175 ムラサキとアカリ
今回、短めです。
「っと、もうこんな時間か。」
2月末になり、夜もだいぶ温かくなってきた、そんな夜。ムラサキは自室でベッドに寝転がりながら本を読んでいた。ふと顔を上げて時計を見れば、既に就寝時間を過ぎていた。
読み耽っていたのは料理本。町の図書館から借りて来たものだ。ムラサキはスミレが苦手だが、図書館内ならスミレは襲って来ないとわかったので、本が必要な時は普通に図書館に行く。
ピキルとの最初の定期会合は3月1日。もう数日後に迫っていた。そこでムラサキはピキルに料理を振舞うことになっている。
野生で暮らすピキルは普通の料理で十分と言っていたそうだが、せっかくならば美味いものを作ってやりたいとムラサキは気合を入れていた。
その気合ゆえに寝るのも忘れて本を読み耽ってしまっていたのだった。
・・・魔族は寝なくても問題ないから、別にずっと読んでてもいいけど、習慣を崩すのは良くないな。
ムラサキは本を丁寧に閉じて机に置き、『ライト』を消す。服を脱いで猫形態に『変化』し、寝室に向かう。
・・・クロ達はもう寝てるだろうけど、邪魔にはならんだろ。どうせオレだけベッドだし。
この家での寝るスタイルは、クロ・マシロ・アカネが一塊になって寝室の床で寝て、ムラサキは寝室のベッドで寝る。ヤマブキと狸達は自室だ。
ムラサキが自室を出て寝室に行こうとすると、廊下でばったりとアカリに出くわした。
「あれ?アカリ?」
「あ、ムラサキさん。」
自室でとっくに寝ているだろうと思っていたアカリが、廊下にいた。
アカリは男女兼用の地味な寝間着姿だ。未だに獣人が恐くて町に出られないアカリは、衣服を借りるか買ってきてもらうしかない。そのため、基本的に無難な、地味な服ばかりだ。
「どうした、こんなところで。」
「あの、ええと・・・」
アカリは言い淀む。ムラサキは無理に追及すべきでない気もしたが、どうにも気になって適当に言ってみる。こういう時の定型句だ。
「寝れないのか?」
「あの・・・はい。」
アカリは俯きがちに答える。
「実は、ここに来てからずっとで・・・今日も狸さんたちのところで寝させてもらおうかと・・・」
「やっぱ、こんな人外魔境じゃ落ち着かないか?」
「いえ、そういうわけじゃなくて・・・あの、恐いんです。」
「・・・・・・」
ムラサキはアカリの雰囲気から、どうも単なる不眠ではないと悟った。
「あの、ほんと、申し訳ないんですが・・・やっぱり、恐くて。『ガレージ』。」
「・・・昼間は普通に使えてるじゃないか。」
アカリはここに来てもう2週間経つ。皆の役に立とうと奮闘するアカリは、今や『ガレージ』を駆使して大活躍だ。ここのメンバー全員が感謝していて、それをアカリも喜んでいる。昼間の様子からは『ガレージ』を恐れているようには見えなかった。
アカリは首を横に振る。
「使うのは問題ないんです。でも、入るのが恐くて。・・・一人で寝ていると、いつの間にか、また中に入っちゃうんじゃないかって、不安になって・・・だから、誰か傍にいてくれないと眠れないんです。すみません。」
魔法が術者の意思を無視して勝手に発動することはあり得ない。論理的に言えば、アカリの不安は杞憂でしかない。
しかし、それでも、染みついたトラウマというのは、論理だけで拭えるものではない。恐いものは恐いのだ。
「謝る事ねえよ。ずっと閉じ込められてたんだ。恐くて当然だ。オレからすれば、使えてるだけすげえよ。」
「ムラサキさん・・・」
ムラサキは猫形態ながら、努めて明るい雰囲気で話す。
「なんなら、今夜はオレが付いててやるよ。今から行って狸達を起こすのも悪いだろ?」
「・・・いいんですか?」
「いいの、いいの。どうせ寝室行ってもオレだけベッドだし。ほら、部屋入れてくれ。」
「あ、はい。」
アカリは自室に戻り、ムラサキを招き入れる。
荷物は全部『ガレージ』に入れているのだろう。ほとんど物がない、殺風景な部屋だ。
飾りとしてインテリアでも置けばいいのかもしれないが、思えばアカリはここに来てからずっと働いている。もしかしたら、不安を忘れようと仕事に没頭しているのかもしれない。インテリアを置く余裕もないのだろう。
そんな部屋を見てムラサキはますますアカリが心配になるが、その心配に気づいた様子もないアカリはベッドに腰かけながら尋ねる。
「ムラサキさんだけベッドって、どういうことですか?」
「あいつら、床で寝るんだよ。もともと野生のマシロとアカネはわかるけど、クロはどうなんだ、あれ。人間で床で寝るのが好きって、普通にいるのか?」
「敷き布団もなしでですか?」
「そう。床に直。」
「それは、変わってますね。」
「だよなー。」
アカリが少しだけ笑った。相変わらず感情が薄い感じがする。アカリは感情の動きは見えるが、大きく動いた様子は見た事がない。
ともあれ、笑ったのなら不安も多少は紛れただろうと考え、ムラサキはひょいっとベッドに飛び乗る。
「ほら、もう遅いぞ。明日も働くならさっさと寝ないとな。」
「わかりました。・・・ありがとう、ムラサキさん。」
アカリはそう言ってベッドに横になった。ちょうど胸の位置にいたムラサキを抱き枕のごとく抱える。
疲れていたのか、やがてアカリは安心したように眠り始めた。そしてムラサキは、というと。
・・・うひひ、役得、役得。女の子、ではないけど女性の胸に抱かれて眠るとか、最高じゃないか!
女好きのムラサキはこの状況を楽しんでいた。アカリが心配なのは本心だが、半分はこれが目的だった。
ご満悦のムラサキだったが、アカリが完全に寝入ったところで状況が変わる。徐々に締め付けがきつくなってきたのだ。
「う?」
・・・あれ?ちょっときつくね?いや、結構きつい。
段々とアカリの腕に力が入っていき、ムラサキの腹を締め付ける。
・・・ちょ、意外に力強い!?ちょっと抜け出し・・・抜けない!?
「ちょっと、アカリ、きつい・・・」
「うーん。」
声をかけてもアカリは目覚めず、腕の力は抜けない。あるいはアカリの胸部が大きければクッションになったかもしれないが、アカリは小さい。がっちりホールドされている。
・・・痛いって程じゃないけど、ちょっと息苦しいぞ、これ。狸達は大丈夫だったのか?
実は、普段アカリが狸達と寝る時は、一塊になった狸達に寄り添って寝るだけで、今のように抱きかかえたりはしない。ムラサキを胸に抱えているから、こうなったのだった。
どうやって抜け出そうか、考えていたムラサキの耳に、アカリの寝言が届いた。
「うう、ごめん、フェイ・・・ごめんなさい・・・」
悪夢にうなされている感じではないが、振り向いて見たアカリの顔は心底悲しそうだった。
・・・しょうがない。ちょっと苦しいけど、ここで寝るか。
ムラサキはそのままアカリに抱かれたままで翌朝まで眠った。




