M17 炎の意地
ファイエルの視線の先、上空から森の中へと人影が落ちていく。それを確認してファイエルは大きく息を吐いた。
体感にして30分以上。随分と粘る敵だった。
・・・これだけ長く戦ったのは久しぶりだ。あの方に稽古をつけられた時以来か?
ファイエルは自分を鍛えた師を思い出す。神と呼ぶべき人外の怪物。あの師から受けた特訓がなければ、これほど長い集中は続かなかっただろう。
「魔力切れの心配がないとはいえ、流石にきついな・・・」
ファイエルは竜人が持つ秘術により、魔力を確保していた。
それは、地下を流れる膨大な魔力の流れ「龍脈」から魔力を汲み上げる方法である。いくつか使用条件はあるが、パスを繋いでしまえば際限なく魔法が使える驚異的な術だ。
「龍脈」の存在は竜人と竜しか知らず、当然他の種族に知られてはいけない極秘事項である。故に、これを用いる時、付近に他種族がいてはいけない。もしいた場合、確殺が命じられていた。
・・・あの距離で俺の「詠唱」が聞こえてたとは思えんが、念のため止めを刺しておく必要があるな。
ファイエルが「龍脈」を使ったことに<炎星>が気づいたかは不明だが、その可能性がある以上、生かしておけない。それでなくとも、自分達竜人が帝国に協力している事実を知られてしまっている。
全身を包む土鎧に亀裂を入れ、関節部が動くようにして歩き出す。
・・・しかし今回は本当に「龍脈」に助けられた。奴は間違いなく持久戦で俺の魔力枯渇を待ってたからな。「龍脈」のおかげで奴の思惑を真っ向から潰すことができた。カイルはなぜか意地張って使わないらしいけど、絶対便利だって、これ。
そうやってファイエルが同僚を思い浮かべたとき、一瞬の隙ができた。墜落した敵を捕捉しようと広げていた魔力感知波が一旦止まり、隙ができる。ファイエルもまた、長時間の戦闘で疲労していたのだ。
その隙は、1秒にも満たない一瞬。だが、不慮の事故とは得てしてそういうわずかな隙を突く形で起こる。
彼女はその隙を狙ったわけではないだろう。彼女にそんな余力はない。本当に偶然だった。いや、もしかしたら、死に瀕した彼女の研ぎ澄まされた無意識が、絶好のタイミングを読み取ったのかもしれない。
森の木々を器用に躱し、草を薙ぎ払いつつ、一筋の閃光がファイエルの元へと飛び込む。
別のことに思考が流れていたファイエルは一瞬反応が遅れる。その一瞬で、光はファイエルの懐に到達した。
木々を躱しながら、音速に到達しようかという速度で飛来したのは<炎星>。吐血し、頭から血を流し、顔半分が火傷を負いながら、杖に跨って突進して来た。
「『アース、うぉおっ!?」
咄嗟に防御しようとしたファイエルだったが、間に合わず<炎星>の突進が腹部に直撃する。
この土の鎧の欠点は、動けなくなることだ。関節部に亀裂を入れればある程度動けるが、速い動作はできない。
それでもそのデメリットに見合う防御力があったはずだが、彼女の杖は土の鎧を貫通し、ファイエルの鳩尾に突き刺さっていた。
鱗のおかげで皮膚を貫かれてはいないが、強力に内臓を圧迫され、ファイエルは苦しむ。
<炎星>はそれで止まることなく、ファイエルを杖の先に突き刺したまま、地面すれすれで飛行する。
「がああ!て、てめえ!」
「・・・すまんな。」
土の鎧に突き刺さった杖が抜けず、ファイエルは<炎星>に向かって叫ぶ。
しかし彼女は顔を上げずに謝罪の言葉を述べた。それはファイエルに対してではなかった。
「あ?」
「すまんなあ、マサキ。生きて帰るのは無理そうだ。・・・だから、こいつは道連れにする。」
「ふざっ・・・!?」
ファイエルは罵ろうとしたが、顔を上げた彼女を見て理解する。完全に覚悟を決めたものの目だった。もう生き延びようとしていない、本気で自分を道連れにする気だと悟った。
だが、だからと言って大人しく道連れにされるいわれはない。
「ふざけんな!誰が、道連れなんぞ!この、イカレ野郎!」
ファイエルは腹に刺さる継続的な痛みに堪えながら、拳を固めて振りかぶる。
「誰が野郎だ!アタイは女だっての!『ディスチャージ』!」
「がががあああ!」
杖の先端からの放電魔法。流石にこれは土の鎧で受け流せない。第一、もう地面から離れてしまっている。
その間にも飛び続け、ファイエルの体は木やら岩やらに何度も高速で叩きつけられ、杖はどんどん腹に深く刺さっていく。
抵抗しようにも、感電して体が上手く動かない。舌まで痺れて詠唱も困難だ。
だが、それで諦めるファイエルではない。
「く、そがああああああああ!」
「うっ!?」
ファイエルの体から炎が迸る。無詠唱の炎魔法だった。単純な着火魔法。だが、ファイエルの魔法出力なら、十分な殺傷能力がある威力になった。
<炎星>が驚く。無理もない。通常の魔法使いの常識では無詠唱はヒトには不可能だと言われているのだ。使い慣れた魔法を声量を抑えてこっそり詠唱する「疑似無詠唱」はあるが、あれも小さくではあるが詠唱している。舌が痺れたファイエルが魔法を使ったということは、明らかに無詠唱だ。そんな技術を知っているのは魔族だけのはずである。
この無詠唱もファイエルが師から教わったもの。これもまた門外不出。こういった技術を竜人が持っていると知られることすら避けなければならない。
「こ、ここ、殺、す・・・!や、焼け、死、ね!」
そう宣言してファイエルは感電しながら<炎星>を睨む。だが、彼女もまた炎に包まれながら睨み返した。
「やりゃあいいだろ!だが、先に死ぬのはてめえだ!」
<炎星>はもう火傷どころではなく、全身が焼け爛れ始めている。それでも速度を緩めない。
凄絶な我慢比べ。だが、そう長く続かないことは互いに分かった。
やがて<炎星>の目が閉じた。目が焼け、前が見えなくなったのだ。
・・・勝った!墜落して、地面に足が付きさえすれば!
地面に激突するなら、ファイエルは土魔法で土を柔らかくして衝撃を抑えられる。<炎星>は前すら見えていない。受け身も取れないだろう。
だが、杖は曲がらず真っ直ぐ飛んで行く。なぜ前が見えていないのに真っ直ぐ飛べるのか、ファイエルは理解できない。
そして振り返り、杖の向かう先を見て、驚愕する。
「て、てて、てめえ!」
・・・これを狙ってやがったのか!?初めから!
<炎星>が二ヤリと笑った。
向かう先は樹齢何千年かという大木。衝突の対象が木では、ファイエルは衝撃を軽減できない。
逃れようとしても、相変わらず感電して体が上手く動かない。
杖はさらに速度を増し、大木へと突っ込む。
「じゃあな。」
「や、ややめっめめめええ・・・!」
ドッゴオオオオオン!
大砲の砲弾が着弾した音よりもさらに大きな音が、森に響き渡った。
「はあ、はあ、・・・・・・」
大木にはクレーターができ、そことその周囲が真っ黒に焦げていた。しかし、いつの間にか降り始めた雨が、延焼を防いでいるようである。
夜の闇の中。大木の根元で煤塗れの人影がふらりと身を起こした。
土の鎧を剥がし、真っ赤な髪を振り乱して煤を掃う。ファイエルは生きていた。
ファイエルは自分の腹を見下ろす。鱗が破られかけていたが、内臓には届いていない。また、だいぶ強力な電流を浴びたが、致命傷には至っていなかった。
・・・竜鱗に助けられたな。余りこれに頼るなとは言われてるが。
竜人や竜の体表を守る竜鱗は、ただ強固なだけではない。鱗の持ち主の意思に合わせて性質をある程度変化させる機能がある。
本人が強度を高めようと思えば強度を増し、電気に耐えようと考えれば電気抵抗が増す。そういう便利な代物だった。
・・・とりあえず、「仕事」はさっきの戦闘中に済ました。隠密に、とはいかなかったが、どうにかなるだろう。
「帰る、か。」
ふらつきながら、立ち上がる。が、すぐに膝をついてしまった。
・・・これじゃあ、カイルの持ち場まで行くのは難しそうだな。治癒が必要だ。治癒と言えば、そうだ。いっそアペティ様のところに行った方が近いか。
そうして治癒の当てを思いついてそこに向かおうと再び立ち上がった。
だが、肩を掴まれ、尻もちをつく。
「あれ?」
ゴキン。
ファイエルの視界がぐるんと回った。一瞬、赤茶色の髪が見えた気がしたが、すぐに意識は途切れた。
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ヴェスタが手を離すと、敵は力なく倒れた。
再度触れて確認すると、魔力が抜けていることがわかる。確かに死んだようだ。
「目が見えりゃあ、もっとよくわかるんだがな。」
かすれた声でそう呟く。目は焼けてしまい、もう何も見えなかった。
だから、ヴェスタは大木に突っ込んだ後、音を頼りにまだ動いている敵の場所を把握し、折れた足を引きずりながら背後から近づいて、手探りで捕まえた。そして、力任せに首を折った。
ヴェスタの杖からの『ロケットブースト』で飛ぶ飛行方法は、風魔法で飛ぶよりも遥かに難易度が高い。
普通の飛行魔導士に必要な空間把握能力だけでなく、1本の棒に乗ってバランスをとる平衡感覚も必要だ。ヴェスタはいずれも人並み外れて優れており、先程のように目が見えずとも、体に感じる重力だけで上下がわかるほどだった。さらに、一度目的地を見れば、目をつむってでもそこに行けるほどでもある。
そして、この飛行方法において何より重要な要素は、握力である。
高速で飛べば、大きい空気抵抗に晒される。いくら身を屈めようと、一定以上の握力がなければ杖に掴まっていられない。普通の飛行魔導士は風魔法でそれを軽減するところだが、風適性が低いヴェスタはそれを力づくで解決するしかなかった。
幼い頃、風適性が低くても、どうしても空を飛びたがったヴェスタが、師である祖父と相談して編み出したのがこの飛行方法であり、幼い頃からその鍛錬を怠らなかった。
その結果、ヴェスタは女性と思えないほど太い指を持っていて、その握力は100kgを軽く超えていた。
ヴェスタはその怪力でもって、敵の首の骨を竜鱗ごしに捩じり折った。表面の竜鱗がいくら硬くても、中の骨は人間とそう変わらなかった。
敵の死亡を確認すると、ヴェスタは倒れた。仰向けに地面に倒れ、暗い空から降ってくる雨を肌で感じる。
「ああ、もう歩けねえなあ。」
両脚は折れ、内臓にも多大な損傷があり、全身に重度の火傷を負っている。そもそも、大木に亜音速で突っ込んで生きているのが奇跡だ。
敵の撃破という役目を果たしただけで、もう十分に奇跡。これ以上は望めないだろう、とヴェスタは見えなくなった目を閉じる。
自分が発した「歩く」という単語から、マサキと一緒に城下町を歩いて、肉まんを奢ってもらったことを思い出す。
・・・あれ、うまかったなあ。味もよかったけど、それよりも、あいつと一緒に食べたから・・・ああ、また食いてえな。
そう思うと諦めきれなくなって、起き上がろうとする。が、やはりもう体は動かなかった。
そしてヴェスタは体を地面に大の字に投げ出して、再び目を閉じた。
申し訳ありませんが、多忙のため少し間を置きます。
次話は来週投稿予定です。




