003 闇の神
夜、森の中。クロは朽ち木に腰かけ、本を読んでいた。曇り空のため、月明りも星明りもない真っ暗な森の中、僅かな光源で本を読む。光源は光属性の生活魔法『ライト』。それを自前のコップの中に作り出し、本の方だけを照らす。無暗に光を出せば、野生の獣を呼び寄せかねない。光量もかなり落としたそれで本を読むのは、至難だろう。人間ならば。しかし、魔族の目なら問題ない。加えていえば、文字のような細かい物を見るのでなければ、光源すら不要だ。曇り空の夜という光源が乏しい状況でも、魔族は戦えるのだ。
傍らで丸くなっている猫はムラサキ。その顔は何やら不機嫌そうだ。逃亡初日、追手が来る様子もなく、野生の獣にも襲われない平和な夜ではないか。何が不満なのだろう?そんなことを頭の片隅で考えながら読書に耽っていると、ムラサキが口を開く。
「なあ、何読んでるんだ?」
「植物図鑑。」
明日もこうして森の中を進むなら、植物の知識を得ておいて損はないだろう。クロはあまり記憶力がいい方ではないが、全く知らないのと見覚えがあるのとでは差が大きい。
「それを読んだら、その後は?」
「ん?特にない。・・・寝てていいぞ?見張りを交代する時間になったら起こすから。」
・・・先に寝ていいのか気にしていたのか?いつも自由に行動する奴だから気にしないと思っていた。
「そうか、そうか・・・なあ、一つ言わせてもらうぞ。」
「何だ?俺とお前の仲じゃないか。思ったことは気にせず言ってくれ。」
人づきあいが苦手なクロがムラサキと同行することにしたのも、ムラサキが猫で、人間のようにお世辞とか無用な気遣いとか、つまりは嘘をつかないからだ。思ったことは正直に言ってくれる。罵声を浴びせられればそれなりに傷つくが、気を使って嘘を言われていると、褒められてもそれを信用できなくなる。そんなことになるくらいなら、思い切って正直に言ってもらった方がいい。言われた時は辛いが、その分、褒められた時は喜べるはずだ。
「何で飯も寝床もないんだよ!」
「は?旅に出たんだから当たり前だろ?」
「いや、旅するっても野営なら火を起こして鍋作ったり、テントはったりするだろ!なんで調理器具もテントも持ってきてないんだよ!寝袋すらねえ!」
「・・・いらないだろ、魔族なんだから。」
魔族にはいずれも不要だ。魔族は生命維持に基本的に食事を必要としない。大気中や地中から魔力が供給されれば、生命維持に必要なエネルギーは魔力で補える。さらに、全身の細胞が魔力に適応しているため、あらゆる生命活動を魔力で調整、支援できる。すなわち、病気にもならないし、毒も効かない。仮に毒蛇に嚙まれても、蛇毒を自動で分離し、体外へ排出できる。故に食事も寝床も不要。まあ、負傷を直すときは肉体の材料として何か食べる必要はあるし、何日も寝ていないと、精神のほうに影響があるから、完全に不要というわけではないが。
「文化的な生活を要求する!」
「町とかに着いてからでいいだろ。というか、お前、本当に猫か?言ってることが人間臭いぞ。」
野生の肉食獣なら、寝床なんて安全が確保できればテントなんていらないし、数日の絶食も狩りができなければ当たり前のはずだ。
「オレは元々イエネコなんだよ!そりゃ、生まれた家を戦争で追い出されてからはしばらく野生もやってたが、魔族になってからはまた人間みたいな生活してたし。魔族になってから思考も嗜好も人間っぽくなってきたしな。」
「ああ、魔族細胞は本来、人間用だからな。」
魔族というのは、昔、マッドな科学者・・・いや、その頃は科学はあまり普及してなかったから科学者ってのは適切な表現じゃないか。ともかくそのマッドな奴が究極の生命を作ろうとした結果、生み出されたものだ。半永久的に供給でき、あらゆるエネルギーにほぼロスなしで変換できる便利エネルギー、魔力をエネルギー源とし、あらゆる生物を凌駕する身体能力。どれだけ傷ついても魔力さえあれば再生する生命力。そして常人の何十倍もある魔力容量。そして老いる事も無い。正に最強の生命体だ。
まあ、そんなもんを生み出して、神が黙っているはずもなく、その研究の成果として自身が魔族になったマッドを神の使いたる勇者その他もろもろが粛清。しかし、何らかの方法で生き残り、密かに数を増やした魔族が人間と戦争したのが100年以上前だという。
ともかく魔族細胞は人間用。魔族になってからムラサキは普通に喋っているし、魔族専用の木属性生活魔法『変化』を使えば、人型になれるだろう。ムラサキが変身したところをクロは見た事がないが。ちなみにクロも『変化』は使える。普通の魔族は人間に紛れ込むための変装に使うらしいが、クロは鳥に化ける。
飛べた方が便利だから、という理由だが、元人間である魔族としては異常だ。哺乳類ならまだしも、鳥類は手足の使い方が全く異なる。それに平然と化けるクロがおかしい。
「あー、もう。わかったよ。この際、寝床はいい。せめてなんか食わせてくれ。」
「俺は無益な殺生はしない。欲しければ自分で捕ってこい。」
「今からかよ。・・・いい、もうめんどい。寝る。」
そういうとムラサキはクロの膝の上にサッと乗って丸くなった。図々しいが、まあいいか、とクロは読書に戻る。
微風で揺れている木の葉の音が急に止む。顔を上げようとするが動かない。あらゆるものが動きを止め、思考だけが動く世界。この感覚には覚えがある。
「久しぶりだな。」
視界に黒い毛の猿が悠然と歩いてくる。
・・・このサルは、俺の天敵だ。
「ひどい言いようだな。一応、上司にあたるはずなんだが?」
・・・口に出してないんだから言ってない。お前が勝手に人の思考を読んでるだけだ。
「ともかく、任務御苦労。この世界で初の殺しはどうだったかな?」
・・・最悪だ。師匠殺しなんて恩知らずな真似をやらされるとは。俺は前世から人間性とか倫理観とか欠如してたけど、恩義だけは大事にしていたというのに。ふざけやがって。今後もこんなことをやらせるつもりか?
「いやいや、ワシは基本的には放任主義だ。今回は必要だからやってもらったまでのこと。しかし、準備に3年も必要だったのか?おかげでお前は魔族に追われる身になった。」
・・・準備は大事だろう。異世界転生でチートをもらったら、早速冒険に出て無双してヒャッハーってやつは多いだろうけど、俺は魔族に転生するというチートはもらったが、代償に属性魔法禁止の呪いをかけられたんだ。生活魔法は辛うじて許容されたが、この世界で属性魔法なしとか、ほぼ魔法なしと変わらない。だから呪いの隙間をつく様な無属性魔法を開発した。それと、魔法を使わずに魔力を有効活用する方法も。
「だからって3年はなかろう。慎重な奴だ。」
・・・うるさいな。中途半端な状態で行って、ピンチになってから鍛えるとかアホだろう。最初から鍛えられる環境に恵まれたんだから、限界まで鍛えてから行動するのが当然だ。
「まあ、よかろう。ところで今回お前が動いたことで、神々も行動を開始するだろう。神々が嫌いな魔族に転生したお前はイレギュラーとして狙われるだろう。まあ、魔王討伐の功績でいくらか軽減されるだろうが、強硬派は刺客を送り込んでくるかもな。」
・・・先の任務にはそんな意味があったのか。しかし、神が送り込む刺客とかやばそうだな。
「そう恐れる事も無い。神どうしの契約で、神は現世への干渉は限定されている。少なくとも直接干渉はない。」
・・・とすると、異世界人を送り込むってことか。自分の言うことを聞く奴にチートを与えて。
「そうだ。だが、そこまで好きにはできん。召喚する異世界人の選定は全ての神の合意が必要だし、お前の言うチート、すなわち固有魔法は適性が重要だ。それに一度この世界に送り出した異世界人には一部を除いて干渉できない。」
・・・その一部ってのが・・・
「そう神子と呼ばれる者達。神がそれぞれ特に気に入った奴を一人決め、信託を与える奴だ。お前のような、な。わかってると思うが、神子になったからって特典は何もない。」
・・・ああ。任務を押し付けられるだけだな。選べるんなら絶対なりたくない役職だ。つまり他の神の神子が、神に言われて俺を殺しに来る、と。
「そうとも限らん。本来、信託に強制力などない。従わなければ刺客を送り込むぞ、と脅すことはあるが、実力がある神子なら刺客くらい返り討ちにできる。神の言いなりになる奴の方が珍しい。」
・・・へえ、俺もそんな実力を身に付けたいもんだ。って刺客?例えばある神が自分の神子に刺客を送る場合、別の神に頼んで神子を遣わせるのか?
「いやいや、刺客に他の神子を使うのは難しい。大義名分があれば別だが。使うのは大抵、神獣だ。」
・・・神獣?化物を神の力で作り出すのか?
「違う。既存の獣に魔力を与えて魔法を使えるようにしてやるのさ。そうするとその獣は自然に知恵をつけ、さらには自分に力を与えてくれた神に従順になることが多い。育成にやや時間がかかるが、神子一人育てるよりはだいぶ早い。そのうえ、肉体改造もしてやれば、人間には不可能な大出力魔法も使える。面白いだろう?」
・・・すごいけど、それが敵に回るとなると、喜べん。サルもそういうの作るのか?
「作ったこともあるが・・・ワシには不要だ。ワシを誰だと思っている?精神を操る闇魔法を司る闇の神だぞ。今だってお前の思考速度を極限まで加速して会話しているのだ。これを応用すれば、お前など容易に殺せる。わかっていよう?」
・・・わかってるよ。だから嫌な命令も従ったし、俺の天敵だとも思ってるんだ。というか、直接干渉は契約違反じゃないのかよ。
「対象の思考加速は、ワシが秘密裏に信託を下すのに必要と言って許可を得ている。問題ない。殺してしまっても事故で通る。」
・・・ずさんすぎる。神子を何だと思ってるんだ。
「考えてもみろ。闇属性はこの世界でも神々の間でも外道が使う魔法として忌み嫌われている。そんな嫌われ者の神子が死んだところで、他の神は何とも思わん。少なくとも強く糾弾したりはしない。」
・・・ひどい話だ。だがまあ、そんなものなのかもしれない。
「さて、そろそろワシは帰る。一応、刺客は減るようには言ってみるが、もし来たら頑張れ。・・・神々に狙われ、魔族に追われ、そして魔族は世界中の人間から嫌われている。大変だな?」
・・・他人事かよ。笑うな、くそったれ!
静かな笑い声を立てながら、黒い猿は霞のように姿を消す。やがて音が戻り、体が動くようになる。・・・疲れた。しかしまだ交代の時間ではない。深々と溜息をつく。
・・・魔族という理想的な肉体を得たのは嬉しいが、この四面楚歌の状況が代償か。果たして生き残れるだろうか?俺の夢である、不安のない平穏な生活は遠そうだ。今は不安しかねえ。ストレスまみれの前世と変わらない気すらしてくる。しかし・・・
「すー・・・ぐう・・・」
ムラサキが人間臭い寝息を立てている。今は似た境遇で似た目標を持つ仲間がいる。絶対に裏切らないとは言えないが、そこそこ信用できるだろう。大体、全幅の信頼をおける奴なんて夢物語だ。同じ境遇にいてくれるだけでも精神的に有難い。そういう点では前世よりマシか。
サル(闇の神)に辛い現実を突きつけられて落ち込んだが、落ち込んでいても益がないと断じてクロは再び読書を始めた。