171 アカリの狩り
「いました。」
先頭の化け狸がそう言うと、一斉に全員が止まる。アカリも慌てて停止し、空気を読んで身をかがめた。
アカリにはまだ見えないが、この先には数頭のシカがいるはずだ。
「ミラージュディアです。抗魔力高めですが、問題ありません。」
「ミラージュディア?」
聞き慣れない名前にアカリが首を傾げる。それにはダンゾウが答えた。
「日本語なら幻覚鹿ですね。黒い鹿で、分泌する匂いに闇魔法を乗せて、外敵に幻覚を見せます。そうして身を守る鹿なんです。」
「へえ~。狩るの、難しそうですけど。」
「なに、闇魔法は儂らのほうが一枚上手。儂らなら幻覚に惑わされず狙えます。それに、奴らは危険を感じると本能的に走って逃げますが、匂いに乗せる性質上、走り始めると幻覚が解除されますから、アカリさんにも見えるでしょう。」
幻覚を見せる闇魔法は、光や音、匂いなど、対象の感覚器に作用する物を媒介にして仕掛ける。匂いの場合、その匂い物質が存在する範囲にしか効果がなく、風でも吹いていない限り拡散が遅い。そのため、鹿たちの身を守る幻覚は、鹿たちが走り出してしまうと追いつけずに解除されてしまう。
「見えるって・・・こっちに来るんですか?」
「儂らの狩りの基本は、幻覚で獲物をこちらに誘導して仕留めます。・・・ああ、そうか、今日はアカリさんがいるから、まっすぐこっちに来させちゃ危ないな。おい、お前ら。誘導の方向をちょっとずらせ。」
「「合点!」」
その返事の直後、風魔法が得意な狸が小さく吠える。その声は指向性を持って前方に飛んだ。
数秒後、ガサガサと草木をかき分ける音がいくつも近づいてきた。
黒い鹿だ。木々の合間を縫うように、草を薙ぎ倒しながら走って来る。体高がアカリと同程度。結構大きい。
・・・速い!
草木に阻まれながらも、時速30kmは出ていそうだ。アカリにはとても速く感じられた。
しかし狸達は動じることなく、タイミングを計る。
鹿たちはある程度散りながらも、アカリ達がいる場所から少し離れた場所を通過しようとする。うまく誘導できているようだ。
数は4頭。先頭を立派な角を持つ大きな個体が走る。おそらくオスだろう。
その後ろに3頭のメスと思しき個体が続く。一網打尽にされないためにか、一定の間隔を置いて走っている。
オスはスルー。そして、その次に来た、一番狸達に近い場所を走っていたメスに、合図もなく一斉に狸達が飛び掛かる。
鹿は狸達に気付いていなかったのだろう。大した抵抗もできずに首を押さえられ、倒れた。
・・・すごい!やっぱり狸さん達、狩りに慣れてるんだなあ。
そんな感想を持った時、ふと気が付く。狸達が鹿を仕留める様子が随分ゆっくり見えるのだ。
見上げて別の、まだ逃げている鹿を見ると、飛び出して来た時よりだいぶ遅く見える。
不思議に思いつつも、そっと『ガレージ』を詠唱する。
・・・みんなの昼食にするなら、1頭じゃ足りないよね。
直後、離れた場所を逃げていたメス鹿の1頭が動きを止めた。いや、その場で妙な姿勢になって暴れている。
「やった!」
「「え?」」
アカリの声に、捕まえた鹿を仕留め終えた狸達が気づく。
「あ、もう1頭、捕まえました。早く仕留めてください。」
「「あ、はい。」」
あまりに淡々とアカリが言うので、狸達も普通に返事をする。
暴れる鹿の方に行くと、なんと前足がなくなってその場から動けなくなっていた。
いや、よく見ると、両前足だけが、『ガレージ』の穴に入り、抜けなくなっているのだ。
鹿は接近してきた狸達に気が付き、後ろ脚を振るおうとするが、却ってそれでバランスを崩し、ますます身動きが取れなくなってしまった。
「あの、姐さん、これは・・・」
「『ガレージ』の入り口を、走ってるこの子の足元に開いたんです。あ、今、前足は私が押さえてるので、早く仕留めてもらえると助かります。」
「「は、はいっ!」」
慌てて狸達は鹿に止めを刺した。
帰り道。時間がないから血抜きをしながら帰ることになったのだが、これまた異様な光景になっていた。
頭上に黒い穴が開き、そこに後ろ脚が入り込んだ鹿2頭が逆さに吊られている。そして、その首から垂れる血もまた、黒い穴に落ちていく。これが水平移動しているのだ。
「すいません、姐さん。2頭とも持ってもらっちゃって。」
「いいんですよ。運ぶのは得意分野ですし、これくらいの重さなら大丈夫です。意外に鹿って軽いんですね。」
「「・・・・・・」」
いや、軽いわけがない。間違いなく数百kgはある。それを持ち続けて移動して、軽いわけがない。
・・・姐さん、自分は平凡な異世界人って言ってたけど、どう見ても尋常じゃない魔力だぞ、これ。
・・・異世界人って、やばいんだな。
狸達は異世界人の超性能に慄いていた。
もちろん、異世界人全員がこんな高性能なわけではない。狸達が知る異世界人が、クロやスミレしかいないため、そう感じるだけだ。
また、アカリも普通の異世界人より性能が上がっていた。当人はまだ気づいていないが。
そして、ダンゾウはアカリの魔力以外にも、『ガレージ』の使い道に驚いていた。
・・・収納魔法。ただ荷物を運びやすい便利な魔法ってだけじゃないようだ。ほとんど前兆なしに好きな場所に穴を開けることができる。強力な罠だ。しかも、入ってしまえば自由に操作できるとなれば、さらに恐ろしい。下手な攻撃魔法より凶悪だ。クロさんが有能って言ったのには、こういう点もあるのかもしれん。
狸達の目が、尊敬に畏怖が混じり始めているのにも気づかず、アカリは初めての狩りの収穫に喜んでいた。
・・・鹿と言えば、ジビエ料理ね。ムラサキさん、料理上手いみたいだし、期待していいかな。いいよね?ふふふ。
そんな感じで一行はクロの家に帰っていた。
アカリ達が家に戻ると、11時半を回っていた。
ムラサキを始め、昼食担当の者たちは、保存食での昼食づくりに取り掛かろうとしていた。
彼らはようやく帰って来たアカリ達に、初めは呆れた様子だったが、その獲物を見るなり、驚いた。
「「2頭同時・・・だと・・・!」」
鼻が利く狸達は、その2頭の鹿がほぼ同時に狩られたものだとすぐに気づいた。
「アカリ姐さんのおかげだ!」
「ほら、お前ら!頭が高えぞ!」
「「へへー!」」
「ちょ、ちょっと、やめてくださいよ~。」
狸達の悪ふざけにアカリが困っている。その間に、いつの間にか近づいて来ていたマシロが、吊られた鹿を見る。
「なるほど。魔法で吊って血抜きを・・・血も保管してあるのですね。アカリさん、血抜きは十分なようですので、降ろしてください。」
「あ、はい。」
「血はどんな状態で保管していますか?」
「あ、低温室に入れてます。」
アカリの『ガレージ』は複数の部屋に分かれており、部屋の環境も自在だ。
「では、この瓶に出してください。」
指示された瓶の上に穴が開くと、鹿の血がドバドバと出てくる。
血を注ぎながらアカリがマシロに尋ねる。
「これ、一応取っておいたんですけど、何に使うんですか?」
「マスターが好きなんですよ。」
「え、クロさんが?」
「はい。」
アカリはマシロの言っている意味がよくわからなかったが、その後すぐにその目で見ることになった。
騒ぎを聞いてクロが家から出て来た。
「騒がしいと思ったら、2頭とは結構な収穫だな。」
「アカリさんの手柄です。血も持ってきてくれましたよ。」
「お、ありがとな。」
「どういたしま・・・」
アカリが言い終える間もなく、クロは地面に置かれた瓶から手持ちの椀で血を掬って飲んだ。
「・・・し、て・・・」
「へえ、冷えてるのもいいな。」
アカリがドン引きしている間にも、クロはもう1杯血を飲む。
その様子に気付いたムラサキが遠くから声をかける。
「おーい、クロ。昼飯はまだだぞ。これ捌いてからだ。」
「いや、これせっかく冷えてるんだから、今のうちに飲んだ方がいいって。」
「マスター、私は鹿を捌くのを手伝ってきます。あ、その前に、私も1杯。」
「おう、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
マシロはクロの椀を借りて、1杯だけ血を飲むと、鹿のほうに歩いて行った。
それを見送ったアカリは、恐る恐るクロに尋ねる。
「あの、おいしいんですか?血。」
「俺は旨いと思うけど。飲むか?」
「・・・やめておきます。」
そこへ手すきの狸達がそれぞれ椀やジョッキを持って二足歩行形態で集まって来る。
「「クロさん、俺もー!」」
「「私にもください!」」
「いいぞ。一人1杯な。」
「「「はーい!」」」
皆、嬉々として血を飲み、終いにはスイーパー達も集まってきて、残さず飲んでしまった。
・・・人外魔境って、本当だったんだなあ。
アカリは先行きに若干の不安を覚えた。この人外たちに囲まれてやっていけるだろうか。そう思った時だ。
「おーい、アカリちゃん。」
ムラサキだ。いつの間にやら鹿は捌き終わっており、半分以上が保存食用の処理が始められているが、一部は鉄板の脇に積まれている。ムラサキはその鉄板の前で宙に浮いていた。
「今日はこの鉄板で焼き肉にする。焼くの手伝ってくれ。」
「あ、はい。」
アカリが近づくと、鉄板は『ヒート』で熱されていることがわかった。
ムラサキは『エアテイル』で肉を掴み、鉄板の上に置く。じゅわっと美味しそうな香りが立つ。油もいいものを敷いているようだ。
本当はムラサキは獣人形態のほうが作業しやすいのだろうが、アカリに気を使って猫形態のままだ。
アカリもトングを使って肉を焼いていく。塩コショウもすでに肉に振られている。
作業しながら、ムラサキが話しかけてきた。
「まったく、嬉々として血なんか飲んで、人間離れも甚だしいよな。」
「え、その・・・」
「遠慮すんな。オレもあれはどうかと思ってるんだよ。オレは常識人で文明人だからな。肉はちゃんと調理して食うべきだ。」
アカリにはまるっきり猫そのもののムラサキがそういうのが、なんだか可笑しかった。少し、笑う。
「ふふっ、ムラサキさん、ヒトじゃないじゃないですか。」
「いいんだよ。ここでは魔獣も魔族もヒトも対等。言いたいことは遠慮なく言うんだ。」
「はい、ありがとうございます。」
周りとの違いに孤独を感じ始めていたアカリには、ムラサキの言葉が心強く感じられた。
まあ、世の中には牛の血を日常的に飲む部族もいるそうですから、血を飲むのが人間離れというのは言い過ぎかもしれませんが、ムラサキはそんなこと知らないので。




