164 ピキルとの交渉
2月上旬のある日。夕方になって一仕事終えたクロが客間でソファーにもたれて一息つく。今日はマシロも隣に座った。ムラサキがお茶を淹れて労う。
「お疲れさん。交渉はどうだった?」
クロとマシロの2人は、たった今、ピキルとの交渉を終えてきたところだった。
「まあ、交渉はすぐに終わったよ。ただ、あれは交渉と言えるのかね?」
「どうでしょうね・・・」
クロはピキルとの交渉を思い出す。
クロを魔王に、と推すコンダクターの真意を探るべく、クロ達は読心魔法を持つピキルの協力を得ようと考えた。
ピキルはアイビス山脈の山頂付近に住む。詳細な場所はわからないが、仲間の蛇戦士がたくさんいると言っていたから、そのどれかを見つけられればいいだろう、と適当に登ってみた。
機動力を重視して、向かうのはクロとマシロだけ。マシロの走力で道中の魔獣の縄張りを高速で通り抜けた。罠を仕掛けている魔獣もいたが、マシロの嗅覚にかかれば容易に看破・回避可能だった。
そうして山頂付近に来ると、そこは固い雪に覆われていた。季節は春真っ盛りだが、山頂は気温が低く、年中雪が残っているようだ。いや、雪というよりほとんど氷だった。
そんな環境に、案の定、蛇戦士たちがいた。蛇頭で人間のような体を持つ屈強な戦士たちだ。前回戦った時はリザードマンに見えたが、明るい場所で改めてみると、トカゲより蛇が近いので、蛇戦士の方がいいだろう。蛇ならば寒さが苦手そうだが、そこは魔獣ということで、何らかの耐性を得ているのだろう。
「どうも。」
「シュー。」
クロが簡単に挨拶すると、蛇戦士も声を返してきた。敵対的な様子はないので、挨拶として通じたようだ。蛇戦士は人語を話せないので、正確なところはわからないが。
「ピキルさんから話は通っているようですね。」
「そのようだな。ありがたい。」
身振り手振りでどうにか意思疎通をしたところ、先に進むのは駄目だが、待っていればピキルを呼んで来る、というところで落ち着いた。
しばらく待っていると、アルビノの長毛牛ラファーに乗ったピキルが崖を降りてやって来た。
ラファーは蹄でごつごつした岩と氷の崖の斜面をしっかりと捉え、危なげなく降りてきた。まるでカモシカのようだ。かなり揺れているが、ピキルは安定してその背に座っている。
クロ達の前まで来ると、ピキルはラファーの背から降りた。クロ達も他人のことを言えないが、ピキルはこんな寒冷地にいながら、結構薄着だ。毛皮で作った服を2枚ほど重ね着しているだけのようだ。
「待たせた。」
「いや。しかし、すごい道を通って来たな。」
「この辺では、こんな崖、珍しくない。ラファーは、あまり、足が速い方、じゃないが、崖は、得意だ。まっすぐ、来た。」
ラファーが自慢げにブフッと鳴き、ピキルはその頭を撫でる。
「さて、用件は・・・コンダクター、とやらの、思考を、読んでほしい、か?」
「・・・そうだ。」
早速クロ達の記憶を読んだのだろう。話すまでもなく用件を把握された。
さらにクロ達の情報を読み取ったピキルは一方的にまくしたてる。
「記憶を読むこと、自体は、簡単だ。だが、そちらも、思っている通り、私が、堂々と、その魔族の、前に、出るわけにも、いかない。勘のいい奴、なら、私が、読心能力、持ち、だと、気づくだろう。だから、隠れて、覗くことになるが、私は、隠れる、のは、得意ではない。・・・そうだな。クロの、考えている通り、化け狸の、闇魔法で、隠して、もらえば、いいだろう。だが、敵も、有能、なのだろう?見破られる、危険もある。つまり、この案件は、私にとって、少なからず、リスクがある。タダでは、できない。」
「・・・ああ。だから・・・」
「私の、メリットか。そうだな。この生活を、始めてから、物欲が、なくてな。欲しいもの、と言われても・・・お、そうだ。飯が、食いたい。」
「食べ物、ですか?」
「お前のところの、猫、ムラサキか。料理が、得意なんだろう?美味いのを、頼む。・・・ああ、もちろん、レストラン、みたいな、レベルなんて、求めない。ここでは、料理、自体、出来ないから。調理、されていれば、大抵は、美味い。」
そんな感じでクロ達はほとんど話すことなく、一方的に条件を述べられ、ついでにピキルに食事を提供する場として領地境界線付近で定期会合を開くことまで決められてしまった。一方的に話されているにもかかわらず、クロ達の意向に沿った内容なのだから、何とも言い難いもやもやがあった。
「で、交渉とも言えない交渉で、なんとなく疲れて帰ってきたわけだ。」
「なるほどなあ。まあ、料理することについては、オレは構わないぞ。」
「ムラサキがそう言うだろう、ということも読まれていましたね。」
ピキルはムラサキとほとんど接触していないはずだ。おそらく境界線の線引き作業で同行した短い間に、クロ達のメンバー全員の記憶や性格を把握したのだろう。
流石に能天気なムラサキも危機感を覚える。
「なんか怖いな・・・なあ、クロ。本当にあれと同盟組んでよかったのか?」
「・・・他に選択肢もないだろ。まあ、相応の見返りもあると思えば、悪くはない。」
現に、ムラサキの料理だけで、コンダクターの真意を読み取る段取りができた。こちらの情報を丸ごと見られてしまうデメリットは大きいが、得られるメリットもまた大きい。
「ちなみに、ムラサキがそうやって疑念を持ったことも、次の会合で筒抜けになりますね。」
「げっ。なんだよ!まるで監視されてるみたいじゃないか!」
「仕方ないだろ。そういう能力者なんだから。見られても恥ずかしくない生き方しろってことだよ。」
「ムラサキには日頃の行いを改める良い機会ではないですか?」
「オレ、そんなに日頃の行い、悪い!?」
マシロとムラサキがいつもの言い合いを始めたところで、寄って来たアカネを撫でながら、クロはピキルが最後に述べていた懸念を思い出す。
「じゃあ、肝心の、コンダクターを、覗き見る、タイミングだが、私が、クロの、家に、常駐する、わけにもいかない。次に、奴が、来た、時に、その次に、会う、日を、決めろ。そうすれば、その日に、クロの家に、赴こう。ただ、奴が、約束を、守るか、いや、約束、自体、してくれるか、は怪しいが。」
ピキルはクロ達の記憶から既にコンダクターが一筋縄ではいかない曲者だと察していた。確かに、あからさまに次に会う日など決めれば、怪しまれるだろう。次にコンダクターが来た時、いかに怪しまれずに次回の日取りを決めるか、その交渉が重要になる。
「養父様、大丈夫?」
クロの不安を読み取ったのだろう、アカネが心配そうに尋ねてきた。
「そうだなあ。まあ、何とかなる。仮にあの爺の意図が読めなくても、アレの誘いに乗るつもりなんて微塵もないしな。無視すればいい。」
「ふーん。」
アカネにはまだよくわからないようで、曖昧な返事をしている。
確かにコンダクターの真意を知ることは、必須ではない。失敗しても、失敗の仕方さえ間違わなければ、損害はないはずだ。クロはそう考えた。
しかし、そのコンダクターの記憶が非常に重要な情報であることは、クロ達は知る由もない。




