145 期待の新人
12月33日。今年も残すところ後2日。年末に入ってから金属材料の入荷がなくなり、クロの製錬業も昨日で溜まった在庫を消化できたことで今日から休みだ。在庫を消化できたので、来年からは休日も作れるだろう。
そんなクロの家に朝早く近づく狸が数匹。青空教室は午後からだが、彼らはクロに頼みがあってやって来た。
「こんなに朝早くて、迷惑じゃないかしら。」
「大丈夫だよ。先生は朝早いらしいし。」
「つっても日の出前だぞ。ちょっと早すぎたんじゃ・・・」
そんな会話をしながらクロの家に近づくと、彼らはクロとマシロの匂いをかぎ取る。
「お、やっぱり先生起きてるよ。外に出てる。」
「本当ね。休日なのにこんな早くから何やって・・・」
さらに家に近づき、目視できる距離まで来た彼らは絶句する。
クロとマシロは家の裏にいる。が、その姿がブレて見える。そして高速で連続する風切り音。
唖然としてその様子を見ていると、数秒後にピタリと2人の動きが止まる。マシロが「黒剣」をクロの喉元に突き付けていた。
「一本です。」
「む・・・次だ。」
「はい。」
2人は剣を引いて、数十歩離れる。向かい合い、一呼吸。
そして合図もなく動き出す。マシロが目にも留まらぬ速さで接近し、クロがそれを迎え撃つ。2人の攻撃モーションは、若い狸達には目で追えない。
両者互いの剣戟を受けず、躱す。中距離でクロが「黒嘴」を振り回して、マシロを近づけまいとする。マシロはそれを躱し、接近の機会をうかがう。
クロはフェイントも混ぜるが、マシロには通じない。逆にマシロが飛び込むふりを見せて、クロに大振りを誘う。クロは誘いに乗ってしまうが、強引に剣を引き戻して牽制する。
大振りの後に飛び込む算段だったマシロが、ブレーキをかけて一瞬止まる。
そこへクロが踏み込むが、それもマシロの誘いだった。クロの踏み込みに合わせてマシロも踏み込み、クロが剣を振り下ろす前に内側に入り、首筋に「黒剣」を当てる。寸止めだ。
「一本。」
「やられたな・・・お見事。」
「ありがとうございます。」
「よし、次だ。」
このやり取りを、狸達は呆然と見つめる。クロ達が強いのはわかっていた。しかし、これほどとは。
初見の自己紹介では、クロもマシロも素人剣法だと謙遜していたが、とんでもない。確かに正式な剣術は学んでいないが、無数の鍛錬と度重なる戦闘で、我流の型を形作っていた。
さらに、金属に詳しい狸達は、クロの剣「黒嘴」がタングステン製だと知っている。鉄製よりも遥かに重い。あの剣は見た目以上の超重量武器なのだ。それを目にも留まらぬ速さで振り回す。信じられない光景だった。
化け狸達の中にも、ゴーレムを駆使して重量武器を振り回す者や、スピード自慢の者はいる。しかし、それを両立したクロの動きは次元が違った。なるほど、近代兵器による戦場で剣を振り回す者とは、ああいうものなのだろう。
そして、そのクロの剣を掠りもせずに躱すマシロも異常だ。剣を受けるのではなく、躱す。これがどれだけ難しいか。余程スピード差がなければ不可能だ。
狸達はそう、感心して見ているが、マシロは別にスピード差だけでクロの攻撃を躱しているのではない。もちろんクロよりはずっと高速で動いているが、剣を躱す際に重要なのは、速さよりも予測だ。クロの動きから、次の剣の軌道を読む。それによって躱している。クロの思考もある程度読んでいるので、フェイントにも引っかからない。
しかし、マシロの回避にも綻びはある。
隙を見て飛び込み、クロの胸部へと突き出したマシロの「黒剣」が、弾かれる。クロが大振りした後の「黒嘴」の長い柄に、偶然ぶつかったのだ。
不意の空振りで動きが一瞬止まったマシロの胴に、クロの「黒嘴」が素早く振られ、寸前で止まる。
「ふう、やっと一本だ。」
「やられましたね。」
この鍛錬、毎朝やっているが、クロの勝率は低い。互いに真剣でやっているが、極力寸止めするようにしている。いや、寸止めできるようになったから、真剣で鍛錬している。
勝敗条件は、クロはマシロの体のどこかに当てたら勝ち。マシロはクロの急所に当てたら勝ち。使うのは剣だけ。
本気でやれば、クロは急所を斬られても戦闘継続可能だが、そこまでやる必要はないし、実戦は戦場で、クロほど頑丈な者はまずいないのだからそれで十分だ。
それに対し、クロの攻撃は斬るというよりも吹き飛ばすので、急所でなくても当たれば普通は戦闘不能になる。
ただし、マシロの「黒剣」はクロの「黒嘴」と違って、切り裂く攻撃なので、当たれば致命傷なのは変わらないが、当たってから切り抜くまでの1秒弱で、決死の反撃をされる可能性がある。そのため、当たってすぐに敵が戦闘不能になる急所を狙わなければならない。頭か心臓か。もしくは首を素早く切り抜くか。
とはいえ、この鍛錬ではマシロの方が勝利条件が厳しいが、速度差の分、クロがやや不利だ。そこでクロの勝ち筋は、マシロの読み違え、または今のような意図しない偶然くらいしかない。
クロはその少ない機会をものにするため、突然来たチャンスにもすばやく反応できるように鍛えている。
そこで、マシロが狸達に気付く。いや、ずっと前から気づいてはいたが、切りの良いところまでやめたくなかったようだ。
「マスター。狸達が来ていますよ。」
「おお、どうした?」
「あ、すみません。お忙しいところ・・・」
「いや、構わないよ。」
「マスター、今日の鍛錬はこのくらいで。」
「そうか?わかった。」
マシロは剣を収めて家に向かう。家事を始めるのだろう。
「それで、何かあったか?」
「はい、私たち、最初に貰った金属の操作はだいぶできるようになったので、次の金属に挑戦したくて。」
「そうか。まあ、コツを掴めば別の金属でも同じようにできると思うが、練習はしておいた方がいいな。」
「はい!私は次は銅に挑戦します。」
「俺は鉛!」
「僕はクロムを。お願いします。」
クロは基礎を学び終えた狸達に、一人一人術式を刻んだ魔法金属と、練習用の小さい地金を渡していた。術式を刻んだものはムラサキと同じでウーツ鋼の針金。狸達はもらった針金を、尻尾に巻くなり腕に巻くなり、好きなところに身に付けている。
「それなら他の奴から借りてもいいんじゃないか?」
地金は商品だ。あまりたくさん与えるわけにもいかない。
「そうなんですけど・・・実は、皆、先生からもらった地金を宝物のように大切にしてて、貸してくれないんです。」
「俺達は早く製錬をやりたいから、融かす練習もしたいんだ。でも、融かすって言ったら皆貸してくれなくて。」
「なるほど。」
この3人の化け狸達は、炎適性が高いようだ。製錬では金属を融かす必要があるので、炎適性は重要だ。製錬業のキーマンになり得る。
クロは狸達の先生をやっているが、狸達一人一人をまだちゃんと覚えていない。100人近くいるので、すぐには把握できないのだ。しかしこの3人は覚えておいた方がよさそうだ。
「初めて会った時も聞いたかもしれんが、改めて名前を聞いてもいいか?」
「ハツです。」
「俺はジロー。」
「僕はタスケです。」
ハツは雌で元事務職だが、今回の教室で自分に原子魔法の才があると知り、急成長している狸だ。適性は鉄、銅、アルミ。よく使われる金属を3つも操れる。
ジローは熱意ある作業員で、以前は炉の管理をする班にいた。座学には苦労していたが、魔法出力は狸の中でトップクラス。適性は亜鉛、鉛、その他レアメタルがいくつか。
タスケは以前は入荷担当。座学も運動もできて礼儀正しい。科学知識の呑み込みがよかった。適性は鉄、クロム、コバルト、ニッケル。
「よし。3人は炎魔法が得意か?」
「ええと、そこそこ。」
「得意だぜ!」
「適性は高い方です。」
「じゃあ、3人には特別にもう一つ針金を渡そう。ああ、練習用の地金もな。」
「「「本当ですか!?ありがとうございます!」」」
そうしてクロは、3人に2つ目の地金を渡し、3人が早速練習を始めている横で、テーブルと椅子を出して針金に術式を刻み始める。
顕微鏡のようなレンズを目の前に浮かせて、魔法強化タングステン製のペンでウーツ鋼の針金に細かい魔法文字を刻んでいく。
約1時間後。
「できたぞ。ほれ。」
「わあ!ありがとうございます!」
「これは何の魔法ですか?」
興奮した3人が聞いてくる。
「『ヒート』だ。」
「「「え?」」」
3人の困惑の声が重なった。
困惑するのも無理はない。『ヒート』は生活魔法で、誰でも覚えられる。化け狸達も人間に混ざって生活していたから、生活魔法はもちろん、各種魔法も習得している。『ヒート』を使えないわけがない。
タスケが、おずおずと手を挙げる。
「あの、先生、『ヒート』なら僕ら、とっくに・・・」
気まずそうにタスケが言うが、クロは平然と答える。
「ああ、そうだろうな。でも、その『ヒート』はちょっと違う。」
「違う?」
「魔族謹製の『ヒート』だ。今、人間達が使っているリミッター付きの奴じゃない。古代の『ヒート』だ。」
「え、ってことは!」
「温度上限もないし、遠隔でも使える。」
「「おお!」」
ジローとタスケはすぐに反応した。ハツは首を傾げている。
「えっと、すごいの?」
「バッカ、ハツ!これは製錬に必須だぜ!」
「普通の『ヒート』では、鉄が溶ける温度まで加熱できませんからね。」
「『フレイムスロー』じゃだめなの?」
『フレイムスロー』は火炎放射器のような炎魔法だ。
「効率が全然違うぜ!」
「『フレイムスロー』だと、炎を出してから金属に当たるまでに大きく熱をロスしてしまうんです。でもこの『ヒート』なら、直接金属を温められます。」
「へえー。」
タスケが丁寧に説明しているが、ハツはピンと来ないようだ。
これ以上はやってみないと実感できないだろう。クロは注意点を述べる。
「便利さは使ってみればわかる。ただし、融かすときは金属蒸気に気をつけろよ?体から十分離してやること。それと、融かすと金属は簡単に酸化するから、窒素か酸素を操れる奴に手伝ってもらえ。」
「わかりました!」
「今日は教室の時間までここでやってみるといい。ムラサキがいれば・・・あ、朝のお茶、忘れてたな。」
クロはここで、朝のティータイムが過ぎていたことに気がつく。
「まあいいか。ムラサキを呼んで来る。ちょっと待っててくれ。」
「それには及ばないぜ!」
クロが椅子から立った瞬間、屋根から颯爽とムラサキが降りて来た。ヤマブキも一緒だ。
「いたのか。」
「お前がお茶を忘れるなんて珍しいからな。様子を見に来たんだよ。」
「そうか。ところで、話を聞いてたなら協力してくれるか?」
「それは構わんが、それより相棒!明日は忘年会をやるぞ!」
「は?」
唐突な話に、クロは聞き返す。
忘年会と言う言葉に、狸達が反応した。
「いいっすね!やりましょう!」
「私もお酒好きです。」
「楽しいですよね。」
喜ぶ狸達。だが、クロは待ったをかける。
「いや、食料の浪費はいかんぞ。」
クロの主義として、不要な食糧の浪費は命を無駄にする行為として忌避している。宴会には食べ残しがつきもの。できれば避けたい。
しかしここでヤマブキが動く。
「まあ、待たれよ、クロ殿。規律は重要でござるが、組織の長たるもの、部下に羽目を外す機会を与えるのも重要でござる。」
「いや、部下じゃ・・・まあ、言いたいことはわかるが。」
クロとしては皆平等としたいところだが、事実上、クロは領主であり、今は先生でもある。部下ではないとしても、率いる責任はある。
「拙者としても食物を無駄にするのは忌むべきところ。心配召されるな。我らに策あり!」
ヤマブキはドンと胸を叩いて任せろと示す。ムラサキも得意顔だ。
結局クロは2人の勢いと、狸達の期待の眼差しに負けて忘年会を許可した。




