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選べるなら、人間以外で  作者: 黒烏
第6章 碧い竜
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M23 マリス・ノースウェル

 目的の教会に辿り着いた勇者マサキは、その立派な作りを見上げる。

 造りはやはり前世のキリスト教の物に似ている。流石に十字架はないが、代わりに葉が付いたつたのようなものが輪になった緑色のシンボルマークがあった。建物も緑色の割合が多く感じる。

 扉は重厚な大きいものだが、これが開かれるのは儀式とかの時だけだろう。脇に普通サイズの通用口があった。

 他宗教の施設に入るということで、やや躊躇いはあったものの、マサキは通用口をノックした。


 待つこと十数秒、1人の修道女が扉を開けて顔を出した。


「こんにちは。どのようなご用向きでしょうか?」

「あ、こんにちは。ええと・・・」


 出て来た女性は、目的のマリス・ノースウェルではない。彼女を呼び出したいが・・・


 ・・・考えてみたら、マリスって国の重要人物だよな?身元不明の男が突然やって来て、素性を隠しているそんな人物を呼び出したら、普通に怪しまれるよな。どうしよう。


 勢いでノックしてしまったが、どう呼び出すか考えていなかったことに今更マサキは思い至る。

 数秒悩み、対応する修道女が不審な眼でマサキを見始めたあたりで、マサキは覚悟を決めた。


「マリス・・・さんは、おられますでしょうか?」


 フルネームで言おうとして、思いとどまった。「ノースウェル」はこの国の名前だ。流石にそんな呼び方をすれば、「国家の重要人物に会いに来ました」とアピールするようなものだ。会わせてもらえる確率は下がるだろうし、何よりマサキの気分的にそれははばかられた。

 修道女と目を合わせて返答を待つ。実際の時間は1秒にも満たなかったかもしれないが、極度に緊張したマサキにはそれよりもずっと長く感じられた。


「ええ。マリスなら奥にいますが、呼びましょうか?」

「あ、お願いします。」

「中へどうぞ。」

「どうも。」


 予想以上にすんなりと入れてもらえた。一瞬、罠を疑ったが、この国では軽犯罪すら起きないことを踏まえれば、この国の教会の来客対応としてはこれが一般的なのかもしれない。


 入ってすぐの空間は、これまた前世の教会でもよく見る礼拝堂だった。

 整然と長椅子が並び、礼拝堂の奥へと向かっている。数人、そこに座って祈りを捧げている人もいた。

 礼拝堂の奥には崇拝の対象の偶像。ここでは木の神か。マサキも転生時に会った木の神そっくりの木像が立っている。

 しかしその木像よりも大きな存在感を放っているのが、大きな木だ。5~6mありそうな天井のすぐそばまで延びていて、木の根元を見れば、そこだけ地面が露出していた。教会の床を突き破って伸びて来たのか、と一瞬思ったが、木の神を信仰している事を考慮すれば、きっとこの大木を囲うように教会を建てたのだろう。大きな天窓から強い夕日が差し込んで、大木を照らしている。


 ぼーっとその光景を眺めていると、修道女が尋ねて来た。


「教会は初めてですか?」

「えっ。」


 ・・・しまった。教会に入った時の作法があったのか!


 マサキは焦るが、すぐに言い訳を思いついて、無理やりにでも心を落ち着かせる。


「はい。すみません。入国したばかりなもので。」


 嘘は言っていない。ただ、不法だと言っていないだけだ。


「では、ご案内しましょう。」


 長椅子の間を通って奥に向かう修道女について行く。


「教会に来たら、まず木の神様にご挨拶いたします。」


 そう言って修道女は手を合わせて頭を下げ、大木に一礼する。次いで木像にも一礼。順番的に、大木の方がメインらしい。

 そして、備え付けられた桶から柄杓で水を掬い、大木の根元に撒いた。

 再度一礼してから、修道女が大木から離れた。「どうぞ」とマサキに促したので、同じように参拝した。


「後は各々ご自由に祈りを捧げてください。お布施をいただけるのであれば、あちらへ。」


 修道女が指し示した先には、賽銭箱のような箱があった。建物の作りは洋風なのに、所々和風だ。


「では、マリスを呼んでまいりますね。」


 修道女が奥に行くのを見送ると、マサキは長椅子へと向かおうとした。

 だが、不意に椅子に座る初老の男性と目が合ってハッとする。すぐに向きを変えて、賽銭箱にいくらか硬貨を入れた。


 ・・・そうか。この国では奉仕の精神が第一。義務でなくても、お布施を入れるのは当たり前だよな。


 再度長椅子に向かえば、もう顔を上げている者はいなかった。皆、熱心に祈りを捧げている。

 マサキは誰も座っていない長椅子を選んで腰かけ、マリスを待った。



「お待たせしました。」


 数分後に現れたのは、似顔絵通りの女性だった。スタイルが良く、着飾れば女優にでもなれそうな美人だ。頭巾の隙間から緑色の髪が見えた。

 優しげな雰囲気で微笑み、ゆったりと歩いて来る。徳の高い僧侶が持つ様な、向き合った相手を無条件に安心させるオーラがあった。

 戦争中の敵国のトップが相手だというのに、つい一瞬マサキも気が抜けてしまうほどだった。


 マサキが気を引き締め直せた理由の一つが、彼女が立ち止まった位置だ。

 何気なく歩いて来て、マサキに向き合いつつマリスが立ち止まった場所は、マサキの剣の間合いのちょうど1歩外。話すのに不自然でなく、それでいて急に戦闘になっても対応可能な距離。その位置取りが、熟練の兵士を思わせた。


 マサキの内心の大きな動きを知ってか知らずか、マリスは自然に話す。


「私がマリスです。マサキ様でいらっしゃいますね。」

「僕のことを・・・」


 なぜ知っているのか。そう問う前に、マリスはマサキを奥へと促す。


「お話は奥で。皆さんのお祈りの邪魔になってはいけません。」

「・・・はい。」


 マサキが同意すると、マリスは普通にマサキに背を向けて奥へと歩き出した。マサキは距離を保ったまま後に続く。


 ・・・僕の素性を既に知っている?だとすれば、僕が敵だとわかっているはずだ。なのに、こんな平然と背中を見せて、無防備な。


 不用心なのか、それとも背後から攻撃されても対処する自信があるのか。そのどちらなのかは、マサキには判断できなかった。



 小さな部屋が並ぶ廊下を通り過ぎると、裏庭に出た。

 裏庭は結構広く、学校のグラウンドの半分くらいはありそうだ。十数人の小さな子供たちが走り回って遊んでいる。もうすぐ日が沈むだろうに、元気なものだ。

 この裏庭にも礼拝堂の中にあったものと負けず劣らずの立派な大木が立っていた。大木はその裏庭の礼拝堂側の端に立っていて、裏庭全体を見守っているかのようだ。

 大木の反対側には、大きな建物。一部の子供たちが出入りしていることから、あれが孤児院であると推測できた。

 数人の修道女が、遊び回る子供たちを孤児院へ誘導しようとしているが、子供たちはまだ遊び足りないのか、笑いながら逃げ回っている。


 平和な光景に、マサキは戦争中であることを忘れてしまう。


「幸せそうでしょう?」


 マリスに声をかけられて、マサキは自分がマリスと共に庭の大木の根元に来ていたことに気がついた。

 油断しているにもほどがある。敵を目の前にして、呆然自失で敵が促すままに歩いていたというのか。

 マサキは気を引き締め直すが、やはり目の前の女性を敵として認識することに違和感を覚えてしまう。マリスを前にすると、実家に帰って来たかのような安心感が湧いて来る。

 やむを得ず、マサキはマリスから視線を逸らし、不自然でないように庭の子供たちを見た。

 マリスが言う通り、彼らは幸福そうに見える。孤児院というよりただの学校だ。親に捨てられた、と嘆いている子は一人もいない。


「・・・そうですね。」

「私はその幸せを守りたい。この子供たちだけではありません。この国の国民すべての幸福を守りたいと思います。」


 マリスの言いたいことは、マサキにもすぐにわかった。彼女が話しているのは、今回の戦争の理由だ。

 自国民が脅かされる可能性を徹底して排除すべく、報復攻撃を仕掛けた。それが今回の神聖国軍の言い分だ。


「僕のことは、もう知っているんですね?」

「ええ。この町に来ていることは、騎士達から聞きました。ですから、いずれここに来るだろうと思っていました。」


 マサキが不法入国者であることも、勇者と呼ばれる敵国のネームドであることも、承知の上で、こうして話している。


「ここに来た理由は、私の暗殺・・・ではないようですね。」

「はい。僕は戦争を止めに来ました。軍を引いてはくれませんか?」


 これを言う時ばかりは、マサキはマリスに目を合わせた。マリスもじっとマサキの目を見て来る。優し気な微笑みは絶やさぬまま、それでいて全てを見透かすような目をしていた。

 数秒、目を合わせた後、マリスはそっと目を伏せた。


「本当に・・・私を殺しに来たのではなく、説得に来たのですね。」

「そうです。聞き入れていただけませんか?」


 マリスは再び庭に目を向けた。子供たちは修道女たちに促されて孤児院に入り始めた。騒がしかった庭が段々と静かになっていく。


「あなたは本当に優しい方です。ここに来る前から、そう決めていたのでしょう?会った事も無い私を、殺すのではなく説得しようと・・・敵であるはずなのに。」

「・・・当然のことではないでしょうか。」

「ええ。それを当然と思えるから、あなたは優しいのです。」


 マリスは表情から笑みを消し、真剣な顔になった。


「だから、残念です。あなたの望みは叶えられない。」

「っ!何故です!」


 マサキは思わず掴みかかりそうになった。ここまでの話の流れで、断られるとは思っていなかった。

 しかし、マリスが本当に申し訳なさそうな表情でマサキを見たことで、実際に掴みかかることはなかった。


「単純な話です。騎士団の指揮権は、教皇様にあります。私からは、教皇様に進言することしかできません。」

「そんな・・・あなたが木の神子で、この国の創立者でしょう?」


 彼女がこの国の真のトップだと思っていた。だからマサキはここに来たのだ。


「少し誤解があるようですね。」


 そう前置きしてマリスは説明する。


「私は確かにこの国を作りました。しかし、創立者というなら、やはり教皇様の方でしょう。この国を作ろう、と決断したのは、私とあの方の2人。そして実際に国を作るために骨を折ったのは、ほとんど教皇様です。私はただ、あの方に協力しているだけです。」

「そ、それでも、あなたが創立者であることに変わりはないはずだ!この国の宗教は、あなたが始めたのでしょう!?」

「確かに、ノースウェル教は私が始まりです。ただ、私が意図して始めたのではなく、怪我人や病人を治しながら諸国を巡っているうちに自然と人が集まってしまっただけです。教義の原案も、確かに私が出しました。」

「それなら、なぜ、あなたはここに?」


 マサキはうまく口に出せなかった。

 マサキが言いたかったのは、なぜマリスが世を忍び、素性を隠してこんな普通の教会に、孤児院にいるのか、ということだ。

 建国前、崇拝の対象はマリス・ノースウェルだった。それならば、彼女を慕って集まった者たちが国を成したというのならば、なぜ彼女が国の中心にいないのか。


「教皇様が計らってくださったのです。私が、政治に煩わされることなく、己が役目に集中できるように。」

「役目?」


 孤児院の運営かと、初めは思った。でも何か違う気がする。ただ孤児院をマリスが運営するためだけに、信仰の対象をすり替えて隠すようなことができるだろうか?

 マリスはじっと自分の手を見た。そしてそのまま話し出す。


「今も騎士達が戦っています。」

「・・・・・・え?」

「オクト、右腕が折れましたね。剣は手放してはいけませんよ。フィリップス、左肩に銃弾を受けましたね。ミラ、全身に火傷ですか。相手は炎魔法使いでしょうか?相変わらず無茶をする子です。ミスト、頭が3分の1ほど吹っ飛びましたね。ああ、これは痛いですね。早く治してあげないと・・・」


 マサキには、マリスが急に言い始めた言葉が理解できなかった。

 周囲には2人以外誰もいない。庭にいた子供も修道女も皆、孤児院に入っている。何か映像を見ているわけでもない。

 不審に思ってマリスをよく観察すると、その魔力の流れを見て驚愕した。

 マリスの濃い緑色の魔力は、足元から頭上へと激しく流れ続けていた。地中から際限なく供給され、同時に大量の魔力が頭上から虚空へと消えていっている。こんな状態なのに一目で気づかなかったのは、その流れがあまりにも静かだったからだ。

 普通、こんな大量の魔力を動かしたら、どんなベテランの魔導士でもブレや歪みが生じる。ところが、マリスの魔力の流れにはまったく揺らぎがない。一切のブレも歪みもなく、整然と流れている。

 この流れからわかることは、彼女が今こうしている間も、ずっと何か強力な魔法を行使し続けているということだ。

 そこで、マサキは彼女を探していた理由を思い出した。


「あなたが、騎士達を治して・・・」

「ええ。」


 マリスはにっこりと微笑んで頷いた。


「私の固有魔法『リバース・リペア』です。どんな傷も、元通りに戻す魔法です。私が選んだタイミングの体の状態に戻すので、どんな怪我も病気も治せます。頭を怪我した時には記憶まで戻ってしまうのが難点ですが。」

「こんな離れた場所から・・・騎士達全員に?」

「1つずつお答えしましょう。」


 マリスは手を顔の高さに上げて、指で「1」を表した。


「まず距離について。これは森人専用の『イングリィイン』という秘術です。」


 マリスは頭巾を取って、頭の全体像を見せた。

 やはり耳が長い。確かに森人である。


「契約を交わした相手に、互いに遠隔で木魔法が施せるようになります。」


 これが如何に便利なのかは、マサキもよく木魔法を使うのですぐわかった。木魔法による治癒は、基本的に対象に触れていないと使えない。それで歯痒い思いをマサキは何度もしてきた。

 だが、だからこそ疑問もすぐに湧いた。


「でも、相手が見えていないと、どう治すかイメージできないんじゃないですか?先程のあなたの言葉を聞く限りだと、あなたにはここから最前線の負傷者が見えているようだった。」

「見えてはいませんよ。ただ、どこを負傷したのかはわかります。」

「なぜ?」


 マリスは微笑みを浮かべたまま、軽く答えた。


「この『イングリィイン』、痛覚を共有できるんです。」


 マサキは息を飲んだ。

 痛覚を共有するということは、最前線で騎士が受けた傷を、マリスも同時に負っていると言える。実際の傷はないが、精神的にはそういうことだろう。

 剣で斬られた痛みも、銃で撃たれた痛みも、魔法で焼かれた痛みも共有している。しかも1人や2人ではない。1万人の騎士だ。1万人が受ける痛みを1人で請け負っている。マサキには想像もできなかった。


 ・・・しかも、さっき「頭が吹っ飛んだ」とか言ってなかったか?なんでこの人は意識を保ってるんだ?なんで変わらず微笑んでいられるんだ?


 急に目の前の優し気な女性が、とんでもない化物に見えて来た。

 実際、化物なのかもしれない。1万人分の致死レベルの痛みを受けて平然としている彼女は、間違いなく狂っている。


 思わず1歩、距離を取ったマサキに、マリスは尚も微笑みかける。上げていた手の指の数を「2」にした。


「2つ目、騎士達全員に、と尋ねましたね。その通りですが、正確ではありません。」


 マリスは両腕を広げた。何か大きな物を抱きとめるように。


「正しくは、神聖国民全員です。」

「は?」


 もう、マサキには間抜けな声を上げることしかできなかった。


「この国に入るときには、手続きを行います。採血を行い、その血は私の下に送られてきて、それを用いて私が仮契約をします。仮契約では痛覚の共有だけで木魔法はかけられません。なので、入国した人はまずこの首都に赴いていただき、中央の大聖堂で正式な契約を行います。もちろん、その際に健康状態を調べて、病気やケガがあれば治します。元の状態を把握していないと、どの状態に戻せばいいかわかりませんから。」


 マサキは不法入国だったので、そんな手続きは受けていない。


「それと、契約が終わっても、年1回は契約の更新が必要です。『イングリィイン』の効き目は長くても1年ちょっとなので。いわゆる巡礼ですね。・・・と、これは余談でしたか。」


 マリスが数えていた手を下して、マサキに微笑みかける。沈みかけの夕日に照らされて、その顔は赤く見えた。


「つまり、私の役目は、全国民を治癒し続けることです。すべては国民の幸福のため。せめてこの国の中だけでも、幸福な世界を。それが私の願いであり使命です。それに集中するためには、政治にまで手をかけられないのです。申し訳ありませんが、騎士団を止めるよう談判するならば、教皇様にどうぞ。」

「・・・・・・」


 マサキには、死刑宣告にも等しい言葉だった。

 教皇が騎士団の指揮権を持っているのならば、今頃、最前線かその付近だろう。今から戻って、何日かかるだろうか?間違いなく友軍の全滅の方が早い。


 いや、1つ方法はあるのだ。それは、今ここで、マリスを殺すこと。

 マリスが言った通りなら、騎士団の不死性を支えているのは彼女の固有魔法『リバース・リペア』だ。それがなくなれば、<ノースウェルの人形達>は不死ではなくなる。連合軍が勝てる可能性が出て来る。

 だが、マサキにはその決断ができなかった。

 マサキが彼女を害するには、マサキがそれを正義だと信じられる理由が必要だ。そうでなければ、マサキの人間としての軸が揺らいでしまう。

 だから、無理とわかっていても、こう言うしかなかった。


「その、固有魔法を、止めてはくれないですか?」


 マリスは少し驚いた表情を見せた。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかっただろう。

 マサキも、馬鹿馬鹿しい頼みだと思う。聞き入れられるはずがない。だが、もうマサキにはこれしかなかった。


 当然の如く、マリスの返答は決まっていた。


「止めるわけがありません。私は国民を守ります。」

「・・・・・・」


 わかり切っていた返答。それを受けても、マサキは動けなかった。本当は、僅かな望みにかけて、急ぎ教皇を探すべきなのだろう。

 だが、絶望がマサキの足をそこに縫い留めてしまっていた。


 それを見たマリスが、ふう、と溜息を吐いた。


「あなたは、本当に勇者ですか?」

「え?」

「勇者とは、人々を導く者。それなのに、あなたは迷いが多い。・・・動けないというなら、もう少し話しましょうか。」


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