273 魔族の味覚
6月1日。今日は線引き作業を休みにして、クロ達はピキルとの会談へ。ブラウンは1日だけ王都に戻って溜まった仕事の片付けだ。
そして午後には会談も終わり、クロ達が家に帰還する。
留守番をしていたダンゾウがクロ達を出迎えた。
「おお、クロさん。会談はどうでした?」
「今回は特に何もなかった。線引きの進捗と、リースの会談の確認。あと、その他現状確認だけだな。」
リースとユルルの会談は7月1日の予定だ。
尚、今回の会談中もアカリは『ガレージ』に隠れ続けていたため、ピキルが残念そうにしていたが、わざわざ報告することでもない。
「そうですかい。クロさん、この後空いてるなら、工場のことでちょっとお話が。」
「何だ?なんかトラブルでもあったか?」
「いえ、若手から工程の改善案が出てまして。」
「ほう、そりゃいい。聞いてみよう。」
そうしてクロは、ダンゾウと共に工場へ向かった。
アカリはそれを見送ると、ムラサキに促されて家に入る。これから2人でピキルに振舞った料理の後片付けと、夕飯の準備だ。
家に入ると、いつもより静かなことに気がつく。
「あれ?狸さん達は?」
「さっきダンゾウが行ってた話かね。」
いつもは先代のお供も含めて数人の化け狸が家の中にいるものだが、今は彼らも工場に行っているらしい。
ヤマブキはいつもの巡回へ。マシロはアカネと共に、侵入者への警戒も兼ねて、狩りに出たようだ。
静かな家で2人きり。台所で皿などを洗う。
黙々と作業をするのもいいが、せっかくだから何か話そうか。
そう考えたアカリは、以前から気になっていたことをムラサキに聞くことにした。
「そういえば、ムラサキさん。」
「おう、何だ?」
ムラサキは今は獣人形態で皿洗いをしている。紫髪の猫耳少年の姿だが、子供ではない。ただ、身長が低いので、踏み台に乗って作業している。その光景がまた、彼を子供っぽく見せた。
「以前・・・前世で読んだ本にあったんですが。」
「うん。」
「動物は、人間ほど味覚が発達していないんだそうです。いや、正確には、動物の味覚は、食べられるかどうかの判別くらいで、人間のように細かな味の違いはわからないんだとか。」
「へー。」
正直なところ、アカリもはっきり内容を覚えているわけではない。また、本で読んだのか、テレビで見たのかも、はっきりわからない。ただ、こちらの世界でテレビと言ってもすぐには理解してもらえないだろうから、本で読んだことにした。
「それは、人間の骨格が、風味を感じることができる造りだからなんだそうです。動物たちは、骨格の形状の関係で、人間のように風味を感じることはない。」
「ふむ。」
「だから、その・・・ムラサキさんって、料理の味、わかってます?」
「失礼だな、おい!」
ムラサキの口調から、怒ってはいないようだとわかったが、確かに自分の言い方が失礼だったと気づいて、アカリは慌てて言い直す。
「ああ、すみません!言い方が悪かったです!・・・あの~、えと、猫の姿の時と、ヒトの姿の時で、味の感じ方に違いあります?」
「あー、そういうことね。・・・ああ、だいぶ違うよ。」
「やっぱりそうなんですね。」
「うん。だから、飯食う時は、オレ、いつも獣人形態だろ?」
「確かに、そうですね。」
思い返せば、ムラサキは大抵、食事の時は獣人形態になって、席について食べている。
「猫のまんまでも味がわからないわけじゃないが・・・やっぱヒト型のほうが美味く感じるな。」
「なるほど。他の方々もそうですもんね。」
マシロもヤマブキも、食事の時はやはりヒト型になっている。
「そうだな。他の奴らも同じ感じなんだろ。・・・マシロはいつまで経っても味音痴だが。」
そう言われてアカリは、マシロが料理すると必ず味付けが極端になることを思い出した。マシロも何度か挑戦しているのだが、どうしても味が薄すぎるか濃すぎるか、どちらかになってしまう。最近はもう、食材がもったいないから、と諦め気味だ。
何事もそつなくこなすマシロの唯一とも言える弱点である。しかし、アカリはそれを治すべきとはあまり思わない。
・・・完璧超人よりも、どっか抜けてる方が、親しみやすい、って本当よね。いや、マシロさんには言えないけど。
マシロ自身は弱点を克服したいと思っているらしいし、面と向かってそんなことを言えば気分を害するだろう。
とはいえ、悔しがっているマシロが、アカリにはちょっとだけ可愛く思えた。それを思い出して、アカリは笑う。
「ふふ、そうですね。なんでマシロさんだけ、苦手なんでしょう。」
「ヤマブキでさえ、わかってんのになあ。」
ヤマブキは料理をしないが、味の批評をとても正直に話す。
アカリは知らないが、魔族化してすぐの頃は、ヤマブキは何でも旨い旨いと言って食べていたらしい。
しかし、しばらくすると、「今日はいまいちでござるな」とか普通に言うようになった。
それがなかなか的確なうえ、微妙な違いにも気づくようである。
「あいつも、魔族化したての頃は、初めて味わうヒトの味覚に、単純に感動してたんだろうなあ。」
「そんなに違うものですか?」
「違う違う。全然違うぞ。世界が変わるね。」
ムラサキは感慨深く言う。
「そこまで感動するのはムラサキさんだけじゃないですか?」
「いや!あれは魔族化した獣なら皆感じる感動だね!間違いない!・・・あ、でもマシロは除く。」
「マシロさんを除いたら、ムラサキさんとヤマブキさんしかいないじゃないですか。」
現状、魔族化に成功した獣は、ムラサキ、マシロ、ヤマブキのみである。
「おっと、そうだった。・・・ほい、これラスト。」
「はい。」
話しているうちに、たくさんあった洗い物がほぼ片付き、最後の1つとなった。
それをアカリに任せたムラサキは、物置に食材を取りに行った。
その間に、アカリは、洗い物をしながら、これから話す本題を、どのように言うべきか確認した。
1分程度で、ムラサキが戻って来た。
食材を並べるムラサキに、アカリが意を決して尋ねる。
「じゃあ、ムラサキさんも、魔族化する前は、ヒトのような味覚はなかったわけですね。」
「そうだな。」
「ところで、ムラサキさんが魔族化に成功したのって、何がしたくて生き延びたかったからって、言ってましたっけ。」
「ん?唐突だな。・・・まあ、色々だよ。楽しいこと。」
「その楽しいことって、料理とか?」
「そうそう。あと、美味いもん食べたり。」
ムラサキはまだ気づいていない。
アカリは、もう一押し、ムラサキに尋ねる。
「でも、魔族化前は味わからなかったんですよね?」
「え?そりゃ・・・あれ?」
ムラサキも気づいたようだ。
ムラサキの話が正しければ、矛盾しているのだ。
ムラサキが魔族化に成功したのは、「美味いものを食べて、人生を楽しみたい」という目的があったため、死に抗ったから。しかし、魔族化前は、料理のおいしさなど、知らなかったはずなのだ。たとえ、飼い猫であった際に美味い料理を食べていたのだとしても、それを感じられなかったはずなのだから。
そもそも、ムラサキとて、魔族化してからまだ数年だ。味覚を持ってから、まだそれしか経っていない。にもかかわらず、いくら料理本とかで勉強したからと言って、これほど旨い料理が作れるものだろうか?
アカリはそれに気づいてから、ムラサキに尋ねる機会を窺っていたのだった。
長い沈黙。ムラサキも料理の手を止めて、虚空を見つめている。表情はわずかずつ変化しているが、なかなか口を開かない。
そして、何分経ったのか、お互いわからないくらい長い沈黙の後、ムラサキが料理を再開しつつ、静かに言った。
「そういや、アカリもまだ、オレの前の質問に答えてなかったな。」
「何でしたっけ。」
「お前、ここで会う以前にどこかでクロに会ったんじゃねえか、って話。」
「ああ・・・」
あれは、勇者の救出作戦の時だったか。確かにムラサキからそう問われた。緊急連絡が入って有耶無耶になっていたが、確かにアカリはそれに答えていなかった。
「・・・なんで、そう思いました?」
「クロは見ての通り、大の人間嫌いだ。いくら有能だからって、人間を身近にほいほい置く奴じゃない。せいぜい、スミレみたいに取引相手として付き合うくらいだ。それを普通に家に置いている。クロにも聞いたが、アイツに自覚はなかった。記憶がないんだから、それは仕方ない。だからアカリに聞いたのさ。」
「そういうことですか。」
今度はアカリが黙る番だ。しばらく考えて、ムラサキの言いたい事に気づいて、躊躇いがちに口を開く。
「さっきの件、追及しませんし、誰にも言いませんから、その話もスルーしてもらっていいですか?」
「おう。そうしておこうぜ。」
アカリの方の話は、別に秘密にするようなことではない。そもそも、こんな言い方をした時点で、「会ったことがある」と言っているようなものだ。
それでも、どうにも気恥しくて、アカリはそれを話さないことにした。
誰だって、大なり小なり、多かれ少なかれ、過去に秘密を抱えているものだ。仲間だからと言って、その全部を打ち明ける必要はない。
特に、ここ、クロの家に集まった者たちは、仲間であることを強制などされていない。互いの利害や目的が一致しているから、一緒にいるだけのことだ。目的が変われば、利害が合わなくなれば、いつでも出て行っていい。そんな場所である。無理をしてまで仲良くなる必要はない。
・・・それでも、いつかは話そう。私が話してもいいと思えるか、ムラサキさんの秘密をどうしても知りたくなったら。いつかはわからないけれど。




