096 力の代償
マシロを救出し、戦場を離脱したクロは、そのまま真っ直ぐ南下して、帰路についていた。
100kgを超えるマシロを背負って走るのは楽ではないが、魔族であるクロなら可能だ。復讐魔法はさっき効果が切れたが、それなしでも走る分には問題ない。それに、マシロが起きて回復したら交代する予定だから、家までずっと走る必要はない。
しかし、復讐魔法の効果が切れて数分後、自宅を目指してミタテ平野から南へ街道を走っていたクロに異変が生じる。
「あれ?」
急に足が動きづらくなった。背負っているマシロを支える両腕も怠くなって来た。魔族になってからは感じたことがない疲労感だった。余りに久しぶりで、それが疲労だと気づくのが遅れた。
・・・疲労?疲れたには疲れたが、それは精神的なものであって、魔族の体は疲労なんてしないはず・・・
自身の体の異常に困惑しつつも、何とか走り続けようとするが、時間が経つにつれてますます体は動かなくなっていく。
異常の原因を走りながら必死に考える。大元は新型復讐魔法の代償だろうが、体のどこにどんな異常が起きているのか、確認する必要がある。
そしてようやく自身の魔力が尽きかけていることに気がつく。
「マジかよ・・・」
そんな言葉を漏らすほど、通常あり得ない事態。
クロは常時発動の復讐魔法『ヴェンデッタ』の効果もあって、魔法回復力が異常に高いため、魔力が枯渇することは今までなかった。
自分の感覚を信じれば、回復力に異常はない。それでも減っているということは、何かに魔力を消費しているということ。特に魔法を使用していない現状で、大量に魔力を消費すると言えば、負傷の治癒があり得る。
一応、他者に魔力を奪われている可能性も考えて観察するが、クロの魔力は次々自身の頭部に集まっていて、流出している様子はない。
魔力の流れから修復しているのが頭だと気づいたとき、クロは先程の鼻血の原因を思いつく。
・・・ああ、脳の損傷か。それのせいで感覚が狂って、脳のダメージを自覚できていないのか。
今一度自分の顔に触れれば、また鼻血が出ている。どうも継続的に損傷しているようだ。
だとすれば、魔力の大量消費も納得がいく。体の再生は、部位ごとに必要魔力が異なり、脳が最も消費量が大きい。理由は単純に複雑だからだ。しかも脳はただ直せばいいだけではなく、そこに記憶された情報も復旧しなければならないため、他の臓器に比べても圧倒的に消費魔力が大きい。
そして、自身の状態を確認できた安堵感のせいか、急に体の力が抜けた。マシロを背負ったまま、足を止め、膝をつく。
・・・休息が必要か。
クロは辺りを見回す。場所は森を切り開いた街道の途中。右も左も森の中だ。
クロは手近な大木にずるずると近づき、大木に隠れて街道から見えない方に座る。普通の旅人なら、道行く馬車などに見つけてもらうのを期待して、見えるところに座るだろう。しかしクロは自分の評判の悪さを知っている。一部からは恨みも買っているだろう。見つからない方が無難だった。
大木の陰にマシロをそっと下ろし、自身はその横に座る。
マシロはまだ目覚めないが、魔力が徐々に回復しているのが見える。じきに目覚めるだろう。
マシロの寝顔を見ていると、眠気が襲って来た。これも魔族になってからは初めてのことだ。
・・・真白が起きるまでは、起きてようかと思ったが、無理そうだな。
クロの魔力は減り続けている。自己治癒による消費で魔力が完全に枯渇することはないので、枯渇寸前で減少は止まるだろうが、もしかしたら、という不安はある。
しかしそんなクロの不安も関係なく、抗いがたい睡魔が襲ってくる。しばらくうつらうつらとしていたクロは、1分程でとうとうばたりと倒れて眠ってしまう。
そうして森の中、クロとマシロは背中合わせで無防備にしばらく眠っていた。
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クロが目を開けると、いつの間にか立っていた。
倒れて眠っていたのに、いつ立ち上がったのか。そんなこと思いつつ、違和感に気がつく。体の感覚がおかしい。だが、どこか懐かしく思う。
・・・あ、これ、人間の体だ。
少し腕を動かしてみる。イメージよりだいぶ遅く、狙った軌道を通ってくれない腕。何度か速く動かせば、疲労感がある。
ふと、足元に落ちた剣を拾ってみる。華麗に蹴り上げて取ろうかと思ったが、蹴った剣はあらぬ方向へ飛んで行く。仕方なく別の剣を屈んで拾う。
重い。たった数kgの普通の剣が重く感じる。普段、これより何倍も重い「黒嘴」を振り回しているはずなのに。
なんと人間の体の不便なことか。溜息を吐いて嘆くと、急に視界が広がる。
クロがいるのは橋の上。あの、モスト川でクロが戦った橋だ。あの時と同様に、剣や銃がたくさん転がっている。帝国兵の死体もだ。
そんな中、一人だけ立って銃を構える帝国兵がいた。銃口はクロを向いている。
・・・なんで一人だけ?
そう思いつつ、クロは剣を構える。その構える動作すら遅くてもどかしい。
クロが構えると同時に、立っていた帝国兵が引き金を引いた。反射的にクロは目を凝らす。銃弾の軌道を見極めようとする。
だが、クロには何も見えず、銃声と共に後方へ吹き飛んだ。胸から背にかけて、熱いとも痛いとも感じられる激痛が走る。銃弾が胸を貫いたのがわかった。
そうなってから思考が加速し、強い寒気を感じ始める。そこまで来て、ようやく理解する。
・・・ああ、人間の体だから、思考加速で銃弾を見るなんてできるわけなかったな。
銃を向けられると思考加速で回避しようとする癖がついていた。
次に自分の胸から噴き出す血を見る。やはりこちらも人間の体になっているため、仕込んだチタン装甲もなくなっている。銃弾は見事に貫通していた。
段々と薄くなっていく意識。「自分」が消えるのを実感する。無力感、屈辱感、その他諸々。かつて転生前に味わった死の瞬間と同じ。
死の感覚を懐かしくすら思いながら、遠のく意識の中で、帝国兵の声を聞く。
「やった!<赤鉄>を倒したぞ!俺が倒したんだ!ざまあみろ・・・」
その嬉々とした声は、クロには途中までしか聞こえなかった。
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ぱちりとクロは目を開ける。今度は倒れている。見回して場所を確認すると、自宅の寝室だった。ベッドの上に毛布1枚で寝ていたようだ。
場所と状況を確認してもなお、クロは周囲を警戒する。キョロキョロと見回していると、寝室の扉が勢いよく開かれた。
「マスター!」
扉が開くと同時にマシロが飛び込んでくる。そしてクロに飛び掛かり、体当たりするように抱きついた。
警戒していてもなお反応できないその速度に、クロはなされるがまま抱きつかれる。温かい抱擁・・・ではなく、なぜかクロはヘッドロックを極められた。筋肉質なマシロの腕と胴に挟まれて、チタン装甲の頭蓋がミシミシと音を立てる。
クロは状況がわからずに戸惑いつつも尋ねる。
「ま、真白か?」
「ええ、私です。寝すぎて忘れましたか?」
「いや、忘れてない。・・・本物かどうか、不安だった。」
「ホンモノ?」
クロの言葉を不審に思ったマシロがヘッドロックを解除する。解放されたクロは自分の体を確認。いつもの魔族の体であり、これが現実であることを確かめる。
クロが確かめ終わるのを待ってから、マシロは問う。
「どういうことです?」
「さっきまでひどい夢を見ててな。」
クロはついさっきまで、人間の体になって、帝国兵に殺される夢を見ていた。それも一度ではなく、似たような夢を何度も何度も。
その説明をしている間に、ムラサキとアカネもやって来た。
「そりゃあ、ひどい夢だな。どのくらい見てた?」
「100・・・いや、200?200回以上は殺されたな。銃で撃たれたり、剣で斬られたり。」
「それは・・・」
予想以上の多さに、マシロも言葉に詰まる。対してムラサキは呆れたように言う。
「よくそんな目に逢って正気でいられるな。」
「何言ってる?俺が正気じゃないのは昔からだ。」
「はいはい。」
クロは自分で自分がまともでないのは良く知っている。そのことは以前からよくムラサキにも話しているが、ムラサキはそれを信じていないようで、軽く流している。
マシロは心配そうにクロを見るが、クロはそれを気にすることなく、あっけらかんと感想を述べる。
「あっさり銃で撃ち殺してくれるのはまだマシだったよ。中には結構なサディストもいてな。ちょっとずつ剣で痛めつけて来る奴もいた。しかも、そういう奴に限って1回で満足せずに何度も来たなあ。」
夢に出てきたのはクロが橋で殺した帝国兵たちだった。殺した数は100人くらいだったが、1人1回とはいかず、何度もクロを殺しに来た者もいた。
「たぶん、俺に恨みを持った亡霊だろう。取り憑いたのに何もしない連中がいると思ったら、夢枕で俺を殺しに来てたとはな。」
「亡霊ってお前・・・」
ムラサキが可哀そうな奴を見る目でクロを見る。それに気づいたクロは慌てて説明を始めた。
「ああ、説明しないとわからんよな。」
そうしてクロは今回の出来事を順に説明する。モスト川の戦いで橋に単独で攻め込んだこと。戦艦に砲撃されたこと。新型の復讐魔法でその戦艦に反撃し、乗っ取ったこと。適当にロクス軍を援護した後で、ミタテ平野まで飛び、マシロを救出したことを説明した。ついでにこの機に、自分の固有魔法である復讐魔法の説明もした。
長い説明だったが、3人とも静かに聞いてくれた。アカネがどこまで理解しているかはわからないが。
そして聞き終わったマシロがそっとクロに近づく。
「マスター・・・」
「ん?」
「無茶をするなと言ったでしょう!」
「いだだだだ!」
マシロがまたヘッドロックを仕掛けて来た。しかもさっきより強力だ。物理的な痛みに強いはずのクロが、痛みを訴えている。
なんとかマシロに話してもらえるよう、クロは説得を試みる。
「し、仕方ないだろ!実際、助けに行かなきゃマシロは危なかったじゃねえか!」
「それについては礼を言います!しかし!その代償が、それですか!」
「いででで!夢見が悪かっただけだろ!大した事ないって!」
「それだけじゃありません!マスターは1週間も昏睡状態だったのですよ!しかもうなされているし!我々がどんなに心配したか!」
「い!?い、1週間!?マジで!?」
そう。寝ていたクロは気づいていなかったが、クロは1週間も目覚めなかったのだ。
マシロが気がついたとき、クロはマシロの傍でうなされていたという。ひどく苦しそうに。
<雨>に敗れた自分をクロが助けたのだろうと予想したが、クロが何に苦しんでいるのかわからない。マシロ救出の際にクロが<雨>から何か後遺症が残るような攻撃を受けたのか、無茶をした代償なのか。魔族であるクロを医者に見せてもどうしようもないと思い、とりあえず自宅に急いで運んだ。
それから1週間。もしかしたらもう目覚めないのではないかとまで思いながら、マシロ達はクロを看病していたのだ。
「そ、それは、悪かった!だが、なんでヘッドロック!?いてえ!」
「お返しです!」
「何の!?」
超特急で自宅に戻ったマシロ。夕暮れには自宅に到着したのだが、どんな負傷をしてもすぐに目覚めていたクロが、日が暮れても起きない。
そんなクロを心配して、その日はみんなでクロを囲んで寝た。
ところがその晩、うなされたクロがアカネの頭に抱きつき、あわや絞め殺すところだったのだ。
慌ててマシロが引き離したから事なきを得たものの、今度はクロはマシロの脚に抱きついてきた。なかなか放してくれず、仕方なくそのまま寝たのだが、しばらくして急にクロの力が強まり、マシロは脚の骨を折られてしまった。
「私の脚はすぐに治ったのでいいものの、アカネは最悪死んでしまうかもしれなかったんですよ?」
そこまで説明してマシロはクロを開放する。だが、その説明の内容は、ヘッドロック以上にクロにダメージを与えたようだった。
蒼褪め、数秒呆然とし、そしてクロは全力で土下座した。土下座の勢いが強すぎて、床に穴が開いた。
「すまん!本当にごめん!茜!真白!あとムラサキ。」
土下座し続けるクロに、アカネがそろそろと近づき、クロの耳の辺りを舐める。顔を舐めたいようだが、クロの顔は床に埋まっている。
クロがそっと顔を上げると、アカネはいつも通りにクロに擦り寄って来た。アカネのモフモフとした毛の質感と温かさに救われた気分になる。
「許してくれるのか?」
「キャン!」
肯定するようにアカネが鳴く。それを見て、マシロは溜息をつく。
「はあ。アカネが許すならいいでしょう。床はマスターが修理してくださいね。」
「ああ、もちろんだ。」
「ところでオレへの謝罪はついでなのか?」
ムラサキが不服そうに言うが、それをマシロがバッサリ斬り捨てる。
「ムラサキは被害にあっていませんし、むしろ今回は失点が多いですから。」
「うぐ・・・」
「さあ、鍛錬を再開しますよ。マスターも起きたのですから、心おきなく鍛え直してあげます。表へ出なさい。」
「へいへい・・・」
渋々とムラサキは寝室を出る。マシロもすぐに出ていくのかと思いきや、クロの前に来て片膝を立てて座った。
「マスター、顔を上げてください。」
「ん?」
アカネを撫でていたクロが顔を上げると、マシロと目が合った。数秒、マシロは黙ってクロの目を見ると、ふうと息を吐いて立ち上がった。
「まだ疲れているようですから、マスターは休んでいてください。今はまだ朝ですから、床は夕方までに直していただければいいです。」
「そんなに疲労は感じないが・・・」
夢の中で長らく人間の体だったのが、ようやく魔族の体に戻って、むしろ快調に感じる。しかし、マシロは毅然として言う。
「いいえ。自覚はないでしょうが疲れています。今日は休んでいてください。」
「・・・そうか。」
仕方なくクロはベッドに戻り、本を手に取る。アカネもベッドに上がってクロに寄り添う。
それを見届けたマシロは、寝室を出た。
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家の外へ向かうマシロは、誰にも見えない位置で頭を抱える。
・・・マスターの精神状態が、以前よりずっと悪くなっています。目から感じる死の気配もより濃くなっていた。自覚症状はないようですが、今後どんな影響が出るか・・・復讐魔法とやらの使用は今後控えさせなければなりませんね。
マシロにはクロの精神は異常をきたしているのが感じられていた。本人が言う、思考がまともじゃないとか、狂っているとか、そういう次元ではない。肉体的に頑強な魔族は、実は精神が病むと容易く滅びる。それを直感的に理解しているマシロは、クロの精神異常が、彼の寿命を縮めている気がしてならなかった。




