237 小休憩
クロが目を覚ますと、視界には見慣れた部屋があった。クロの家の寝室だ。
いつもはマシロに寄りかかって寝ているが、今はベッドに寝かされていた。
腹の上に温かい塊があることに気付いて触れてみると、ふわふわの毛に手が埋もれた。この感触は間違えようがない。
「茜か。」
赤茶色の狐がクロの上で寝ていた。
いつもは悪夢にうなされて寝相が悪いクロが危険なため、マシロを間に挟んで離れて寝る。こうして寄り添って眠るのは珍しい。
クロが上半身を起こしてアカネを撫でつつ、周囲を見渡す。
様子を見に戻ってきた時と変わりはなく、違いと言えば、形のいいゴーレムが1体、ベッドの傍に突っ立っていることだ。
そのゴーレムは小柄で、表面が磨いたようにきれいだ。関節も球体関節のようになっている。
「くぅ・・・くぁあああ。」
クロが撫でているうちに、アカネが起きたようだ。ぐーっと伸びをして、クロを見ると、驚いた表情になった。
「キャン!」
そして一声鳴くと、傍のゴーレムがボワンと湧いた煙に包まれ、その煙がすぐに晴れると、中から赤い和服に赤茶色の髪の座敷童のような女の子が出て来た。
幻惑系の魔法を使う際に煙で演出するのは、化け狸流だ。
「養父様!目を覚ましたんだ!おはようございます!」
「ああ、おはよう。」
ベッドに両手をついて顔を寄せてきた女の子と、本体の狐の両方の頭を撫でつつクロが挨拶を返す。
相変わらずアカネの幻覚魔法の腕は天才的だ。ゴーレムの見た目だけでなく、手で触れた触感すら獣人の女の子らしくなっている。寝起きでこの精度なのだ。これでまだ1歳とちょっと。末恐ろしい才能である。
「茜、俺はどのくらい寝てた?」
「ちょうど1日くらい。今回は早かったね。」
「まあ、新型は使ってないからな。」
そう言って、クロは自分の言葉にハッとする。
新型復讐魔法を使うことを忘れていた。マシロから止められてはいたが、あの土壇場なら使ってもよかったかもしれない。
だが、その考えはすぐに否定した。
確かに新型を使えば、出力ではあの教皇を上回れたかもしれない。だが、教皇の強さは出力の大きさだけではない。いくら倒しても分身ばかりでは労力の無駄だ。本体がわからなければ意味がない。
それに、新型を使っても、竜の方はどうにもならない感じがした。あれは圧倒的過ぎた。これほど力の差を感じたのはユルル以来だろう。
クロは時間を確認する。午後5時過ぎ。アカネが言うには、クロは丸1日寝ていたそうなので、今日は4月2日だ。
「他の皆は?」
「ダンゾウさんも先生も心配してたよ。呼んでくるから、養父様はリビングに行ってて!」
そう言ってアカネはゴーレムの女の子と一緒に寝室を出た。アカネが言う先生とは、先代ダンゾウのことである。
数分後、クロ、アカネ、ダンゾウ、先代がリビングにそろった。先代の傍にはお付きのマタザが立っている。
「山吹は?」
「巡回中でさあ。暗くなったら戻ってくると思いますよ。」
「じゃあ、現状確認だけ先にやらせてもらおう。」
椅子に座った4人は机を囲んで向かい合う。もっとも、アカネは床に座っている方が本体だが。
「まず、クロさんはなんであんな重傷を負ったんです?」
「全身文字通りボロボロの上に、焼けてましたのう。まるで焼き過ぎた焼き肉じゃった。」
「敵の攻撃でな。木魔法で活性化された細菌を浴びせかけられて、全身食われた。」
「細菌・・・」
全員ピンと来ないらしい。まあ、無理もないだろう。この世界の科学技術では細菌兵器など存在しないし、仮にあっても、あんな性質ではないはずだ。
「死体が森の中とかで獣に食われなくても徐々に土に還っていくだろ?それを生きてる体にも起こす感じだ。」
「それはまた・・・」
「恐い・・・」
アカネが耳を伏せて怯えた雰囲気になる。
「じゃあ、焼けてたのは何でかの?」
「その細菌を殺すために、自分で自分の全身を焼いた。『ヒート』で。」
クロが使う魔族式の『ヒート』ならば、加熱する場所も温度も制限がない。殺菌可能な温度まで全身を加熱した。
理論上は簡単だが、当然ながら自分の体も高温になり、生命活動の大半が不可能になる。魔族でなければ不可能な対処法だ。
「なるほど。それであんな焼き肉に・・・」
「先代、焼き肉、焼き肉、言い過ぎだ。・・・しかし流石クロさん。よくそんな真似できましたね。」
この方法で殺菌するには、全身を焼きながら殺菌完了まで意識を保って加熱を続ける必要がある。並大抵の精神力ではない。魔族でもできる者は少ないだろう。
「とにかく必死だったからな。まあ、全身食われるよりはマシだったぞ。」
「そんなもんですかねえ。」
ここで話を一区切り。アカネが練習を兼ねて淹れたお茶に皆で口をつける。今日は緑茶だ。
「あー、落ち着くな。戦場続きだったから、すごい久しぶりな感じがする。」
「本当?よかったー。」
「ほっほ。悪いが、儂は厳しく言わせてもらおう。アカネちゃん、淹れ方、上手にはなってきたが、まだまだじゃな。お湯の温度が重要じゃぞ。」
「うう、紅茶は結構うまくなってきたんだけどなあ。養母様も褒めてくれたし。」
「緑茶はまた違うからなあ。」
「それに、マシロ殿はアカネちゃんに甘いところがあるからのう。」
「養母様が?甘いかなあ。」
アカネは首を傾げている。まあ、アカネからすればそうだろう。マシロがアカネにつける狩りの稽古は結構スパルタだ。死なない程度のケガは許容する覚悟の実戦形式が多い。
しかし、マシロが厳しいのは、アカネの生存に繋がる訓練の時だけだ。他はかなり甘い。態度には出さないものの、いろいろと世話を焼いている。
お茶を飲み終わったところで、次の話に移る。
「あっちの状況は?」
クロが離脱した後の戦場のことだ。
「儂らが聞いた限りでは、敵に動きがあって、マシロさんが追跡・監視してるらしいです。」
「動き?」
そこでクロの脳裏に視界共有の映像が飛び込んでくる。その視界がばたばたと動いたかと思うと、すぐにリビングの中空に穴が開いた。
「クロさん!よかった。起きたんですね。」
「今回はダメージがひどかったからなあ。」
『ガレージ』の穴から出て来たのは、アカリとムラサキだ。
「心配かけたな。今は状況を聞いてたところだ。」
「アカリさん、説明お願いできますか?儂らよりも正確でしょうし。」
「わかりました。」
「オレは適当に食えるもの見繕って来る。クロ、腹減ってるだろ。」
「そうだな。頼む。」
ムラサキはキッチンへ向かった。
アカネのゴーレムが席を譲り、アカリは礼を言いつつそこに座る。
「ええっと、まずクロさんが竜に投げられた後、私達3人はクロさんの様子を見てました。」
投げ飛ばされたクロは、着地した後も細菌によるダメージが続いていたため、アカリに「『ガレージ』から出るな」のサインを出していた。
その後、『ヒート』による殺菌が完了した後に、ようやくハンドサインが解除されたため、アカリ達は慌ててクロのもとに飛び出し、回収したそうだ。
先代が表現した通り、まさに焼き肉状態だったので3人とも大層心配したが、再生し始めたのを見て一安心。気絶したクロは家に送ることになった。
「そこでマシロさんだけ戦場に戻ることになったんです。あ、もちろん、攻撃はせずに様子見で。」
クロを家に送るのはアカリだけで十分と判断したマシロは、戦場の状況を把握するべく、再度戦場に向かった。
「そしたら、ちょうど敵本陣を離れて東に移動する竜を見つけたそうです。戦線を離れる竜と、敵本陣、どちらを監視すべきか迷ったそうですが、マシロさんは竜を追うことにしました。」
受けた依頼は防衛戦なので、それに沿うなら戦線を離れる敵を追う必要はない。
しかし、神聖国軍はただ守っているだけで勝てる相手ではない。不死の術者をどうにかしなければ勝機がない戦いだ。そう考えれば、見張るべきは術者と思しき教皇の方と考えられる。
また、マシロは全速力で東に向かう竜から、焦りの感情を読み取ったらしい。何か敵にとって不測の事態が起きた可能性が高い。ならば、それを見極める必要がある。もしかしたら、勝機を見出す何かを得られるかもしれない。
「マシロさんの視界を見る限り、竜は丸1日高速でまっすぐ走り続けたみたいです。マシロさんはそれをぎりぎり視認できる距離で追ってました。で、つい先ほど、大きな街に着いたところで止まっています。」
「位置は?」
「方向と距離の情報は指輪から来てます。えーと、地図あります?」
「儂が持っとる。マタザ、持って来てくれ。」
「わかりました。」
先代が指示すると、傍に立っていたマタザがさっと先代の部屋に向かった。
1分ほどで戻って来たマタザは、リビングのテーブルの上に世界地図を広げる。
アカリは『ガレージ』から定規を取り出し、距離を測り始めた。
「んー、イスダードにいたときに、東北東で、距離が・・・あ、ここですね。」
アカリが指差したのは、神聖国ノースウェルの東端、首都マリナスだ。
「大急ぎで首都に戻った、か。戦闘はまだ続いてるよな?」
クロがイスダードの町を地図で指差しながら尋ねる。
「ええ、継続中です。町中でひどい殺し合いですよ。・・・あ、騎士は死んでないから、一方的な虐殺ですか。・・・ともかく、兵士だけじゃなく、逃げ遅れた市民まで巻き込まれて、ひどい有様でした。」
アカリは沈痛な表情で答える。人外に囲まれて過ごし、戦場に慣れたとはいえ、アカリは人間である。非戦闘員が戦争に巻き込まれて死ぬ様を見て、流石に平気とはいかないようだ。
ダンゾウと先代も想像できたのか、やや暗い表情になる。アカネはちょっとピンと来ていない感じだ。
そしてクロは淡々と状況確認を続ける。
「アカリ達はイスダードにいたのか?」
「あ、はい。クロさんをここに送った後、イスダードに行きました。一応、依頼を受けてる以上、最前線の防衛も放っておけないと思いまして。」
「オレが町の中をうろうろして、アカリは『ガレージ』から見てた感じだ。」
そこで、食べ物を持ったムラサキがキッチンから出て来る。即席サラダに干し肉、乾パン、とすぐに出せる物ばかりだが、量は十分にある。
「ありがとう。いただきます。」
クロは手を合わせて、食べ始める。
ムラサキはそれを見ながら説明を続けた。
「アカリがクロを家に送っているうちに、オレがこっそりイスダードの町に入ったんだ。オレが町に着いた時には、すでに入口辺りの広範囲で戦闘になってた。兵士たちも頑張ってたけど、町中じゃあ圧倒的に不利だったな。」
「普通なら地の利を活かせるんだろうが、アレが相手じゃな。」
地の利を活かして不意打ちを決めることは可能だろうが、それで捕縛できなければ悲惨だ。
騎士は不死身のうえ、接近戦の達人ばかり。閉所で戦えばまず勝ち目がない。
それに騎士が複数いれば、まともな方法では捕縛できなくなる。騎士たちは互いにフォローし合い、一方が捕まってもすぐに残りの騎士がそれを救出してしまう。救出方法に遠慮がないのも恐ろしい。
結果として、市街戦は連合軍にとって不利にしかならなかった。たちまち蹂躙されていったという。
「相変わらず町の前で土の神子が暴れてたから、増援はほとんどなかったけどな。それでも、すでに町に入ってた騎士だけで、十分劣勢になってた。」
「それでもまだ戦闘が続いてる、持ちこたえてるってのは・・・」
「ま、オレのおかげだな。」
「私も頑張りましたよ。」
ドヤ顔で自慢げに言うムラサキ|(獣人形態)と、手を挙げてアピールするアカリ。
「見てただけじゃないわけだ。」
「そりゃあ、ほっといたら依頼主が戦死しそうな状態で、ほっとくわけないだろ。」
今回の依頼主は、イーストランド王国ということにはなっているが、実質的にはホン将軍だ。彼が戦死してしまえば、報酬も何もなくなってしまう。
仮にそうなった場合、「将軍からそういう依頼を受けていた」とクロ達が王国に訴え出ても、通る可能性は低い。クロ達は人外であり、法に守られていない。「そんな話は知らない」と言われればそれまでだ。将軍から王国に連絡があってもなくても、だ。
結局のところ、今回の依頼の報酬、さらに勇者救出の報酬がきっちり支払われるか否かは、ホン将軍の仁義次第と言ってもいい。約束はしたが、法で守られていない以上、破られても訴えることはできないのだから。
もっとも、そうなったらクロにも考えはあるが、あまり取りたい手段ではない。
「まあ、ほっとけない、と言いつつ、私とムラサキさんじゃ、とても防衛戦なんて無理ですから・・・」
「遊撃、もとい暗殺って寸法だ。」
ムラサキとアカリがやったのは、騎士たちの各個撃破だ。
まずムラサキが孤立した敵を探す。見つけたら忍び寄り、『エアテイル』で不意打ち。首を締め上げるのが望ましい。
もちろん、怪力を持つ騎士をそのまま締め落とすのは困難なので、すぐにアカリが『ガレージ』の穴を開ける。
その穴を騎士の頭に被せ、頭だけ『ガレージ』内へ。こうすれば、アカリが攻撃を受ける可能性は低い。
「後は、速やかに、こう、です。」
アカリが手刀を振り落として表現する。『ガレージ』内には切れ味のいい剣も大鎌もある。何をやったのかは言わずともわかった。
「で、騎士が意識を失えばこっちのもんだ。胴体を「黒棺」に入れて、頭と別にして『ガレージ』にしまう。」
「初めは箱に入れる前に胴体を『ガレージ』に入れたんですけど、頭と引き合う力がすごい強くて・・・」
「いやあ、生首を必死に抱えるアカリの姿は、なんというか、この娘も人間離れしちゃったなあ、って感じて・・・ちょっと引いた。」
「あ、アレ、そういうことだったんですか!?手伝ってって言ったのに反応悪いから、何だと思ったら!」
「まあまあ、アカリさん。」
ムラサキに怒るアカリを、ダンゾウが宥める。
「ふう。とにかく、そうして騎士たちを捕縛してました。結構捕まえましたよ。合計100人以上いるんじゃないですかね。」
「そろって黒い箱の上に首がくっついてるから、ひどい絵面だけどな。」
「でも、首を中に入れちゃうと、暴れますし・・・」
騎士たち、<ノースウェルの人形達>は、不死の魔法により、体が損壊前の状態に戻ろうとする。たとえクロが作った魔法強化鉄製の箱「黒棺」に阻まれても、ずっと再生しようと体の破片は引き合い続ける。だから、胴体が入った箱に首がくっついた状態になってしまう。ただし、頭部など重要な部位が損傷した場合、そこが元通りになるまでは意識がないようだ。
「確かに100個以上の首が並べられてたら、気味が悪いですねえ。」
「アカリさんは大丈夫なの?」
アカネが心配そうに言う。アカネはその光景を想像できていないようだが、ダンゾウ達が「気味が悪い」と言っているから、そういうものだと理解したようだ。
「え・・・どうでしょう。あまり気にしてませんでした。・・・確かに、不意にそんなもの見かけたら恐いですけど、あれは私が作ったわけですし。」
恐い、とか、気味が悪い、という感情は、その事象を理解できないことも、その感情が起こる原因の一つだ。アカリはその状態を自分が作ったから、そうなった理由も過程も理解しているので、あまり恐怖を感じていないらしい。
そんな会話を食べながら聞いていて、クロはふと閃くものがあった。
食事を終え、「ごちそうさま」とムラサキに礼を言うと、立ち上がる。
「よし、じゃあ、マシロのところに行くか。」
「体は大丈夫ですか?」
「魔族だぞ?問題ない。」
早々に出発しようとするクロに、アカネが寄って来る。
「養父様、気を付けてね。」
「ああ。もう無茶はしない。」
クロはしゃがんでアカネの本体の狐の方を撫でる。
「そういうってことは、対抗策があるんだな?」
「一応、1つだけ思いついた。」
問うムラサキに対し、ニヤリと笑ってクロが答える。
「悪い顔になってるぞ。」
「ああ。今度は正々堂々なんてやらない。悪党らしく、悪魔らしく行く。」
クロはいつものコートを羽織り、愛剣「黒嘴」を片手に『ガレージ』へ入った。




