233 窮鼠猫を噛む
・・・乗ってくれたか?
クロはアカリに武器供給の要請を示すサインを送りつつ、教皇の目を見る。目を合わせ、敵の魔力の動きを見て、おおよその思考を読み取る。
教皇をやっているだけあるのか、魔力の揺らぎが少なく、読み取りにくいが、やや警戒混じりにこちらを観察している・・・とクロは感じた。
クロは教皇に対し、これから攻撃する宣言のようなものをしたが、本気で倒しに行く気はない。
予定は変わらず、目的は撤退だ。そのためには、どうにか教皇に捕まっている「黒嘴」を取り戻さなければならない。
アカリが『ガレージ』から武器を射出すれば、いくらか敵の動揺を誘えるだろう。そこにひと手間加えてさらに驚かせてやれば、「黒嘴」を取り戻す隙は作れるはずだ。
もしそれでも隙ができなかったときは、仕方がない。そのまま『ガレージ』に飛び込んで撤退だ。「黒嘴」は惜しいが、命には代えられない。
覚悟を決め、アカリが武器を発射するのを待つ。
だが、武器が飛び出す代わりにアカリが寄こしたのは、視界共有を使ったサインだった。
それは、あらかじめ決めていたサインにはない動きだった。両手で大きく罰を作り、ひどく慌てた様子が見て取れる。
・・・なんだ?何か不都合が?わからんが、何でもいいから、武器を送ってくれ!
アカリが伝えようとしている意図が読めず、クロにも焦りが生まれ始める。
それが伝わったのか、アカリが別の動きを始める。ハンドサインをやめ、数秒ガタガタと動いた後、アカリの手に紙とペンがあるのが見えた。
そして素早く走り書き。内容は、「ひらけない」だった。
・・・開けない?まさか、『ガレージ』の穴が?
クロの動揺を読み取ったのか、余裕たっぷりに教皇が話しかけて来る。
「他の武器とは、いつ見せてくれるのかな?」
「・・・・・・」
嫌な予感がした。
・・・まさか、何か対策されたか?
クロ達が『ガレージ』を使う様子は、ちらちらと敵にも見えていたはずだ。『ガレージ』だとはわからなくても、空間魔法を使っているとバレる可能性はあった。だが、こうもあっさり対策されるのは想定外だった。
どんな対策をされたのか。周囲を観察し、すぐにわかった。
・・・なんてこった、馬鹿か俺は!こんな簡単な対策を失念するなんて!
クロの周囲は、濃密な魔力で覆われていた。魔力視で見える色は純粋な緑色。間違いなく、教皇のフィールドに覆われていた。
フィールドは、自身の魔力で広範囲を満たす技術である。
通常、魔力は術者の体内と体表付近にしかない。正確には、大気中には無色の魔力が存在するため、「術者の所有権に属する魔力」は術者の体だけに存在する、と言える。
これは、どこまでを自分だけの空間と認識できるか、とも言える。体内は当然自分のもの。そして体表付近も自分の空間だと言って差し支えないだろう。だから、そこにある魔力は自分のもの、と認識して所有権を維持している。
そして大抵、術者の魔力が所有権を維持したまま術者を離れるのは、魔法を使う下準備の時だけだ。このとき魔力が術者の体を離れても所有権を維持しているのは、術者が強くその魔力を意識しているからだ。何か触媒を使えば、意識を外しても所有権を維持することもできるが、基本はそうなっている。
フィールドは、その下準備を常に整えたまま維持するようなものだ。中には無意識にできてしまう変わり者もいるが、そうでもなければ高い集中力を長く維持する精神力が必要になるため、フィールドの使い手は少ない。
クロにもフィールドは使えなくはないが、そう広範囲には広げられない。クロはそこまで器用ではないのだ。
本来、迅速に遠距離魔法を発動するための技術であるフィールド。それにはもう一つ利点がある。
それは、空間を自分の魔力で満たすことで、他者の魔力の侵入を阻むことだ。すなわち、フィールド内では、その術者以外の魔法が発動できない。
これが今、アカリがここに『ガレージ』の穴を出せない理由だった。
『ガレージ』の出口を作るには、その地点にアカリの魔力を送る必要があるが、今のクロの周囲は教皇の魔力が満ちていて、アカリの魔力が入り込む余地がない。
・・・俺のフィールドで対抗できるか?・・・いや、無理か。
フィールドに対抗するには、自分も広げて相手のフィールドを押しのける方法がある。
だが、試してすぐにわかった。クロでは教皇のフィールドを押しのけられない。出力も技術も圧倒的に教皇の方が上だった。
クロの体表付近、数cm程度が限界。こんな狭いスペースでは、穴を開けても大した武器は出せない。
策を容易く封じられ、固まるクロを見て、教皇は警戒を解いた。
「手詰まりかな?今なら、先程の発言を翻してこちらの軍門に下るのを許そう。」
「・・・確かに、これでは・・・」
周囲には数百の不死身の騎士。しかも本陣ど真ん中とあって、外縁にいた連中よりも手練れが多い印象。物理的な突破は、今の手持ちでは不可能だ。
飛んで逃げるのも考えたが、『変化』で鳥形態になって飛ぶにせよ、金属操作で飛ぶにせよ、この敵を振り切れる可能性は低い。特に教皇の実力が未知なのが大きな不安要素だ。少なくとも雑魚ではなく、下手をすれば騎士達より遥かに上。どれだけ高速で逃げても撃墜される可能性がある。
こうなると、生き延びることを優先するなら、投降もありか。
そう諦めかけたとき、再びアカリから視界共有によるサインが届く。
そのサインは、取り決めに無くてもすぐにわかる、シンプルなものだった。そのため、その意味はすぐに理解できたし、それはクロに反撃の方法をすぐに理解させた。
だが、その方法をとっても勝ち目はない。逃げられる可能性はあるが、それも成功率は低いだろう。正直、降参した方がずっと生存率は高い。
それでも、その小さな光明は、クロの反骨精神に火を点けた。
クロは掌で目を覆い、顔を上に向ける。
疲労と諦めを匂わせるそのジェスチャーは、周囲の騎士達にいよいよクロが降参したのだ、と誤解させるに足る動きだった。
だが、教皇だけは、クロがその動きをする直前までクロと目を合わせていた教皇だけは、そのクロの行動を訝しんだ。
「貴様、何をしておる?」
・・・バレたか。
できれば、この演技でもう数秒、稼ぎたかったが仕方ない。別の方法で稼ぐことにする。
「ところで、教皇サン。」
「何だ?」
「いつまで俺の大事な剣を勝手に触っていやがるんだ?」
意図的に怒りの感情を膨らませる。自在とはいかないが、これだけ切っ掛けをもらえれば、可能だった。
下克上のし甲斐がある圧倒的強者が自分を相手に勝ち誇っている。天邪鬼なクロが奮起するに十分な理由だ。
クロの大事な愛剣「黒嘴」を許可もないのに他人が勝手に触っている。自分のものを傷付けられたり、汚されたりするのを嫌うクロが怒る理由には十分だ。・・・そもそもそんな大事な剣を投げたクロにも非はあるが、その点はあえて無視する。
その怒りに合わせて、復讐魔法『ヴェンデッタ』の発動率を引き上げる。
クロの魔法出力が急激に上昇。わずかに教皇のフィールドを押し返す。
だが、わずかな差だ。状況は変わらない。
そこでさらにクロが1つ、魔法を使う。
「『ヒート』」
「「「・・・・・・?」」」
周囲の騎士達は、その魔法の意味が分からなかった。
『ヒート』は水や料理を温める生活魔法だ。なぜこんな場所で唱えたか、まるでわからなかった。
だが、数秒でそれは効果を現した。
「なるほど、大事な剣というのは本当らしい。」
「じゃあ、大人しく手を放せよ。」
教皇が表情を歪めていた。軽々と「黒嘴」を持っていたはずの左手には、今は意識的に力を籠め、必死につなぎとめている。
「黒嘴」は、赤く光を発していた。赤熱しているのである。
「黒嘴」の温度はどんどん上昇し、木魔法で強化された教皇の左手を焼く。肉が焦げる臭いがし始めた。
敵のフィールド内で、魔法の遠隔発動は不可能。だが、例外がある。発動場所にすでに自分の魔力が込めてある場合は別だ。魔力を送る必要がないのだから、魔法はフィールドに阻まれることなく発動する。
使い込まれたクロの愛剣「黒嘴」は、クロの魔力が染みついている。しかもそれは並大抵の量ではない。『ヒート』で発熱させ、1000℃を超える高温にする程度、造作もなかった。
流石に周囲の騎士達が動いた。
彼らにはクロが行った攻撃の原理は理解できない。なぜ教皇のフィールドを通り抜けて魔法が発動できているのか。なぜ生活魔法の『ヒート』で攻撃できているのか。いずれもわからない。
だが、彼らが崇敬する教皇が攻撃を受けているのはわかった。ならば敵を打ち倒すのみ。騎士達はどっとクロに殺到した。
しかし、絶妙のタイミングで何かが間に割って入る。
それも1つや2つではない。無数の物体がクロの周りに降り注いだ。
それは剣であり、槍であり、壊れた銃剣もあった。様々な武器が、クロを守るように降って来たのだ。
それは教皇にも襲い掛かり、教皇は回避を試みるも、そのうちの1本が教皇の左腕を貫いた。
ついに教皇は「黒嘴」を手放し、愛剣はクロの手に戻る。
クロは右手で赤熱したままの「黒嘴」をキャッチする。クロの右手も焼けるが、気にも留めない。
開いた左手で、降って来た武器の1本を拾うと、それはすぐに融解した。
融けた金属はクロの魔法で1つの球体にまとまり、すぐに薄く広がる。そしてそれは周囲に落ちた武器に触れると、その武器もたちまち融かし、取り込む。
あっという間に降り注いだ武器はすべて融かされ、1つの大きな融けた金属となった。それがクロの周りを守るように周回する。
クロがその作業を行うと同時に、やや離れた場所にもう一つ何かが降って来た。
それは着地で騎士を1人踏み潰し、一瞬でその周りの騎士を切り刻んだ。
そしてそのまま白黒の残像を残して、高速で騎士の合間を抜けながら斬り捨てていく。突然の別角度からの奇襲に騎士達が対応できないうちに倒せるだけ倒す。
約3秒。その間に20人を斬り倒して、21人目に攻撃を受け止められたところで、白黒の影は離脱。一足飛びでクロの傍に移動した。
「お待たせしました、マスター。」
「無茶をやらせることになって悪いな、真白。」
マシロはクロと背中合わせで立つと、今の攻防で壊れた「黒剣」を捨て、いつの間にくすねていたのか、騎士から奪った別の剣を両手に持った。
そこで教皇が態勢を立て直し、クロと向かい合う。
「まさか上から落とすとはな。」
「流石に空までフィールドは広がってないだろう?」
クロが先程演技をしつつ顔を上に向けたのはこのためだ。視線を上空に向け、そこにアカリが『ガレージ』の出口を開いた。
思いついたのはアカリである。共有視界を使ったサインで単純に上を指差して来た。きっとフィールドのことを知るムラサキやマシロから『ガレージ』の穴が開けない原因を聞かされ、すぐに対策を思いついたのだろう。現場で敵のフィールドに包まれていたクロは気づけなかったが、他所から見ていたアカリは気づけたようだ。敵のフィールドは無限に広がっているわけではない、と。
後は開いた穴から武器が発射されて地上に届くまで時間を稼げばいい。武器さえあれば、復讐魔法を発動することで、対抗手段も生まれる。
向かい合った教皇の左腕は既に完治している。
「確かにこの状況下で援軍を呼び込んだのは大したものじゃ。だが、戦況は変わらんぞ。」
「そうかな?0%が1%くらいにはなったんじゃないか?」
「いずれにせよ、貴様らに勝ち目がないのは変わらん。」
「侮らない方がいい。窮鼠猫を噛む、って言葉を知らないか?」
「小さな噛み傷では、儂等は怯みもせんよ。」
「物のたとえさ。俺らがくれてやるのはちゃちな噛み傷じゃない。」
クロは右手の赤熱した「黒嘴」を構え、同時に周囲の敵を牽制するように大量の融けた金属を動き回らせる。
「<赤鉄>の二つ名の由来をじっくりと教えてやろうじゃないか。」




