180 アカリの選択
「ちょっと、待て。」
アカリがピキルの勧誘に頷きかけたとき、それを遮る声が響いた。低い声だが、アカリの耳にはしっかり届いた。
「クロさん・・・」
クロが立っていた。息が荒く、剣の鞘を杖代わりにしているが、立っていた。
「馬鹿な!」
ピキルはユルルを振り返るが、ユルルも驚いていた。ユルルが力を弱めたわけではない。
「何故?立てるわけが、ない・・・」
ユルルの力は、この世で最も強い。抗える者など存在しないはずなのだ。
慄くピキルに、ユルルの楽しそうな意思が伝わって来た。
・・・すばらしい。これが人の意思の力か。我がエネルギーが、我より奴を選ぶのか。
魔力が、生みの親であるユルルの指示ではなく、クロの意思に従っている。それ故に、ユルルによる操作が弱まっているようだ。
・・・いや、これは、弄ってあるのか。闇のの仕業か。なるほど、奴は未だ執着しているのか。
ユルルの考察がピキルに漏れ聞こえるが、ピキルの脳ではユルルの思考の全容を読み取れない。
ピキルがそれに気を取られている間に、クロがアカリと話す。
「アカリ・・・」
「クロさん、無茶しないでください。」
「いや、見過ごせなくてな。」
アカリはトコトコとクロに駆け寄る。クロは立っているのがやっとで、あまり声が大きくない。
「私を心配して?」
「いや。」
「ええ・・・」
少し期待していたアカリがガッカリする。そこへさらにクロが期待外れの言葉を追加。
「ピキルに言われっぱなしだったのが、癪だったから。」
「それだけですか!?」
「あ、あと、見下されてるのが気に食わなかった。」
クロはそう言ってユルルに視線を向ける。
クロは天邪鬼である。天邪鬼は大きな流れや力に逆らう性質がある。故に、見下されるのは大嫌いだ。上から命令されるなんてもってのほか。押さえつけられたらはねつけたくなる。
アカネを攻撃されて、クロの復讐魔法はすでに発動率が上がっていた。そこへ天邪鬼的に腹立たしい状況がプラス。復讐魔法の発動率が一気に上昇していた。
クロは「ふう」と大きく息を吐く。魔族ならば呼吸は然程重要ではないが、そうしたくなるほど、立っているのが辛い状況なのだ。
「アカリ、ユルルの眷属になるのか?」
「それは・・・」
「まあ、ピキルの言う通り、そっちの方が安全だろう。逆にこっちは危険だらけだ。」
「・・・・・・」
意外にもクロは引き留めない。アカリは、理由はどうあれ、クロはアカリを引き留めるために立ったと思っていた。
「ああ、ただ、ここに棲むと、町とか行けなさそうだが、いいのか?完全に世捨て人だが。」
「8ヶ月も閉じ込められてたんですよ。今更です。第一、町は、恐いし。」
「それもそうか。」
後何か言うことはないか、と悩むクロに、アカリは思い切って尋ねる。
「・・・あの、クロさん。引き留めないんですか?」
「ん?ああ。アカリが居たい方に行けばいい。無理に引き留めても、後々問題になるだけだ。」
クロは友好的な他者に対しては、何かを強要したり、考えを押し付けたりは、極力しない。自分がそうされるのが嫌だから、仲間にもそうしない。
とはいえ・・・
「ただ、残念だ。」
「え?」
「アカリは有能だからな。引き抜かれると痛手だ。」
クロの本音が漏れた。なんとなく、言わずに見送ったら、自分が後悔しそう、と思っただけだが、言った。
それを聞いたアカリの目の色が変わる。ピキルとクロを交互に見て、悩み、最後にピキルの方を向いた。
「あの、ピキルさん。」
「・・・・・・」
ピキルには既にアカリが言おうとしていることが読み取れたが、あえて言葉を待つ。
「やっぱり、私はクロさんの方に残ります。」
ピキルには、何故、と問うまでもなく、アカリがその選択をした理由がわかっていた。彼女は何より、誰かの役に立つことを願っているのだ。
しかし、それだけではピキルは諦めない。ピキルがアカリに惚れているのもまた事実なのだ。
ピキルがユルルに振り向いて手を掲げると、ユルルの鱗が一枚、剥がれてピキルの手に落ちた。たった一枚でも、人の頭ほどの大きさがある。
ピキルはその鱗をアカリに差し出しながら言った。
「アカリさん。あなたの、気持ちは、わかった。だが、やはり、危険だ。クロに、ついて行けば、きっと死んでしまう。お願いだ。これを、受け取ってくれ。これに触れれば、ユルル様の眷属に、なれる。敵と、戦う力も、得られる。」
ユルルの鱗は、虹色に輝き、見る角度によって様々に色が変わる美しい物だった。それだけで魅了する効果があるかのようで、アカリの心が揺れる。
それを見たクロは、おもむろに自分の胸を貫手で貫いた。胸部のチタン骨格を操作して道を広げ、心臓を取り出す。
突然のクロの凶行にアカリが驚くのも無視して、クロは自分の心臓をアカリに差し出す。
「力ならこっちでも得られるぞ。」
それを見たピキルが怒る。
「馬鹿を言え!魔族化は、死の危険が、伴う。アカリさん。こちらは、そんなリスクは、ない。こっちの方がいい。」
「アカリ、好きな方を選べ。」
クロとピキルに迫られて、アカリは悩む。
人の役に立ちたい。その一心でアカリはこの世界に転生した。その望みに沿うならば、クロの方がいい。
しかし、クロの方に行けば、高確率で死の危険が付きまとう。閉じ込められ、死の恐怖に怯えた記憶が蘇る。
悩み、悩み、悩みに悩んで、アカリは決めた。アカリの中では何十分も悩んだ気分だったが、実際の時間は1分も経っていない。
「ピキルさん。」
「アカリさん・・・」
ピキルにはもう彼女の答えが見えていた。
「ごめんなさい!やっぱり私は、誰かの役に立ちたい。あなたのところは安全かもしれないけれど、私の出番はあまりなさそうだから。」
「・・・死んでしまうかもしれませんよ?」
「それでも。私は、より私を必要としている人の方に行きたい。」
そう言ってアカリはクロの心臓を手に取った。




