232 クロと教皇
クロは仕留めたはずの教皇が、すぐ背後からクロを見下ろしているのを見て、一瞬固まった。
確かに仕留めたはずである。着弾の瞬間、教皇の肉体が千切れて飛散するところまで確認した。
ちらと横目で見れば、彼の血肉がまだ飛び散っている。
・・・<人形達>と同じ再生ではない。
考えられるのは影武者か身代わりだ。
そもそもクロは教皇の容姿を確認してから来たわけではない。ぶっつけ本番でそれらしい人物を標的にしただけだ。影武者を囮にして、本人は隠れていた可能性も十分ある。更に言えば、今、目の前にいるこの老人すら影武者の可能性もある。
だが、後者の可能性はすぐに否定した。目を合わせ、その魔力を感じ取れば一目瞭然だ。迸るほどの圧倒的な魔力。魔力視で見える色は、木属性を表す緑一色。とても替えの利く偽物とは思えない。
クロはすぐに思考を切り替え、目の前で余裕の笑みを浮かべる教皇を仕留める方法を考える。
「黒嘴」は敵の手中だが、クロの武器は他にもある。この状況からでも攻め手はいくつかある。
だが、いずれもこの強大な敵を倒せるものとは思えない。この教皇単独でも困難なうえ、周囲は<人形達>に囲まれており、更に竜もいる。
・・・逃げるしかないか。
クロはすぐに逃走を選択した。
しかし、まだ動けない。愛剣が敵の手にある以上、取り返してから離脱するのがベターだ。流石に「黒嘴」だけは、替えが効くものではない。
「黒嘴」に出した指示『戻れ』はまだ有効だ。こうしている間も、「黒嘴」はクロの手に戻ろうとしている。教皇の強靭な握力に阻まれているだけだ。
・・・どうにかして、奴の手を緩めれば、あとは『ガレージ』で撤退できる。
クロがそう思考するうちに、教皇が動いた。左手に「黒嘴」を持ったまま、右手を水平に上げた。
クロは攻撃かと思い警戒したが、そうではなかった。
「教皇様!」
「待ちなさい。」
クロを襲わんとした<人形達>を、教皇が止めたのだ。手の平を向けて「待て」と示している。その動作と一言だけで、クロを取り囲む何百という騎士たちが動きを止めた。
そして教皇はクロに話しかける。左手でがっちりと「黒嘴」を掴んだまま、力んだ様子もなく普通に話す。まるで、クロの魔法による引き寄せを、片手間で軽々抑えているかの如く。いや、実際にそうなのかもしれない。
「<赤鉄>、確か、クロ、と言ったかな?」
「・・・・・・」
「否定しないなら、その前提で話を進めさせてもらうぞ。」
ズズ、と竜が近づいて来て、前足を少し前に出した。それが教皇の背後まで伸びると、教皇はその大きな前足の上に腰かけた。
クロは、目の前に竜が迫っても動けない。着地で折れ砕けた足の骨はまだ再生しきっていない。
「もはやこの戦、勝敗は決まった。我々はあの町を落とせば、それで撤退する。お前がこんな無茶をしても、もう戦況は揺るがん。」
「・・・・・・」
教皇が言うのも一理ある。しかし、その話は、クロが教皇を仕留める可能性がゼロだと暗に言っており、それがクロは気に食わない。
「お前は傭兵じゃろう?負け戦に手を貸す必要はないはずだ。それとも、意外に義理堅い性格なのか?」
「・・・報酬の請求先がいなくなるのが困るだけだ。」
「おや、やっと口を開いたな。」
教皇が笑みを深める。返事をしたということは、話を聞く気がある、と言ったようなものだ。
ヒト嫌いのクロからすれば、人間に対して義理堅い、などと言われれば、否定したくもなる。実際、クロは割と取引相手に対しては義理堅い方だし、約束も守る方だ。とはいえ、それを他者から言われるのは好まない。間違っても人間に対して優しいなどと思われたくなかった。
そんな内心を知ってか知らずが、教皇は話を続ける。
「お前が何のために危険を冒してまで金を稼いでいるかは理解しておるつもりじゃ。フレアネスの片隅に作った領地のためじゃろう?そこで魔獣たちと暮らしている。領地を広げるのにこだわるのは、魔獣たちのためか?」
「・・・・・・」
クロは答えないが、もはや沈黙を持って肯定しているようなものだ。
「儂も似たようなものじゃ。庇護対象は異なるが、儂も社会からあぶれた異端者たちの居場所を作っただけよ。そのために、それなりに大きな国が必要だった。それだけのことじゃ。」
「こうして隣国に攻め込むのも、その一環だと?」
「攻め込むなど、人聞きの悪い。反撃じゃよ。お前もやっておろう。我らに手を出せばこうなる、と知らしめているだけのこと。」
教皇が言っているのは、クロがフォグワース侯爵夫人を報復で殺したことだろう。
規模こそ異なるが、確かに目的は同じだ。クロは否定せずに黙って教皇の話を聞く。
「つまり、儂らは似ておる。守るべきものがあり、そのために手段を選ばず、世界と戦う覚悟がある。それで、話をしてみたいと思って、こうして引き留めておるんじゃよ。」
教皇は左手に掴んだ「黒嘴」を見せつけるように軽く持ち上げた。
なるほど、「黒嘴」が捕まっているうちは、クロは軽々に離脱できない。クロを引き留めるには有効な手段だ。
「いつでも俺を殺せるのに、わざわざ話してる理由はそれか。」
「そうじゃ。儂らは敵対する必要はない。手を組まんか?」
なかなか魅力的な提案ではある。神聖国ノースウェルの強大さは今回の戦で嫌というほど思い知った。これと同盟が組めるなら、強力な後ろ盾になることだろう。
しかし、だ。
「手を組んだとして、この後、あんたらはどうする気だ?」
「どうする、とは?」
「帝国の侵攻を止める気はあるのか?」
クロがこの戦に参戦した理由の一つは、帝国の侵攻を止めることだ。このまま帝国が世界征服に邁進すれば、いずれクロの領地も脅かされる。それを阻止するためにここに来ている。
クロの問いに対し、教皇は首を横に振った。
「帝国は止まらんよ。そして、儂らは自国を守る以外のことはせん。」
「それなら、手を組む意味がない。いずれ俺の領地にも帝国の手が伸びる。」
「その時は、儂らの国に来ればよい。森も山もある。領民は儂が声かければ、快く受け入れてくれよう。」
教皇は堂々とそう言う。それが可能だと信じて疑わない、確固たる自信があった。
これがカリスマというものだろうか。ここまで一切曇りのない自信を見せられれば、人はそれについて行きたくなるのかもしれない。
だが、クロはヒトではない。
「それでは駄目だ。」
「ほう、何故かな?」
「移住しろと簡単に言うが、獣たちはそう簡単に移住できない。それぞれ住むに適した環境がある。あそこでなければ駄目だ。」
クロが領地を構えるアイビス山脈の麓。その魔獣の森には、高濃度の魔力の影響か、不可思議な環境が作り出されており、森の中に砂漠のような場所すらある。環境の多様性では、おそらくこの世界で一番だろう。
そこに棲む獣たちは、そのいずれかに適応し、さらに多様な生態系を作り上げている。それを棄てるなど考えられない。
クロがあそこを見捨てて、帝国が蹂躙すれば、魔獣の森の未来は予想できる。
人間はきっとあの森を開発することだろう。今までは魔獣が守っていたが、科学が発展し、武器が充実すればそれも危うい。
そして人間はあの森の混沌とした様子を許せないだろう。自分たちにとっての秩序を敷くため、森を破壊し、更地にして、ヒトだけが住みやすい街を作る。魔獣は害獣として駆除される。
保護を訴える者がいたとしても、それはごく一部だ。結局ヒトは楽に流れる。管理が困難な、混沌とした多様性よりも、容易に管理できる、秩序だった画一性を好む。
それが、クロには許せない。
「そもそも、俺とあんたが似てるって?まあ、似てるところもあるだろうな。だが、あんたも言った通り、守る対象が違う。なら、相容れないのも当然だ。」
クロは立ち上がる。会話による時間稼ぎは十分だ。話している間に、脚の再生が完了した。
構えて戦闘態勢に入るクロを見て、教皇は溜息をつく。
「残念じゃな。同じ地平を見る仲間かと思うたんじゃが。・・・しかし、この状況で、まだ戦うつもりか?武器はこちらの手にあるぞ。」
「武器は別にそれだけじゃない。」
そしてクロは切り札を切る。指輪に魔力を通し、アカリにサインを送った。




