014 魔法講義
フレアネス王国の最前線基地までの中間地点の野営地。ライデン帝国との戦線に沿っての移動であるため、付近に町は少ない。あっても避難済みで無人もしくは王国軍が利用している。すでに国境を越えてカイ連邦を出ている。国境では一度止められたが、事情を話すとすんなり通してくれた。王国兵がシロを見紛うはずもなく、その背に乗ることができているクロも信用に値するとみなされたようだ。
野営地で屋根だけのテントもどきを張り、日が沈みかけた中で話し合いを始める。野営地と言っても、街道脇の開けた平原で、椅子代わりの岩がいくつかある程度。夜目が効く魔族なら、人や獣が接近すればすぐにわかる地形だ。
「さて、せっかく魔族になったなら、魔法が使えなきゃあな。」
クロは荷物袋を漁りながら話す。
「シロ、魔力は感じ取れているか?」
「・・・傷の治癒を行う際に、傷口に集まっていたモノのことでしょうか?」
「そうだ。それは意志や感情に応じて様々な現象を起こすエネルギーだ。自分の魔力は、自分のイメージを具現化してくれるモノだと思えばいい。もちろん、実現可能な範囲でな。」
「自分の・・・ということは、体外にある異なる臭いの魔力は、私の物ではない、ということですね?クロ様とムラサキから感じ取れる魔力もそれぞれ異なる。」
「すごいな。もうそこまで感じ取れるのかよ。しかも、嗅覚式か?」
魔力感知は、微量の魔力を放出し、他の魔力にぶつかって返ってきた魔力を受け取って行う。ぶつかった他の魔力の影響をわずかに受けて返ってくるため、分析すれば、その魔力に関する分析が可能だ。受け取り方に、視覚式、聴覚式、嗅覚式、触覚式、あとは稀だが味覚式もある。それぞれ感知可能距離や分析精度が異なり、どれが得意かは人によって異なる。
最もよく使われるのは視覚式。感知可能距離が優れ、分析精度も高いが、感知範囲は前方だけだ。魔力を高濃度含む壁があると、その向こう側が見えない欠点もある。
次によく用いられるのは聴覚式。距離、範囲ともに優れ、壁の向こうもある程度見えるが、分析精度はいまいち。
そして嗅覚式。分析精度は随一。しかし、普通は分析可能距離が短めなのが欠点だ。普通は。
残りの触覚式、味覚式は触れていないと効果を発揮しない場合が多く、索敵には普通使わない。
「以前から戦場で戦う際に、なんとなく敵の動きが読めていたのですが、魔力感知だったんですね。」
「・・・そりゃ、すごい。」
だが、シロはその嗅覚式の弱点、感知可能距離がかなり長いらしい。つまり、完全無欠の感知能力。何が恐ろしいかと言えば、魔力は人の意志に応じて動くものであるがゆえに、魔力感知による高度な分析は感情や意志まで読み解いてしまう。相手の攻撃の意志を先読みできてしまうのだ。それを銃を撃ち合う遠距離で実現していたとなると、なるほど敵の銃撃を手玉に取るように躱せるわけだ。しかも今は魔力を認識した。精度も上がることだろう。
「そこまでできるなら、魔力感知について教えることはないな。使い方、魔法を教えよう。」
クロは白い布を取り出す。縁に沿って模様のように文字が書いてある。
「この細かい字が術式だ。内容は生活魔法一式。魔族は教会に行っても魔法の許可がもらえないからな。自前で作る。」
「おい、クロ、その布・・・」
「ああ、倉庫にあったミスリル製の布の切れ端だ。流石ミスリル。すごい魔力通しやすいぞ。」
「お前、超高級品じゃねーか!」
ミスリルは魔法金属の一種だ。魔法金属はそれ自体が自然に高密度の魔力を含むもので、特殊な加工を施すことにより、意志を持つかのように都合のいい効果を発揮する。例えば、使用者として登録した者以外に傷つけられない防具だ。使用者は容易に加工できるが、敵には破壊できないという夢のような性能を発揮する。ちなみに登録方法は、何度か自分の魔力を流して金属に覚えさせるだけだ。登録すれば、魔法金属が自前の魔力も使って効果を発揮してくれる。
ミスリルはその魔法金属の中でも軽く、柔軟性に優れ、よく繊維状にして衣服に用いられる。薄手の衣服なのに剣で斬られても傷一つつかない服が出来上がるのだ。当然、レアメタルであり、高級品だ。
だがクロは魔力を保持しやすいアルミくらいにしか認識していない。レアだとは思っているが。
「術式を書いた媒体が傷つくと魔法が使えなくなるんだ。丈夫な物を使うのは当然だろう。さ、鞍のポケットに入れておくぞ。」
ミスリル布を綺麗に折りたたんで鞍のポケットに突っ込む。
「自分の魔力をさっきの布に供給して、その状態で起こす現象をイメージしながらキーワードを唱えるんだ。叫ぶ必要はない。例えば・・・」
クロはコップを出してその上に右手をかざす。
「『ウォーター』」
手のひら辺りから水が現れ、コップに入る。
「『ヒート』」
手に持ったコップの中の水が、あっという間に沸き始める。
「『ウィンド』」
右手から風が生じ、それをコップに入った熱湯に当てる。
「『ライト』」
コップの湯の中に光源が生じ、上に向かって光が伸びる。
「『ディグ』」
右手を地面に向けると、地面が拳大に掘り起こされ、小さな穴が開き、残土が脇に乗せられる。
「そして、『ヒール』」
コップを置いて剣を少し抜き、手のひらに傷をつけた後、『ヒール』を唱えると、一瞬のうちに傷が塞がる。
「これが普通の生活魔法6つだ。雷属性と闇属性はない。で、魔族専用の生活魔法が、木属性の変身魔法『変化』だ。」
クロは剣を置き、コートを脱ぐ。周囲を確認してから服も脱いで裸になる。
「『変化』」
クロの顔から巨大な嘴が生え、腕の骨格が変わって全身から羽が生える。10秒ほどでカラスのように真っ黒な鳥になった。ただし、デカい。全長150cmくらいある。翼の形は鷲のようだ。
「変身魔法は、初めに変身する対象をイメージして使うと、もうその姿以外には変身できなくなる。しかもいくら鮮明にイメージしても、その通りにはならないらしい。俺は普通のサイズのカラスをイメージしたんだが・・・こうなった。」
「オレもイケメンの大人の人間をイメージしたのに、結果が平凡な獣人の子供だぜ?まあ、自由にはならないってことだ。」
「変身魔法は俺も理解できてなくてな。術式を読んでもさっぱりわからない。そのまま書き写すしかできん。」
クロは人間の姿に戻り、服を着直す。
「さて、一通りやってみようか。属性適性のチェックも兼ねて。」
そしてシロが一通り『ヒール』まで使用してみたところ、いずれも結果は普通だった。
「適性なし?自己治癒が速いから、木属性とか高いかと思ったが。」
「それなのですが・・・『ヒール』の感覚に覚えがあります。」
「というと?」
「『ヒール』の感覚は私が自己治癒を意識するときの感覚と同じです。どうやら『ヒール』は無意識に使っていたようです。」
「ってことは、無詠唱?『ヒール』を?かなり長い術式だけど。」
無詠唱は、術式を頭の中で読み上げることでキーワードを口に出さずに魔法を発動させる技術だ。術式を書いた媒体が不要になるわけではないが、不意打ちに使える。しかし、大抵の魔法は術式が複雑で長く、とても覚えきれないし、脳内でとはいえ戦闘中に一々読み上げていられない。クロが使っている無詠唱は『移動』だけだ。
「そういえば、魔獣って喋れなくても魔法使うよな。そういうことじゃね?」
「珍しく鋭いな、ムラサキ。なるほど、魔獣は皆自然に無詠唱を使っているのか。でも術式を思い浮かべてるわけじゃないんだろ?どうなってるんだ?それに術式は・・・体のどこかに刻まれているのか?まあ、その研究はおいおいだな。」
「ところで、オレがなんか言い当てるたびに珍しいって、ひどくね?」
「さて、次は『変化』だな。」
ムラサキを無視して話を進める。
「何になりたい?行動範囲を広げるためにも人間がおススメだが。2m以上ある犬では、入れないところもあるだろうし。ムラサキみたいな小柄ならこっそり入り込むのもありだけど、俺の例を考えると、あまりサイズは変わらないと見ていい。」
「では、人間で。詳細にイメージする必要はないんですよね?」
「ああ。当然、変身後は全裸になるから、服は俺のを貸してもいい。鞍は・・・まあ、デカくなることはないだろ。そのままでいい。」
「わかりました。では、『変化』」
シロの体が縮み、毛が引っ込んでいく。代わりに長く白い綺麗な髪が生えてきた。そして、身長180cm弱の獣人が四つん這いの状態で現れる。
「あれ?」
クロは困惑していた。予想と大幅に違う点があったからだ。
「おー、結構美形だな。」
「これが人間の体?いや、獣人ですか。・・・2本足で立つのは慣れませんが、できるものですね。ああ、最適化の効果ですか。」
シロが立ち上がって確信した。波打つ長い髪、胸はあまりないが、股間のモノもない。
「あれ?女?」
「なんだ、クロ、気づいてなかったのか?こいつ雌だぞ。」
「いや、シロって雄に付ける名前だと思ってた。」
シロの主、ハヤトは気づいてなかったのだろうか?いや、シロって名前が雄っていうのは前世の感覚か。こっちでは違和感ないのかもしれん。
シロは隠すでもなく堂々と立ったまま話す。
「服を貸していただけますか?毛皮がないと落ち着きません。」
「男物しか持ってないけど、この際仕方ないか。」
美女を全裸のまま置いとくのも気が引けるし、それ以上にこの体は隠しておいた方がいい。前に主との思い出に傷跡を残しておきたいって言ってたけど、こうして毛がなくなると、無数の傷跡が目立つ。
とりあえず服を渡すと、シロはスムーズに服を着る。主の着替えをいつも見ていたのだろうか?
「着てから言うのもなんだけど、別に人間の姿でいる必要はないぞ?」
「いえ、手が使えるというのは便利かと思いまして。慣れておきたいのです。」
・・・俺としてはモフモフの状態の方が好ましいけど、そういうことなら仕方ない。
「まあいいか。次の話に移ろう。シロは王国に遺品を届けた後は、どうしたい?軍に戻るか?」
「いいえ。私だけでは軍に居場所はないでしょう。乗り手になれるような者もいないでしょうし。私の目的は、強くなることです。クロ様、私の師となっていただけませんか?魔法を教えてください。」
「・・・仲間になるのは歓迎する。魔法も教えよう。でも俺は対等の関係のほうが好みだ。上下関係にはしたくない。」
前世では上下関係に気を使うストレスで常時胃が痛かった記憶がある。魔族の村での雌伏の3年間も、いずれは旅立つ計画があったからこそ耐えられた。対等に話せるムラサキがいたことも大きいが。
・・・きっと上下の関係は俺の性に合っていないのだろう。せっかく新たな人生になったんだ。こっちでは避けたい。
「私は犬ですから。誰かに師事する方が落ち着くのです。これは私のわがままです。クロ様が望まないのであれば、仕方ありませんが・・・勝手にマスターと呼ばせてください。」
「まあ、呼ぶだけならいい。」
主と呼ばないのは、あくまで主はハヤトであり、区別するためだろう。
「しかし、主が守ろうとした王国を守らなくていいのか?」
「守りたいとは思います。しかし、魔族になったら国に戻れないと言ったのはマスターですよ?・・・守る方法は、軍に所属する以外にもあります。」
「わかった。だが、王国側が何と言ってくるかわからん。用件が済んで何事も無ければ、正式に仲間ってことで。」
「わかりました。」
クロはコップのぬるくなった湯を飲んで、一息つく。
「他の魔法についても教えたいが、俺達が使うのはオリジナル魔法で、あまり広めたくない。正式に仲間になってからだな。今日は休もう。明日は早くに出る。」
「ちょっと待った。」
今日はもう寝るかと思ったら、ムラサキが割り込んできた。
「クロ、約束だろ?お前がこの世界に来た経緯、何で人間を恨んでるのか、話してくれ。」