T24 「逆神」
「はあ・・・はあ・・・」
帝国軍の兵士達から逃げ続けるテツヤは、また建物の屋上にいた。兵士から空を飛んで逃げているためだ。
地上を走るほうが楽なのだが、通行人が邪魔で速度が出せない。燃費が悪いとわかっていても飛ぶしかなかった。
飛行の際に消耗するのは魔力だけで、体を動かすわけではないのだが、追われる緊張感からか、テツヤの息は荒くなっていた。
・・・いっそこの鎧を捨てて逃げるか?しかし・・・
いくら飛んでも逃げ切れないのは、全身鎧が目立つせいだ。これを脱いで通行人に紛れれば逃げ切ることも可能だろう。
だが、そうしてしまうと、この鎧は間違いなく軍に押収される。軍に扱える者がいなくても、素材自体が稀少品だ。捨て置くはずもない。
そしてこれこの鎧なしで皇帝を倒す術があるとは、テツヤには考えられない。
そうして悩んでいるうちに、近くで音がした。
また兵士が来たのか、と一瞬身構えたテツヤだったが、すぐにその音が電話だと気がつく。
テツヤがいる建物の中からだ。
テツヤは慎重に屋上から建物内に入り、音を頼りに電話を探す。
電話のコール音は数分経っても鳴り止まない。それは、ここが今は無人であることと、電話をかけている者がテツヤの予想通りであることを示していた。
鳴り始めてから5分後、ようやくテツヤは電話を見つけて受話器を取った。
「もしもし。」
「敵が迫っている。手短に伝えるぞ。」
「神様・・・すまん。」
「不要だ。手短に、と言ったぞ。」
電話の相手は予想通り、雷の神だった。
急ぎなのはテツヤも重々承知だったが、それでも謝らずにはいられなかった。何しろ、引き留める雷の神の言葉を振り切って皇帝に挑み、結局負けたのだから。
そんなテツヤの心情を察しているかどうかも見せることなく、雷の神は要件を伝える。
「逃げ道を手配してある。廃教会の屋根に向かえ。」
「廃教会?」
今でこそ魔法排斥を掲げている帝国だが、昔は勇者カイの教えに従うカイ連邦の一部だった。
したがって、この都市もかつては住民が普通に魔法を使っていたし、もちろん人々が魔法を習得する教会もあった。
ライデン帝国の首都となり、魔法排斥を訴え始めた時、教会は取り壊される予定だった。ところが、教会はその役割上、特別腕のたつ土魔法使いが建造に携わっていて、並みの手段では壊せなかったのだ。
そうして教会は、その機能こそ失ったものの、建物は壊されずに残り、様々な用途に利用されている。例えば、戦争孤児の住処などだ。
教会の建築様式は他の建物と明確に異なるため、見つけるのは簡単だ。だが、廃教会は帝都内に数十件ある。
「廃教会って言っても、どれだよ。」
「どれでもいい。近いところに早く登れ。」
「どれでもって・・・」
テツヤが尋ねようとした時には、電話は切れていた。
どれでもいい、とはどういうことか。迎えが来ているにしても、乗り物を置いているにしても、すべての廃教会に配置しているとは考えにくい。
・・・考えても仕方ないか。とりあえず行こう。
階下から騒々しい声が聞こえた気がして、テツヤは屋上へと急いだ。
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一方、ガラヴァーの中心、居住区内の執務室では、皇帝が新たな配下と面会していた。
「さて、それぞれ名前を確認しておこうか。」
「セレブロです。コードネームですが・・・生憎、こちらの世界で本名を名乗る気はないので。」
「そうか。まあ、よくあることだ。構わぬ。」
闇魔法対策のために本名を隠すのは古い手法だが、確かにある。何より、皇帝の配下、秘匿戦力の中にいた<暗愚>トルンは、相手の名前を呼ぶことで対象を従属させる魔法を愛用していた。
次に、皇帝は大柄な剣士メーチの方に視線を向ける。メーチはそれに応えて自己紹介をした。
「クロード・トルゴイだ。見ての通り、剣を振るしか能がなくてね。強敵と戦えるなら何だっていい。」
「トルゴイ・・・確か元貴族の中にいたか?」
皇帝が視線を向けると、傍らに控えたメイドが答える。
「地方の小規模な貴族ですが、いました。跡継ぎが何人かいて、長男以外は遊んでいると聞いていましたが。」
「お前がその1人というわけか。」
「俺は末っ子でね。後継者になるなんて目は全くなかったから、好きにやってただけだ。剣もその延長さ。」
「ふむ。まあ、問題なかろう。して、もう1人いたと思うが?」
皇帝がセレブロに視線を移す。テツヤのことを言っているのはすぐにわかった。
「申し訳ありません。すぐに連れてくるつもりだったのですが・・・なぜか逃げてしまいまして。」
「逃げた?」
皇帝が訝しむと、セレブロはすぐにその時の状況を詳細に報告した。皇帝の下に連れてこようとしたが、頑として断られ、その場で説明したが、窓を破って逃げてしまった、と。
「・・・・・・」
皇帝が黙り込んだ。腕を組み、微動だにしない。
それを見ていたメイドのベレッタは少し驚く。
・・・陛下が悩むなんて、珍しいわね。
いつでも即断即決、まるですべてを把握しているかのように的確で、迷いのない判断は、実にカリスマ性あふれる姿だ。そんな姿をいつも見ているベレッタにとって、黙って思案する皇帝の姿はほとんど初めて見るものだった。
「陛下が悩むなんて珍しいねえ。」
いつの間にかベレッタの隣に移動していたライオがベレッタに話しかける。
ライオは皇帝の護衛として、皇帝のすぐそばにいたはずなのに、なぜか執務室の入り口付近に控えるベレッタの傍に来ていた。
・・・あんたは黙っててよ。というか、仕事を放棄して近づいてくるな、軽薄男!
口には出せない悪態を内心で叫びつつ、ベレッタはライオを務めて無視する。
そして、部下の怠慢を皇帝が見過ごすはずもない。
「・・・ライオ、暇なら、その逃げた男を探して来るがいい。」
「いやいや、暇じゃないっす!すぐ戻りますよ!」
そういうや否や、ライオは瞬きする程度の時間で皇帝の横に戻った。
ライオはテツヤの顔を知らない。知らない相手を延々と探す任務など言い渡されたら、いつ戻って来れるかわからない。それが嫌なのだろう。
・・・そのまま戻って来なければいいのに。
ベレッタは再び内心で悪態をつく。
ふと皇帝の方をチラリと見れば、目が合った気がしてドキリとした。怒っている風ではなかったが、どうやら今の悪態を「聞かれた」らしい。
ベレッタは姿勢を正して、いや、元々姿勢は崩れていなかったが、気持ち的に一層正して、皇帝から視線を外す。
それとほぼ同時に会話が再開された。
「逃げた者の名は?」
「コードネームはゾル。本名はテツヤです。」
「異世界人か?」
「はい。雷の神子です。」
「なるほど。適性属性は雷の他にあったか?」
「私が知る限りでは、雷属性単一だったと思います。」
「異世界人、神子、か・・・」
これだけ会話を聞けば、ベレッタにも皇帝が何に悩んでいるかがわかった。
問題は、「なぜ、そのテツヤが皇帝の『術』にかからなかったか」だ。
皇帝の洗脳魔法は、高度な闇魔法使いだろうと容易く短時間で洗脳してしまう。セレブロがあっさりかかったのがその証左だ。
そんな強力な『術』になぜ、その異世界人は抗えたのだろうか。
神子というからには、能力が高いのは明白だろう。だが、闇適性がないとすると、その抗魔力がセレブロ以上とは考えにくい。
先程聞いたセレブロとのやり取りの詳細から、発動条件は十分に満たしていたはずだ。
それでも、かからなかった。何故なのか。
・・・まあ、陛下がすぐに察することができない難題、私に解けるわけないけど。
ベレッタが気を取り直して、無心で陛下からの指示を待つ態勢に戻ろうとすると、皇帝が口を開いた。
「その男、日本人か?」
「・・・そうです。」
セレブロは質問の意図を測りかねて、返答が少し遅れた。周囲の面々もそうだ。
異世界人が多様なのは周知の事実だし、それは異世界にも様々な国と民族があって、そこからランダムに選ばれて転生してくるのも知られている。
そして、詳しいものなら、「日本」とはその国の一つだということも知っている。
だが、異世界の出身国は、異世界人個人の能力にそれほど影響しないはずだ。「日本人だから強い」とかそういう差もない。体格差などはあるだろうが、それも個人差で覆し得る。
「姓はわかるか?」
「ファミリーネームですか?確か、サカガミと名乗っていたと思います。」
「サカガミ!?」
その姓を聞いた瞬間、明らかに皇帝が驚いた。そんな皇帝の豹変を初めて見た配下たちも驚いた。
そんな周囲の驚きなど目もくれず、食いつくように皇帝はセレブロに問う。
「それは、どのように書く?漢字だ!どう書くのだ?」
「いえ、その、申し訳ありません。そこまでは知りません。」
「む、そうか。いや、それは仕方あるまい。・・・だが、うむ、そうだ。我が『術』を退ける抗魔力、他にあるまい。そうか、逆神か・・・」
思考に没頭する皇帝は確かに笑っていた。これもまた初めて見る顔。周囲の誰もが皇帝に声をかけられない。
そんな中、またしてもいつの間にか近づいていたライオがベレッタに話しかける。
「俺、陛下があんな顔で笑ってんの初めて見たんだけど、ベレッタちゃんは?」
「私だって、ない・・・ゴホン。ライオ様、持ち場に戻ってください。」
「ちぇー。」
渋々と持ち場にワープするライオを余所に、皇帝付きのメイドが意を決して声をかける。
「陛下、如何なさいましたか?」
「ん、おお、いかんいかん。つい昔を思い出してしまった。」
自分の世界に入り込んでいた皇帝が、意識を浮上させた。周囲を見渡し、一拍置いてから指示を出す。
「その男、テツヤ・サカガミを何としても捕えよ。力ずくで構わん。多少傷つけても構わん。だが、できるだけ生かして連れて来い。この任務、早速だがお前達2人の初仕事としよう。」
「かしこまりました。」
「おうよ。アイツの鎧、斬ってみたかったんだ。願ってもないぜ。」
そう答えて、すぐにセレブロとクロードは街へと向かって行った。
それを見送りつつ、皇帝が小さく呟いたのを、ベレッタの耳は捉えていた。
「ここで立ち塞がるか、逆神。因果なものだ。」




