154 魔境アイビス山脈
クロ一行は森で一晩野営した後、早朝に出発した。
前回は途中で家に戻ったが、今回は家が遠いため、その場で野営することにしたのだ。
クロ達はもともと獣で野営も苦にならないが、ブラウンはやや疲れているようだった。
「いやあ、昔、従軍していた時は野営くらいなんてことなかったんですがね。年でしょうか。」
ブラウンは若い頃に戦場で耳を失ってから軍を抜け、諜報部隊<草>に所属していた。しかし、ここ数年は<草>に所属しながらデスクワークが主な仕事になっていたそうだ。
「あんたまだ20代半ばだろ?俺より若いじゃないか。」
クロは前世で死亡した時、30歳だった。今は20歳の外見だが、ブラウンより年上である。
クロの言葉にマシロが答える。
「マスター。獣人族は人間族より短命です。平均寿命は50歳くらいですから、人間族の尺度で測っても正確ではありませんよ。」
マシロが言う平均寿命とは、病気やけががない場合の寿命を言っているのだろう。その条件なら人間は80歳前後だろうから、確かに短命だ。
「なるほど。じゃあ、獣人族の一般的な肉体の全盛期は何歳くらいだ?」
問われたマシロは返答に困り、代わりにブラウンが答える。
「15~18歳辺りでしょうか。ただし、ピークを過ぎても人間に比べれば身体能力はそれほど落ちません。」
「あんたは落ちてるようだが。」
「・・・そうですね。年じゃなく、単に体が鈍っているだけかもしれません。」
そこに暇そうにしていたムラサキも会話に加わる。
「じゃあ、今回はいい運動になるんじゃねえか?」
「確かに。私も少し歩きましょうか。」
そんな会話をしていると、先頭を進む1班から連絡が入る。
「こちら1班。まもなく山に入ります。」
「む。・・・一時停止。集合せよ。」
「「「はい。」」」
集まったクロ達は相談を始める。ヤマブキも降りて来た。狸達は話が聞こえる距離で周辺警戒だ。
「さて、初めてこの山に入ることになるが、どうするか。」
「山にはもう入っていたのではないのですか?」
ブラウンが尋ねると、マシロが答える。
「確かに、アイビス山脈にはもう入っています。我々が<山>と呼んでいるのは、この先、森が途切れる線より上のことです。」
いわゆる森林限界だ。この先には背の高い木はなく、低木や草だけになる。
「ここから先に棲む魔獣は、森とは違ってかなり狂暴です。」
「森の獣もかなり狂暴だったと思うのですが・・・」
「この先はそれ以上です。」
マシロの言葉にブラウンはごくりと唾を飲み込む。
この辺りの知識は、マシロが親から教わっていたもので、直接見たわけではない。
このメンバーの中で山を見た者は一人だけ。ヤマブキだ。
「拙者が上空から見た限りでは、山では頻繁に激しい縄張り争いが起きているでござる。また、巨体の者が多い。だからこそ森では生活できないのでしょうが。」
魔獣はただの獣と違い、知恵がある。鎧鰐のように力任せに木々を薙ぎ倒せば、森を移動できなくもないが、そんなことを繰り返せば生態系を破壊し、巡り巡って自らの生活を脅かすことを理解している。
その情報を聞いて、クロは犬形態のマシロを見る。マシロの親も今のマシロと同じサイズだったとしたら、3m近くある巨体でも森に棲んでいたことになる。
「山の連中は真白よりでかいのか?」
「左様。5m級が多数。10m以上の者も見かけました。」
「さて、どうする?」
クロが全員を見渡して意見を聞く。
「確かに敵は強大!されど拙者にかかれば・・・」
「無理だろ。」
「無謀ですね。」
「無理でしょうなあ。」
「「「勘弁してください!」」」
ヤマブキを除き全員が無理と判断。化け狸達に至っては泣き言になっている。
孤立したヤマブキが異議を述べる。
「なぜでござるか!?」
「落ち着け、ヤマブキ。勘違いしちゃいかん。敵じゃない。」
「ぬ?」
「俺の目的は魔獣たちの保護だ。山の上の者たちを倒すんじゃなく、守りたい。」
「む、そうであった。申し訳ない。」
頭を下げるヤマブキに、クロは軽くフォローを入れる。
「まあ、その気概は頼もしい。実際、山の上まで境界線を引くなら、彼らの縄張りを横切ることになる。戦闘は避けられないだろう。その時は頼む。」
「心得ました!」
「とはいえ、結論として山の上まで線引きは無理そうだな。」
「ええ。マスターの言う通り、縄張りに入れば戦闘は避けられません。倒してよいのであれば倒せるでしょうが、極力傷つけずに、となると困難です。」
実際、鎧鰐ですら殺さずに撃退するのが難しい相手だ。鎧鰐は増えすぎれば森林破壊を起こすため、間引きとして狩る必要があるが、山の上の魔獣たちにはその必要はない。
「交渉も、難しいだろうな。」
クロは魔獣との交渉も視野に入れるが、すぐに無理だと判断。
魔獣は皆、知恵があるものの、人語を解する者はそう多くないし、交渉できたとしても山の上には無数の縄張りがある。そのすべてと交渉していては、何日かかっても線引きが終わらない。
「ということで、山は回避。境界線は森との境界に沿って引こう。」
「「「了解。」」」
皆の同意が得られたところで再出発。化け狸達は森側だけに展開して、山側はクロ達が直接警戒することになった。
数分進むと、急に森が途切れた。
目の前に広がったのは湿原。背が低い草が生い茂り、所々に低い木が立っている。地面をよく見れば、鬱蒼と茂る草の下は水だ。
クロは湿原の淵に近づき、その水に手を入れてみる。すると、すぐに柔らかい土に触れた。
「浅い。が、底の土は泥みたいだな。」
「足元に気をつけて進みましょう。泥に足を取られないように。」
一行は森と湿原の境界を進む。所々ぬかるんでいるので、結構歩きにくい。
しばらく進んで、クロが違和感に気づく。
「なあ、こういう山の上って、もっとごつごつした岩があるもんじゃないか?」
「確かに。湿原だからでしょうか?」
山に詳しいダンゾウも同意した。しかし、ダンゾウは湿原はあまり見た事がないので、これが異常かどうかは判断がつきかねる。
その辺の知識がないはずのムラサキも警戒を強め始めた。
「なんか嫌な予感がするぜ。」
「ムラサキの危機感知は馬鹿にできないからな。」
付き合いの長いクロがムラサキの予感に同意する。昔からムラサキは知覚外から来る危機にも敏感なところがあった。
直後、上空のヤマブキから連絡。
「クロ殿。山側から鳥の群れが近づいてきますぞ。」
「なにか特徴はあるか?」
「これといって特別なところは何も。茶色の羽に大きい頑強な嘴。そんなところでござる。」
ヤマブキからの情報では判然としない。とりあえず進行速度を抑えて警戒する。
数十秒後、ようやくクロの目にも見えるところまで近づいて来た。
「カツオドリ?」
クロは自身の記憶にある前世の鳥の名前を口にした。
接近してきた鳥は、特徴がカツオドリに似ていた。ただし、茶色の羽毛のカツオドリをクロは見た事がなかったが。
カツオドリはクロの前世では海鳥で、海に飛び込んで魚を捕らえる種だ。こんな山奥にいるような種ではない。
・・・なんでこんなところに?この世界のカツオドリは渡りでもするのか?
そんなことを考えていると、急にカツオドリの群れはクロ達めがけて急降下して来た。
「ちょっ・・・」
「回避!」
ムラサキが驚きで固まりかけるが、クロの喝で慌てて回避行動に移る。
一切減速せずに突っ込んでくるカツオドリたち。まるで弾丸のようなそれらを、クロ達はどうにか躱す。ブラウンを背負っているマシロは森へと逃げ込んだ。
「キャンキャン!」
「なにこれ!」
アカネが躱しながらも困惑の声を上げる。
「こいつら!」
突撃して来たカツオドリたちは、そのまま地面に突っ込むと、なんと地面に潜った。モグラのように土を掻き分けてではなく、まるで水に潜るように。
「魔獣だ!土魔法で地面に潜航してやがる!地面から出てくる奴に気をつけろ!」
「気をつけろって、上からの奴だけで精いっぱいだぞ!」
「我らも森に逃げ込むべきじゃないですかい!?」
ダンゾウの言う通り、森に逃げ込めば安全なようだ。現にマシロ達は襲われていない。
ムラサキは一目散に森へと向かう。
そこでクロはカツオドリの狩りを思い出した。カツオドリは魚を捕りに海に集団で潜る際、後続の仲間に当たらないように、水中で少し移動してから海面に出る。このカツオドリたちも同じならば。
「待て、ムラサキ!」
「うおっ!?」
クロは森に向かうムラサキの尻尾を掴んで引き留めた。
それと同時、ムラサキが向かおうとしていた目の前の地面からカツオドリが飛び出した。そのまま進んでいれば、足を掬われていただろう。
「あ、あぶねえ。」
「気をつけろって言っただろ!」
「言ったって、地中から来る奴なんて、どうすりゃいいんだ!?」
「魔力感知だ!こいつらは土魔法で潜ってるから、探知しやすいはずだ!」
魔法を使用中の者は、魔力を放出しているので探知しやすい。また、魔力感知なら地面をある程度透過して見ることができる。
回避に専念するクロ、ムラサキ、アカネ、ダンゾウ。その場にいれば上から、上からの攻撃を避けようと外側に逃げれば下から襲い来るカツオドリたちに阻まれて、中々森に逃げ込めない。
そこへ上空のヤマブキから連絡が入る。
「クロ殿!反撃の許可を!」
「傷つけずにできるか?」
「無傷とはいきませんが。」
「・・・・・・」
クロは悩むが、このままでは埒が明かない。
「わかった、頼む!」
「御意!」
直後、上空で放電。威力を加減した『サンダーボルト』だ。焼き殺すような威力ではなく、対象を痺れさせる程度。上空で待機していたカツオドリたちが感電し、地面に落ちた。
地中にいたカツオドリたちは、仲間の半数がやられた事に気づくと、一目散に逃げて行った。
ようやく落ち着いたクロは、感電して落下したカツオドリを見る。
・・・意識はあるようだな。落下のダメージを土魔法で軽減したか。
カツオドリたちに重傷者はいないようで一安心。
その場に留まってまた別の魔獣に襲われてはたまらないので、すぐに移動を再開する。
「なかなか強力な魔獣でしたね。」
「小柄な俺達だから躱せたが、山に棲む巨体連中だと、ハチの巣になったんじゃないか?」
そう感じさせるほど、あのカツオドリたちの突撃は強力だった。頑強な嘴を前に出し、流線型の体で貫く。並の防御では防ぎきれないだろう。
しかしマシロはそれに異を唱える。
「どうでしょう。魔獣には強靭な肉体を持つ者が多いですから、ハチの巣とまでは・・・まあ、嘴が刺さって大きなダメージにはなるでしょうが、貫通まではしないと思います。」
「ああ、なるほど。そうだな。だから森までは追わなかったのか。」
貫通するほどの威力がないなら、おそらく森の太い木に当たれば、嘴が刺さって最悪固定されてしまう。敵に刺さって致命傷を与えるならともかく、木に刺さっては間抜けもいいところだ。
また、森では地面への潜航も困難だろう。太い木の根が張り巡らされて、潜れないと思われる。
逆に、土魔法で操作できる岩は砕き進みそうだ。湿原に岩が見当たらなかったのは、湿原がカツオドリたちの狩場であり、頻繁に集団ダイブを繰り返した結果、岩は砕かれてなくなってしまったのかもしれない。
クロは珍しい魔獣が見られたと喜んでいたが、他のメンバーは皆不安でいっぱいだった。
・・・これからこんな厄介な魔獣が住む魔境を進まなきゃいけないのか・・・
どんな魔獣と出会えるかと楽しみにしているのはクロだけであった。




