134 イングリィイン
「イングリィイン、ですねぇ。」
「なんだそりゃ?」
マシロ、アカネが帰還してから5日後の11月18日。今日はスミレがクロの家を訪問していた。例の定期調査である。
クロが以前、報復として殺害したフォグワース侯爵夫人。その犯人は巷でクロだと言われているものの、クロは王国民ではなく、ヒトですらないため、フレアネス王国の法に縛られない。裁くにしてもクロは正当な報復であると主張している。事実、先に命を狙って来たのはフォグワース侯爵夫人なのだが、その証拠がないため、クロの主張を証明できない。
それなら問答無用で殺害犯、いや、ヒトでないため「害獣」として処理されそうなものだが、フレアネス王国としてはクロから受けている恩恵が大きく、手が出せない。
そこで王国側は「現在調査中」ということでこの件を保留している。その調査を担っているのがスミレというわけだ。ただ、実際はお茶を飲んで情報交換をするだけである。
そして今は、クロが先日のフロウレンスの襲撃の話をスミレにしたところだ。逃げたフロウレンスの行方を追うためである。
その話の中で、スミレが急に不可思議な言葉を放ったのだ。
「イングリィイン。森人に伝わる被術ですぅ。この名称はエルフ語のもので、日本語に直すとだいたい、「魂の契約」みないな意味になりますぅ。」
「契約、か。」
「ええ。効果は契約した相手に抗魔力を無視して魔法を行使することができますぅ。ただし、木魔法限定で。契約方法は血の交換、とだけ聞きましたぁ。輸血なんて相手によっては自殺行為だと思ったんですけどぉ、経口摂取でもオーケーだったんですねぇ。」
フロウレンスは、メスでクロ達を刺し、そのメスに付着した血を舐めていた。それでイングリィインを発動させたのだろう。
「交換ってことは、奴の血も俺らに投与されてたのか?」
「おそらく~。多分、そのメスにあらかじめ自分の血をつけてたんじゃないですかぁ?」
「なるほど。」
これでクロはフロウレンスの攻撃の仕組みについておおよそ理解できた。
次にその「イングリィイン」という技術に興味が湧く。
「で、俺達はその、イングリィイン?ってやつで強制的に奴と契約を結ばされて、木魔法で攻撃されたわけか。」
「はいぃ。本来、イングリィインは、遠隔で仲間を治癒するために用いられる技術ですぅ。『オペレーション』で攻撃するのは、まあ、外法ですねぇ。」
木魔法による治癒は、ほとんどが対象者に触れていないと効果を発揮できない。イングリィインで遠隔治癒ができれば、特に戦場で活躍するだろう。
「便利そうだな。」
「あ、デメリットも大きいですよぉ?イングリィインは、血の交換後、最大で1日ほど効果が続くようですが、その間、両者は痛覚を共有しますぅ。」
「ってことは、あいつ、自分も脳を抉られる痛みを感じてたわけか?」
「そうですねぇ。それで平然としていたのだとしたら、相当イカれてますねぇ。」
そこにムラサキが口を挟む。
「それなら、クロがアイツを攻撃した時、その痛みも返って来てただろ?平気だったのか?」
「・・・怒ってて気づかなかったな。」
クロはフロウレンスへの攻撃は最後の一発以外は、『呪い人形』状態だった。意識がないので痛みを感じていなかった。
最後の一発も、頭に血が昇っていたので、痛覚がマヒしていた。
「クロさんも大概イカれてますねぇ。」
「お前には言われたくないな。」
「まあ、経口摂取では効果時間が短くて、既に効果が切れていた可能性もありますけどねぇ。」
クロ達は知らないことだが、フロウレンスが逃走した時には効果は切れていた。クロに頭が潰れるほど強力に殴られた際に、フロウレンスは飲み込んだ血を吐き出しており、その時点でイングリィインは解除されていたのだ。
次にクロは、イングリィインの原理が気になった。
「しかし、なんで木魔法限定なんだ?」
「さあ?森人にしか使えないせいで、研究が進んでないんですよぉ。まず、その秘術の存在自体があまり森人以外に知らされてないですしぃ。森人は基本、閉鎖的ですからねぇ。」
「森人にしか使えない?それも不可解だな。試したのか?」
「私は試してませんよぉ。他人の血を自分に輸血なんて危なくってぇ。まあ、森人の長老が言うには、過去に森人でない人間が試したそうですが、無理だったそうですぅ。」
「本当かそれ?森人は生物学的には人間族なんだろ?同種の生物で使えるのと使えないのがいるってのは、あるのか?」
「同じ人間族と言っても、何千年も前に生活圏を分けて、以降ほとんど交わってないんですよぉ?もう別物になってると言って過言ではないのではぁ?まあ、交配は可能らしいですが。ハーフを見た事もありますしぃ。」
白熱するクロとスミレの魔法談義。マシロはクロの傍にメイドらしく立っているが、ムラサキは飽きたようでソファで寝ている。アカネはヤマブキと一緒に狩りに出た。
ちなみにヤマブキのことは「魔族化した魔獣」とだけ伝えていて、神獣であるとは言っていない。スミレの観察眼にかかればいずれバレそうだが、だからと言って今すぐばらす必要もない。とりあえず今日はフロウレンスとイングリィインの話題でスミレの興味を逸らすことができている。
しばらく議論した後、クロはイングリィインに一つの結論を出した。
「どうも使用条件が論理的でない気がする。人為的に条件を決められている感じだ。となると、おそらく神の仕業だな。木の神あたりの。」
「ああ~、ありそうですねぇ。一説には木の神は、森人の森林信仰から生まれたとも言われてますしぃ。木の神が贔屓にしていてもおかしくはないでしょう~。」
ここの8柱の神々は、思考が随分人間臭いことは、クロが度々闇の神と対話して理解している。魔法の使用条件に身内贔屓が入る可能性も十分にあるのだ。現に、クロは神々に嫌われたために魔法使用禁止の呪いを受けている。
「さて、話を戻そう。調べてほしいのは。そのフロウレンスって森人の行方だ。また命を狙われちゃかなわん。」
「はいは~い。わかりましたよぉ。王国の同盟者への襲撃犯ってことで指名手配しちゃいましょう。あ、でも、森人の要人だったらマズイかなぁ?」
「魔族を大層恨んでるみたいだったし、100年前の戦争の関係者じゃないか?」
魔族はこの100年、山奥で静かにしていたのだから、それ以外で魔族に深い恨みを持つ理由がクロには思いつかない。
「だとしたら100歳以上。まちがいなく長老クラスですねぇ。これを大っぴらに指名手配すると国際問題になりそうですぅ。・・・仕方ありません。極秘裏に進めますねぇ。」
「悪いが、頼む。」
「いえいえ~。どのみち、そんな危険人物が国内をうろついてると知ったら、国王も黙ってないでしょうからぁ。ま、国に恩を売るいい機会として利用させてもらいますよぉ。」
フレアネス王国としては、森人の要人を捕まえると、森人の里との仲が険悪になる危険もあるが、フロウレンスの罪状を明確にできれば、逆に森人の里に対する手札になる。解放を条件に貸し一つ、というのもありだろう。
席を立って帰ろうとしたスミレが、思い出したように立ち止まる。
「あ、そういえば、国王で思い出しましたぁ。ヴォルフさん知りません?」
「ヴォルフの爺さん?俺は知らないが。真白は?」
先の戦場でヴォルフと会っていたのはマシロだ。この場で一番ヴォルフの現状に詳しいのはマシロだろう。
しかし、マシロは首を横に振る。
「いえ、申し訳ありませんが、存じません。私が帰還する際には、もう少し様子を見る、と言って戦場に残っていましたが。」
「あらら。そうですかぁ。マシロさんと一緒に超特急で帰って来ると思ったんですけどねぇ。」
スミレが残念そうに言う。クロはそれが少し気になった。
「なんかあったのか?」
「いえ~。ただ、ヴォルフさんがいないと、国の内政が大変なんですよぉ。ブラウンさん達が頑張ってますけど、ノウハウが足りないので、どうもヴォルフさんのようにはいかないみたいで。」
「あの爺さん、引き継ぎ終わってないのに出てったのかよ。」
「最低限は引き継いだみたいですけどねぇ。」
仕事の引継ぎとは、一朝一夕でできるものではない。仕事が多岐に渡れば渡るほど、引継ぎには時間がかかる。特にヴォルフのように手広く内政全体に手を出していたものの引継ぎは難しいだろう。
マニュアルがあれば引継ぎはしやすいかもしれないが、それでもマニュアルに書ききれない部分は必ずあるものだ。仕事をスムーズに進めるための工夫がそれにあたる。それがノウハウであり、これがあるのとないのでは仕事の効率が大きく異なる。
特に対人関係の仕事では、相手の性格などの情報は紙に書ききれるものではない。そこまで伝えるとなれば、一月や二月で引き継げるものではないだろう。
「国政に深くかかわる土地持ち貴族と軍の司令官だけで16人。その家族や交友関係、部下まで把握するとなればぁ・・・いやあ、ブラウンさん、過労で死にそうですよぉ。」
「むしろそこまで把握してた爺さんがすごいな。」
「そこは同意ですぅ。で、ヴォルフさんがそのブラウンさん達の窮状を知らないわけがないですからぁ、早く戻ってきてくれると思ったんですけどぉ。・・・まあ、帰ってきてないなら仕方ありませんねぇ。帰ってブラウンさんに甘いお菓子でも差し入れしてあげましょう~。」
「おー、行け行け。」
「お邪魔しましたぁ。」
そう言ってスミレはどこか上機嫌で帰って行った。
それを見送ったクロは、お茶を片付けるマシロに話しかける。
「真白、アレをどう見る?」
「心配する感情がないわけではないですが、それ以上に策謀の匂いがします。」
「だよな。あれは参ってるブラウンに優しくして取り入る気満々だろ。」
「そして、王国の陰の実力者へ・・・ですか。」
ブラウンは現状から見ても、間違いなくヴォルフの後継者になる。王国を陰から支える縁の下の力持ちだ。その配偶者となれば、王国への影響力も大きくなるだろう。
かつて仕えた主人の国であるフレアネスが、スミレの影響を大きく受けるというのは、マシロにとってはいささか不安である。
「大丈夫でしょうか。」
「そうなった時のために、アイツとは友好的にしとかないとな。」
対してクロは、自分の領地に害がなければ、フレアネスの方はどうでもよかった。むしろ、スミレと今のような友好的な関係を続けて行けるなら、スミレが王国の実権を握ってくれた方が色々とやりやすいとさえ思っていた。
マシロはそんなクロの心情も察しているが、別に批判する気はない。
マシロにとってフレアネスへの感情は過去の物。たとえハヤトの亡霊がいまだにクロの傍に漂っているかもしれないとしても、ハヤトは死者であり、マシロが今支えているのはクロの方だ。であれば、クロの考えを尊重すべきだろう。そう考えていた。




