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第7章 青い竜
332/457

265 線引き作業の打合せ

 5月14日。クロの家の製錬業が朝の入荷業務を終えたあたりで、来客があった。


「おはようございます。」

「こんにちは~。」


 来客はブラウンとスミレの2人だ。


「おはよう。入ってくれ。」


 客の2人をクロが出迎える。

 2人が客間に入ると、すぐにマシロが紅茶を出した。


「さて、早速始めるか。」

「ええ。よろしくお願いします。」


 この来訪は事前に連絡があって来たものだ。今日は境界線の線引き作業の事前打ち合わせである。

 ジョナサン国王の突然の外出のせいで延期されていた線引きが、ようやくできるようになったのだ。


 この作業はできるだけ早く済ませてしまいたいが、今回ばかりはそうもいかない。

 まず、今回周る範囲が非常に広いせいだ。距離もさることながら、アイビス山脈を越えなければならない。しかも往復だ。数日で済むような作業ではない。

 さらに、昨今クロの家への襲撃者が多いのも問題だ。線引きと警戒を同時に行うために、変則的なスケジュールにならざるを得ない。

 これらの問題のために、いきなり出発するのではなく、事前の打ち合わせを行うことになったのだ。


 打ち合わせには、領主のクロ、ブラウンの足になるマシロ、線引きと家の往復スケジュールを実現させる要となるアカリに、その補佐のムラサキ。そして線引き中の周辺警戒担当のヤマブキ、留守番の指揮をするダンゾウ、さらに今回はアカネも参加していた。


「私も参加していいの?」

「無茶をさせたくはないんだが、作業中はどうしても戦力を二分することになるからな。頼むぞ。」

「やった!任せて!」


 アカネは今まで、「危険だから」と様々な作戦で置いてけぼりになっていた。それを不満に思い、度々文句を言っていた。今回は参加できると知って、心から喜んでいる。


 対してフレアネス王国側の参加者は、境界魔法で線引きを行うブラウンと、なぜか同行しているスミレだ。


「この度は対応が遅れて申し訳ありません。」

「お前が多忙なのは知ってるから、別にいい。というか、お前ももう立派な役職なんだから、いい加減、現場作業は他の奴に任せたらどうだ?」

「そうしたいのは山々なのですが・・・ここに来るのは、その、嫌がる者も多くて、ですね・・・」


 ブラウンは言いにくそうにそう言ったが、クロとしてはここが忌避されるのはむしろ歓迎すべきことだ。そうすることでこの地へのヒトの干渉を減らしているのだから。

 そうすると、ブラウンが忙しい中で線引き作業にわざわざ出向いてくることになっている原因は、クロにあるとも言える。


「何というか、悪いな。忙しいのに。」

「い、いえ、とんでもないです。」


 間の説明を飛ばして急に謝ったクロに、ブラウンは困惑気味に応じた。

 そこへスミレが割って入る。


「はいはい、さっさと打ち合わせを始めましょうね~。」

「それは同感だが、なんでお前がいるんだ、スミレ。」

「え?そりゃあ、未知への探求・・・じゃなくて、ブラウンさんの護衛ですよぉ。」

「はあ。」


 完全に好奇心でついてきたことが丸わかりである。護衛だとか言っているが、好奇心を隠す気がないように見える。


「ブラウンの護衛なら、移動中に勝手にどっか行ったりはしないな?」

「・・・もちろんですぅ!」

「現時点で既に嘘だとわかると言うのは、何というか、嘆かわしいですね。」


 マシロが処置無し、とばかりに呆れる。現地に行ってから好奇心に負けて行ってしまうならまだしも、打合せ段階から護衛をする気がないと考えてしまっている。どうしようもなかった。


「コイツなら奥地に置いてっても勝手に帰るだろうが・・・変なことされたくないから、コイツは当日連れて来ないでくれ。」

「ちょっと!クロさん~。ひどいじゃないですかぁ。」

「当然の対応だと思うが?」


 クロはスミレの同行を止めようとしているが、その理由をぼかして話す。

 スミレを同行させたくない本当の理由は、ユルルを見つけてほしくないからだ。

 今回の線引き作業では、アイビス山脈を越えていくため、ユルルの縄張りを通過することになる。

 そのため、ピキルと事前に話し合い、線引き作業中、蛇竜人達はクロ達に近づかないように決めている。

 今回の線引き作業でブラウンが見聞きしたものは、人跡未踏の地の最初の記録になる。「山頂やその付近には何もいない」と記録してもらい、ユルルの存在を世間から隠したかった。

 蛇竜人達がクロ達を避けるための目印は、上空を飛ぶヤマブキだ。ヤマブキを見かけたら、その真下には近づかない取り決めにしている。ついでに、付近の魔獣をそこに寄せ付けないのも依頼した。


 ところが、スミレが同行してしまうと、スミレは高確率でクロ達の元を離れて探索に出てしまう。そうなれば、ユルル側との取り決めは無意味になってしまい、蛇竜人がスミレに見つかる可能性が高い。そうなれば、好奇心旺盛なスミレのことだ。もっと奥地まで探しに行って、ユルルを見つけてしまうだろう。

 それを避けるためには、適当な理由でスミレの同行を止めるしかない。


「ブラウン、あんたからスミレを止められないか?」

「残念ながら・・・私では力不足です。」


 地位や権力的にはブラウンはスミレに命令できる立場ではある。だが、それを素直に聞かないのがスミレという生物だ。止めるには実力行使しかないが、それができるのは、今やフレアネスには国王くらいしかいない。


「じゃあ、仕方ないな・・・」


 クロが傍らに置いていた愛剣「黒嘴」を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。


「え、ちょっとぉ、クロさん?まさか、実力行使じゃないですよねぇ?」

「何、殺しゃしねえよ。」

「半殺しにする気満々じゃないですかぁ!そこまでしますぅ!?」

「線引きが終わったら俺の領地になる土地だぞ。そこを勝手に弄ろうとしてる奴なら、半殺しは優しい方だろ。」

「じゃあ、外側!線引きの外側だけにしますからぁ!」

「却下だ。そっちもいずれは俺の領地にする。」

「それは暴論でしょお!?」


 そんなやり取りの間にもクロは間合いを詰め、応じてスミレは後退する。

 結局そのまま、クロは力づくでスミレを追い出した。


「ふん!いいですよ~!いざとなれば、どうにでもできるんですからっ!」


 そんな捨て台詞を吐いて、スミレは家の外に出た。だが、音を聞く限り、帰ったわけではなさそうだ。

 ともあれ、スミレを追い出したクロは、客間に戻って椅子に座る。


「さて、やっと始められるな。」

「ご迷惑おかけします。」


 ブラウンが謝りつつ、打合せが始まった。


 地図を見ながら、どれだけの日数がかかるか試算していく。距離、標高差、魔獣の予想生息数などを参考に計算。その結果にトラブルが起きたときのために余裕を持たせて日数を追加した後、侵入者対応のための時間も追加する。


「早くても1ヶ月くらいはかかりそう、か。」

「そうですね。ですが、アカリさんの『ガレージ』があるからこそ、1ヶ月で済む、とも言えます。」


 1ヶ月の行軍となれば、必要な物資は多い。水はどこでも魔法で用意できるとしても、食料はある程度必要だ。現地調達も不可能ではないが、それを当てにするのは危険である。必ずしも食べられるものがあるとは限らないのだ。少なくとも、山頂付近での狩りは不可能である。

 そういうわけで、どう切りつめても大荷物になることは避けられない1ヶ月分の物資。これの運搬を、アカリの『ガレージ』は一挙に解決してくれる。


 さらに、線引き作業と家の往復も、アカリの『ガレージ』があれば可能だ。

 留守番にダンゾウ達がいるとはいえ、クロの不在を知れば、仕掛けてくる刺客は少なくないはずだ。不定期に家に戻り、不在ではないと見せなければならない。

 もし『ガレージ』による転送がなければ、度々作業を中断して戻って来なければならないか、守りをダンゾウ達に一任しなければならないところだった。


 なお、ブラウン達には『ガレージ』のことを隠してはいない。今回の作業では多用することになるので、隠し通すのは無理があるからだ。


「責任重大だなあ、アカリ。」

「・・・頑張ります。」


 ムラサキが心配そうに言うと、アカリは緊張した顔で頷いた。

 荷運び、クロ達の往復、緊急時の連絡など、アカリは今回の作業の要であり、命綱とも言える。

 アカリは不安と責任を重く感じてはいたが、同時に嬉しくもあった。自分が役に立っていると実感できることは、アカリにとっては何よりも大事なのだ。


「昼に線引きで、夜だけ家に戻る、っていうのはダメかな?」

「それも考えたが、往復のスケジュールが傍目にもわかるようなパターンだと、空いてるところを狙われる危険がある。休みは必要だな。」


 アカネの提案にクロが答えた。

 スケジュールには、線引きをしない休日がある。これは昼も家にいて警戒に当たる日だ。これがあるために、1ヶ月かかることになっているとも言えるが、昼は必ずいない、というようなことになれば、そこを狙われかねない。


「そーそー、休みは必要だぜ。文字通りの意味でもな。」

「ムラサキさんの言う通りでさ。未開の地の探索ってのは、神経を使うもんですぜ。」


 ムラサキとダンゾウは、体を休める意味でも休日は必要だと主張する。

 ムラサキだけだとサボりに聞こえるが、ダンゾウが言うと説得力がある。


「そっか。休まないと疲れるよね。ごめんなさい・・・」


 自分の提案に穴があったことを自覚してアカネが俯くと、傍にいたヤマブキが屈んで頭を撫でた。


「落ち込むことはないですぞ、アカネ殿。初参加で意見を言えただけでも立派でござる。ハハハ、拙者など、大抵、会議の際には突っ立っているだけでござるからな!」

「声高に言うようなことではありませんが・・・ヤマブキの言う通りですよ、アカネ。初めは誰しも失敗するものです。次に活かしなさい。」

「はい!」


 気を取り直したアカネを確認してから、クロは話を続ける。


「さて、スケジュールはこんなところか。移動方法は前回と同じでいいか?」

「そうさせてください。お手数おかけします。」


 線引き作業は森や山を歩き回ることになる。元軍人のブラウンが弱いわけではないが、クロ達のペースにはまずついて来れない。そういうわけで、マシロの背にブラウンを乗せて移動する予定だ。魔獣の襲撃からブラウンを守る際にも、この位置がベストである。



 その後、細かいところを打ち合わせて、終わったのは昼だった。


「では、明後日の朝から。よろしくお願いします。」

「ああ、こちらこそよろしく。」


 そうしてブラウンがクロの家を出た。が、すぐに驚愕の声をあげた。


「うわぁ!?」


 何事かとクロ達が急いで外に出ると、原因はすぐにわかった。

 家の前にいつの間にやら青い竜、リースがやって来ていたのだ。

 ブラウンとスミレが来た時は、リースは森に出ていた。打合せ中に帰って来たのだろう。家を出て突然この巨体が覗き込んでいたら、大抵は驚く。


「あら、この兎獣人があなたのカレシ?」

「そうですぅ。」

「・・・・・・」


 いつもなら即座に否定するブラウンだが、突然の竜の出現に固まってしまっている。


「固まっちゃってるわ。弱そうだけど、こんなのがいいの?」

「ちっちっち。リースさん。こう見えてブラウンさんは優秀なんですよぉ。腕っぷしだけがイイ男の条件じゃあありませんよぉ?」

「そうかしら?そこは最低限の条件だと思うけれど。」


 何故かリースとガールズトークめいた会話しているスミレ。追い出された癖に帰った気配がないと思いきや、リースと仲良くなっていたらしい。


 ・・・コイツのコミュ力はどうなってんだ?明らかに胡散臭い奴なのに。


 あちこちから素早く情報を仕入れてくるあたり、スミレが初対面の者に取り入るのは得意技なのだろう。だが、クロから見ればどうみても胡散臭い怪しい存在であり、いきなり他人から信用を得られる人物には見えない。

 なぜ多くの者はスミレを無警戒に受け入れてしまうのだろうか。それはクロにはわからなかった。


 実のところ、スミレは相手の性格を見抜くのが上手く、相手に会わせて態度を変えているだけである。クロには素で行った方が受け入れられると読んだからこそ、クロから見ればそう見えているだけなのだ。

 事実、クロはスミレのことをある程度認めてしまっている。


 ともあれ、出会って数時間もないのに仲良くなったスミレとリース。2人してブラウンの長所や短所を言い合っているうちに、ようやく再起動したブラウンが、2人の会話を遮った。


「すみません。竜にお目にかかったのは初めてでして・・・ブラウンと言います。えーと、まず私はスミレの彼氏ではありません。」

「あら、そうなの?まあ、そんなに堅くならなくていいわよ。彼氏じゃなくても、スミレとは仲がいいんでしょ。」

「仲がいいと言いますか・・・仕事仲間です。」

「大差ないわよ。ともかく、敵対するわけでもないんだから、そんな緊張しなくていいわ。」

「は、はあ。・・・とにかく、今日は帰りますので。スミレ、帰りますよ。」


 ブラウンがスミレを呼ぶと、スミレが突然妙なことを言い出した。


「あ、そうだぁ。ブラウンさん~。休暇ください~。」

「え?休暇って・・・」

「長期休暇ですぅ。1ヶ月くらい旅に出るのでぇ。」

「は、ええ?旅、ですか?」


 意味が分からず混乱しているブラウンを余所に、リースがクロに問う。


「そうだ、クロ。さっき家で話し合ってた感じだと、私が源泉に行けるのは再来月の頭になるのよね?」

「ああ。悪いな。線引きのスケジュールもこれ以上遅らせられん。」

「別にいいわ。1ヶ月くらい、竜にとっては大したことないもの。源泉が逃げるわけじゃあるまいし。」


 ピキルに依頼した、リースとユルルの会談については、6月1日の定例会談の時だけ線引きを休みにしてピキルと会い、そこでは会談の是非だけ確認するつもりだ。了承が得られた場合、会談は7月1日になるだろう。


「で、一月半、暇なわけだし、私はスミレと出かけて来るわ。」

「構わないが、どこへ行くんだ?」


 本音を言えば、リースが家に留まってくれれば家の防備が充実するので、行ってほしくないところだが、客人であるリースを引き留めるわけにもいかない。

 行き先を尋ねられたリースは、巨大な胸を張って答える。


「海底探索よ!」


 クロには、なぜリースとスミレが短時間で意気投合したのか、理解できた気がした。


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