220 憤怒の炎
3月28日の夜明け頃。騎士の一団がサンシャン山脈を登っていた。
帝国側に攻め入った<ノースウェルの人形達>。しかし初日の夕刻にヘカトンケイルの谷で阻まれ、迂回を余儀なくされた。
半数を谷にいる帝国の秘匿戦力の足止めに残し、残り半数をさらに二手に分けて、150人程が山側を迂回していた。
ヘカトンケイルの谷を形成する石壁はかなり高いが、せいぜい50m程度。山を登って迂回すれば越えられる。
騎士たちは、谷の崖を守る敵から発見されないよう、用心のために山を5合目辺りまで登って、谷の向こう側に出ようとしていた。
しかし、簡単な道のりではない。山には魔獣が棲息している。こんな大人数が通ろうとすれば魔獣との戦闘は避けられず、頻繁に足止めを喰らった。
空を飛んだり、魔獣も追いつけないような速度で走り抜ければ、素通りできるだろうが、流石の騎士達もそんな能力はない。飛べるものは皆、海側に行っている。
それでも夜明け頃には5合目まで登り、あとは西に向かえばいい、というところまで来た。
そうして谷の南を越えようとしたところで、1人の男が立ちはだかる。
150人の不死身の騎士に対して、1人。普通なら問題にもならない。だが、騎士たちはその男を見て、一斉に警戒態勢を取った。
「何者・・・!」
男は全身を覆うローブにフードを被って顔がよく見えない。長めの髪が少しフードからはみ出ており、その髪は目に痛いほど赤かった。
そして、臨戦態勢でもないのに迸る魔力を感じた。ただそこにいるだけで、男の周囲が魔力視で赤く見えるほど。
強力な炎魔法使いなのは明白。そして騎士たちは殺気も感じ取っていた。明らかに友好的な者ではない。
迸る男の魔力からは確かに怒気を感じる。にもかかわらず、男は平然とした口調で喋る。
「はあ、まったく。本来はここをファイエルの奴が守るはずだったのに・・・わざわざ俺を呼び出しやがって。」
騎士たちは当然、ファイエルという名は知らない。だが、この男が騎士達を通さないためにここを守っていることはわかった。
「帝国の秘匿戦力か!悪いが押し通らせてもらう!」
「ああ?」
途端に男の魔力が膨れ上がる。死すら恐れない騎士たちが、無意識に1歩引いた。死の恐怖とは違う、絶対的な存在を怒らせてしまった、という気がした。
もう、魔力視では男の姿が霞んで見えるほど景色が赤い。世界を塗りつぶすような炎の気質。
「俺が?帝国の?このイーラ様が、人間の眷属だと言いたいのか?」
「い、いや・・・」
勇敢なはずの騎士が、思わず否定の言葉を発してしまう。
しかしイーラと名乗った男は、騎士の言葉を待たずに動き出す。
イーラがいた場所が爆裂した。かと思えば、目にも留まらぬ速さで、先頭の騎士がイーラに捕まっていた。首を掴まれ、持ち上げられる。
「そうか。そんなに俺とお前らの格の違いを見たいか。」
「・・・がっ!ぐう!」
騎士は必死に抵抗する。手に持った剣で斬りつけてみる。しかしローブは切れてもその下の男の肌は傷一つつかない。
首を絞められ、魔法の詠唱ができない。イーラの顔を殴ったり、腹を蹴ったりして見るが、びくともしない。
「死の恐怖を忘れた人形共。思い出させてやる!」
ゴウ、という音と共に火柱が上がった。その炎の色は太陽のように白く、近くにいた騎士も巻き込まれ、遠くにいた騎士すらその熱で全身が焼けた。
火柱は数秒で消えたが、その数秒で周囲の環境は一変した。
爆心地には何も残らず、地面はガラス化。爆発したわけでもないのにクレーターができている。一部の土は蒸発して飛んで行ってしまったのだろう。
周囲も木々が燃え、ほとんどが炭化している。
その爆心地で起き上がる人影が一つ。肩まで伸ばした真っ赤な髪の男。服を着ていないが、肌はすべて赤い鱗で覆われていた。
周囲にいた騎士達が火傷を修復した時、異変に気がつく。
「・・・隊長?」
ある騎士が、自分の前方にいたはずの隊長がいないことに気がつく。彼よりかなり前にいた隊長は、確か火柱に直接巻き込まれていた。
その隊長が、いつまで経っても姿を現さない。
いなくなったのは1人ではなかった。火柱に巻き込まれた全員の姿がない。
「思い出したか?」
男の声にハッとする。
「まさか・・・そんな!」
まさか、と思う。自分達は木の神の加護で、不死身のはずだ。たとえ全身が消し飛ぼうとも再生する。それは実証もされていた事柄だ。
死ぬ、などということは、ありえない。そのはずだ。
だが、現実に、男に焼き尽くされた騎士たちが返って来ない。
信じられず、1人の騎士が叫ぶ。
「ど、どこかへ移動させただけだ!死んだわけがない!」
「なら、試すか。」
また爆発音とともに一瞬で距離を詰めたイーラが、叫んだ騎士を捕まえる。そして再び火柱。先程と同じ光景が繰り返される。
そして、やはり火柱に巻き込まれたものは再生しなかった。
「馬鹿な・・・」
「教えてやろうか?お前たちの再生は、木の神子の固有魔法によるもの。それを『イングリィイン』で遠隔発動している。すなわち、ただの魔法だ。魔法であれば、解除方法は単純だろう?」
物体にかけられた魔法を解除する方法は、術者を上回る魔法出力でその物体を攻撃すること。今、イーラは木の神子の魔法出力を超える威力の炎魔法で騎士を焼き尽くしただけ。ただそれだけだった。
しかし騎士たちはそれを受け入れない。
「戯言だ!これは神の加護!奇跡だ!そんなものであるものか!」
「そうだ!今までだってどんな魔法で殺されたって再生できた!魔法であるものか!」
イーラはやれやれと首を振る。
「これだから狂信者は始末が悪い。今まで大丈夫だったのは、単に木の神子の魔法出力を超える者がいなかっただけだ。」
「何を!」
反論しようとする騎士を、再びイーラは捕まえる。
「まあいい。お前達に教えてやる義理も、そもそもないんだ。俺は面倒が嫌いだからな。他の連中のように時間はかけねえぞ。さっさと殲滅して帰る。じゃあな。」
そうして山側を登った150人の騎士は、1時間も持たずに全滅した。
焼け野原となった山の一角にたたずみ、イーラは呟く。
「さっさと片付いたのはいいが、やれやれ、手ごたえがなさすぎる。いつぞやの氷使いの爺のほうがまだやりがいがあった。アペティの奴、使える騎士は全部南に送りやがったな?それとも手元に置いてるか・・・まあ、当然か。こっちに送ったら、こうなる可能性を考えればな。」
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同時刻。神聖国の首都マリナス。教会で朝食を食べる子供たちを見守っていたシスターの1人が、表情を硬くした。
いつも柔和な笑顔を絶やさない彼女がそんな表情をするのは珍しいので、子供たちは彼女に尋ねる。
「おねーちゃん、どうしたの?」
「どこか痛い?」
「・・・何でもないわ。心配させてごめんね。」
すぐに彼女は元の笑顔に戻った。子供たちは安心してまた朝食を食べ始める。
しかし彼女は表の笑顔とは裏腹に、内心に焦りがあった。
・・・騎士達との接続が途切れた。っつ!また。今度は30人も・・・いったい、何が?
この後、彼女は秘密裏に教皇へと連絡を取った。
彼女が普通のシスターとしての仕事の裏でこの役割をしている事を知るのは、神聖国でも教皇を含めた数人しか知らないことだった。




