる。
「まあ、今回の分析は難題だったからのう。無理もない。」
「難題ですか?」
サイレンスは改めて分析結果を見る。
対象Aは、軍の一兵卒の平均がレベル5であることを考慮すれば、ベテラン兵士くらいの実力はあるが、そこ止まり、という印象だ。ネームドの域に達するには、突出しているのが抗魔力だけ、というのは苦しい。
対して、対象Bはステータスだけで十分ネームド級だ。敏捷だけやや低いが、工夫で補える程度。多くの戦場で安定した活躍が期待できるだろう。
分析結果を見ただけでは、コンダクターの言う「難題」の意味が分からない。
サイレンスが頭を捻っていると、コンダクターが答えを示す。
「そのAとBは、同一人物だ。」
「・・・は?・・・いや、あり得ないでしょう。」
生物の身体機能のスペックというのは、体調や精神状態で変動する。
アナライザーの分析値は、その平均値を見ているはずだ。それに、いくら変動すると言っても、体調や精神状態だけで、レベルが2段階も上がるはずがない。例えばレベル4と6の差は、一般的な成人男性と、何度も戦場を潜り抜けたベテラン兵士くらい違う。鍛えることで伸びることはあるが、それでもレベル1~2くらい。少なくとも、全能力がまとめて2段階も上がるはずがない。
「バフの有無ですか?いや、それにしたって・・・」
木魔法で身体強化すれば、確かに膂力や敏捷が上昇する。一流の木魔法使いなら、これくらい上がるかもしれない。
だが、それで上がるのは身体能力に関するところだけのはず。魔法の能力まで上がるのは解せない。
しかし、サイレンスの言葉を、コンダクターは首肯する。
「その通り。Bはバフの効果だ。」
「こんな強力な強化魔法が存在するんですか?」
「前代未聞、というわけではないが・・・まあ、奴のアレはかつてない代物だろうな。」
そこで、サイレンスはこれが誰のステータスか察した。
「まさか、これは・・・」
「そうだ。クロのデータだ。Aが集落にいた頃の数値。Bがここ最近、戦闘時の奴を測定したものだ。」
「・・・・・・」
サイレンスは息を呑む。クロの能力が何らかの魔法で大きく変動するとは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
いくつか問いたいことがあったが、サイレンスは順を追って尋ねる。
「まず、奴の素の状態のステータスが低いのが驚きです。」
ステータスの平均がレベル6。ベテラン兵士並のステータスだが、魔族の平均から考えれば低い方だ。魔族化により、肉体の最適化、魔法の能力の向上が起きる魔族は、大抵、どのステータスもレベル7以上に達する。
平均がレベル7以上となればネームド級だが、だからこそ100年前の戦争では、少数の魔族が世界を相手に戦えたのだ。
「だろう?ボマーの奴も油断するわけだ。こんなステータスならば、たとえ不意打ちでも負ける気がせん。・・・普通はな。」
ボマーとは、クロを従者として従えていた魔族の族長の一人だ。族長の中でも屈指の武闘派だったが、クロが入念な準備と不意打ちによって仕留めた。
「儂が見誤ったのは、クロの奴の伸び幅だ。儂の見立てでは、奴はまだこの強化魔法を全開で使っておらん。6割か、5割。体への反動を警戒し、抑えて使っていると思われる。」
「これで、ですか。」
サイレンスは改めてBのステータスを見る。平均レベル8。長所の少ないAのステータスから一転、安定感のある隙の無い構成になっている。
加えて言えば、抗魔力がレベル10を超えている。これは、世界屈指のレベルであり、ともすれば、八神からの干渉すら弾きかねない代物だ。
「つまり、コンダクターの見立てでは、全力稼働すれば・・・」
「全ステータスがレベル10か、それ以上、となるだろうな。その片鱗はあの戦いで発揮されておろう。」
「どれです?」
「戦艦を吹っ飛ばした、アレじゃよ。」
「ああ・・・」
クロが昨年の帝国との戦いの最中、帝国の最新鋭戦艦を破壊し、西大陸の北岸から東側の平野まで飛ばした事件だ。
戦艦という大質量を、超長距離飛ばすという、常識外れの魔法。あれが実現可能な存在がいるとすれば、八神の魔力を直接授かる神獣の類だけだろう。
「ただし、全開で使った場合の反動は、途轍も無いものじゃろう。それについては前例がある。」
「アレの前例が?」
「復讐魔法じゃ。感情に呼応して発動するという点で、クロの魔法と似ているが、知られているのはオンオフだけの機能じゃな。」
「話には聞いたことはありますが。」
復讐魔法。術式を用いない原始魔法で、術者の感情に呼応して勝手に発動する。制御が効かないのが難点だが、効果は非常に大きい。
「あれは自爆技では?」
「そうだ。だから、クロも全開稼働すれば死に至るじゃろう。」
「それは、恐れる必要があるのですか?」
一発限りの自爆技。当たれば怖いが、その手の特攻には躱し方というものがある。逆に言えば、回避さえしてしまえば勝手に自滅してくれるのだから、御しやすいとすら言えるかもしれない。
サイレンスの意見に対し、コンダクターは腕組みで悩む姿勢に戻った。
「そうだ。確率は極端に低い。だが、1%でもあり得るならば、考慮はしておかねば。」
コンダクターは独り言をブツブツと呟く。
サイレンスの予想では、コンダクターは、クロがその自爆特攻でもって「勝ち馬」を倒してしまうことを懸念しているのだろう。
しかし、コンダクターが「勝ち馬」の正体を話す気がない以上、そこを尋ねても無駄だ。
仕方ないので、サイレンスは話題を変える。
「ところで、ボマーと言えば、魔族化の研究をしてましたよね。」
「ん?ああ、そうだな。」
魔族として転生したクロを調べたのもボマーであり、魔族化の動物実験を行っていたのもボマーだった。結局、成功例はムラサキだけだったが。
「今更ですが、なぜコンダクターは彼の研究に協力してあげなかったんですか?我々の知見を教えれば、彼の研究ももっと効率的に進んだでしょうに。」
「例えば?」
「魔族化の方法は、何も魔族の体の一部を食べる事だけじゃない、ってことですよ。」
「ああ、それか。」
コンダクターはふう、と溜息をつく。呆れているというよりは、何かを残念に思うように。
「お前が言ってるのは、昔の話だろう?」
「ええ。コンダクターが話してくださったじゃないですか。何十年前かは忘れましたが、コンダクターは、魔王様の血を浴びて魔族になったって。」
「・・・だから、食べなくても血を浴びただけで、魔族化し得ると?」
「違いますか?」
「なら、お前はどうやって魔族化した?」
そう問われて、サイレンスはハッとした。
「・・・コンダクターから、指をいただきました。」
「そうだ。魔族化の条件は、魔族の体の一部を食べること。それは間違っておらん。血をかけただけで魔族化できたのは、魔王様の特権よ。」
「そういうことでしたか。申し訳ありません。」
サイレンスは詫びつつも理解した。なるほど、ボマーの研究は無駄ではなかったわけだ。
しかし、そうすると別の疑問がわく。
「では、なぜ魔王様だけ?」
「それは、単純な話よ。魔族の血もまた、世代を経れば薄まるということじゃな。わかるか?」
「・・・確かに、薄まるかもしれませんね。」
ヒトを魔族化するのは、魔族細胞である。魔族細胞がヒトの体に入り、ヒトの細胞を魔族細胞に置き換えることで魔族化する。
その際、入り込んだ魔族細胞をコピーしていくのではなく、元のヒトの細胞を、魔族細胞に作り替えていくのだ。でなければ、元の人格や身体機能を継承し得ない。
そうなると、魔族化した者の細胞は、その前の世代に比べて、原初の魔族細胞からどんどん離れていくことになる。
「薄まることで、魔族化の成功率はどんどん下がっていく。原初の魔族細胞は、血を浴びるどころか、身体に触れただけで対象を魔族化したそうだ。魔王様は第二世代だったため、まだ魔族化の成功率も高く、条件も緩かった。だが、ボマーは・・・第五世代あたりだったか?それは、100匹実験しても成功するまい。それに、魔族細胞はそもそもヒトを強化するために作られたもの。獣には適合しにくい。ムラサキとやらが成功したのは、奇跡じゃな。」
「ヒトのための?・・・コンダクターは、魔族の起こりをご存じなのですか?」
魔族を創りだしたのは、300年前の科学者、ライアン・バーナードという異世界人であったと言われている。彼が魔族を創りだしたすぐ後、八神の命令で神子と神獣が総出で彼を粛清した。
しかし、彼がどうやって魔族を創り出したのか、粛清され、滅ぼされたはずの魔族がどうやって今日まで残って来たのか、どこにも記録が残っていない。
そんな長年の謎を知っているのか。サイレンスの問いに、コンダクターは平然と答えた。
「ああ、知っておる。知ってしまい、八神から身を守るために、魔族になったのだからな。」




