263 各国の情勢-イーストランド-
5月10日。イーストランド王国の王城では、リー国王が精力的に働いていた。
先月末のフレアネス王国のジョナサン国王訪問時には、一時、絶望を味わわされたが、その後、今まで政治には口を出してこなかったヴェスタが改善案を出すようになり、希望を見出すことができていた。
希望が見えれば、仕事にも身が入るというもの。未だ国内の状況は芳しくないが、少しずつ回復していた。
失った兵士を補充するべく、若い者から兵士を募集した。強制的な徴兵も考えたが、それにはマサキが反対。代わりにマサキが勇者として積極的に市井に出て声をかけることで、強制せずともそれなりの人数が集まっていた。
その兵士の教育については順調だ。先の戦争でトラウマを負い、戦場に出られなくなった兵士も、新兵の教育はできる。教官の人材は豊富に用意できた。
物資については、武器の類がやや不足していたが、これは同盟国のネオ・ローマン魔法王国から供給された。前線に出す兵士の数を絞る代わり、ということだろう。ただし、無料ではなく、ネオ・ローマンにも借金する羽目になったのは頭が痛い問題だが。
そして、食料については当てがある。先の戦争で勝ち取ったノースウェルだ。初めは重荷だと思っていたコレも、うまく活用すれば、国力回復の一助となる。
・・・前向きに考えてみれば、何とかなるものだな。
リー国王は執務に追われながらも、当面の危機、すなわち、備えが不十分なうちに帝国の侵攻を受ける事態は回避できそうだ、という希望を感じられていた。
そんな折、リー国王の下に1通の手紙が届いた。
「陛下、失礼します。隼便でお手紙です。・・・ノースウェルから。」
「ノースウェルから?例の件の返事がようやく来たか。」
リー国王は執事から手紙を受け取る。魔法などによるトラップの確認は執事が済ませているだろうが、念のため、開封前に自分の目でチェックする。
差出人の名前を見ても、すぐには誰だがわからなかったが、数秒悩んで、ノースウェルの枢機卿の1人だと思い出した。
罠の危険はないと判断し、開封。読んでみれば、内容は確かに先日送付した、ノースウェルからイーストランドへの食糧などの供給指示、つまり徴税の話の返答だった。しかし、返事の内容はやや予想外のものだった。
「執政官を送ってほしい・・・?」
手紙に書かれていたのは、現在、ノースウェルの政治機構は混乱の極みにあり、徴税に対応する余裕がない、ということだった。
したがって、速やかに納税を始めるためには、イーストランドから人材を貸してほしい、とのこと。
リー国王は、手紙を持ってきた執事にも内容を聞かせた。
「どう思う?わざわざ執政官の派遣を求めるとは・・・」
「はい。普通は自治を許されれば、多少の無理をしてでも自分たちで国を動かそうとすると思います。」
戦勝国が敗戦国を好きに扱うために、人を派遣してその国の政治に口を出すのはよくあることだ。それにより、武力を背景に無茶な税金を敗戦国に求めることもままある。そう言った過去の事例から、敗戦国はできるだけ戦勝国からの干渉を避けようと試みるものだ。
故に、今回、イーストランドがノースウェルに「自治を許すので税だけ納めるように」と指示したのは、この世界の歴史を鑑みれば、とても寛容な条件だったはずだ。
ところが、ノースウェル側は執政官の派遣を求めている。自国の政治に干渉してくれ、と言っているようなものだ。
さらに言えば、ノースウェルは宗教国家であり、イーストランドとはシステムがまるで異なる。イーストランドの執政官が口を出せば、軋轢を生むのは火を見るより明らかだ。
「やはり、文面通りの意図ではないだろうな。」
「ええ。全くの嘘でもないでしょうが・・・真意は別にあるでしょう。」
2人は執務室で向かい合って頭を捻る。会議で討議すべきものではあるが、緊急性のあるものでもない。会議までの間にある程度詰めておくに越したことはない。
「執政官の暗殺、か?」
「お言葉ですが、それは考えにくいかと。いくら異教徒とはいえ、それが愚行だと理解はできるはず。」
戦勝国からの執政官を暗殺するなど、一時の憂さ晴らし以上のメリットがない。せっかく終わった戦争の再発の引き金になりかねないし、国際的な信用が地に落ちる。
しかし、リー国王はその一般論に対し、首を横に振る。
「確かに、一般的には愚行だ。だが、この状況ではどうだ?むしろ神聖国の連中が再戦を望んでいる可能性もある。」
「・・・・・・!」
執事はハッとする。そうだ。神聖国側は、別に戦争が再発しても、さして困らない可能性がある。
先の戦争は、勇者マサキが神聖国のトップである教皇を倒したことで、決着となった|(実際に倒したのはクロだが、表向きにはマサキが倒したことになっている)。加護を失った神聖国の騎士団は撤退し、そのまま戦争は終結した。
だが、冷静に見返してみれば、失った兵力はイーストランドの方がはるかに大きく、もしそのまま戦い続けていたら、滅んでいたのはイーストランドの方だっただろう。
今、この状況で戦争が再開すれば、勝つのはほぼ間違いなくノースウェルだ。いくら加護がなくなったとはいえ、兵の数も質も今はノースウェルが上だ。新兵を加えれば、数ではイーストランドが勝るが、訓練も不十分な新兵など、アレが相手では、まず使い物にならない。
せめて新兵の訓練が完了する数か月後までは、決して事を構えてはならない。
「執政官を送ること自体は、いい。徴税に関しての調整もやりやすくなる。メリットは大きい。ただ、難癖をつけて戦争を再開されることだけは避けねばならない。」
「そうすると・・・執政官は、どなたを送るべきでしょう。」
「それは、会議で決めるべきだ。だが、最低でも自衛できる者でなければ。」
執政官の暗殺による戦争再開を避けるためには、暗殺されても挑発に乗らない、というのも1つの手だが、それは後々イーストランド王国の不利益につながる。
一言で言えば、なめられる。個人ならばメンツをかなぐり捨てるのもアリだが、国のメンツは生命線の1つだ。不利益を受ければ断固とした態度で立ち向かう姿勢を見せなければ、延々と不利益を押し付けられる。
最善は、仮に暗殺されそうになっても、それを回避できることだ。それなりの強者が執政官となるか、執政官の護衛として同行すればいい。
「どなたがよいでしょう?」
「戦闘能力なら、マサキかシン殿。いや、シン殿はネオ・ローマンの所属であるから、適切ではないか。」
ヴェスタも相当な実力者だが、暗殺の回避という点では相性的に不向きだ。攻撃に特化した能力を持つヴェスタでは、室内での不意打ちに対応しにくい。
「マサキならば、どんな暗殺も回避できるであろうが・・・」
「お待ちください。勇者様を送るのは、神聖国民の感情を逆撫ですることになりませんか?」
「む・・・確かに。」
神聖国民にとって勇者マサキは、教皇を打ち滅ぼし、神の加護を奪い取った仇敵だ。それが神聖国の政治に介入するとなれば、国民の反発は相当激しくなるに違いない。
国王と執事はしばらく悩んだが、結局、結論は出なかった。
「ここでは、ここまでだな。会議の準備を頼む。」
「はい。手配しておきます。」
翌日からの開かれたこの件に関する会議は1週間以上に及んだ。
なかなか結論が出ず、最終的にネオ・ローマンに助けを請い、護衛を派遣してもらうことになった。事前にノースウェルにその旨を伝え、了承を得てから。
そうしてネオ・ローマンからやって来た護衛役を迎えたリー国王やマサキ達は、その人選に少し驚いた。
「お久しぶりですね、勇者殿。活躍は聞き及んでおります。」
「お久しぶりです、クリスさん。」
マサキは護衛役の男と握手を交わした。
クリス・スフェール。<輝壁>の二つ名を持つ、ネオ・ローマンのネームドの中でも随一の実力者。以前、帝国の侵略拠点であるトンネル攻略を試みた際に、クリスはネオ・ローマンから一時的に派遣されていた。
その後、マサキがトンネルに閉じ込められ、イーストランドが窮地に陥った際に、あっさりと見限って帰国した男だった。
そういう経緯もあって、イーストランド側からは毛嫌いされている人物だ。
とはいえ、表立って批判するのも憚られる。
「その・・・まさかあなただとは思いませんでした。」
マサキはできるだけ言葉を濁して言った。「この国で嫌われているあなたが選ばれるとは思わなかった」という意思を隠して。
それを知ってか知らずか、クリスは爽やかに答える。
「少人数で多数を相手に防衛するのは、私の得手ですから。適材適所ですよ。」
マサキの印象では、このクリスという男は、他人の感情を察することができないほど鈍いようには見えない。おそらく、自分が批判的な目で見られていることを知ったうえで、あえて無視しているのだ。
・・・これが生粋の貴族。優秀な政治家ってことか。
いかなる罵声や蔑視を受けても動じない精神。マサキはクリスを好ましくは思えないが、その姿勢には見習うべき点があると思った。
クリスはリー国王へと向き直り、改めて礼をする。
「我が国から貴国に供与できる物資は限られています。神聖国からの徴税がうまくいけば、我が国の負担も減るでしょう。尽力させていただきますよ。」
「ご協力感謝します。こちらが執政官のソンです。」
「この度、執政官に任命されました。よろしくお願いいたします。」
そうして、執政官ソンとクリスは他数名を伴って、その日のうちにノースウェルへと出発した。
それをリー国王は心配そうに見送った。
「うまく行ってくれれば良いのだが。」
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「ルートリクス様。ようやくイーストランドから執政官が来るようですよ。」
「やっとですか。随分手間取りましたね。」
「護衛役の選定にかなり苦心したようです。結局、ネオ・ローマンからネームドが派遣されたようですが。」
「まあ、連中も勇者を送り込んでくるほど愚かではなかったということでしょう。」
「護衛役は相当な実力者のようですが・・・」
「関係ないですね。まったく、我らが暗殺などという愚行を起こすはずなどないのに。」
「しかし、おかげで不確定要素が減るのは喜ばしいのでは?これで、誰かが暴走して執政官を襲っても、誤って執政官を殺してしまうようなことはないでしょう。」
「それは確かに。枢機卿の方々にはしかと計画を説明しましたが、その下までは伝えるわけにいきませんからね。」
「ともあれ、人事は尽くしました。後は祈るのみです。」
「そうですね・・・私もこれから毎日教会に通いましょうか。」
「・・・毎日ではなかったのですか?」
「隔日でした。どうにも多忙でして。」
「いくら多忙でも、お祈りを欠かしてはなりませんよ。」
「はは。耳が痛いですね。」




