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四月二十二日 アナザーワールドスタート

一、

 小説部の部室………そこは一つの特別教室(生物室)である。去年に見事部への昇格権を獲得し、総勢五名の少数精鋭を図っている。いや、本当のところは今にも取り潰されそうで困っているのだが。

 本日は部長が先生に呼ばれて用事を済ませている間に部活終了時間が過ぎてしまっていた。ここの部長、天道時時雨は急いで家に帰るためにこの生物室へと戻ってきたのである。


もし、ここで彼がもうちょっと早く戻っていれば彼の人生を変えていただろう。


 部室内に入ると異質の空気を感じ取った。彼にも色々と事情があるような人間なのだがそれとはまた別の感じがする。

「あれ?」

 誰かいるのかと思って首をかしげて声を出してみるが、反応はない。ただ、そこにいるだけの存在としか思えなかった。辺りを見る、誰もいない、困ったものだと呟く。

 そう、時雨は誰かが隠れているのだろうと思っていた。そして、その考えは半分だけあっていた。相手は隠れているのではなく………

『後ろがお留守ですよ』

「うをっ!?」

 時雨は前につんのめり、こけそうになるが何とか踏みとどまって後ろを振り返る。そこにいるのは微笑をたたえた女性だった。女性の衣服は上下共に白。淡い印象を受けながらもその存在は特異なものという矛盾した存在だった。水の中で火が燃える………そんな感じだった。

 女性はあっという間に時雨に近づくと唇を時雨の唇に………ためらいもなく、重ねた。

「!?」

 目を思い切り開けて時雨は相手を見る。相手は目を閉じ、長いまつげとその柔らかな感触しか彼は覚えられなかった。

 彼女は離れ、時雨は放心状態に陥っていた。冷やされてゆく頭で考える。理解できない、何故、この女性は今、自分に唇を………重ねたのだろうかと。

『知りたい?それなら、ついてきて』

「…………」

 彼女は手をとるようなこともなく、生物室を後にする。時雨は、黙って走り…………


 扉を出た、そこは野原だった。


 急展開についていけない時雨の脳みそは考えることを放棄。体は命令を待っている待機状態となり、のどかな雰囲気だけが感じ取れる。

 落ち着け、僕の頭。時雨はそういって考えることを放棄した脳に訴えかける。考えるのだ、この状況を。

 何が起こった?女性についていった。そうしたら、これだ。間髪いれずに生物室の扉をくぐったらここにやってきた。不思議な扉並みのすごさだ。まさか、あの生物室の扉は未来の道具か何かだったのだろうか?

 現実逃避し始めた頭を叱咤。

「とりあえず………歩こう」

 周りには人がいない。右手には森、左手には小川が流れている。空には雲が、大地には鮮やかな緑がこの世界を彩っていた。

 のどかな場所だ。

 道を歩いていくと、一冊の手帳らしきものが転がっている。拾い、裏と表を確認してみる。文字が書かれているが………見たこともない文字だ。だが、なんとかかれているか理解できた。いや、勝手に理解したというべきか?それには『天道時時雨』と書かれている。

「?」

 首をかしげる。

勿論、こんな日記帳を見たことはない。それでも、自分のならば読んでも構わないだろうということで日記帳を開ける。中は新品と言っていいほど綺麗だったが、女性が書いたと思われるこれまた見知らぬ文字だ。誰もいなかったので、時雨はそれを読む。勿論、その文字を頭は理解できていない。だが、読める。

「…………私に聞きたいことがあるのなら、ここからまっすぐ進んでそこの大きな町の中央にあるお屋敷に住んでください。手段は問いません。執事になるもよし、鼠のようにこそこそと隠れるもよし………あなたの好きにして構いません。これはあなたの人生だから………ああ、言い忘れていましたがここはあなたがいた世界とはぜんぜん違います………」

 1ページを使用したその言葉を理解し、ああ、先ほどの女性に違いないと確信した。見知らぬ誰かが知らないだろう自分をからかうには少しおかしい。次のページにも何か書かれているが、一番最初に『その場所についてから読んでください』と書かれていたので読まなかった。

 こういう場合はどうであれ、従うべきだろう。ここがどんな世界なのかさっぱり理解できない。自分がもう少し幼かったら泣いて助けを求めていようが、今の自分は幼い自分ではない。幼児退行していたってこの異質な出来事は解決しないのだ。

 静かに走り出し、上に輝く自分が知っている太陽よりも少し大きい太陽が傾く前に日記帳に書かれている場所に着いたほうがいいだろう。

―――――

 走ること、三十分程度。汗を流しながら先を見ると町が見えてきた。いや、正確に言うと都と言ったほうがいいかもしれない。それほど、大きい町だった。

 都へとはいり、辺りを見渡す。

「…………」

 なにやら、異様な雰囲気がする。殺気………そういったものだろうか?鋭い視線は自分に向けられているわけではないようだが、確実に誰かが誰かを打ちのめそうとしているには違いなかった。

 少し遠くの場所で金属の触れ合う音が聞こえてくる。そちらのほうに走って向かってみると、二人の男が戦っているのが見えた。鉄の棒で攻防を繰り返しているようだった。

 片方の一撃が右腕に直撃する。右腕は異様な音を立て、あらぬ方向に曲がってしまったのだが………そこで、男はこちらを見る。

「………これで最後だと思っていたんだが…………やはり、サバイバルを可能にする参加者がいたのか」

「え?」

 男は徐々にこちらへと近づいてくる。なかなか聡明そうな顔をしているのだが、疲労しきっているのか焦点はあっていない。

「ちょ、ちょっとまった………」

「問答無用!」

 無手相手に鉄棒をふるう。振り落とされた鉄棒を見切ってかわす。レンガで出来た道に穴が開く。本気だ、このままでは殺されてしまうかもしれない………

 相手が再びふるう前に相手の腕を掴む。思ったとおり、相手はそれを跳ね除けるために腕を引き………それが男の過ちとなった。

 静かに時雨の一撃が相手の鳩尾に当たる。鍛えていただろうが、洗練された一撃の前に男は膝を着いて昏倒。

「一体、何なんだ?」

 辺りを見渡して安全を確認する。そして、次に日記を開けて、次のページを読んでみる事にしたのだが、期待しているような言葉はなかった。あるのはただ、『執事になるのなら主にだけは事務的に接し、常に冷静なポーカーフェイスを演じていてください』とあるのみだった。

 日記帳を閉じたところ、ちょうど声が聞こえてきた。

「おお、そなたが今回の優勝者か!」

「え?」

 声のしたほうを見ると、この町に住んでいるであろう人たちが時雨のことを見ていた。

「あの〜………」

 恰幅の良い男性が前に出てきてその手を握る。

「うんうん、疲れておるのだろう?ささ、早く我が屋敷へ………」

 囲まれ、連れて行かれる………一種の誘拐か?そんな疑問が浮かぶまもなく時雨は連行されていったのだった。後に残ったのは倒れてうめき声を上げているこの何らかの大会の敗北者を片付ける町人たちだった。

―――――

「…………執事?ですか」

「おお、そうだとも」

 恰幅の良い男性はテーブルを挟んで時雨に告げる。この部屋は豪華で、贅沢のきわみと言っていいかもしれない。

「最近は何かと物騒だからな………私の娘の護衛と身の回りの世話をしてもらいたいのだ…………飛び入り参加していたことはわかっているが、あの男を倒した君の腕を私は買っているんだ。勿論、ここに住み込みで働いてもらう」

 どうやら、どこからか見ていたらしい。時雨としてもこの屋敷に滞在するようにあの日記帳に書かれていた。ここは素直に従っていたほうがいくらか賢いかもしれない。

「………わかりました」

 そう告げると、相手はとても嬉しそうだった。

「おお!そうか!では、そなたにあうサイズの執事服を用意しよう!」

 指をぱちりと鳴らすとメイド服を着た女性が一人やってきた。

「!?」

 メイドの顔を見てぎょっとする。生物室であった女性にそっくりだ………だが、どことなく幼い。あの妖艶な感じがぜんぜんしないのだ。おまけに相手も首をかしげてこちらを見ている。

「さぁ、これを着てくれ。早くしないと娘が帰ってくるからね」

 どうやらどこかに行っているようで、時雨はその場で着替えさせられることになった。

「後は玄関のところで待っていてくれたまえ………ああ、そうそう、執事をどうやって雇ったのかは絶対に口外しないでくれ。私と君だけが知っていることだからね」

 では、私は忙しいから………そういって恰幅の良い男性は部屋を出て行ってしまった。残されたメイドが時雨を玄関前に連れて行き、そこで待っておくように行って彼女もどこかに行ってしまった。

 いつ帰ってくるかわからないが、とりあえず、時雨はそこで待つことにした。

 庭園を見ると、来るときにはぜんぜん気がつかなかったがお金がかかっているように見えた。門外漢だからさっぱりだが、これは結構金を使っているに違いない。マジモノのメイドなんてはじめてみたりしたからなぁと時雨は脳裏によぎる先ほどのメイドさんのことを考えていた。

 すばらしい庭園を見ていてもさすがに飽きてきた時雨は手帳を取り出し、眺める。

 ポーカーフェイス………その意味を考えていた。事務的に、どんなことがあってもそれを貫くべきなのだろうとその文字にはこめられている気がした。次のページにも、文字が少しだけ書かれていた。

『一年後』

 この屋敷に最低は一年以内といけないようだと時雨は理解した。

 門が開く音がし、時雨はそちらへと視線を送った。女性に連れ添って一人の女の子………自分より二歳ぐらい年下に見える………がやってきた。青色の髪の毛を後ろで結って風に吹かれては青い髪がさらさらと揺れる。

 だが、顔が不機嫌そうだ、時雨を見つけてから。

「…………あんたが新しい僕?」

 僕と書いてしもべと読める………ちなみに、下部とかいてもしもべと読める。そんなどうでもいいことを考えて時雨は頭の中に『事務的な態度』と『ポーカーフェイス』という言葉が思い起こされる。

「さようです、お嬢様」

「………ふんっ、部屋に案内してあげるからついてきなさい」

 まったく面白くないといった調子でメイドと思われる女性と共に彼女の後ろにつく。

―――――

 つれてこられた部屋には箒、モップ、雑巾にトイレのつまりを解除する魔法のステッキがあるような場所だった。

「ここが、今日からあんたの部屋よ」

「わかりました」

 慇懃に勤め、心の中では『どう見たって掃除箱じゃねぇか!しかも、僕の部屋よりでかい!』と大声で叫ぶ。部屋の大きさに文句はない。

 その態度が癪に障ったのか、眉が釣りあがる。

「………やっぱ、なし」

「そうですか」

 再び時雨とメイドを従えて彼女は今度は庭へと向かったのだった………日記に書かれていた通り、完璧にしたがうことにした。

 つれてこられた先には見知らぬ文字で『サリー』と書かれた先ほどの掃除部屋より若干狭い部屋のような場所だった。

「今日からあんた、ここ」

「わかりました、お嬢様」

 おおかた、犬小屋だろうと思って中をのぞくと…………そこには馬がいた。さすがに驚きそうになったが、のっぺりとした表情で頭を下げる。

 やはり、この態度が癪に障っているようで目つきが鋭くなる。

「………先客がいるからここもなし」

 彼女は怒っているのが明白なのが理解できるほど危険なオーラを発していた。私、おこってます。そんな感じだ。

――――

 後に時雨が連れて行かれた場所は様々だった。トイレ、屋根裏部屋、お嬢様の父の部屋、庭、地下室、地下牢屋、メイドの宿舎、犬小屋に屋根の上と………どこも時雨の家や部屋と比べたらでかくて、住みやすそうだった。

 この屋敷の案内はもう必要ないというぐらい彼女は時雨を連れまわしている。廊下を通るとたまにいるメイドさんが起こっている時雨の主を見るたびにあわてて頭を下げて目を合わせないようにしている。

 時雨と共にいるメイドはこれまたポーカーフェイスなのか、時雨と共に彼女の後ろを静かについていっているだけだった。

 そして、唐突に彼女は立ち止まった。

「………つまんないわ!」

 叫び、後ろを振り返る。時雨はお嬢様の後ろにいたメイドよりも後ろでお嬢様にあかんべぇをしていたのであわてて冷静な顔をして、たずねる。

「何がでしょうか?」

「あんたにいってないわ!ちょっと、知恵を貸しなさい!で、あんたは後ろを向いてなさい」

 後ろにいたメイドを引き寄せてなにやら極秘に話をし始める。時雨は後ろを向いて背筋正しくたって話が終わるのを待っている。

「…………なるほどねぇ………もうこっちを向いてもいいわ」

 何かを得たといった顔をしたお嬢様は時雨に告げた。


「私の部屋に住みなさい!」


 これにはさすがに時雨は驚いたが、すぐさま答える。

「、わかりました」

「…………冗談よ、冗談」

「これは失礼しました」

 そうだろうと思っていたので時雨は頭を下げて彼女に進言しただろうメイドを見やる。彼女の顔は冷たかった。

「いらいらするわ、あんた」

 そういい、再び歩き出すと………

「あら?とても可愛い執事さんね?」

 前のほうから豪華そうな服を纏った女の子がやってきた。こちらは時雨と同い年ぐらいだろうか?

「………あんた、私のうちに何しに来たのよ?」

 眉を吊り上げ、食って掛かるお嬢様。時雨は無表情で相手を見る。おお、胸が大きいな〜とか、綺麗だな〜とかそういう言葉は心の中にそっとしまっておいた。ついでに、彼女の顔もじっくりと覚える。

「知りたければ教えてあげるけど?親戚ですからね」

 むっとし、お嬢様は答える。

「いいわ、知らなくて………どうせ、面倒ごとでしょうからね」

 ぷいと視線をそらせて歩き出す。時雨とメイドは共に歩き出した。

「お待ちになって、そこの執事さん………これをもっていってくださいな」

 手渡されてそれをポケットに入れるように指示される。

「…………これは?」

「後ほど、見たほうがよろしくてよ………では、ごきげんよう」

 そういって彼女は去っていった。お嬢様のほうは怒り狂っているようで後ろを見ようともしていない。

 時雨はそれに静かについていくだけだった。



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